知らぬは毒
薔薇の塔33層。
転移陣を通り狭い通路を通ると、青白く光る壁で囲まれた墓所に出る。荒く削られた石のスロープを下ると湖のような静かさのある毒沼。
窓も出入り口もない完全な密室。あるのは毒沼を挟んだ向こう側に十字架が1つ。そして寄り添うように眠る白骨化した遺体のみ。
傷ついた衣服を身に纏い、崩れ落ちるように横たわる彼の最後の言葉はきっとーーーーーー。
「そういうわけでこの毒沼に入ってあの十字架あたりを調べてきてくれ。次の階層に入る転移陣があるはずだ。安心しろ。ここの毒沼専用の解毒薬と解毒魔法はスタンバイしてるから」
「それはいいんですけど、これって明らかに墓荒らしですよね。十中八九踏み込んだらトラップが発動するやつですよね」
「もしかしたらあるかもしれないがお前なら大丈夫だろう。アルマが飛行で近づいた時は何も起こらなかったし、何か仕掛けられてる痕跡もなかったらしいぞ。沼の中までは確認できてないが」
それが1番困るやつですって。
そりゃあ俺なら物理的なトラップは無傷でいけるだろうけどさ。これってエジプト系の映画でよくある、踏み込んだら亡霊が襲ってきて鏖殺されるとか、壁の隙間からスカラベ的なやつが溢れてきて食い殺されるとかそんなんでしょ。壁も落ちてくるんでしよ。
イン○ィジョーンズとかザ・○ミーとかで見たことありまっせ。
初めてプールに入る猫のように恐る恐る爪先を紫色に光る水面に沈めていく。なんともいえない沼独特の粘土の高さで、ゆっくりとした抵抗感を感じながら確実に沈んでいく。深さは思ったよりも浅く、水深50cm程度。水底には岩なのか尖ったものやらゴツゴツしたものが乱雑に生えていた。
水中は視界が悪く全く見通すことができない。
適当に足を踏み入れようものなら怪我どころではすまなさそうだ。
しかもこの毒沼、空気感染はしないらしいが皮膚接触で肌が焼けるように熱くなり全身に紫色が広がっていくという。
溶けるでもなく腫れるでもないが皮膚近くの神経を冒してその者に地獄の苦しみを与え続けるというのだ。
怖えよ。よくもまぁそんなけったいなもんを作りやがったなちくしょう。
おかげで誰も手が出せないしオバケが怖いしでしばらく塔破が見送られていた。
加えて、塔破の報酬として国から金銭が授与されるのとは別にその階層の利益の一部を獲得、あるいは独占できる権利が与えられるということにも塔破されない原因がある。
例えば29層を塔破したゴードンは、ホノオガニの買い取り価格の5%を得る権利を持っている。
27層のアールロイさんは住居を構えることで、狩猟に関する全ての営利と生態系の保護を行うために専門家や関係者と無料で相談できる権利を得ている。実際に27層を塔破した人物はヘラと言う名前の女性らしいが、彼女は外国籍ということで27層の利権を暮れない太陽に譲渡していた。
30層を塔破したクレアという少女は、浮遊要塞アルカンレティアを占有している。といった具合だ。
しかしこの33層には毒沼と墓標以外には何もない。
光る壁と言ってもどこにでもあるらしい光苔だし、毒も武器としては使えるが、国際条約で厳しく制限されていた。
つまり得るものが何もないのだ。
だからこういった何もない層は極めて不人気で、なかなか塔破されない傾向にある。国もそういった箇所については報奨金を上乗せするのだが、今回は特に不人気で、通常100万シエルの報奨金が倍の額になってもまだ腰を上げるものは出なかった。
「唯一、異世界で身近な冒険者っぽいことができるのが薔薇の塔なのに、これじゃあ墓荒らしだよなぁ。かといって刃物をモンスターに突き刺すのすら躊躇うわけだし、こういう探索系の方が性に合ってるのかもなぁ」
「どうだー、体の具合は大丈夫かー? 毒を吸って紫色のデカいスケルトンになってるけど気分はどうだー?」
「体調は問題ないでーす。やっぱり墓標の周辺は死体があるだけで何もありませーん。とりあえず底が見えるまで毒を吸い続けてみようと思いますけどー、大きくなりすぎると転移陣までの狭い通路を通れないと思うんですけどー、これどうするんですかー?」
「…………あっ」
おいおいおいおい。無策かいっ!
吸い終わってしばらくしたら、海の時と同じで汗みたいに染み出して元の姿に戻るだろうけどね。しかし元に戻る保証はないからね。
ちなみに解毒剤は人体に入った毒を中和することができるが、毒沼の毒は中和して安全な液体には出来なかったらしい。つまり毒沼人間の俺の体の中の毒は中和できないからこのまま外に出ることはできない。
だから染み出しきって俺の体が元に戻ることを祈るしかないのだ。
水位がどんどん下がっていくと同行していたみんなの目の色が変わっていく。
まだ安全が確保できてないから、と暁さんに静止されて触れないように注意されているが、これを見たら誰だって正気ではいられないだろう。
燦然と輝く金銀財宝。
山と積まれた金塊に数えきれない宝石が光苔の光を浴びて誘惑している。
ネックレス、指輪、黄金の武器や食器。人の欲を掻き立てんと怪しい色気を発していた。
この毒液はきっとホルマリンと同じ作用を持っているのだ。毒沼は宝石たちの輝きを閉じ込めるための宝石箱。もとい保存液の役割を担っているに違いない。
死体を見れば永い年月が経過しているのがわかる。このお宝の主人は愛しい人への贈り物として、未来永劫の愛を誓ったに違いない。
墓標の目の前に、毒沼に隠れて見えなかった、決して高価そうではないが大切に扱われていたであろう真鍮製のオルゴールとその下に手紙の入った封筒が差し込まれていた。
文字はもうかすれて読めなかったけど、きっとそれはラブレター。愛した人へのメッセージ。
オルゴールは本当になんの変哲もない、飾りっ気のない鉄の箱。だけど音色はとても優しくて、暖かくて、郷愁を誘う星の唄。
「おーい、たかピコー。まだそっち行くなよー」
「いやいや、オルゴールの音色が綺麗だからってさすがに昇天はしませんってー」
「そーじゃなくてー、天井に転移陣が出てるんだよー」
わぁーお。なんと頭上に転移陣。どうやらオルゴールの音色がきっかけで次の扉が現れたようだ。
それはいいんだが、この体をどうしよう。土下座するように体を丸めて神殿に収まるのがやっとの状況。
とりあえず体の中の毒を戻すとするか。
報奨金200万シエル。
これは今回33階を塔破したご褒美。その内の半分は詩織が横たわっている病院の費用に充てる。
暁さんはギルドの経費で賄うとは言うが、先輩として後輩の暴動を止められなかった責任を果たしたいということで受け取ってもらった。
そしてお楽しみの塔破ボーナス。
塔破した者が得られる特権。今回の場合であれば沼の底に保管されていた金銀財宝を独占することができる。
元々の所有者は既に亡くなっているので、形の上では誰のものでもないからだ。
売り払えば億万長者。きっと一生を働くことなく遊んで暮らせるだろう。スケルトンに寿命があるのかどうかは知らないが。
「あなたが納得されているのにこれを聞くのは失礼だとは思いますが、あれで本当に良かったのですか?」
「うん、あれが最善だと思うよ。宝物は全部、彼が愛した人に捧げた物だから。やっぱり取ったらお宝を得る代わりに大事な物を捨てちゃいそうな気がしてさ。それに報奨金をたくさんもらったし、それでいいやって」
「そのロマンスな感情は理解できます。あなたはロミオの純真を守りたかったのですね。とても素敵なことだと思います。私たちとしても次の階層へ行けるのはとてもありがたいことです。改めてお礼を言わせて下さい」
出会い頭に本気パンチをくれた桜ちゃんがわざわざお礼を言いに俺の横まで来てご飯を食べている。それだけ打ち解けたということだし、この質問をする理由は、彼女がきちんとお金の大切さを知っていて、それを心配してのことなのだ。
素直に嬉しいという気持ちと、しっかりしてるなぁと感心するばかりだ。
お宝については以上の理由により33層に残したままだ。代わりに俺が得た権利、というのも変な話しだが、33層の財宝の持ち出しの一切を禁じる、という制限を設けさせてもらった。
何かあった時に投げ縄で俺を回収する要員できていたエレニツィカには随分食い下がられたけど、ここは絶対に譲れないと押し切った。
今でも保存液のプールの中に思い出が眠っている。しかしそれでは次の転移陣に行けないので、墓標にたどり着くまでの道だけは舗装して歩けるように工事をした。
なので今では誰でも通過できる。そもそもエントランスから34層に行けばいいのだが、この話しを聞いた人は、とりあえず1度手を合わせに行ってくるといって、初見の人はみな挨拶に訪れるそうだ。
食堂で今回の活動報告をまとめていると、黒髪ストレートの大和撫子が現れた。小柄だけど大人びた立ち居振る舞いは子供のそれではない。和服を着こなして歩く姿は高嶺の花よ。
「あなたが噂のたかピコさんですね。お初にお目にかかります。わたくしは胡蝶の夢のギルドマスターでリン・メイリンと申します。突然の来訪申し訳ありません。今お時間よろしいですか?」
「え、あぁもちろん大丈夫です。が、なんのご用で?」
そりゃあもうこんな美人に、ちょっとよろしいですか、なんて言われたら用事があったって時間作っちゃうよね。
物珍しそうにスケルトンの俺を見ている。なんか緊張する。意味ありげに微笑むだけで心臓が高鳴る。心臓ないけど。
「結論から言えば、我々が新たに開発している溶液の利益のいくらかを受け取りませんか、というお話しなのです。理由は、たかピコさんが塔破された33層の毒沼の性質をお聞きしまして、劣化はするものの毒性を抜いても保存液としての機能が十分期待できると分かったからです。これを使えば主に貴金属、指輪や宝石の錆による劣化、埃や紫外線からのダメージを軽減できるでしょう。まだ少し調整段階ですが、貴族相手の宝石商を中心に販売を視野に入れていますし、既に関心を寄せている商人も多くいます。これはあなたが33層にある財宝が輝きを失っていない、毒液が保存液としての役割を果たしていると気づいてくれたおかげなのです。それにお宝を独占するより彼らの想いを守ることを選んだという真心に感銘を受けた結果でもあります。もちろん利益の内訳や必要経費などを細かく説明した上で金額は決めようと思いますがいかがでしょう?」
なんとまぁそんな展開になっていたとは。着眼点がいいというかなんというか、慧眼であると言わざるを得ない。
それにしても毒沼をお宝に変えてしまうとは、最初に気づいたのに全然思いつきもしなかった。
聡明そうだとは思っていたがそれ以上だ。
「それはもう願ってもない話しです。よろしくお願いします」
「こちらこそありが……あ、暁ちゃんのそれなにっ?」
台車に乗せて水槽を運んでいる暁さんをロックオン。
子供が新しい玩具を見つけたと言わんばかりに目を輝かせて走っていってしまった。
この人あれだ。関心が目移りして話しが飛びまくる人だ。俺はまぁいいんだけど。
暁さんの持ってきたそれは、なんでもドラゴンテイルの職人さんに作ってもらった特別性の水槽で、濾過した水が魔術回路を通って常に清潔な状態で循環していく。
その中にクラゲが3匹。ゆったりと浮かんでいた。
アクアリウムというやつで、俺が海坊主になって骨の中にクラゲが泳いでるのを見て思いついたんだとか。
「どうだこれ。なんかいいだろ?」
「癒し系ですね」
「これ、わたくしも欲しいわ。うちって山ばっかりで川はあるけど海って身近にないから。ギルドの出入口にこんなの置いておくだけで……なんていうか、なんかいいわ!」
「でしょ〜? エクシアさんにも食堂に置いてみたらって提案してみたんですよ。観光客を入れるのに何かいいアイデアがないかって考えてたみたいですから。水槽の中で泳いでる新鮮な魚を客に選んでもらってその場で料理してもらうみたいな感じで。鮮度が全然違うでしょうし、そう思ったら数段美味しく感じるんじゃないかって」
「それとっても面白そうね。うちなら虫料理でできそう」
「蒸し料理? ボイルするんですか?」
「たかピコは虫を食べる習慣ないか。昆虫の方な。あたしは久々に蜂の子ご飯が食べたくなってきたよ」
「蜂の子なら秋がオススメよ。栗ご飯も絶品なんだから。でもわたくしのイチオシは断然、蜂の子の素揚げね」
「あ〜早く秋にならないかな」
「まだ夏も来てないわよ。夏なら蝉の天ぷらとか乾燥させたカブトムシに辛めの焼酎ね」
なんですかこの乙女の謎の昆虫食トークは。
もっときゃわわなやつないんすか。パンケーキとかふわふわかき氷できゃっきゃうふふするみたいな。
これが異世界か。これが異世界か?
ゲテモノモンスターを鍋にぶち込むよりはマシか。
もし人間だったら、試しに1口とか迫られてただろうけどスケルトンだからその心配はない。その点についてはスケルトンでよかったー。
____________________________________________
■昆虫食■
リン「初めましてで始まりました。昆虫食コーナーのお時間です。今日はセチアさんとネロさんに来ていただきました〜☆」
ネロ「おやつをいただけると聞いて来ました。昆虫食ならイナゴの甘露にが大好物のネロです」
セチア「…………よろしく……お願いします」
リン「セチアさんどうしたんですか? 顔色が悪いようですが」
セチア「いやその……昆虫食というものに慣れて、というか虫を食べる習慣がないものですから、ここに並んでいる有象無象のものどもに嫌悪感が」
ネロ「子供の頃から慣れてなければ最初は気持ち悪いですよね。僕もメリアローザに来て初めて出会いましたが最初は気持ち悪かったですね。でも慣れれば全然平気ですし美味しいですよ?」
セチア「ネロさんは何故これを口に運ぶ気に?」
ネロ「そうですね。ひとえにあくなき食への探究心です」
セチア「…………そうですか」
リン「そんなセチアさんにも昆虫食の良さを知ってもらいたいと思い、わたくし的オススメの子たちをご用意しました! が、まずは昆虫食がどれだけ凄いかを知ってもらいたいと思います。1番素晴らしいのは栄養価の高さです。高タンパク質で低脂質。ダイエットには持ってこいです。さらに必須アミノ酸やビタミン、ミネラルなどなど体に嬉しい機能性食品なのです。サイズも手のひらサイズで持ち運びもしやすいので、乾燥させたものは携帯食としても重宝されています。そういうわけでまずはこれ、生の鉄砲虫です!」
セチア「生っていうか…………生きてるんですけど」
リン・ネロ「「生ですから」」
セチア「…………初心者には少しハードルが高いので、せめて加工されてるやつからお願いできますか?」
リン「では今朝採れたてのサソリの唐揚げなんてどうでしょう」
セチア「………………」
リン「でわでわ、ゴキブリの素揚げではどうですか?」
セチア「……………………」
ネロ「ビジュアルが問題では?」
リン「であればこれなんかどうですか?」
セチア「これは……○ク○トですか?」
リン「ゴキブリのミルクです」
セチア「…………………………」
リン「これもダメですか。でも多分これなら大丈夫ですよ」
セチア「これは……ソーセージですか? これなら私でも」
リン「はい、ウジ虫のソーセージです」
ネロ「セチアさんが気絶しました。(ゴキブリからハードル上がりっぱなしですね。さすがに僕でもゴキブリのハードルを跨ぐのは勇気がいりますよ)」
リン「残念ですね。せっかく養殖した新鮮な子たちを選んできたのに(むしゃむしゃ)。ネロさんもいかがですか?」
ネロ「せっかくのお誘いですがセチアさんを病院に連れて行かなくてはいけないので、これで失礼させていただきます」
リン「最初はビジュアルに難有りかもしれませんが、美味しいし栄養豊富なので是非ご賞味下さいっ!」




