プロローグ
瞳には光なんてうつらない、ただただ 黒く、黒く、暗い。
だけど私は息も吸うし、まばたきもする。
お腹も減るし、眠たくもなる。
なぜ、神社の娘に生まれてしまったのか。
なぜ、帰る場所はないのか。
なぜ、待っていてくれる人もいないのか。
なぜ、私は私なのか。
杉平 司沙は山の上の神社へと続く階段に座り込み、夜景をボーッと眺めていた。
「どうしよっか。これから。」
夜風が頬を撫でて、夏だというのに少し肌寒い。
どうせ家である神社に帰っても、お母さんとお父さんが離婚協議をすすめているだろう。
昨晩聞いてしまった、聞くのを恐れていた言葉
「司沙はあなたが育てて」
母の声。
「何で俺が。神職を逃げ出したのはお前の責任だろう。お前が育てろ。」
「嫌よ。シングルマザーなんて生きていけるわけないじゃない。私一人のお金を工面するだけで精一杯よ。」
「お前な……」
「お前なってなんなんですか!そういう態度が嫌なんですよ……それもこれも………………」
私は必要なかったの?
必要ない人間なの?
なんでこうなったの?
学校に友達もいるが、「助けて」と言える友人など一人もいない。
司沙は自嘲ぎみに笑う。
本当に友達と呼べる友達もいないってことなのかな。
下に落としていた目線を上に戻し、また夜景をボーッと見つめる。
幼い頃、この神社へ続く長い、高い一直線の階段が好きだった。
よくお母さんとお父さんと、買い物の帰りに競争と言って階段をあがったり、階段でアイスを食べたりした。
階段の段数は沢山あって、毎回登るには大変で
夏なんかはエレベーターがほしいとも思ったが、階段を上がっていく際に後ろを振り返ると見える景色はなんとも見事なものだった。
今では一歩歩くにも重たい階段になってしまった。
「助けて、おばあちゃん……」
最愛だった司沙の祖母は二ヶ月前に亡くなってしまった。
胃ガンだった。
赤ちゃんの頃から可愛がってもらい、離婚協議中で居づらい空気の時もよく祖母の家に逃げていった。
「……なんて、返事あるわけないじゃん。」
視線をまた下に落とす。
あるのはただただ平べったい、何もない手のひら。
「もう、死んでしまおう。」
そう思ったとき、あるひとつの噂話を思い出した。
神社の本殿の1番奥。
その1番奥の部屋の掛け軸の奥。
その部屋の奥に神社の跡継ぎしか入れない"秘密の部屋"があり
その"秘密の部屋"に貴重な薬がある。
「その薬を飲んだものは、"天国または地獄の思いを知る"ことになる…………」
……それって、死ぬってこと?
その薬の事を考えると、司沙はなぜか強烈にその中身を知りたいと思ってしまった。狂おしいほどに。
……それなら都合良いじゃない。私が飲んでやる。
司沙は階段を登り、本殿へ向かった。
本殿の奥の……
掛け軸の奥。
「噂だけだと思ってたんだけど」
ビンゴだ。
掛け軸をめくった司沙の前には人一人がやっと通れるような細い通路があった。
ーー本殿自体、司沙は入ってはいけないと言われてきた。
"本殿には怖いお化けがいるからね!"小さい頃からそう両親に脅されて近づいていなかった。
本当はただ、15歳になるまで本殿へは入れない神社の規則があっただけだと後から知った。
どうせもう、この世に未練なんてない。
父親も怖くない。お化けも怖くない。
司沙はその細い通路に入っていった。
細い通路の先には、小さな部屋があった。
その小さな部屋には、小さなタンスがひとつあるだけだ。
引き出しは3つ。
司沙はためらうことなく開けていった。
1番上の段は空。
2番目の段も空。
3段目に
「なにこれ」
青色の布の袋に包まれた小さな物体。
その中を開けてみると、小瓶が入っていた。
「この小瓶に入っている赤い液体が…………"その"薬……。」
手にした小瓶はひんやりと冷たいガラス製でてきていた。
小瓶に入っている薄い赤い液体が、光に煌めいて怪しく光っている。
その怪しい色に司沙の目が吸い込まれていたら
ガタガタッ!!!
……!?
「誰かが入ってくる……」
掛け軸がとられる音がした。
小さな通路を誰かが歩いてくる足音がする。
タンッ……タンッ……。
地面がきしむ音がする。
きっとこの足音の主は、父親だ。
ーー会いたくない……。
司沙は小瓶を自分のスカートのポケットへ入れる。
こうなったら、逃げるだけだ……!
やはり入ってきたのは父親だった。
「司沙……!!お前、何でここに……!!」
「……っ!」
父親が驚いているその隙を狙い、父親の右足の付近の空間へタックル。
すこし父親がよろめく。
よし……!これなら、くぐって外に出れる……!
司沙は小さな通路を父に追い付かれまいと全力でダッシュした。
はあっ、はぁっはぁっ……!!!!!!
足が棒になるまで走った。
本殿の扉は逃げるため、追いつかれないようにするため乱暴に開けた。
走った。
走った。
はぁっ、はぁ。
やっと外に出、階段付近まで戻ってこれた。
スタミナが切れ、少し速度が遅くなる。
「司沙」
ふりきったと思っていたが、
後ろから冷ややかな声が、階段をおりようとしかけていた翠の背中に突き刺さる。
後ろを振り返ると、明らかに敵意を出している父親の怖い顔が。
死ぬ前にこんな怖い顔を見るなんて。
昔は優しかったじゃん……。
夜風が二人の間を吹き抜ける。
「…………父さん。私、死ぬから。」
「は……?何バカなことを言ってるんだ?」
「私、この階段から飛び降りる。
この高さの階段から落ちたら誰でもひとたまりもない。」
「え…………」
父が驚きと、苦しさの混じったような声を出す。
司沙はさっきとった小瓶の栓を抜き、"薄い赤い薬"を一気飲みした。
「司沙……、その薬は……!!!!」
「うるさい!」
苦しそうな顔で近づいてくる父親。
高くなっていく心拍数。
ドクン。ドクン。
…………。
神様。来世は幸せな人生を過ごさせてください。
人じゃなくてもいい。
猫でもいい。
気ままにたゆたう雲でもいい。
どうか来世は幸せにーーーー……。
司沙は、飛び降りた。