5.暫定的なエピローグ
闇の古代神。神と悪魔、二つの古の血の間に生まれ、約二千四百年前のとある事件をきっかけに後天的な神となった存在。一部の界隈には狂信者もいるという、混血の象徴である紅と黒のオッドアイ。ひたすら魂を狩り続けてきただけの俺とは違い、僅かな例外を除いて文明への不干渉を保ちながらこの世界を見守り続けてきたある種の守護者。全ての生き物が行き着く場所、死を包み込む絶対的な闇。百人の村を救うために十万人の軍隊を殺し滅ぼす異質な神。
そんな彼……異端児、もといブイオは今、俺の隣で魔王様と話している。
俺が仕事を離れる要求がすんなり通ったのは、彼が魔王様の孫にあたるから。なんでも勘当されて行方不明になっていると俺が思っていた魔王様の九番目の子供が、彼の父親だそうで。
……そりゃ能力もいちいち高いし敵も多いよな。あの悪魔の血が濃厚に流れてるんだから。
「カガリさーん、なぁまだ話終わんないの?」
背後から眞鳴の拗ねたような声が聞こえる。ようやく手元に帰ってきた大鎌をくるくると回しながら、俺はおー、と曖昧な返事を返した。
ん、あれ、でもおかしいぞ。こいつには住処で自称堕天使のルミエルを見張っておくよう頼んでおいたはずなんだが。それが何でここにいる?
「おい眞鳴、おまえルミエルどうしたんだよ。まさか一人残して」
「な訳ないだろ? 一人にしといたら危ないもんな! てことで、じゃーん、連れてきましたー!」
全身の筋肉が勝手に硬直した。聞き間違いであることを祈りながら、恐る恐る振り返る。しかし現実は非情なもので、そこには得意げに胸を張る眞鳴に腕を掴まれたルミエルがいて、申し訳なさそうに頭を掻いていて。
「はは、お邪魔するよ。すまない、私は止めたのだがね……いや、鬼というのも存外無邪気なものだ」
いや何してやがる。
そいつは監視対象だ、保護者じゃねぇんだぞ。
彼が思い切り咳き込んでいる。魔王様は大爆笑だ。まあそうなるよな、ふざけんなよ。
「地獄はもしもの時の避難場所だから教えるなって言ったろ! それに俺無しで来たってことは眞鳴おまえ、入口通って来ちゃったのかよ」
「え、うん」
「うんじゃねぇよ馬鹿!」
「いや~、暇だったから、つい」
「ついじゃねぇよ馬鹿!」
彼の手が右肩に乗る。伝わってくるずっしりとした重圧は、言葉が無くても十分以上の意味を孕んでいた。
「なぁ死神。悪いけどやっぱり地獄の空気は俺に合わないみたいだ。ちょっとノルウェー辺りまで新鮮な空気を吸いに行ってくる」
「あからさまに逃げるな古代神。目が死んでるぞ」
「ふん……箱舟を誰かに壊されたノアみたいな気持ちだ」
「だな。しかも代わりの材料は無いときた」
そして重なる溜息が二つ。
さて、この始末はどうつける? こうなった以上、少なくともルミエルはもう仲間として受け入れる他ないか……。もう少し、判断には時間をかけたかったのだけれど。
俺の耳が遠くからこちらに向かってくる奇妙な足音を拾った。大人数? いや、これはまるで足が八本もあるような……。
「おーい、親父……あれ? 取り込み中か、悪い悪い」
俺が首を捻っている内に、足音の主が姿を現す。その台詞からして、魔王様の子供の一人のようだ。
下半身は真っ黒な蜘蛛、その頭胸部から繋がる人型の上半身の肌も真っ黒。髪と眼球は赤く、虹彩は黄色。青緑黄に色分けされた左右三本ずつの角。同配色で目の下に並ぶ、三対の複眼。三メートルにもなる身長。
えーっと、誰だったかな。確か、生き物と融合してたのは初めの三人だけだったはずだから……。
あまりにもおぼろげすぎる記憶、しかしそれ以上に妙な既視感があった。既視感というか、声。まあ、そりゃ魔王様の子供ならみんな一度は聞いたことあるはずなんだけど。
「なんだ、気付かないのか死神」彼がくすりと笑う。「あれ、マキナだぞ」
「えっ?」二度見した。本当だ、言われてみれば確かに。「うわマキナじゃんおまえ!」
「お、アニキおかえり! いやー無事でよかったな、一時はどうなることかと」マキナが俺に向かって手を振る。
「いやぁその節はどうも……っていうかおまえ、近所って地獄に住んでたのかよ」
「三途の川の終点にな。アニキが狩ってきた魂、ろくでもないのはいつも美味しく頂いてるぜー」
「ああそうか、長男は魂喰らいだっけ……」
頭がパンク寸前だ。つまり彼だけでなくマキナも人間のフリをしていた、と。それもそうか、交流の幅が広い魔王様ならともかく俺すら数えるほどしか会ったことない悪魔と人間が親しかったらさすがに不審だもんな。
全く。俺一人協力させるのに何とも豪華な役者が揃っていたもんだ。
「死神。ちょっといいか」
彼が俺の腕をつついた。話の途中だったマキナに目で謝罪し、俺は彼について喧騒の輪を離れる。
「今まで話せてなかった事、ガオナの確認が取れたから話しておきたくてな」
今日の分の仕事も終わり、静まり返った三途の川。そのほとりで彼は足を止めた。並んで地面に腰を下ろし、川に足先を突っ込む。溶岩で常に汗ばむサウナのような熱気の中、氷のように冷え切った水は染み渡るように心地よかった。
「結局、「カミサマ」については何もわかってないんだっけ?」透き通った水面をぼんやりと眺めながら俺は尋ねる。具体的には、と曖昧な返事。
「……天使によって最初に町が滅ぼされたのが一年前」独り言のように彼が話し始めた。「その場に居合わせた風の古代神に報告を受けてな。嫌な予感がして、神殿や司祭の館で色々と調べたんだ。けど、同じような事例も襲撃者の詳細も分からなくて。唯一見つけたのが、大昔に作られた石板。今はもう風化して失われてしまった、遺跡について描かれたものだった。……ガオナによれば、その石板が作られたのは約三億年前。人間が地上に現れた頃だな。その頃の遺跡っていえば、それはもう人間が現れる前の文明の痕跡ということになる。おかしいだろう? つまり、世界の始まりからいたはずのあんた達より以前の文明があったってことさ。そして、その遺跡にあったとされる焼け跡のような痕跡。その特徴は天使の奔流によるそれと酷似していた。……だから俺は、天使によって前文明が滅ぼされた、と考えたんだ。そして記されていた遺跡の数や天使の特徴から、その司令官となる存在がいることもな」
「つまりそれが……「カミサマ」」
「そういうこと」
まあでも、今は堕天使たるルミエルから色々訊きだすのが先決だけどな。そう言って彼は立ち上がり、俺を置いて元の場所へ戻っていく。
すぐにその後を追うことはできなかった。先程の彼の言葉が気になって仕方がない。
俺達は、原初の五つの命は、間違いなくこの星で最初の生命だったはずだ。草木はともかく、人間どころか動物すら他には存在していなかった。それは確かだ。
でも、もし本当にそれ以前の文明が存在していたとしたら?
一度全てが滅び、そして新しく俺達が生まれたのだとしたら?
――破壊された歴史。
背筋を悪寒が走り抜ける。考えるのをやめ、川から足を勢いよく引き抜いた。凪いでいた水面に飛沫が上がり、波紋が広がる。
彼の背中は、もうすっかり遠ざかってしまった。
辛うじて見える、その黒い翼を目印にして駆ける。
見失わないように。
取り残されてしまわないように。
ここまで読んでくださった方々へ、本当にありがとうございました。
続きは、書きあがり次第まとめて投稿します。
もしお待ちいただけるのなら乞うご期待、ということで。では。