3.乱立方程式 #4
「あーあーあー。なーんでバレるかなぁ、っとに」
「兄貴の日頃の行いが悪いからでしょ。人にトラウマ植え付けて盗み食いみたいなことして」
「あん? テメェにだけは言われたかねぇな? トラウマ植え付けてんのはテメェも同じだろうが、詐欺野郎」
現在、少し移動して同じ店のテーブル席。
あれから僅か数分後、「やっと見つけたぁぁああ!」とか叫びながら本物のガオナが扉を勢いよく開けて入ってきた。それを機に移動して、今に至るのだが……。
壁を背にして座る彼とその向かい側の俺はそっちのけで、彼の隣に座るガオナと俺の隣のヴァルデが口論している。いや、これはヴァルデが一方的に怒鳴り散らしているだけか……?
何でも、俺達が来る前に二人は一旦接触したらしい。理由はまだ聞いていないが、いきなりヴァルデが逃げ出したのだという。
「あーくっそ腹立つ……おい人間、テメェ、何でオレのこと見破りやがった?」
ヴァルデがいきなり彼に話を振った。切れ長の青い目の中で鋭い眼光が光る。さすが人に幻覚と悪夢を見せる悪魔、その迫力は凄まじいものだったが、彼はそれを意にも介さない。
「そりゃあんたが俺……いや、すごい違和感が漂ってたからな」
「あ? オレが何万年夢喰いやってると思ってんだ、んなの」
「あはは、そりゃそーだよねぇ! バレるよねぇ!」
ガオナが手を叩きながら遮るように笑いだす。別に酔っている訳ではない。通常運転だ。
「んだと……?」
売られた喧嘩は倍返しだ、とでも言わんばかりのオーラを放ちながらヴァルデが勢いよく立ち上がり、手を伸ばしてガオナの胸倉を掴む。対してガオナはへらへらと笑うばかりだ。
これだけ正反対の性格をしていながら、幻覚とはいえよく真似できるよな、ヴァルデは。
見た目だってそうだ。ガオナは白い肌に金髪、明るい青の目。ヴァルデは肌も浅黒いし、黒髪だ。目の色は同じ青でも、ガオナよりもっとずっと暗い色をしている。
俺が感心しているうちに、少し落ち着いたのかヴァルデはガオナの胸倉を掴んでいた手を放し、椅子にどっかりと座りなおした。途端、一時的にガオナに向けられていた矛先がまた彼に向く。
「つか大体、だ。カガリの地獄耳はチートだし騙しきれなくてもそりゃ仕方ねぇけどよ。テメェは人間でオレとは初対面だろうが。違和感ってなんだよ違和感って」
「さあな。ガオナなら全部お見通しだろう、教えてもらったらどうだ」
「チッ……テメェ、人間のくせして悪魔に対する口の利き方がなってねぇな?」
二人の間に見えない火花が散るのを感じた。どうやらこの二人、絶望的に相性が悪いらしい。
ガオナがすっと立ち上がり、隣の空いた机から椅子を引っ張って来て半ば無理矢理俺の隣に座る。どうやら蚊帳の外になったのをいいことに静観を決め込むつもりのようだ。
そしてそれは正しい判断なのだろう。こんなに視線の鋭い二人に混ざって口論なんて、異常者や犯罪者に慣れた俺ですら足が竦むに違いない。
「ああいうの、見てて面白いよね」
「そりゃ、おまえは全部分かってるもんな」
「そうそう。カガリ先生だって、わざと言わないようにしてたんでしょ?」
彼ら二人を刺激しないように、そっと小声で言葉を交わす。自分だけが知っている、という愉悦は俺にも確かに多少覚えがあるが、それは今回俺に当てはまらない。何故なら、俺自身も彼の事などほとんど知らないからだ。
名前も。
正確な年齢も。
家族についても。
「へぇ、そうなの? じゃあ、カガリ先生も何でヴァルデの幻覚をあの子が見破ったか分からない感じ?」
「ああ。違和感を感じたのは本当だろうし、俺とヴァルデの会話で何かあったんだろうな、としか」
意外、とガオナが複雑そうな顔をする。まだヴァルデと睨み合っている彼に視線を向けて、いや、おそらくは彼の中に透けて見える情報に目を留めて、何やら思い悩むようなそぶりを見せた。
「ふぅん、そっか。そんな感じか……じゃあ、僕も言わない方がいいんだろうね」
「え、何だよ。何かそんな大層な秘密でもあるのかよ」
「そりゃ、短期間とはいえ一緒に生活してる人に名前すら言わないなんて、立派な秘密でしょ。ま、何となく理由は分かる気もするけどねー、思惑とか魂胆とか、そういうのは僕の守備範囲外だから」
……それは。
俺に知られたら困る何かがある、という解釈でいいのか。
彼が幻覚を見破った理由として間違いなく分かるのは、彼に関する真実とヴァルデの発言に何らかの齟齬があった、ということだ。
ガオナならば間違えるはずのない、個人の身長や名前などのデータをヴァルデは掴み切れていなかった。つまり、その真実は見た目では分からない部分にあるとも言える。
とはいえ、会話の一言一句に注意を向けていなかった俺にそれ以上は分からない。ただ、俺に違和感がなかったということは、俺も知らない情報である可能性が高いのだろう。
「おい、詐欺野郎。いい加減教えろ、教えろよ」
と、ヴァルデが再び立ち上がり俺を乗り越えるようにしてガオナに掴みかかった。案の定というかなんと言うか、やはり彼からは回答を引き出せなかったらしい。
乱暴だなぁ、とガオナは明らかに意図的と分かる緩慢な動作でヴァルデの手を引き剥がす。拠り所を失ったヴァルデのもどかしさと怒りが、拳に姿を変えて鈍い音と共に木製の机を打った。
「こいつは通りすがりにテメェの写真を撮ったついでに力ずくで捕まえようとしたカガリの下僕のどうしようもねぇアホ人間なんじゃねぇのかよ。嘘だったのかよ」
「カガリ先生の知り合いっぽい子に写真を撮られて捕まりそうになった、としか僕言ってないんだけど。思い込みで勝手に情報捏造するのやめてもらえる? まあ確かにあれは力ずくだったけどさあ……ていうかそもそも、僕の話を最後まで聞かずにいきなり逃げ出したのは兄貴でしょ? なんでそれで聞いてないことを僕のせいにできるわけ? ああ、それと」
一旦言葉を切ったガオナが、ちらりと彼の顔を見る。言うべきかどうか迷っているのだろうか。
彼は一瞬の間をおいて、視線を下に逸らした。それを確認して、ガオナの視線はヴァルデに戻る。正直、こんなに居心地が悪そうにしている彼を見たのは初めてだった。
「この子が兄貴の幻覚を見破ったのは、もちろん兄貴が僕に化けておきながら不正確な情報を言ったからだよ。分かってると思うけど。本人がバラしたくないみたいだから詳しくは伏せるけどさ……兄貴が思ってるほど、この子雑魚じゃないからね」
ヴァルデは何とも形容しがたいものすごい目でガオナを睨み、黙った。
百点満点の自信を持って提出したテストの答案が十五点で返ってきて、これが正解なのはともかく納得がいかない、と理不尽に先生を睨む子供のようだった。
「んー……でも、君もさ。なんでカガリ先生に色々隠してるの? 名前くらい教えてあげたっていいのに」
ヴァルデの視線を慣れたように無視し、ガオナは彼へと話を振る。
「……色々面倒なことになるからだ」彼が答えた。「名前が、ただ識別記号としてだけ機能するとは限らない。地位や評判が知れれば相手はそれに見合った仮面を被るようになる。それが嫌なんだ」
「そっか、まあ知ってる人は知ってるもんね、君の事。カガリ先生も知ってそう」
二人の視線がちらりとこちらを向く。
いや、期待しないでほしいんだけど。初対面の彼どころか数千年以上の交流がある悪魔達ですらろくに覚えてないんだぞ、俺は。
それから話は脱線し、名前とステータスと記憶と知能に関する不毛な会話がしばらく続いた。
結局彼の名は最後まで明かされず。
ガオナは全てを知っていて。
ヴァルデはいきなり激昂し。
俺は傍観者になることが一番楽だと気付いた。
ただ、それだけだった。