レベッカの幸福
レベッカ・マーリンド。現在9歳。
キャッツウォークの玩具屋さんの店主と癌手術のスペシャリストの女医の間に生まれた女の子。
母の名前はネイサン・マーリンド。病院で外科医をしている。特に癌治療のスペシャリストと言われ、その筋の人間ならば国内外問わず知らない人間はいないとされている。趣味としてギタリストとしての一面も持っていて、腕も確かなものでキャッツウォークのレストランではよくライブの依頼が舞い込んでいた。
父親の名前はラーディ・マーリンド。玩具屋の2代目として生を受け、祖父と2人暮らしであるが、楽器のメンテナンスを始めた頃にネイサンと知り合い、趣味は違えど互いに惹かれあった末、結婚。レベッカという娘を授かった。
レベッカは共働きの両親と共に多くの時間を玩具好きな祖父と過ごした彼女は、何にでも興味を持つ好奇心旺盛な子供として育った。
店に置いてある玩具は勿論、虫や鳥、レンガの壁、水たまりの中、屋根裏にできた蜘蛛の巣。手で触れるものにはなんでも触れる。
6歳まで祖父や父親が仕事の用事で家にいない時は、母親の職場や孤児を預かる教会で友達や年上の看護師たちと遊んでいた。
ある日、母の患者に絵本を読んでもらっている時だった。その患者の右胸の辺りに黒い染みがついていることに気がついた。それを指摘すると、母は驚いて自分が診ている患者全員を紹介した。
彼女の見えていた黒い染みは全て癌。
大きさ、数、場所、全てを的確に言い当てたのだ。
プロの医者である母ですら見逃していた腫瘍もぴたりと言い当てる彼女の固有魔法を誰もが称賛した。
癌探知。
彼女の存在により癌の早期発見に大きく貢献すると同時に、これまで発症しないとされていた部位の癌転移も発見され、癌医療は大きく前進したのだ。
玩具に限らず幼少期に手を動かすことは脳に良い影響を与え、後々の将来に大きな果実をもたらすと言われている。
手を動かすことを積極的に行い、裕福な国、裕福な家柄に育ったレベッカは己の才能を誇示しようとはしなかったが、同年代の少年少女に比べると非常に賢く、頭の回転も速かった。
特に優秀だったのはその想像力。
6歳児程の子供であれば、いたずらをすれば誰かを貶めるだけと考えるが、レベッカはその後、多くの大人たちに叱らられ、自分の身を悪いところへ置くことになると考える。
大人であればこのくらいの想像は容易であるが、この頃の子供たちが事態の最後、あるいは全体を予想することは難しいのだ。
7歳になった時、帰宅時の彼女の母親の表情が日によって全く違う事に気がついた。
祖父と店番の手伝いをしていると午後の17時頃に母が帰ってくる。夕飯はいつも母親が台所に立ち、一家団欒の時間と決めていたマーリンド家は、この時間になると店を閉めてリビングに集まっていた。
レベッカは仕事帰りの母親に駆け寄って優しく抱きしめてもらうことがなによりの幸福だった。母はいつも笑顔で抱きしめてくれたが、癌手術の日は比べ物にならない程、いい笑顔で帰ってくるのだ。
母にその満面の笑みの理由を聞いても、今日は患者さんがまた1人元気になってくれたわ、と言うだけだった。それはレベッカにとってもとても幸せなことなのだが、手術以外の治療でも患者さんは元気になって病院を出て行く。しかしその時は特に変わりない、普通の笑顔だった。
拉致があかないと思ったレベッカは、いつもよくしてくれる看護師さんに話しを聞き、ようやく癌手術の時だけ母が異様にテンションが上がる確証を得た。
なんでも癌の摘出手術の後、切開した箇所を治療するためギターを弾くという。それがどういう作用をするだとか、どういう意味があるのかは分からなかったが、母が音楽が大好きなことを知っていたレベッカは悟った。
「きっと癌の手術をする時、こうやって全力で音楽を楽しんでいるんだ。だから笑顔の時とすっごい笑顔の時があるんだ」
母の笑顔は大好きだけど、すっごい笑顔の方がもっと好きだった。母が笑顔になると自分まで笑顔になる。なぜだかわからないが幸せな気持ちになる。
しかし同時に彼女は思った。
「癌の早期発見は魔法や薬によって治療ができる。摘出手術はある程度の大きさになって、それらの方法では治療が間に合わない場合に行われる最後の手段。ママは癌を見つければいつもありがとうって言ってくれるけど、それではママは外科手術ができない。大好きな音楽ができない。もしかしたら、ママの幸せを奪っているのではないだろうか。だけどママも患者さんもいつもありがとうって言ってくれる。どうしたらいいの?」
齢7歳にして人生最大とも思える壁にぶち当たった少女は誰にも相談することができず1年が過ぎた。
そんなある日、いつものように定期検診のお手伝いをしていると、1人の男と出会う。
普段からあまり良い評判は聞かないし、酒癖の悪い男なので当然、酒を飲むと態度が横暴になった。この日も昼から酒を煽って病院にやってきたのだ。
理由は覚えていないが、とにかく気に入らない態度を取る男に対して、彼女は、『この人ならいいかな』と思った。
酒癖の悪い男の体の中に見つけた腫瘍は、内臓で8cmもの大きさに成長していた。即刻手術と入院をした男は5日間を白い部屋で過ごしたあと元気になって退院していった。
発見した時、急に気分が悪くなったと訴えたが、例えるならば、切り傷に気づいていない人が切り傷に気づいていないから痛みを感じず、認識したとたん痛み始めるという現象がある。癌を言い当てられた彼もそれと同じだろうし、癌は発病するまで潜伏している場合があるので気づかなかったのだろうとされた。
痛みの原因は癌にあったのだが、レベッカが見つけた腫瘍は小さく、投薬による治療が可能な程度のものだった。
それがなぜ手術にまで至ったかというと、発見の後、急速に成長させられたのだ。
レベッカの本当の固有魔法は癌を発見することではなく、癌を成長させることなのだ。
発見すること自体は成長させるための前準備に過ぎずあくまで途中の段階。
目的は癌を大きくさせることにあった。彼女は直感的に、この能力を使えば肉や皮膚を食い破って癌を大きく成長させ、人間を簡単に絶命せしめると分かった。
子供ながらに、なんて恐ろしい固有魔法を授かったのだろう。寒気がするほどに恐ろしい感覚に襲われたものの、それらの感情は手術室を出てきた母親の恍惚とした笑顔によって吹き飛ばされた。
それからというもの、レベッカはよくしてくれる患者に対しては誠実に、むかっ腹の立つ人に対しては己の真の能力を使い母を笑顔にし続けた。
少女は未来永劫、他人に口外できない秘密を抱えるのと引き換えに、大好きな母の笑顔を守ったのだった。




