4.青天の辟易 #1
『しっかし、アニキもとんだ大移動だねぇ。日本から東南アジア、アメリカ、で、今度はアフリカ? 世界旅行じゃん』
マキナに指示されるまま、よく分からない船に乗り込んで数日。本当にこんなペースで間に合うのだろうか。
結局、ラスベガスでガオナの真意を十分に聞き出すことは出来なかった。本当はあと数日滞在しようと思っていたが、あんな呼び出しがあっては仕方がない。
天使が向かっている街の名前はキル=クェロッタ。かなり大きく発達していながら、独自の閉鎖性に富んだ文化を持つがために地図にも載っていない街だ。加えて、何故かは分からないが死人が頻繁に出る街でもある。大昔には殺し合いの風習もあったはずだが、現代になって生贄の風習にでも変わったのだろうか。
だからこそ、俺も何度かお世話になったことがあるのだが。記憶の限り数万年単位の歴史をもつこの街で、人口の増減を体感したことはない。
生まれた子供の数だけ、大人を殺す。
そんな物騒な噂も、あったようななかったような……。
そして、長い歴史を持つこの街にはもう一つ、とても重大な存在意義がある。それこそが今回俺達が何もかもを放って駆け付けようとしている理由であり、またマキナからの電話の後船に乗るまで、彼がしばらく押し黙ってしまった理由でもあるものだ。
電話が来る直前、俺達が話題にしていたもう一人の対抗策である闇の古代神。キル=クェロッタは、その神殿が置かれている事実上の拠点のようなものである。とはいえ、彼曰く当の本人はあまり神殿には滞在していないはずだから、仮に街が滅ぼされたところで古代神自身に被害が及ぶことはまずないらしい。問題は、天使が狙った意味。ただその一点に尽きる。
ヴァルデに見せられた幻覚の中で、小さな村は三体の天使によって灼き尽くされた。対して、その数十倍以上の規模があるだろうキル=クェロッタに向かった天使は一体のみ。無論、滅ぼす勢力としては十分かもしれないが、単純に数が少ないようにも思う。
つまりそこから導き出された結論としては、今回において天使の目的は偵察あるいは情報収集であること。何の情報かと言えば、間違いなく闇の古代神だろう。
死神以外の脅威が存在する可能性を悟られた。そこまでならまだいい。だが、それを確証として「カミサマ」のもとへ持ち帰られる訳にはいかない。
「なあ異端児。天使の移動速度ってどれくらいなんだろうな」
「……さぁな。さすがの俺でも奴らとの交流はないんだ」
「マキナに電話で訊けないのかよ」
「悪いけど、圏外なんだ」
どんなに事態の深刻さを理解し、どんなに気持ちが急ごうとも、船の進む速度は変わらない。どうあってもキル=クェロッタまであと三日はかかるというその事実は、俺達にただひたすらにプレッシャーを与え続ける。
『アニキ船酔いとかしてねぇか? ここからじゃ顔色までは見えないけど、船旅とか慣れてないんだろ?』
「大丈夫だから天使の現在地を教えてくれ!」
空に向かって叫んでみるが当然のごとく返事はない。またマキナか、と彼が隣で溜息をついた。
「その様子じゃ、重要な情報はないみたいだな」
「ああ。船酔いの心配とか妙な感心とか、そんなのばかりだよ」
「はっ、あいつらしいな。……次に会ったら一発殴ってやる」
声の届かない相手に対して理不尽だろうとも思ったが、今回に限っては俺も同意だった。あれだけ急かしておいて、マキナは「まだ間に合う」としかそれらしいことは言っていない。いくら未知数で情報の少ない相手だからって、それはあんまりじゃないのか。
しかし、今はその言葉を信じるほかない。まだ間に合う。具体的な数値を与えて無闇に心配させるより、もしかするとそれは賢い選択なのかもしれなかった。
「あんた、キル=クェロッタについては知ってるって言ってたな」
「ああ、まぁな。表面的なデータくらいは」
少し離れたところで進行方向を眺めていた彼が、俺の隣に来て手すりにもたれかかった。こうしていると何かの映画みたいだな、と小さな呟きが聞こえる。
澄み渡るような青空。所々に浮かぶ綿飴のような雲。穏やかな波。全く平和なものだ。少なくとも、今は。
「……鎌を置いてきたのは失策だったな?」
「おまえがちゃんと最初から目的を言ってりゃ、持ってきてたよ」
冗談のように彼は言うが、実際馬鹿にならない話だった。鎌があってこそ、生命をもぎ取り操ってこその死神だ。ただの物理じゃ、そこら辺にいるちょっと強いチンピラと何ら変わったもんじゃない。槍で心臓を貫かれれば死ぬし、銃で脳天を撃ち抜かれても死ぬ。
今の俺は死神じゃない。それはマキナも分かっているはず。なにしろ、あの出発の朝に直接顔を合わせているのだから。
それでも、マキナははっきりと口にしたのだ。俺と彼と、二人がいればこの窮地は脱せると。
ならば、期待を裏切る訳にはいかない。おそらくは二十数年しか生きていない若者の言葉だとしても。
「……いや、あんたは、鎌がなくとも死神なんだ。それがないと死神としての能力は一切振るえないだなんて、誰が知ったことでもない。殺された者は地獄で真実を知り、生き延びた者にとって鎌は道具でしかない。この地上で生きる者にとって死神とは、どこまでも派手で奇抜なあんた自身だ……そうだろう?」
「この見た目も役に立つってことだな。ああ、それなら囮くらいにはなれそうだ」
何かの役に立てるなら、それが決定打になるのだろう。俺が生んだ隙が、天使」の心臓を抉るのだろう。何の確証も根拠もない希望が、何故か俺を駆り立てている。
何せこの数十億年、生まれて初めての当事者だ。後始末以外で世紀の大事件に関われる、千載一遇の機会だ。
ただ見ているだけではなく直接、この手で世界を救うことが出来るかもしれない、そのはじめの一歩に興奮しないはずはない。これは、生まれつき人間の歴史に関わることが許されなかった俺が、さんざん羨ましがった偉業そのものだ。
「まぁ、安心しろよ」不安と希望が顔に出ていたのか、彼が呆れたように微笑んだ。「この物語、この異邦との一連の戦いにおいて、主人公は間違いなくあんたか闇の古代神だ。もう片方はその相棒。全てが終わって大勝利するか、世紀の大ピンチで命を賭して皆を救うまで、そういう奴らは死なないって相場が決まってる。これは前哨戦にも満たない顔見せのようなものだからな、ここであんたが死ぬはずはないんだ。断言したっていい」
「何だそれ。おまえに断言されたって何の価値もねぇよ」
そして彼も、この異端児も生き残るのだろう。今回の戦いにたとえ失敗したとしても、何となく、この人間は重要人物ポジションとして物語の要まで生き残る気がする。
それが勇気というものだ。今まで見てきた幾つもの人間同士の争いにだって、必ずそういう者がいた。強大な相手に対して敵わないと分かっていながら、できる限りのことをして、最後は皆に勇気を与えて勝利に導く者が。
ああ、ならば負ける要素はない。死ななければ、まだ俺達に敗北は訪れない。
『おっ、やっと口を挟めた! 会話が終わってなかったらすまんな、何せ聞こえてないもんだからよ! でもそろそろ見えるころだぜ』
突然のマキナの言葉に、俺は彼を促して言われた通り船の進行方向を見やる。やっとだな、と彼が溜息をついた。
目的地を有するアフリカ大陸が、空の向こうにようやくうっすらと見え始めていた。