前代未聞の企画かっはっくしょんッ!
装飾過多な応接室。波打つような彫刻の施された大理石の柱。円形のテーブルには金の刺繍が幾重にも束ねられた絹のテーブルクロス。背もたれにはもちろん、座面にも上質な綿が詰め込まれたクッション。ふかふかで椅子から転げ落ちてしまいそうになる。
今日は商人としてのあたしの決戦の日。
街道建設会議、打ち合わせ最終日。この日のために打てる準備は全てこなしてきた。建設に関わる全ての計画はもとより、古狸エヴァング対策。
なにごとかで取引相手に不利を押し付ける手法とはいかに。嘘を感知するセチアと詩織を侍らせ、階下には対情報戦魔術師としてリン・メイリンさんを配置。守衛の2人には嘘発見器を持たせている。
聖アルスノート側の商人であるエヴァングの護衛に就いている国王直属の守衛もグルである。そもそも、エヴァング商人の悪事を暴いて欲しいと頼んで来たのは他でも無い、聖アルスノート国王ピーター・エルフ・アルスノート。
商会を荒らし回り、その資金において商会を牛耳ろうとしているエヴァングがトップの座に君臨しようものなら、聖アルスノートはもとより交易をしている国々にも被害が及ぶ。
かといって証拠もないのに検挙することもできない。そんなことをすれば国王の信頼に関わる。
今日この日までは自国の商人に探らせてみたものの結果は惨敗。だからあたしの所に白羽の矢が立ったというわけ。大きな商談になれば必ずボロを出す。ボロを出してくれた期待されていた。
そして必ず見破ってくれと期待されている。可能な限り期待には応えたい。だが今のところおかしな様子はない。あるとすれば……こちらがあらかじめ提示した計画書と比べて想像を遥かに超えたミスマッチが起きているということ。
各々の得意分野については各々が多く出資し、それに見合うだけの報酬割合を弾き出していた。分野ごとで見れば金銭や人件費の差に波があるも、総合的に見ればちょうど半々で落ち着いた。さすがあたし。誰にも自称商人なんて言わせない。そんなことを思って鼻息荒くしていたというのに。
ずらずらと数字が並んでいるが、結論から言おう。
メリアローザ側が非常に有利な条件を提示されていた。
気持ち悪いくらいにッ!
っていうか気持ち悪いッ!
聖アルスノート側の出資額が多いのに、建設後の商業施設や産業での金銭や物資の取り分がメリアローザ側の方が多く設定されている。マンパワーという側面についても7:3。メリアローザ側が7とやや多めに提示された。
金を出してマンパワーを惜しんでいるようにも見える。聖アルスノートの事情を鑑みれば分からなくもない。貴族制が生きているアルスノートでは、出稼ぎに出る労働者は働き盛りの領民。今年は豊作が予定され、来年期の作付けにも人手が必要になる。だから人手はあまり出したく無い。マンパワーは割けないかもしれない。そういう情報は既に入っていた。
事情を汲めばこの数字自体に違和感はない。
金銭を出す代わりに報酬は少なくていい。人件費を出すからそちらで人手を作ってくれ。そういう意味だろうか。冒険者の労働力をあてにしているともとれる。
だからこそ、違和感があった。
領民から出稼ぎを出したくない気持ちは分かる。しかし、マンパワーは出したら出した分だけ、その領地には30年に亘り特別報酬が支払われることになっていた。
仮に公共施設の一年の荒利益を100とする。お互いの出資金が50%だった場合、ここから税という形でメリアローザと聖アルスノートが税率20%の半分、10×2を収めるため、残りは80。ここから50%に相当する40が現地で働いている人々の取り分。これは店舗の蓄財、物的な貯蓄や金銭に係る給料という形で支払われる。残った40は建設に携わった人間の所属するギルド、或いは領地に分配される。仮にこれが5。全体の利益5%だったとしよう。たかだか5%とと思うなかれ。なんとこの時に得た利益は特別報酬として非課税なのだ。そっくりそのまま領地の利益となる。そして資金の使い道の一部は領民に還元することが義務付けられ、この義務を怠った場合は罰則がある。
一度建設に携われば30年に亘って非課税の不労所得が得られる。領主も領民も万々歳。
ちなみに、街道の宿泊地に関わる公共施設の福利厚生や各種修繕などはメリアローザと聖アルスノートが折半して国税から払われる。だから出資金は半分が上策。というか、そのつもりで予定していた。出資金の天秤は釣り合うのがベスト。出資額が7:3だった場合、福利厚生に係る負担も7:3。公平なように見えるが、全体的な数字となると多くの税金を納めてもらっているほうが金銭的な余裕が生まれる。納める税金も毎年かかる公的な費用も、内的外的な要因で上下するのだから。
それとは別に、個人経営の店舗はまた違った制度があるが、とりあえずここは割愛します。
とにかく何が言いたいかって言うと、マンパワーを出せば向こう30年の間、不労所得が手に入るのに、この機会をみすみす手放す商人なんているわけがない。しかも業突く張りの狸親父。こいつなら子供だろうと年寄りだろうと働かせるだろう。
臭すぎる。この計画書は鵜呑みにできない。
「これは……ずいぶんと良いお話しではありますが、こんなことが可能なのですか? こちらとしては先日提出した計画書がお互いの利益のためになると思っているのですが」
「先日拝見させていただいた計画書は実に見事なものでした。しかし暁殿ならご存知かと思いますが、ありがたいことにどこも豊作でして。それゆえに各領主も人手不足で困っています。残念ながらこちらから出せる人員が限られてしまい、メリアローザをはじめ、ギルドの方々にはご苦労をかけますが、どうか人手を出していただきたいという所存です。代わりといってはなんですが、出資金は集まりました」
「それでしたら、報酬金のほうで調整しましょう。ですが、今後、国同士の付き合いを考えれば、やはり出資金も半々にしていただきたい。人員の導入という点であれば、収穫と作付けを除いた期間に投入し、利益の分配を半々に調整したほうがよろしいのではないでしょうか?」
そちらとしては申し分ない提案のはず。それを蹴るなんてどうかしてる。そんな様相を見え見え隠し見え隠ししながら、エヴァング商人はのらりくらりと詭弁すれすれの理由らしきものを並べ立てた。厄介なのは事前に仕入れた情報と状況が契約書の内容と違和感がないこと。たしかに何も知らない商人相手ならば二つ返事で首を縦に振るだろう。
私の場合、初見で今日のような提案をされたら間違いなく即保留にする。事前にこちらの計画書で行けるって先日言ってたのに、気味の悪い掌返しをされたら警戒するに違いない。
それをしないのはピーター王からエヴァングの手の内を調べるように言われているから。
あ〜どうしようかな〜。ここは経験が浅く若い商人のふりをして誤魔化そうかな〜。臭いんだよな〜この皮の厚い中年男性の腹の中。
一応、商会を通じてエヴァング商人には、紅暁はギルドマスターとして、冒険者としての腕前は確かだけど、商人としては三流。という噂を広めてもらっている。個人的には納得のいかない内容だが相手が油断するならあえて汚名を被ろう。現にその効果は出ているようで、随所に小娘を相手にする傲慢チキな態度が見て取れるようになってきた。あたしは細心の注意を払い、不遜な態度に気付いているけど我慢している女商人を演じている。
エリストリアやメアリが言うに、ハティは世界を相手に嘘を吐いた大女優と褒め称えた。あたしもなかなかの女優なんじゃないでしょうか。いや、道化かピエロが関の山かな。
それを分かっているセチアは笑いを我慢している。エヴァング商人があたしの手の平で踊っていること。あたしが見たこともないようなみっともない姿で道化を演じていること。頼むからこっちからボロを出さないでくれよ?
詩織はというと、さっきから鼻をずびずびいわせて落ち着かない様子。昨日まで元気いっぱいだったのに、突然風邪を引いたのか体調が、というか何故か機嫌が悪い。生理なのか?
言葉の戦争は予定していた時間を大幅に過ぎ、一度休憩を挟んで再協議ということになる。やれやれ、なんとかここまで引っ張ってきた。途中から彼が絶対に折れないと分かったので作戦変更。本格的に奴の手品を暴きにいきます。
そのための作戦会議の時間が欲しかった。敵を目の前にしてコソコソ話しなんてできないからね。
「私のユニークスキルには引っ掛からなかった。嘘は言ってないと思う。まぁ魔術的な厚化粧……対情報戦のための結界が張っているから、どこまで通用するか未知数だけど」
「私の対情報戦用に組んだ術式でも中和しきれないくらい皮が厚いわ。悔しいけど、情報系魔法に於いてはあっちが上手。ちょーくやしいッ!」
「リンさんの力量をもってして対抗できないとなるとよっぽどですね。詩織のほうは…………お前、大丈夫か?」
「ずびばぜん……。なんがぎゅうに鼻がずむずむしてきて……。朝はごんなごどながっだのに……」
「本当に酷いな。少し休むか?」
「いいえ、なんかすっごく気になるんですよねぇ〜。なんがわだしがあの場にいなきゃっていうような。それにしても脂ぎっしゅなおっざんでずね。ちょー気持ち悪いッ!」
「お前それ本人の前で絶対言うなよ?」
大丈夫か。いろんな意味で。もぅいっそ暴れまくって会談がご破算になってくれればいいんじゃないかとも思いながらも、まぁやれるだけのことはやってみようと思います。
さて、嘘看破部隊に異状なし。あとは契約書に細工が施されていないかどうかを探ってみたい。みたい、という希望的観測が混じっているのには理由がある。エヴァング商人が持ってきた契約書には王印が押されていた。これは王が認めたものであり、王印の押された内容物は王の言葉と同義を意味する。
これを疑うことは許されず、疑義を挟むだけで刑罰が課された。他国民であるあたしには直接的な刑罰が及ばないにしても、他国の王の言葉を疑うという、商人としてあってはならない烙印を押されることになる。
さすがに王印は偽造していないだろう。それは連れてきた近衛兵が動かないことが証明している。買収されている可能性もなくはないが。
見た感じ、奇妙な点があるとすれば羊皮紙の厚さ。2枚重ねになっていた。いや、上下の羊皮紙の間に別の薄い紙が挟まっているから3枚か。さすが王印を押される羊皮紙は高級であらせられる。
エヴァング商人は契約書に好んで羊皮紙を使う。頑丈でインク保ちの良い羊皮紙は紙より高値で取引され、耐久力が高いために重要な書類に使われる。もっとも、樹木から生成した紙も高価なのだけれど。羊皮紙に比べれば安いってだけで。
それを思うとグレンツェンの飽和した物質世界には驚かされる。100枚入りのA4用紙が数百シエルで手に入るというのだ。しかも下位魔法を付与したマジックアイテムとしての耐久度も兼ね備えている。それが一般に大量に流通しているのだから驚天動地。
どんな成長速度の木が生え揃っているのやら。
キキたちが履修しているという【うんこ学】の教科書に載っていた、『ゾウのうんこから紙を作る』という技術をエルドラドで実験しようとしたことがある。たが早々に計画は頓挫した。そもそもエルドラドにもメリアローザにもゾウはいないのだ。紙の作りようがない。スタート地点にも立てなかった。
契約書の間に挟まっている黒っぽいものは紙だろうか。契約書になにかしらの秘密があると聞いていた。もしやこれがそうなのか。だとしても見えるようにはしていないだろう。そんな初歩的なミスを狸親父がするはずない。
陽も暮れ始め、お互いの着地点が見えない中、一服入れようということでひと休み。
と、そこで事件が起こった。
エヴァング商人の目を盗み、もしかしたらセチアか詩織にはあたしに見えない何かが視えるかもしれない。龍眼をもってして見えない何かがあるかもしれない。そう思い、セチアと詩織に契約書を回して見せた。彼の目を盗むような仕草で、しかし堂々と……。
不都合があれば止めに入ると思ったが微動だにしない。むしろどうぞどうぞと言わんばかりの余裕の態度。相変わらずむかつくなぁ……。
セチアは特に異常を感じなかった。彼女のユニークスキルは対人の物。しかも『嘘を吐いた相手を問答無用で切り裂く』という能力。嘘を見抜くのはあくまで副産物的な要素なのだ。
ゆえにだろうか、セチアには違和感のない、ただの厚手の羊皮紙にしか見えなかった。
それでは詩織はどうだろうか。魔力に頼らず、人の表情や仕草から嘘を見抜く天性の自己防衛本能の持ち主。百発百中で言い当てるその様は頼り甲斐のある嘘発見器……と思いたい。
相変わらず鼻をずびずびいわせて苦しそうにしていた。何故か契約書を近づけると症状が酷くなっている気がする。遠ざけると緩和される。なんだこれは。花粉でも付着しているのか。時期的に可能性がなきにしもあらずなところが実に厄介。
手渡して、頭から読み進める内に途中で視線が止まる。詩織曰く、なんかこの数字が気に入らない。とのこと。気に入らないってなんだ…………。それはあたしも同じだよ。
散々口論しているが、理想はフィフティーフィフティー。苦労も報酬も半分半分が最上。これからよりよい関係を築くためには必要最低限の境界線。それを超えてしまっているのだから度し難い。こちらに有利な条件を提示してくるのだから気持ち悪い。
裏があるとしか思えない。
腹立たしい気持ちが煮え繰り返るも、2人にも違和感がないということで机に戻す。詩織から羊皮紙を返してもらおうとしたその時、盛大にくしゃみをして鼻をかんだ。
あたかもそれが当然のような素振りで手元の羊皮紙を二つ折りにし、もう一度鼻をかむ。さらに綺麗な紙の端で鼻の穴の周りをこちょこちょして整え、丸めた鼻紙を、あろうことかあたしに渡したのだ。すっきりして気分の戻った、すがすがしい表情を携えて。
時間が凍りつくというのはこういうことか。
数秒、何をしているのか分からなくて思考が停止した。
一瞬、常軌を逸した行動に意識が飛びそうになる。
その場の誰もが凝視し、青ざめ、息が止まった。かつてこれほどの不敬を冒す者がこの世にいただろうか。不敬。野蛮。非常識。盲目白痴。あらゆる冒涜的な言葉を並べても足りない。
なにせこいつは、王印の押された契約書を、こともあろうか、こいつは、鼻紙にしやがったッ!!!!!
「おいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいッ!!! お前ちょっとこっちに来いッ!!!!!」
「ふえぇぇぇっ!? いったいなんですかっ!?」
なんですかじゃねええええええええッ!
自分のやっていることが分かっていない。分かっているならやらんだろうけどね!
どうしようどうしよう。さすがにこれはまずい。まずいと思った時こそ冷静になれ。材質は羊皮紙だ。ちょっと濡れてもインクが落ちたりはしないはず。王印は金泥と銀泥だから水に強いだろう。丁寧に洗浄すれば鼻水はとれるはず。
いやそもそもこんな状態のものを再利用することが間違いか?
なんにしても国王様に頭を下げに行かなくてはならない。
はぁ〜〜〜〜余計な仕事を増やさないでくれッ!
雑用係に頼んで水とお湯、タオルを大量に用意してもらい修復作業にとりかかる。本音を言えば他人の鼻水の掃除なんかしたくはない。したくはないがしなくてはならない。詩織自身にやらせようかとも思ったが事態が悪化しそうなので踏みとどまった。
汚ねぇ……あたしはいったい何をしているんだ?
街道建設の予算会議をしていたんじゃないのか?
なんで川で洗濯するおばあさんよろしく羊皮紙を洗っているんだ?
本当にもうわけがわからん。
なんとか人に見せても違和感ないくらいに綺麗になった。
風魔法の使える雑用係だったので乾燥もばっちり。さすがに水に浸して急に乾燥させたから、羊皮紙は縮れてしまった….…。縮んでぐしゃぐしゃになってしまったので、2重に重なっていた下地のほうが今にも剥がれそう。やっべぇ〜……これは修復不可能。
問題はインクの滲み具合。洗っている途中で桶の水が真っ黒になった。終わった……と落胆していたのだが、なぜだかインクは無事。詩織の鼻水が水に反応して暗黒物質になったわけでもない。どうやら謎の黒い紙から溶け出したらしい。なんかちょっぴり甘い香りもする。
なんだこれ。なんの染料を使ってるんだ?
さいあく王印は無事だった。これが剥がれてバラバラになっていたら国際問題になりかねない。その時はリリスに泣きついて兄を説得してもらうという最終兵器も視野に入れねばなるまい。とにかくやべぇ、まじで。この後はどう展開させていこうか。
いっそこれを理由に、王に謝罪をするっていうことで王都へ出向こうか。そうすれば時間が稼げる。エヴァング商人のからくりを暴くという時間が。
だとして、あたしにそのチャンスが巡ってくるかは怪しいけどね。
「どうしたんですか、暁さん。めっちゃ疲れてますね。お腹もすきましたし、そろそろご飯にしませんか〜?」
「殺意ッ! …………っと、お前、もう、お金渡すから、帰っていいよ」
「え、いいんですか? 仕事終わりですかっくしょんッ!」
再び、くしゃみでくしゃくしゃになってしまった契約書を爆撃。衝撃波にさらされた三重の紙に被弾。ついにめくれあがる秘密。2つの衝撃があたしを襲い、なんていうか、もう、風呂に入って寝たいです。
敵を目の前にして両膝を机に突き刺し、両手を組んでいる。このポーズはきちんと相手の話しを聞いた上で熟考するという意思表示。何か言い分があるなら聞きましょう。
この2枚の契約書についてッ!
突き出したものは似た様式の契約書。どちらにも王印が押され、残念なことにくしゃくしゃに縮れていた。3枚目の黒い紙も同様、くしゃくしゃにしおれて元気がない。元気がないと言えばエヴァング商人もだ。あたしが洗濯から戻り、三枚下ろしになったべらっべらな羊皮紙を机に並べるとみるみるうちに青ざめた。
なるほど確信犯ですか。
さて、ではみんなで間違い探しでもしましょうか。
似て非なる契約書。文言の殆どは同じであるが、違うところがある。数字だ。上の紙と下の紙で記載されている数値が違う。要点をまとめるとだ、メリアローザ側が大損をするように設定されていた。それも国が傾くレベルで!
この場にリンさんがいなくて良かった。彼女が見たらエヴァング商人を結界に閉じ込めて尋問の一つや百くらいは平気でやったに違いない。あの人は本当にメリアローザを、故郷を愛している。だから、彼女の愛するものを踏み躙ろうとする者を決して許したりしない。
たとえそれが、愛する妹の伴侶だとしても……。
「さて、どうしてこのような事態になったのでしょう。1枚は我々に有利な条件を記載した契約書。ですが、あとから出てきたものは貴方たちに非常に有利な内容になっています。1つの案件に対して2つの契約書が存在する。これでは後々、どちらが正しいのかと、混乱を生じかねません。エヴァング殿には申し訳ないことですが、また日を改めて会議を開くことといたしましょう」
最後に、と口調を荒げ、苛立ちを見え見え隠ししながら威嚇した。彼らにとって最も恐ろしい顛末を予告するために。
会議の議事録は両国王に直接手渡すこととします。大丈夫。内容の検閲はあたしがやりますんで。いえいえ、貴方に任せるような仕事ではありません。こんなこと、若輩の身であるあたしの仕事ですよ。こんな雑務はねッ!
ハイエナを千尋の谷に突き落とすが如くお帰り願おう。
さすがの狸親父も今後の身の振り方を考えているのか、疲労困憊といった様子で帰路に着いた。やっと落ち着いて……いや結局、予算会議はお流れ。街道建設完成までの道のりが先延ばしになってしまったことからすると、落ち着いてもいられないか。
あぁ〜〜風呂に入って、マッサージでもしてもらおうかな〜〜。
日輪館・露天風呂。ギルド・暮れない太陽に併設してある観光客向けの旅館。一般人から貴族までもてなせる大型宿泊施設。その1つの目玉として露天風呂が建設されていた。
枯山水にかかる橋を渡り、旅館から少し離れた場所に竹柵の並ぶ別世界。天に向かって湯気が立ち上り、ほのかに温泉独特の香りが漂う。
今日はここでお疲れ様会です。立ち会ってくれたセチア、詩織。結界を張って防護してくれていたリンさん。それから守衛の2人……は、男性なので一緒には入れない。後日、風呂と温泉卵とマッサージのセットを贈ろう。
それからもう1人。日輪館の若女将あざみ。彼女には日輪館に宿泊する予定だったエヴァング商人の相対をお願いしていた。国賓待遇並みの招待だったために、数日前から準備を行い、万全の体制で臨んでいたのだ。残念ながら日帰りということになったけどね。
「それにしても災難でしたね。まさか国営事業レベルのモノゴトで詐欺を行おうとする野蛮人が現れるとは。しかしお陰様で、我らの愛する国と人が救われました。さすが暁さんです」
「いやいや、今回のは詩織のファインプレーがあってこそだ。でも図に乗るなよ?」
「ぐっ……分かってますって。契約書で鼻をかんじゃったのは謝ってるじゃないですか。あの時は、なんていうかその、羊皮紙を見ると鼻がむずむずしたんですよっ!」
「え、もしかして羊皮紙アレルギー?」
「聞いたことありませんが、そういう体質の人もいるのでしょうか?」
そんな体質の人なんて聞いたことがない。あるとすれば埃アレルギーくらいか。これがもし、まさかとは思うが、詩織の嘘アレルギーだったとしたら、紙面ですら彼女を騙さないということ。色々と手のひらで転がせられれば便利に働かせられそうだと考えていたのに。
まぁ何はともあれ、当初の目的は果たせずとも、国防という意味では大戦果だ。リリス姫にも恩が売れたと思えばお釣りがくる。ため息ばかりをついていても面白くない。今宵は満月。月見酒と洒落こもうではありませんか。
時計回りに酌をして、天に掲げてまずは一献。
程よく温まった米焼酎が喉を焼き、続く温泉卵を一層おいしく仕立ててくれる。あぁ〜〜〜〜仕事のあとのこの一杯!
「よろしければもう一献。今日はリィリィちゃんたちはお留守番で?」
「ううん、今日はヘレナのところにお泊まりしていただいています。1人で家にいさせるのは不用心ですから。暁は一杯だけでいいんだっけ?」
「あぁ、あたしは酒は強くないからな。気遣ってくれてありがとう。リンさんはどうですか?」
「それじゃあもう一献だけ。詩織ちゃんはどうかしら……って、顔が真っ赤だけど大丈夫?」
「うっく…………だいじょうぶれふ。うっく…………まだがんばれまう」
これはあかんやつや。仕方ないので風呂から出そう。と、湯船から出ようとするあたしを少女が止めて仕事を肩代わりしてくれた。
彼女は名は紫。あざみの妹で風呂場の番頭をやっている。さばさばした性格と男勝りな口調が特徴的。露天風呂が大好きな彼女は、日輪館ができた当初から働いてくれていた。まかない付きとお風呂入り放題の特典につられて始めた仕事。
アルマと同い年ということもあって大の仲良し。日々努力する彼女に闘志を燃やし、紫も自分の好きなことで精進している。
それが風呂上がりのマッサージ。漢方医学や鍼、灸などのエステもこなす太郎の指導のもと、肥沃な大地が水を吸うが如き速さで手に職をつけてしまった。正直、露天風呂で番頭をしなくても1人で稼いでいけるほどの腕前。
でも個人的には独立しないで欲しい。彼女の元気な笑顔を見たいって言って来てくれる人が結構いるんだよね。仕事の覚えも早い。仕事事態もめっちゃ早いし正確。こんな人材はなかなかいないんですよ、本当に。
姉のあざみもよく働いてくれている。若くして日輪館の責任者に任命されたのは見た目の美しさが理由ではない。責任感が強く、自他ともに厳しく、だけどきちんと褒めてあげる。訪れる人々のために努力を惜しまない。理想の女性の姿を体現したような雛形。
玉に瑕があるとすれば、今は仕事が楽しいから、スイーツ大好き女子たちと遊んでいたいから、結婚やら何やらはもう少し先と思っていること。せめて彼氏ぐらい作ればいいのに。結婚となれば盛大にお祝いしてあげちゃう。
「ほんとは彼氏ができるほど言い寄られていないのでは?
ほら、姉ちゃんって規則とかにめちゃくちゃ厳しいから」
「たしかに厳しいけど、それは信頼できる人って証拠だ。それに容赦する心の余裕はあるだろう。なぁ、あざみ」
「もちろんです。狭量な女はモテませんから」
「えっ!?」
「は!?」
「そ、それはそうと、これは新しいマッサージ法ですか? 以前に見たものと違うようですが」
「えぇ、これは【かっさ】っていうマッサージで、最近、いい道具が仕入れられたからって太郎師匠に教えてもらったんですよ」
「あら、たしかこれって、以前は陶器製の道具じゃなかった? 肌に当たった時に少し冷たくって嫌だった思い出がある」
かっさとは、木製や陶器製などの道具を使って体内の老廃物の排泄を促し、体を綺麗に保とうとするマッサージ法の1つ。道具には体質に合った素材、体の形状に合わせた形が必要不可欠。今までは主に木製、陶器、ローズクォーツなどの貴石などであった。今回増えたものは動物の骨。触れればわずかに温かく、硬くあるものの、肌を優しく滑る弾性と皮膚を傷つけない滑らかさを併せ持つ。研磨されて美しく輝く黄白色のプレート。これが太郎がずっと欲しがっていた材質。
太郎曰く、動物の骨であれば水牛の角を加工したものがポピュラー。しかしメリアローザにはそもそも水牛がいない。ダンジョンにのさばるミノタウロスの角を加工してみたが、組成が荒くて使えなかった。とりあえずあるもので施術をしている。目当ての素材が採取されたら教えて欲しいと申請を出していたんだっけ。
そうかそうか。ということは太郎のお眼鏡に適う品が採取されたというわけか。素晴らしいことじゃないか。これでまたメリアローザの幸福度が上がるだろう。ギルドマスターとして鼻が高い。
…………ん、水牛の角。
この素材ってもしかして、カトブレパスの角なのでは?
おおいにありえる。タイミング的にはどんぴしゃ。
まさか詩織の大金星が二連星。よいことではないか!
これで彼女のやる気も上がるはず。貯金残高とともにやる気も上がってくれればこれ以上ない成果である。あとは散財しないように注意すること。鼻紙用のちり紙は常に携帯させておくこと、かな。
よぉ〜し。なんだかあたしも元気が出てきた。
明日からまた頑張るぞっ!
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○ダマスクローズの丘○
詩織「なんだかセチアさん、すっごくいい香りがしますね。香水をつけてらっしゃるのですか?」
セチア「いいえ、これは今日、ダマスクローズの花に触れていたからだと思う。この時期が最盛期で、貴重な輸出品の1つだから」
あざみ「セチアさんがメリアローザにいらっしゃって最初に栽培した品種ですよね。薔薇の塔・第1層【フラウウィード】のダマスクローズの丘は観光名所です。丘一面にピンク色の景色が広がって、ダマスクローズ特有の華やかで甘い薫りが身も心も夢心地にさせてくれるんです!」
セチア「えぇ、本当に綺麗に咲いてくれました。フラウウィードでダマスクローズのお世話を熱心にして下さった方々に感謝です」
詩織「そう言えば、華恋がダマスクローズのプリンがちょ〜おいしかったってアイシャと話しをしていた記憶がある」
あざみ「その通りです。今年のものは4種類。桜シロップ。バニラ。ダマスクローズ。そして3種類を1つにまとめた春色のよくばりプリンです。毎日でも食べたくなるおいしさですよっ!」
セチア「フラウウィードでお菓子を作っているメルティさんのセンスにはいつも驚かされます。リィリィもいつも楽しみにしてるんですよ」
詩織「桜シロップにバニラにローズオイルのプリンですとなっ! 女子としては見逃せません。なくなる前に食べておかなくてはっ! あ、1つ質問なのですが、先程、ダマスクローズをフラウウィードで栽培したと仰っていましたよね。さらにそこからお菓子に加工したりとか……輸出品ということは、ダンジョン内で栽培した物が売れれば金銭の授受があると思うのですが、そういった諸々の事情を教えていただいてもよろしいでしょうか?」
セチア「金銭の授受ですか。私の場合はメリアローザで栽培したと同じようなに、出資して、人を雇って、利益を受け取ってという流れです。メリアローザで作られたものと同じ扱いなので、特に特別なことはありませんよ?」
詩織「あ、そうか。フラウウィードは国が管理してるから、塔破ボーナスとして個人が得るロイヤリティーは発生しないんだ。えぇと、例えば、現在塔破途中の第36層【ハニカムウェイ】。あそこは色んな気候があるので、多様な作物を育てることができると思うんです。仮に塔破されたとしたなら、36層で採集した物の何%かは塔破者が得られますよね。それって、最初から36層にあったものだけに適用されるのでしょうか。それとも、後から持ち込んで育てた作物や家畜にも当てはまるんでしょうか」
暁「お答えしましょう! 結論から言うと、国の取り決めという観点からすれば『その階層によってもたらされた利益』なので、後から持ち込んだものにも適用される。とはいえ、生態系を守るために外来の生物や作物、植物の持ち込みは原則禁止だ。大丈夫だと分かった時にだけ、例外的に認めている。セチアのダマスクローズ然り、エルドラドで養殖している魚とその技術然り。それと、利益の分配については塔破者と応相談だ」
詩織「うわっ! びっくりした。丁寧に説明していただきありがとうございますっ!」
暁「いやなに、お役に立ててよかったよ。どこかのダンジョンで何か育てるの? 国益に繋がることなら補助金も出るよ?」
詩織「補助金も出るんですかっ! 実は私が塔破した砂漠ステージ。正直言って何もないじゃないですか。塔破してもまるで旨味がないと…………」
暁「あぁ、あれは稀に見るハズレ階層だったな。そういう時もあるっちゃあるが」
セチア「ランプの魔神のダンスの故郷ね。地下にとじ込められた水脈のせいで、地表は一面が砂漠だって聞いてるけど」
詩織「ですです。だけどもしも、あの水脈を元に戻すことができれば、肥沃な大地が現れるんじゃないかって思ってるんです。仮説の段階ですけどね」
暁「なるほど。ダンスは言っていたな。かつては人の住む大地だったと。場合によっては緑地化ができるかもしれん。ハティの友人にゴーレムで砂漠を緑地化しようとしている人がいるとも聞いたぞ。砂漠地帯でしか生育しない作物もある。可能性には挑戦しなくてはな」
詩織「そうと決まればさっそく遺跡調査です。ダンスにも協力していただきましょうっ!」
あざみ「ーーーーーー凄い。これが謙虚薬の力ですか?」
暁「そうではないと信じたい…………」




