神は死んでいた
お腹ぺこぺこの詩織はつきつけられた現実と戦いながら悶え苦しみ、悩み抜いた末に苦渋の決断をする。
それは彼女が生き抜くために仕方のないことだった……。
お腹ぺこぺこの昼前。朝食と昼食を兼ねたブランチを食べるために食堂に戻った私はお金を握りしめていた。初めて、ではないがまともに働いて自分で稼いだと断言できるお金。
手元にある資金は10250シエル。
いつも食べているランチは1000シエルだからして3食食べて3日で無くなってしまう。お手軽500シエルの丼物としても6日。6日生きたら死んでしまう。死なないためには6日の間に仕事に行かねばならぬ。行かねば死。
ツケで食べても暁さんが見逃さない。
そもそもお金があるんだからツケでとは言えない。
むしろツケ代を払えと迫られる。
食べる→無一文→仕事→仕事したくない→死。
なんという無慈悲!
神は死んでいた!
…………とはいえ、色々あって自分に仕事ができるという自信は芽生えた。とにかくブルーハーブを刈りまくるのだ。超簡単だし。ムカデモンスターも倒せたし。金になるし。採取クエストマジぬるげーだし!
となれば今日も2階層へ出発だ。
やる気が出たのも束の間、まずは飯をよこせと腹の虫が鳴きよるわ。仕方ないのでまずは腹ごしらえといきますか。
そうだなぁ……今日は牡丹焼き丼にしようかな。
牡丹肉とはつまり猪肉。クセが強いと言われる牡丹肉だが焼くと臭みが抜けてさっぱりとした味わいになる。赤身は柔らかく食べやすい。見た目に反して美味しいやつです。
でわでわ、さっそく注文としゃれこみましょう。
ウェイターを呼んでご飯を頼む。そしてここでお金を支払う。しは……ら…………うぅ………………。
なんで……硬貨を握りしめた右手が固まって動かない。なぜだ、これではご飯が食べられないじゃないか。手放せ私の右手。餓死してもいいのかッ!?
「あの、お金を渡してもらえないと先に進めないのだけれど」
「わかってるってそんなこと! だけど、なぜか、右手が、右手が固まって動かない。引っ張れ! 思いっきり引っ張れってッ!」
「私が!? それじゃあ遠慮なく……って、今度は両手で握りしめてるじゃない。お金を支払う気はあるのかな!?」
なんてことだ。
なんなのだこれは。
何かの呪いか何かか!?
分からん。
お腹ぺこぺこなのにお金を渡したくない気持ちが強くなって手放せない。なんなんだこの気持ちは。自分で自分が理解できない!
「……お腹ぺこぺこなのね?」
「うん」
「ご飯、食べたいのよね?」
「うん」
「でもなぜかお金を手放せないのよね?」
「うん」
「…………原因は分からないけど、それじゃあそのお金をテーブルの上に置いて少し離れましょう。テーブルに置いたお金を私が持って行くから」
「う、うん……」
「なんて歯切れが悪いのだろう」
彼女の提案に乗せられるがままお金をテーブルの上に置き、私は後ずさるように後ろへ下がる。こうしている最中もどういうわけか、お金から目が離せない。それはさながら大切な物を手元から離し、誰かが盗んでいかないか警戒しているリスの様相。
自分の手で稼いだ大切なお金。
誰にも渡したくはない。
その感情はウェイターのお姉さんが私のお金に触れた瞬間に爆発。コンマ0秒で突進。盗人の手の平から叩き落とした。
怒りよりも呆れ顔にひきつった表情を見せて、やってられないと肩を落として視界から消える。
嗚呼、なんてことでしょう。生まれてこのかた、こんなにもお金が愛しいと思ったことはない。自分で生み出したものがこんなにも大切なものだなんて知らなかった。努力の結晶。労働の対価。それがこんなに素晴らしいものだとは。
ーーーーーーはっ!
もしかしてこの感覚は私だけが持ち得るものではないのではないか。そういえば以前、華恋がなんかごちゃごちゃ言っていた気がする。誰かの笑顔を想って作ったものを奪われて悔しいだとかなんとか。
微かな記憶しかないけど、ここに来た時に見知らぬ人の抱っこ紐を切り落とそうとした気もする。
もしも自分が稼いだ金が他人の私腹を肥すために使われたらどうだろう。私なら真っ先に殺しに行くに違いない。
…………いや、いやいや。考えてはダメだ詩織。思い出してはダメだ詩織。もし過去を反芻してしまえば罪悪感という暴力で殴り殺されてしまう。落ち着け。何も考えるな。今はご飯を食べて仕事をするのだ。
お金の群生地。アレを根こそぎ刈り取ればしばらくの生活費に充てられる。所詮は雑草。しばらくすればまた生えなおる。誰かに先を越される前に、私が全部、刈り取ってしまうのだ!
無事に会議も終わり、愛しい我が家へ帰るやいなや、いきなり奇妙な光景を目の当たりにしてしまった。もはや日常となってしまった影に、またも首を傾げて腕を組む。
幼少の頃から世界を周り、様々な人々を見てきた。その中でも詩織は異質だ。悪い意味で……。
なんでこの子は両手にお金を握りしめてテーブルにつっぷしているのか。どうしてお金があるのに、しかも食堂で腹の虫をゴロゴロと鳴かせているのか。
ーーーー考えてはみたがやっぱりさっぱり意味が分からん。
「詩織ちゃんはお腹が空いてるのにお金を手放そうとしないの。試しにテーブルの上に置いて、それを私が持っていくからってやったら手に取った瞬間、凄い形相で奪い返されたのよ」
「なるほど。状況は分かりましたが意味不明ですね。こいつは何がしたくて何がしたくないんだ?」
メリアローザに来てからそうだが、今日もまた一段と変態的な奇行。考えるのも面倒くさくなりますがな。
とりあえず話しを聞くか。
隣に座り、彼女の背中を叩いてみても反応がない。あたしの存在に気づいていないのだろうか。それはそれで寂しいな。いつもなら奢ってくれるんですかって満面の笑みを向けてくれるのに。こいつ、白目をむいてやがる。いったい何があったし。
アイシャの話しではお金がどうとか言っていたな。
ウェイターのお姉さんもお金を渡してくれないとかなんとか。手に持っているお札と硬貨。これを引っこ抜いたら意識が戻ってくるのかな?
「ぐぎゃあッ! 誰だッ!?」
「怪獣みたいな声がでたな。で、お前は何をしてるんだ?」
「ご飯を……食べようと思って……」
「そうか。何も食べてないって聞いてるけど、なんで?」
「お金が……もったいなくて……人のお金なら気兼ねなく使えるんですけど。いざ自分で稼いだお金を使おうと思うと愛しくて、手放せなくて……」
ーーーーーーこいつは何を言っているんだろう。
とりあえず、奢ってオーラを出すのはやめなさい。
人の金なら気兼ねなく使えるって……正気の沙汰じゃないな。稼いだ金を大切に使うならともかく、愛しくて手放せないって…………意味不明なんですけど。
また仕事をして稼げばいいじゃん。そう言うと猛烈な勢いで迫っては仕事をしたくないとのたまう。こいつ、殴ってやろうか。
しかしこのままでは飢え死に必死。ご飯は3食きちんと食べなさいとだけ告げて席を離れる。このままでは奢ってくれと駄々をこねられるに違いない。案の定、奢ってくれるんじゃないのかと目を丸くして驚いていた。こいつ、マジにぶん殴ってやろうか!?
「お前……自分の金で飯を食え。稼ぎだってあるんだから、人に頼ろうとしないの。お金が無くなる前に仕事に行けばいいだろ。武器も揃ってるんだし。ネロと剣の稽古がてら討伐クエストに行きなさい」
「…………面倒くさいぃ……」
「そうか、じゃあ飢え死にするしかないな」
「お腹減ったぁ…………」
「そうか、じゃあご飯を食べなさい」
「自分のお金は使いたくないぃ…………」
「そうか、じゃあ飢え死にするしかないな」
「なんでそんな意地悪ばっかりいうんですかッ!?」
泣いて怒ってまた泣いて。コロコロと表情を変えながら意味不明な理不尽を押し付けてくる詩織。
くっそぉ〜〜こいつが男ならだったら容赦なく顔パンしてるのになぁ〜〜。握り拳を作って我慢のポーズ。暴力に訴えてはいかんぞ紅暁。そんなことをすれば逆効果だ。ここはぐっとこらえて諭すのだ。
そしてなにより折れてはいかん。甘やかしてはいかんのだ!
懸命に言葉を交わすこと2時間。
ようやく彼女は握り潰したお金をアイシャに渡してご飯にありついた。説得が成功したというよりは腹の虫に耐えかねて理性が本能を上回っただけとでも言うべきか。
さて、問題はこのあと。詩織がちゃんと仕事に行くかどうかが問題である。仕事に行かねば稼ぎが出せない。稼ぎが出せねば【死】あるのみ。であれば働かざるもの食うべからず。金が無いから食えないんだけどね。
嘘を看破する仕事はまだ少し先だし。
二階層の新しいエリアの探索と言っても、この性格では役に立ちそうにない。むしろブルーハーブを根こそぎ刈り取って売り払えば金になるとか言っている。
事務仕事もやりたくない。内職なんてもってのほか。
…………どうしたものか。
「お疲れ様です、暁さん。詩織さん。少しお時間よろしいですか?」
「おう、お疲れ様。今日は早い帰りだな。で、何か用か? 予定では洞窟探検だったよな」
「えぇ、行くと帰り道が夜になりそうだったので引き返しました。今日は詩織さんにお話しがありまして。よろしければ明日の探索に付き合っていただけませんか?」
「んんッ!? 仕事ですか!?」
「是非、詩織さんに探索の随行をお願いしたいのです。貴女が一緒に来ていただけると頼もしいのですが、いかがでしょうか?」
「う、うぅむ……まぁ私にいて欲しいっていうなら、行かないでもないかなっ!」
相変わらずちょろいな。おだてられると踊り出す。扱いやすいと言えばそれまでだけど、いつか痛い目を見そうで心配だ。
そしてよいしょして手の上で詩織を転がすネロ。人の扱いが上手になりましたな。下手に出て合いの手とかを入れれば大概の人は気持ちよくなるもの。そういう人の心理を突いて行動させる手法は人生で役に立つ。
それにしてもわざわざ詩織を引き連れる意義とは?
囮にうってつけだがそのように使うのだろうか。
現在探索中の36層【ハニカムウェイ】。
サッカーボールの目のようにそれぞれ全く環境の異なるエリアが展開されている謎階層。出発地点の熱帯エリアにはゲートは見つからなかったらしく、次に向かうのは山岳エリア。険しく聳える岩山にはそこに住む中型モンスターが作り出したと思われる洞窟が無数に点在する。
今は外壁探索の最中で地形と生息する動植物の調査段階。敵対的なモンスターはいないため、外側と洞窟内の調査を並行して行おうという流れに達していた。
洞窟内は広いがせり出した岩肌が邪魔で剣を振り下ろすのもままならない。魔法か、柄の短い鈍器。あるいは素手での応戦が基本となる。そういうわけで先日は素手で戦うゴードンが出向いていた。魔素の濃度も高いのでヘレナも探索隊に加わる予定だとも話していたかな。
念動力を使えるヘレナは狭い空間や複雑な地形でとても頼もしい存在になる。ゴードンとも一緒に仕事をする機会が多くて動きやすいという理由もあるのだろう。
しかし……そこへ詩織を投入か。大丈夫なのだろうか。まぁネロが大丈夫というのだから大丈夫なのだろう。そう信じよう。
おだてられてやる気になった詩織。なんにせよ、仕事をする気になってくれてよかったよかった。
一抹の不安から目を逸らし、あたしは明日を迎えるのでした。
眼前には岩山。自然が作り出した造形に階段だなんて便利なものはなく、とりあえず杭を打って足場を確保している程度。剥き出しの岩石。まばらに生える雑草。背の高い木々も天を目指そうとしがみついていた。
空は青く白い雲がひとつふたつ。快晴の元に集う調査隊の面々には新しい物を見つけようと心躍らせている顔、未知の恐怖に緊張している顔。そして己の力を示そうとガッツのポーズで自分を鼓舞している少女の姿がある。
完全武装の詩織さん。ロングソードを携えて深呼吸で荒ぶる心を整える。洞窟内であればショートソードか丈の短い棍棒がベター。一応予備の棍棒を持たせているけど、振るえないなら突けばいいと剣を使う気まんまん。そこが少し心配だ……。
「それではみなさん、準備はよろしいですね。改めて確認しますが、僕とゴードン、ヘレナさん、そして詩織さんの4人が洞窟内を探索します。他の方々は外壁調査の続きをお願いします。洞窟を生成したモンスターは洞窟内に居ると思われますが、もしかしたら外へ出てきたり、そもそも外にもいるかもしれません。周囲の警戒を怠ることのないよう注意して下さい」
景気の良い、自信に満ちた返事が返ってくる。外壁調査の人員は基本的に戦闘向けのスキルを持っていない。しかしそこは歴戦の猛者。逃げると捕縛に関してはプロの中のプロ。どっちに転んでも彼らの安全は自分達でなんとかできるだろう。
問題は詩織さんを含めた我ら4人。広域探知と即応反射の念動力を使えるヘレナさんは緊急時にも戦闘時にも大いに貢献してくれるに違いない。
本格的な戦闘になればゴードンの出番。暁さんも認めるほど戦闘能力は高い。ただしおつむの方が少し心許ないので僕たちで指示を出さねばなるまい。
残る問題はやはり詩織さん。リンさんから購入した謙虚薬が効いているようで、恐ろしいほど常識的な態度でいた。今までの振る舞いが何かの間違いだったのではないかと思うほど……いっそ気持ち悪いほどの変貌ぶり。普段の粗暴で利己的な性格とは正反対。だからこそ、大丈夫な性格になったのに大丈夫なのだろうかと心配になってしまう。薬を盛っておいてこんなことを思うのは酷い話しだけど……。
それではと切り出して暗闇の前に立ちはだかる。まずは灯りの準備をしなくてはならない。自慢の剣を突き出して、内蔵された魔術回路に魔力を流し込む。【光】と【拡大】の魔術回路を起動。刀身が光を放ち、流し込む魔力量によって光量を調節できるお手軽提灯の出来上がり。
ライトの魔法は物体を発光体にする魔法。固定化も容易で坑道の灯りや夜道の案内に利用されるごく一般的な魔法。
エキスパンションはその名前の通り、魔法を拡大するための補助魔法。今回のライトとの組み合わせでは光の届く範囲を拡大して通常の光量では照らせない範囲まで見通せるようにした。
攻撃魔法に代表される使い方としては火球がある。投射したファイヤーボールにエキスパンションの魔法をかけると球状の火の球は壁のように四方に広がり、面積を大きくして被弾面積を広げる。
また遅延魔法を仕込んでおくことで着弾時に火炎が燃え広がるように細工することもできる。つまり延焼を目的とした運用も可能。元々は効率的に野焼きを行うために開発された魔法だが、現在では様々な魔法との組み合わせが研究されていた。
創意工夫で可能性は無限に広がることの証明である。
「で、会敵したとしてどうする。ぶん殴って晩飯にするか?」
「できれば戦闘は避けたいところですが、襲ってくるなら相手をするつもりです。あくまで調査ですからね」
「襲って来なかったら探索続行ってことですか? 素通りしたとして挟み撃ちになる可能性もありそうですけど」
予想に反して的確な想像力に一同唖然。
ゴードンの相槌で意識が戻り、強敵になりうるモンスターを発見した時点で探索を打ち切ることになった。
ここは未知の世界、薔薇の塔。ゲートで会敵した恐竜型のモンスターですら陣地に引き摺り込んで袋叩きにする狩りを行うだけでなく、一定の縄張りで社会的な生活を営むほど知能の高い個体が確認されている。
ブルーラプトルが生息するジャングルとは全く異なる環境といえど、さらに高い知能を持ち、肉体的に強靭、かつ攻撃的で残忍なモンスターがいてもおかしくはない。警戒は怠るべからず。慎重を喫して臨みましょう。
洞窟は横に5m。縦に3mほどとかなり大きい。最悪の場合、この空間いっぱいに広がるほどのサイズのモンスターが存在することも予想される。
例えばモグラやミミズならば自分の通れるだけの穴を掘る。洞窟の表面を見る限りでは風や水で削られたような跡ではない。生物が砕き、抉り、掘り進んだような痕跡。自分の体が通れる大きさ……つまり洞窟の大きさがそのままモンスターの大きさということ。想像もしたくないな……。
そうでなくとも天井には壁と同じ跡があることから体長4mは覚悟しておいたほうがいい。ゴードンが2人分か。やれやれ。ここにもミノタウロスがいないことを願うばかりです。
奥に行くにつれて土が湿り気を帯び、生息しているであろう生物の足跡が見えてきた。熊を参考に、大小あるがサイズから見て全長の平均は2m半。4足歩行と、時々2足で立ち上がれる様子。なんとまぁ大きいことでしょう。
ただ幸いなのは同じ足跡ばかりということ。洞窟外にめぼしい動物はいない。いても小さな昆虫や草花ばかり。木の実をつける背の高い木々も見つかっていることから主食は昆虫と木の実が主であろう。
経験上、狩りを主体にしない動物はおとなしい傾向にある。かつ美味しい。熊や鹿、猪などはその典型例。獰猛になる時はあるだろうけど、これは少し期待が出てきたかもしれません。
何の期待かって?
美味しい食事にありつくチャンスです。
そうとなればやる気が出てきましたよ。
「食べたことはないのですが、熊って美味しいんですか?」
「僕も1度しかありませんが、見た目に反して脂はさっぱりしていました。調理方法にもよりますが、お肉も柔らかくて臭みがなくて美味しかったですよ」
「俺様は丸焼きにしてよく食べてたな。食うところが多いから、アレはいいもんだ」
「私も熊肉は食べたことないな。今回予測されてるモンスターもそんなのだったらいいですね」
「でもまずは生体調査のために解剖ですね。食肉としてどれだけ残るでしょうか……」
そう、まずは口に入れてあの世行きにならないかどうか解剖して分析から始めます。未知の毒素が存在したり、人間の体に合わない物も多分に存在します。河豚もそうですが、部分的に食べられない物だってあるのです。残念ながらすぐに食べることはできない。食肉として加工されるまでには少し時間が必要です。
その時間を少しでも短くするため、我々が頑張って調査ですね。
進むこと5分、洞窟あるあるでお馴染みの分岐点。さてどっちに行きますかという話になってくる。先は遠く手元の光だけでは見渡せない。ゴードンの嗅覚によるとまだ先は長く続きいくつもの分岐点が存在する。かすかだが風の流れもある。洞窟が貫通していることは予測の範疇。正確なロードマップを付けながら、現段階では安牌を切って行きましょう。
少しずつ少しずつ、焦らずじっくり調査していけばいいんです。急ぐ必要はないのですから。
風の匂いを辿って右へ左へ、左へ左へ進むこと概ね1時間。長大にも感じた迷路の出口は入り口から100mほど離れた場所。この様子だといくつもの穴は出入り口。
ということは洞窟に住んでいるモンスターには天敵がいる可能性が強い。外からやってくるモンスターを道に迷わせ、会敵する確率を低くしたいのだろう。
よく見ると4足歩行の跡に紛れて細い足跡が残っていた。2足歩行と思われる型。特徴的なYの字の形は鳥類独特のもの。匂いも鳥の匂いがすることから間違いないだろう。
4足歩行の獣を鳥が食べに来ていると考えるのが妥当か。肉食の鳥類。大きさからして体長2〜3mほど……怖っ!
「空から攻められるのは厄介ですね。調査隊の方々には注意を呼びかけねば」
「だね。今回はたまたまだけどアリアンさんがいるから空の警護を専門にしてもらえるよう頼んでおこう。魔術師組合からは広域結界を張れる人たちと、それから広域探知、対空戦闘ができる人も呼ぼう」
「空と地上。鳥と獣か。食う楽しみが増えたな!」
「あっははは……ゴードンさんはポジティブですね」
「さんは付けるな! 呼び捨てでいい。それでどうする。空からの敵の可能性が出てきたわけだが、調査は続けるか。やめるか。一応俺の鼻には洞窟内に動いてる獣も鳥の気配も感じねぇ。日が傾くまで続けるか?」
どうしたものか。個人的には万全の準備を整えてから挑みたい。しかしそんな方法を続けていると石橋を叩きすぎて前に進めない。調査隊の人たちも戦闘はともかく逃げは冒険者よりも達者。万一のことがあっても大丈夫でしょう。
彼の自信によると洞窟内にモンスターはいない。それはそれで残念……謎だけどいないならいないで調査を進めたい。日が傾き始めるまで約4時間。ジャングルエリアを抜けるのに1時間としてもまだ余裕がある。
できるだけ、時間いっぱいまで進めよう。焦らず急いで前を行く。それが僕のモットーです。
結局、今日は一日中歩き通しでした。予測されたモンスターは確認されず、どころか影も形もない。あるのは右往左往と土に押された足跡だけ。それが何を語るのか。浅学非才の私には分からないこと。
分かっていることは土埃でドロドロの体。ヘトヘトの体。ぺこぺこのお腹。公衆浴場でさっぱりして、反省会も兼ねて晩御飯です。すっかり日も暮れて梅雨明けを知らせる涼やかな風が頬を打つ。熱った体に心地よく吹き抜けるメリアローザの薫風は花の香りを纏って夜道を照らしてくれるようだ。
踊るようにフレナグランの暖簾を押すと暁さんとネロさん、ヘレナの姿がある。一緒にチームを組んだゴードンは昼型獣人だということで宴と酒が無いなら寝ると夢の中。仕事の話しは仕事でしてくれとあくびをかいて消えてった。
「まったくしょうがないやつだな。まぁとかく飯だ。今日は活きのいいキビナゴが沢山獲れたらしいから天ぷらにしてもらおう!」
「いいですね! 僕はそれに白ごはんにエビのふりかけ。じゃがバターをお願いします」
「エビのふりかけ?」
「エビの殻を乾煎りして砕いて白胡麻とか鰹節とかを混ぜてご飯のお供にするんだよ。かなり美味いぞ。その家その家で材料が違うから大量に作って交換したりするんだ」
「なるほど、面白い慣習ですね。エビなどの甲殻類の殻は出汁をとったり砕いて圧着させておせんべいにするらしいですね。私もエビのふりかけを食べてみたいです。キビナゴの天ぷらも食べてみたいです。あと一品……細切りのシソを使ったサラダがいいですね。疲れた体に食欲を、です♪」
「なかなかいいチョイスをしてくるなぁ。えーっと……あ、ドジョウ鍋があるんですね。でもどうしようか…………」
「2人前からだからあたしと一緒に食べるか?」
「いいですか? 是非お願いします」
「ど、どじょうですか?」
「ああ、割下で甘辛く炊くんだが、これが白米と合うんだ。雑食性だけど清流で獲れたものだから内臓も美味い」
なんとどじょう鍋を食べられるとは思わなかった。そもそもどじょうという魚の存在自体を久々に耳にした。川魚と言えば鮎か岩魚。塩焼きにしてかぶりつく想像をしてしまうと脂滴り白く輝く姿が愛おしくなる。
心を読まれたか、塩焼きも旬だと言われたが注文した以上のものがお腹に入る気がしないので今日のところは我慢の子。明日の楽しみにとっておきましょう。
美味しい香りが漂うまでには時間がかかる。暇つぶしではないけれど、今日の進捗と成果を暁さんに語って聞かせるネロさん。
現在予想される大型モンスターは2種類。鳥と獣。会敵を想定するなら当初予定されていた人員の倍は必要かもしれないこと。
足跡は最近のものなのに影も形もなかったこと。
動物が生息するにはあまりに植物が少なく、土地は険しく荒れていること。
はっきりしたことと言えば岩山を構成している鉱物の大部分が石灰、つまりカルシウムやナトリウムを多分に含んだ性質があるということ。
薔薇の塔に限らず動物たちが生きるために必要な栄養素の塊がそこにある。もしかすると別のエリアからミネラルを求めて来訪しているのかもしれない。もしそうなら岩山エリアはざっと捜索して、他のエリアとの関連性を視野に並行して調査したほうが謎を解き明かす近道になるかもしれない。
言い切って、暁さんも同意を示す。ある場所を境にぱったりと環境が違えど、似ている場所であれば境界を越えて移動している種が存在する可能性は高い。何も見つからないなら、とりあえずその場を置いて次に進むのも1つの手だ。
となると次のエリアは険しく直立する岩肌が並び立ち、豊富な水脈とのコントラストが幻想的な怪鳥エリアか。
はたまた緑豊かな秋の様相を呈する森林エリアか。
どっちにしても既に中型以上のモンスターが確認されており、敵に回せば脅威になること間違いなし。スタート地点に存在する恐竜の強さから見て彼らも相当なものだと判断して良いだろう。
しかし逆に言うと美味しいお肉が跳梁跋扈しているともいえる。楽しみ半分。怖い半分。気を引き締めて行かなくては!
「怪鳥エリアは見晴らしがいいんですがかなり水深の深い水脈を船で探索しなくてはならないようです。森林エリアは地上に似た小動物や熊などの中型種が生息しているようです。現時点では岩山エリアをざっと探索して、森林エリアに行く予定です。並行して怪鳥エリアの探索準備を進めるという話しになっています。また、森林エリアと怪鳥エリアはスタート地点の熱帯エリアとも接しているので、ゲートから直接進入できるルートも新たに作る予定です」
「そうなると探索隊と調査隊の人数が跳ね上がるな。細かい工程表作りとか、専門のチームを作ったりとか。そういうのはもう決まってるの?」
「これからですが有志を募っているところです。今回の36層は食肉になりそうなモンスターや獣、素材になりそうな類も多いので集まりやすいと思います。次のゲートを見つければ利権も獲得できますし、今回のダンジョンは人気も出そうですから」
「利権……というと36層で獲得したアイテムの売却額の一部を頂戴できるというやつですよね?」
「そうです。お金に限らず、上限はありますが場合によってはアイテムそのものの受け取りも可能です。アルマさんなんかはマジックアイテムやインスタントマジックのための製造開発のために、直接アイテムで手元に送られるようにしているはずです」
「なるほど……でもゲートって早い者勝ちなんですよね。例えばめちゃくちゃ頑張って探索してる人がいて、たまたまその日にしかダンジョンに入らなかったような人がゲートを見つけちゃったら……」
「残念ながらゲートを見つけた人、あるいはその団体に利権が与えられます。努力も必要ですが運にも左右されるということです。理不尽に思えますがそういう決まりになっています」
「それは……なんとも……」
「まぁハイエナしようとしても消されるのがオチでしょ。事実確認なんてしようがないし。ただのラッキーでたまたま見つけたとかならともかく、横取り行為は暗黙の了解で禁止行為だし」
「怖っ!」
「もちろん冒険者同士の殺し自体も御法度だけどな。以前にはそういう輩もいたってことさ」
「なるほど……それと先程、人気がどうとかっておっしゃられていましたが、それって採取できるものが沢山あるからそれだけ冒険者さんが探索に出て、アイテムを沢山売却する。つまり利権を得た人がより多くの不労所得を得られるってことですか?」
「そういうことです。例えばたかピコさんが塔破して下さった毒沼のある33層【最後の言葉】は毒沼の底が現れるまで毒と墓場しかない場所でした。なので得られる利権が殆どないと考えられていました。一応、塔破すれば国から報酬が支払われますが、ダンジョン自体から得られるアイテムや報酬が少ないと、得られるロイヤリティも少なくなるので不人気になります。逆にアールロイさんが住んでいる27層【フリーダム・フロウ】は食肉になる動物が多く、スタート地点から離れた場所には果物の成る木々や魚の釣れる湖などがあって大変人気だったそうです。そういう所には沢山の人が利権を求めてゲートを通ったということですよ」
「なるほど。持ち出すことができて価値のある物が多い場所は利権の幅も広がるから人気なわけですね。ということは今回の36層【ハニカムウェイ】も人気層なのですね?」
「そういうこと。まぁ今回はモンスターが多量にいるから少人数での塔破は難しい。かなり時間をかける必要がある。こう言う場合は参加した全員で利権を分配される。されるが、その分、報酬が少なくなる。仕方ないことだけどな。ちなみに27層の塔破者はアルマたちが留学している街の市長でヘラって名前の女性だ。彼女は非常に知識が深くてな。地政学と考古学の見知からゲートの場所を一発で見つけたんだ。しかもスタート地点からかなり近かった。もしかしたら今回もそういう知識が必要になるかもしれん」
「アルマたちが留学している近代都市には興味があります。私もいつか行ってみたいですね。おっと、そろそろドジョウ鍋が仕上がってきましたよ。ふふっ。いい香りです♪」
たしかに見た目は美味しそう。割下で炊かれた甘めの出汁に笹掻きの牛蒡と大量のネギ。慈養強壮のあるシンプルな食材が私のお腹を魅了している。
しかし……どじょう鍋というものの作り方を始めて見たけど……生きたままのドジョウを鍋に放り込んでおとなしくなるまで蓋を抑えて閉じ込めていた。
なんというか……めちゃくちゃ残酷な調理法ではないだろうか。しかもそれを頭から丸ごと食べているではないか。美味しそうに……。美味しいのだろうか……。
ネロさんも暁さんも、ヘレナさんも一様にかぶりついてはご飯を頬張って楽しげにしている。
私は魚が苦手ではない。苦手ではないが……食べるのは豆腐と牛蒡だけにしておこう。これだけでも十分美味しい。ご飯にはエビのふりかけもあるし、キビナゴの天ぷらも並んでいる。私はこれだけあれば満足です。
でも最後の締めのうどんは私もいただきます。
お腹いっぱいになって眠気が背にのしかかってきたのか、詩織はあくびをひとつかいて食堂から姿を消した。今日の収穫は少なかったけど、彼女としては大きな収穫があったに違いない。自分に自信を持つこと。誰かと一緒に仕事をする楽しさ。
きっとこれからも自分のため、多くの人のため、世のために活躍するだろう。
「まぁそれは彼女が謙虚薬を飲んでいるせいだがな」
「バレてましたか?」
「どうしてバレないと思ったのか、それとどこで手に入れたのかを聞かせてもらおうか?」
「昨日、暁さんが謙虚薬の話しをしたあとにみんなでリンさんの所へダッシュしました」
「まぁそうな…………みんなで?」
「気持ち悪いほど効果的面でしたね。私のことを『さん』付けで呼ぶなんて。天から槍が降ってくるかと思いましたよ。しかしまぁこれで彼女がまともになってくれるならいいじゃないですか。一緒に仕事をした所感ですが、頭も回りますし想像力も豊かだと思いました。できる限り仲間の顔と名前を覚えようとしていましたし。驚天動地でしたね。むしろできないやつが急に頑張り始めたので焦らされました」
「………………劇薬を使うのに抵抗とかないの?」
「良心の呵責がないわけではありませんが、チームを率いるリーダーとして最善の行動をしたと考えています」
「…………………………ヘレナはどう思う?」
「メリアローザの法律を守るためには仕方ないかと考えています。それに、これは彼女が生きていく上で必要なことかと。でないと彼女だけでなく、周囲の人の命と生活が脅かされるものと考えてます。もちろん、暁さんが使用禁止と言うのであれば……これを、封印するのもやぶさかではありませんが……」
ヘレナも買ったんかいっ!
話しによるとリンさん自ら御者よろしく売り歩いているらしい。もうどうにもならないな。
しばらくの葛藤の末、とりあえず様子見ということにしました。やれやれ……。
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○謙虚薬○
リン「お買い上げありがとうございますっ!」
ネロ「こちらこそっ! それにしても凄い効果でしたよ。暴虐無人な詩織さんが真人間になるなんて。いったいどんな材料を使っているんですか?」
リン「そ〜れ〜は〜内緒♪」
ネロ「ですよね! しかしこれ、普通の人にも効果があるのですか? むやみやたらに使う気はありませんが、誤飲した時が怖いですね」
リン「そのへんは大丈夫。心の底から傲慢な人間にしか効果がないことは証明されているから。どうやって証明したかは聞かないでね♪」
ネロ「もちろん聞きません。あとは副作用と持続時間ですか。副作用は見られませんでしたが、朝から夜までずっと同じ調子だったので、かなり長時間の間、効き目があるようですね」
リン「それはもちろん。脳を覆っている脳脊髄液に作用して直接脳味噌をあれこれするタイプだから。でも安心して。人間の脳味噌は睡眠時に乳酸などの疲労物質を体外へ排出しようとするのだけど、睡眠中に古い脳脊髄液を新しい物へ入れ替えるの。そういうわけで寝たら薬の効果が切れて元に戻るわ」
ネロ「脳に直接作用するってだけで絶対ヤバいですね! 副作用の効果については判明しているのですか?」
リン「ないこともないでしょうけど、今のところは不明ね。それは彼女を観察しながら確認していくわ。それに彼女も…………うふふっ♪」




