満腹の少女は現実を知った
「なるほどねぇ…」
イシュカの真剣な眼差しを受けて、何事か考えたまま呟き、スキアは残りのケーキを口に押し込んだ。
とても味わっているようには見えないが、彼女曰く、この食べ方が美味しいのだという。
「理由としては申し分ないね。」
スキアから肯定とも取れる言葉が出るとイシュカの表情がぱっと華やいだ。
それを止めるように、スキアはすぐさま言葉を付け足す。
「でも、問題はそれだけじゃないよ。イシュカは、魔法がどうやって使えるか知ってるかい?」
スキアの質問にイシュカは数秒難しい顔をしてから首を横に振った。
スキアがアルフに目配せすると、アルフはリビングの引き出しから便箋と思しき紙束を取り出し、テーブルに置いた。
アルフが椅子に腰掛ける頃に、スキアはテーブルに置かれたものを指差して、イシュカに問いかける。
「これは何かわかるね?」
「……触媒です。」
イシュカの回答にスキアは大きく頷いた。
「これは、紙にアタシの魔法を吹き込んで飛ばせるようにしたもの。簡易的なものだからアタシのところにしか飛ばせないけどね。」
スキアは説明しながら紙束から一枚紙を引き抜くと、イシュカの前に置いた。
「教えてあげるからそれを折ってごらん」
魔法の入った触媒に触れるのは初めてで、イシュカは興奮に頬を赤くしながら、恐る恐る紙に触れた。
特別上質なわけではない。
見たままの粗末な紙だ。
裏側には不思議な模様が二つ描かれている。
スキアに手ほどきを受けながら、今まで見たことのない手順で紙を折りたたむと、最後に二つの模様が繋がって一つになった。
不器用さが滲み出てあまり折り目の綺麗でないその紙を、イシュカ自身は満足そうに掲げて見つめた。
「よくできました。じゃあその紙に唇を当てて……。」
「く、くちびる⁉︎」
スキアの説明に、途端にイシュカが先程とは原因の違う頬の赤みで大きな声を上げた。
「……たかが紙じゃないか。」
なんでもないことのように言うスキアに対し、何かに口付けるなど食事以外では経験のないイシュカは、戸惑いを隠せずに目を泳がせた。
「口付けは神聖なもの。精霊への感謝の印。魔法の発動には欠かせないものだよ。」
口づけを行う訳を教えられると、イシュカの中から抵抗感が消え、途端に神聖なものへの敬意が現れた。
「精霊への……感謝の印。」
理由に納得したイシュカは両手で紙を持ち、そっと唇をつけた。
「じゃあそれ、放り投げて。」
「……えい!」
感謝の印を捧げたばかりのものをすぐさま投げろと言われ戸惑いを覚えたが、イシュカは言われるがまま勢いよく掛け声とともに紙を放り投げた。
が、何をどうしたのか思い切り投げた紙は、勢いのまま斜め向かいに居たアルフの顔面にびたんと張り付いた。
「ぶ!」
「ごめんなさい‼︎」
投げたイシュカ自身が一番驚いて、慌てふためき謝罪する。
ぺらぺらの紙でも、わずかに痛みを感じるくらいの勢いで顔に張り付いてきたそれを、渋面のアルフは無言で払い除けた。
一連のことを見ていたスキアはツボに入ったという様相で、声も出せないままに腹を抱えて笑っている。
そんな三人の足元で、先ほどイシュカの投げた紙がよれよれと震え、力なく二つ折りになっては伸び、また二つ折りになっては伸び、芋虫のように地面を這う。
その姿を見たスキアは、もはや椅子に座っていることも難しいと言わんばかりに、テーブルに突っ伏してぷるぷる震えだした。
それから数分かけてようやくよれよれの紙はスキアの足元へと辿り着いた。
スキアは笑いすぎたせいですっかり涙目になった顔のまま、その紙を拾い上げた。
「……はぁ、はぁ、苦しい……最高……んぶふっ……!」
乱れた呼吸に堪えきれなかった笑いを漏らしつつ、何とか落ち着こうと深呼吸を繰り返し、ようやく落ち着く頃にはアルフの渋面はもはや唸り声でも聞こえてきそうなほどになっていた。
「あ、やだアルフ。そんなに怒んないでよ。だってあんな……っ……ぶふぅ!」
再び笑いが止まらなくなったスキアを放って、渋面のアルフはテーブルから紙を取り手際よく折りたたむ。
獣人らしいその大きな手が慣れた様子で細かな作業をこなしていく様子に、イシュカは目を奪われた。
ものの数秒で折り上がった紙に口付けて、アルフは思い切りそれを放り投げた。
紙は目にも留まらぬ速さでイシュカの横を抜け、玄関前でUターンするとテーブルで笑い転げているスキアの頭に突き刺さった。
「……っい……ったいなあ‼︎」
瞬時に笑うのをやめ、不機嫌を隠しもしない顔でスキアはアルフを見た。
アルフはその表情にも臆することなく、髪留めのようにスキアの頭に刺さっている紙を引き抜くと、先ほどイシュカが投げた紙と並べてテーブルに置いた。
「……違いがわかるか?」
アルフの物静かな問いかけに、イシュカはまじまじとテーブルの二枚の紙を見比べる。
イシュカの方が、折り目が弱かったりずれていたりして全体的にみすぼらしい。
「……よれよれです。」
「そうだな。だが、それだけがうまく飛ばなかった原因じゃない。一番の原因は……。」
「一番の原因は、魔力の差だよ。」
ようやく復活してきたスキアがアルフの言葉尻を奪って告げた。
それを噛みしめるようにイシュカが繰り返す。
「魔力の差……。」
「そう。それが、魔法使いになるのに必要な条件の一つ。」
再びイシュカの視線がテーブルの二枚の紙に落ちる。
風のような速さで飛んで行ったアルフの紙と、芋虫のように地面を這っていた己の紙。
魔力の差と言われてみれば確かに得心がいった。
「なるほど……。わたしには魔力があまりないと言うことですね。」
「うん。正直全然と言っていいくらいないね。」
スキアは無遠慮にズバリと言って、紅茶を啜った。
イシュカはまだ諦めないと強い眼差しでスキアを見た。
「なら、ちゃんと修行します! 魔力が高められるように!」
やる気を感じさせるイシュカの表情には申し分ないのだが、今度ばかりは少し言いづらそうにスキアは表情を曇らせた。
「そうだねぇ……。酷なようだけど、イシュカは成長しないと思う。育てる魔力の源がなさすぎる。それはつまり、イシュカには精霊がついていないってこと。」
スキアの言うことがどれほど決定的なことなのか、イシュカには分からなかった。
その様子に追い打ちをかけるように、スキアはきっぱりと言い切った。
「精霊がついていないってことは、魔法が使えないってことだよ。」