命と人生は別物
いつかこんな日が来るんじゃないかと思っていた。
病院に運ばれて真っ白になった彼女を見た時は、もうなにがなんだか分からなくて戸惑った。
ショートカットにイメチェンした暁さんから事情を聞いて納得すると、やりすぎではないのかという怒りや、こうなっても仕方ないことをしたのだという諦めの感情。後悔や悲しみが腹の中でごちゃごちゃしてもやもやしてどうしようもない気持ちに襲われる。
食堂でなにをするでもなく、ただそわそわしていると、気を遣ってくれたのかゴードンさんが狩りに行こうと声をかけてくれた。
八つ当たりかもしれないけど、今は何かにこのいいしれない感情をぶつけるのもいいかもしれない。
薔薇の塔29層。
そこは延々と続く灼熱地獄。燃え盛る山々。溶岩と足元を流れるマグマ。それに炎系っぽいモンスターがそこらじゅうにうようよしている。
「それじゃあ今日はホノオガニを狩っていくぞ。ノルマは50匹くらいな!」
「あの、ここにくるの初めてなんですけど。ホノオガニってまさか、今地中から出てきた50cmくらいの岩石を纏った横歩きの生物ですか?」
「ああそうだ。あいつらは岩石を纏っているがその下も硬い甲羅でな、接着剤みたいなもんでくっついてんだ。ぶん殴って岩石と甲羅ごと破壊してもいいが、お前ひ弱そうだな。口の部分とか腕の部分とかは装甲が薄いから斬撃でやれるぞ。その辺狙っていけ。俺様はこのカニが好物でな。そこに生えてる草を炒って一緒に食べると美味いんだよ」
うわぁー……言われるがままついてきたけど、よりによって炎系のモンスターかぁ。アンデッドって火に弱いのが相場だけどどうなんだろう。
本当なら人間でなくなった時点で、自分の弱点を知っておいたほうがよかったんだけど、やらなきゃやらなきゃと思いながらここまできてしまった。
まぁでも火山地帯で生息してるってだけで炎を吹いたりしなさそうだし大丈夫だよね。多分。
とりあえず背後から斬撃。片腕も斬撃。
……なんかキィキィ鳴き始めた。痛がってるのかな。どうしよう心が痛む。
「お前、まさか弱いものイジメとか好きな性格なのか? さっさとトドメ刺してやれよ……」
いやそんなつもりでは。促されて急所の口に刃を突き立てると、当然ながら鳴くのをやめて動きは止まった。
そういえばこれが俺の異世界転生初討伐か。討伐というほど大したことものではないが、なんか感慨深いというか、現実と想像は違うな。
想像の世界は理想ばかりが先に立ってた。悪いモンスターを倒したり強大な敵に立ち向かったり。魔王と戦ってみたり。
現実はどうだ。明日の飯を食うために溢れ出てくる小さな命を刈り取る作業。なんて夢のない現実。殺す相手が見慣れないだけで、やってることは家畜を殺して肉にして、鍋の中に放り込む。以前となんら変わらない。いや、自分の手で屠殺する部分は大いに違うか。
こうして命を奪っても、頂くことができない体ではただただ無意味に殺しているだけのように感じてしまう。実際はゴードンさんたちの腹に収まるわけだけど、なんていうか命を終わらせている実感が湧かない。
たんたんと刀を振り続けて小一時間が経つ頃には目標の50匹を超えていた。殆どはゴードンさんがやっつけたけど、俺も10匹くらいは倒したかな。
甲羅の中に詰まった肉がぷりぷりしていて歯切れが良く、旨味の詰まった味噌や甲羅の出汁につけて食べると絶品らしい。
こういう時は本当、人間っていいなって思う。
逆にスケルトンの体では、ハサミに挟まれようがずっこけて岩石に頭をぶつけようが痛くないし平気なところはマジ無敵。
「お疲れ様です。今日は随分と大量ですね」
「ヘレナさんも誘われてたんですか」
「ええまぁ。彼とはよく一緒に仕事しますし。私もホノオガニは好物なので。それにホノオガニの甲羅に引っ付いている岩石って大きいのから小さいのまで沢山付いてるので、私の仕事は主にそれの除去です。あいつはこういう細かい作業が超苦手で、すぐイライラしだしますから」
「あ〜……なんかそれっぽいわぁ」
こういうちまちました細かい作業無理っぽいわぁ。
適材適所というやつか。ゴードンがカニを狩りまくって、ヘレナが卸せるように異物を除去する。
漁師の夫婦みたいだ。
「さて、岩石を除去したやつから荷台に乗せてください。数が多いのでぎゅうぎゅうに詰めてくださいね。でも鮮度が落ちますのでなるべく傷つけないように気をつけてください」
結構難易度高いな。岩石を取るとそこそこ小さくなるとはいえ30cmくらいが平均サイズ。
いよいよ全部載せ終わろうかと思った時、何やら地鳴りのような音がする。地面が揺れて視界がぶれた。まさか火山の噴火か!?
「おーーーいっ! カニ詰め終わったか〜〜?」
全力ダッシュで向かってくるゴードン。
背後には岩石や溶岩を蹴飛ばしながら突進してくる岩石の塊。
いや、あのフォルムは見覚えがある。
なんで横歩きじゃなくてまっすぐ走ってくるのかは分からないが、俺たちは示し合わせたように荷台を掴んで全力疾走。
「あれなんですかでかすぎでしょ!」
「あれはホノオガニの突然変異種でデカホノオガニっていうやつです! 共食いするし岩石食べるし溶岩飲むしヤバいやつです!」
「なんすかそのネーミングセンスの低さ!」
「ゴードンに聞いてください! 彼がここの階層を塔破したときに名付けたんですから!」
全長4mほどの巨大ガニ。
あー、こういのこういうの。巨大な敵と対峙するってね。無理だねどう考えても!
平均的な一軒家よりデカいし速いし怖いし無理無理無理無理マジ無理!
なんでゴードンは爆笑しながら走ってんの?
てかなんで連れてきたのそういうのいらないから!
転移陣までまだ距離がある。
このままでは轢き殺される!
くっそもうこうなったらやるしかねぇ!
カーブで速度が落ちた時が勝負だやってやるぜちくしょうが!
「オラオラーッ! こっちこいやデカブツがッ!」
おあつらえむきに広場に出る。ヘレナは洞窟の脇から転移陣のある道をまっすぐ走った。
これでいい。これで少なくともヘレナは助かる。
そこらへんに落ちてある岩石をひたすら投げつけて注意を向けることには成功したがこれからどうしたもんか。ゴードンはやる気満々だけど勝てる見込みあるんすか?
「たかピコはそこで囮しといてくれや! ちょっと準備すっからよ!」
よ! って言ってあっけなく吹っ飛ばされた。
……マジか。
俺1人でどうしろと。
囮にすらならないが。
立ちはだかる俺。
突進するカニ。
腰が抜けて動けない俺。
吹っ飛ばされてマグマへダイブ。これは死んだ。さすがのスケルトンでも溶けるやつでしょこれ。
こんなところで死ぬとは。
あーあ、つまんねぇ人生だったなぁ。
もっかい転生しねぇかなぁ。
そんなわけねぇか。
熱すぎて熱さも感じねぇっすわ。
溶岩の中ってこんなんなってんだ。外から見るとドロドロしてそうだけど実際はサラサラしてんなぁ。
あれ? 俺生きてる?
少ない表面積を使ってなんとか水面に顔を覗かせた。
俺生きてるわこれ!
やったーラッキー助かったー!
そんじゃまぁ反撃といきますかッ!
無双モードでしょこれ。キタコレっしょ!
気配に気づいたのか振り向いて巨腕が振り下ろされた瞬間に思い知った。
あーこれ調子乗ったやつですわ。負ける気はしないんだけど勝てる気はもっとしないなぁ。
やっぱ怖くて動けない。
ただのサンドバッグじゃねぇかっ!
あーこれ死んだ。目の前が真っ暗になってる。
次第に周囲が明るくなってきた。お迎えかな。しかし身動きがとりづらい。よくみると俺の体が真っ赤に燃えてる。光ってるの俺かっ!
地鳴りが響いたと思ったら開けた視界に悶える巨大ガニ。俺を粉砕せんと叩きつけた腕に穴が空いて痛がってるみたい。
うーん……もしかして。
足元が熱で溶けてドロドロになっていた。試しに岩石に触れてみるとあら不思議。真っ赤になって溶けていくではありませんか。
これあれでしょ。マグマに入ってスター状態になっちゃったやつでしょ。
俺TUEEEEEEEEEEEE!!!!
そうと決まれば突貫だ!
逃げてんじゃねぇよカニ野郎!
速い! 追いつけねぇ!
触れるだけでいいのに単純な歩幅で勝てない!
まずいそっちはヘレナが待機している転移陣のある場所。
「はーはっはっはっ! 囮ご苦労!」
「ゴードンさん、いつのまにカニの上に!?」
「飛ばされたあとそのまま乗っかったんだ。こいつは足が早いから追いかけるの面倒だしな!」
「そういう理由!? てか、こんなん倒せるんすか!?」
「おーう任せいっ!」
練気功!
筋肉が膨張して、元々ムキムキだった体が一回りデカくなった!?
肉体超強化回転三連式!
腹部を中心に光だした!?
八卦・城塞通し!
押し潰したジャガイモみたいにぐしゃーってなって動きが止まった!?
「どうよー? 暁とアルマが話してたやつ試してみたんだけど上手くいったな! 初めてだったがなかなか威力あんじゃねぇの」
「初めてなんすか!?」
「おう。それがどうした」
「いや、せめて何度か練習とか……。まぁ助かったんでいいです」
「こんだけデカけりゃ1ヶ月はカニ三昧だぜ!」
大声で笑ってるところ悪いんですが、これどうやって運ぶんですか?
ヘレナに聞いても出来るわけないと。
1度戻ってお手伝いさんを呼んで解体する必要があるらしい。
それからしばらくしてキャッツウォークとドラゴンテイルの応援隊がデカホノオガニに群がって、運べる大きさにまで細かく解体していく。
俺たちは報告書の提出のため、キャッツウォークのギルドで机を並べていた。
暮れない太陽は渋い和風庭園って感じだけど、ここはカラフルでガーリーな雰囲気。
明るくてパリピが多いギルドの中も、白骨死体の登場で墓場と化す。
「活動報告はいいんですけど、この報酬分配って項目はどうすればいいんですか」
「まず結果報告がホノオガニ50匹。デカホノオガニ1匹。活動報告は参加者の氏名と経過のあらましを書いて、最後にお手伝いさん10人はホノオガニ1匹で了承、と書いといて下さい」
「解体作業の報酬がホノオガニ1匹でいいんですか?」
「ホノオガニはみんな好きですから。それに単価がめっちゃ高いんですよ。美味いですしね。カニは各ギルドが運営する食堂に直接卸します。基本的に討伐したモンスターや採取したものは市場に卸しますが、物によっては食堂が直接買い取ってくれるものがあります。ホノオガニなんかは家庭でバラすのが大変で、市場で売れないので食堂が買い取ります。現在のホノオガニは1匹1万シエルが相場です。デカホノオガニは時価ですし売買されたことがないので、この点は事後報告ということで」
「……あの、なんでそんな淡々と棒読みで」
「ゴードンのアホさ……規格外さに呆れてるだけです。あれをおびき寄せるんだったらあらかじめ説明しといて欲しかったです。あやうく轢かれて死ぬところでしたよ」
「それはたしかに……」
「まぁいいじゃねぇか! 終わったら飯食いに行こうぜ! ついでに俺のも書いてくれや!」
「自分でやれ」
打ち上げということで、飯は食えないがせっかくなので参加することにした。
キャッツウォークの持つ食堂は暮れない太陽と違って丸机に椅子が4.5脚囲んでいるスタイル。
真ん中に歌や踊りを披露するステージ。右端に厨房。奥に行くに連れて緩やかな雛壇になっており、3次元的な空間で食事を楽しむことができる。
毎日というわけではないが、週に2.3度催し物が開催され、今日はリィリィ・フォン・エルクークゥとブラスバンドの演奏が行われるらしい。
事前にチケットを取っていたヘレナと同席させてもらえることになり、1番前の特等席に案内された。
「チケット完売って張り紙が出てましたけど、そんなに人気なんですか?」
「それはもうメリアローザの歌姫ですから! 月2.3回ステージに上がるんですが、公演の噂が立っただけで問い合わせが殺到するくらいです!」
そんな人気な歌姫がいるのか。メリアローザの歌姫というくらいだから相当な美人さんで、歌声もセクシーなんだろうな。超楽しみ!
時間が経つにつれて続々と彼女の歌声を目当てにした客が集まってきた。1時間前に会場は入場規制がかけられ、ものものしいガードマンが出入口とステージを囲っている。
「よう、食ってるか2人とも! 今日は俺様の奢りだから遠慮すんなよ! がっはっは!」
「当然。チケットは私がとったんだから。それも1番いい席! 一月ぶりにリィリィちゃんの歌声が聴けると思っただけでテンション上がるわ!」
「リィリィちゃん?」
「あれ、たかピコさんご存知ないんですか? リィリィちゃんは暮れない太陽のギルメンですよ?」
「まじで!? 知らなかった」
「まぁほとんど胡蝶の夢でアロマキャンドルを作ってるセチアさんのところにべったりらしいですから。見たことないのも無理ないかもですね」
「セチアさんってあの背の高いしっとりとした赤い髪の? お姉さんなんですか?」
「セチアさんの話しでは、リィリィちゃんも同じ世界から転移してきたらしいですよ。魔王軍の幹部仲間だったとか」
「マジか。転移とか転生してくる人多いな。それにしても魔王軍の幹部って言ってますが抵抗とかないんですか? 俺たちのいた世界では人間の敵って扱いですけど。漫画やアニメの世界で」
「漫画やアニメ? まぁ最初はみんな警戒しましたけど、2人とも良い人ですから。それより私はスケルトンのほうが驚きましたよ。どっちも暁さんの太鼓判があったから打ち解けてるってのもありますが」
「あぁ〜……ですよねー。打ち解けて下さって、ありがとうございます!」
「いえいえ。あっ、リィリィちゃーーーん!」
ステージ裏から顔を出すやいなやヘレナに限らず大熱狂。
ストレートの金髪。白い肌。大人びた黒のドレス。
彼女が笑顔で手を振るだけで黄色い歓声の嵐。
老若男女を虜にする魅惑の吸血姫。
リィリィ・フォン・エルクークゥ。9歳。
「あ、ヘレナおねぇちゃん! 何食べてるのー?」
「採れたてのホノオガニを使ったパスタだよ。食べる?」
「食べるー!」
膝の上にちょこんと乗ってパスタをくるくるくるくるぱっくんちょ。至福の味覚に舌鼓。
「おーいーしぃー! リィリィねーホノオガニだーいすきっ!」
「そーだと思ってねー、今日いーっぱい採ってきたんだー。いっぱいあるからたくさん食べてねー」
「わぁー、やっぱりヘレナお姉ちゃんは凄いなぁー」
「でしょ〜〜」
メロメロやんけっ!
めっちゃ顔がにやついてる!
ホノオガニを採りに行ったのはこれが目的か。29層でゴードンと一緒だからか微妙に嫌そうな顔してたけど、彼女のために我慢してたというわけだ。
クールプリティーだと思っていたヘレナがこうまでとろとろになるとは。
しかし分かる。可愛いは正義だとッ!
「俺たちも頑張ったんだぜ! 今日はこーんなデカいやつを仕留めたんだ! な、たかピコ!」
「ぇ、ええまぁ。俺は殆ど役に立ってませんでしたけど」
「ちゃんと言われたとおり囮してくれたろ? それになんかめっちゃ熱くなってたろ。あれなんだ?」
「いやー……自分でもよく分からなくて。マグマに落ちたんですけど燃え尽きずに生きてて、そしたら無敵状態になってたっていうか、岩石も溶けるほど熱くなってました」
「それ熱くなりすぎじゃあ……。てかよくマグマに落っこちて死にませんでしたね。スケルトンに死ぬとかどうとかわかりませんが。やっぱり伝説級のモンスターは耐久性とか規格外なんでしょうか?」
「あ? スケルトンってああいうもんじゃねぇのか?」
「違うと思いますけど、自分でも自分のことがよくわかってない現状です。とにかく無事で良かったです」
「骨のお兄ちゃん……こんなになるまで頑張って…………体には気をつけてね?」
天使?
この子、天使かっ!
なんという無垢な上目遣い。萌え死にしてしまう!
可愛いは正義! 可愛いは正義ッ!
ひとしきり満足すると他のテーブルにもちょこちょこ回ってファンサービスをしている。彼女にはその気はないのかもしれないが、前の席が後ろの席の3倍の値段で販売されているのはきっとこれが原因だろう。
前列机12。後列机36。1つにつき6人分の椅子が設けられている。
オーナーと呼ばれるチケット購入者が1人。ゲストが5人分。チケット1枚につき5人まで友達を招待できるわけだが、ここで招待客のみにチャージ料が発生する。一律7000シエル。最前列のS席のチケットが1枚2万1千シエルを考えれば便乗するほうが得だ。
それでもチケットを積極的に買うし、決して安くないチャージ料を払って、更に飲食代を使っても彼女の歌を聴きたいと考えればこの熱狂的なファンの熱気もうなずける。
しかも前列に行けばステージも近いから、演奏の準備時間中に可愛い天使とスキンシップができるなら惜しくない! 俺も今度狙ってみよう。
「そろそろ歌が始まりますよ。物音とか立てないで下さいね!」
凄い剣幕で詰め寄る勢いに首を縦に振るしか選択肢はない。当然歌姫の美声を横から汚そうなんて考えてないから心配無用。
マイクを手にかけると、それが合図と言わんばかりに静まり返る。熱を帯びた喧騒も、楽しい食事の賑わいも、凍りついたように息を潜めた。
一身に浴びる視線の先には天真爛漫だった少女が1人。ステージに立って、姿勢を正し、呼吸を整えてマイクを握るその姿は、まるで神に祈りを捧げるよう。
吸い込む息遣いが心地よいノイズになって小さく広がる。吐き出す声とブラスバンドの重厚なリズムが人々の心と体を包み込んだ。
とても小さな女の子とは思えないセクシーで妖艶な音の波はミステリアスな夜に恋人とキスをするような錯覚をさせられる。
酔いしれて、見惚れて、心奪われる。
あっという間に夜も更けて、美味しい食事に楽しい会話。時には他のテーブルに移っておしゃべりしたり。
ご飯は食べられないけど、きっと以前の世界では味わえない大人の夜を満喫できた。
拍手と共に夜が終わり、体を冷やすついでに歩いてギルドまで戻ることにする。
ゴードンがほろ酔い気分で武勇伝を語る姿はどこか兄貴のような錯覚を覚えた。俺には妹がいて、兄は自分だったものだからとても新鮮な思いだ。
「今日はどうだったよ。キャッツウォークのレストランもなかなかいいもんだろう」
「ええ、本当に今日は誘っていただいてありがとうございます」
「敬語はよせ鳥肌が立つ。タメ口でいいぜ。俺様もそうする。でよぅ、暁から聞いたんだが、あの詩織って女のことで気を揉んでるんだって?」
「……えぇまぁ」
「話しはだいたい聞いたけど、あんまし考えすぎんな。同郷のよしみってんで情が湧くとかそういうのもあんだろうけど、命は自分1人のもんじゃねぇにしても、人生は自分のもんだ」
そうなんだけど。
詩織が今のままでは他人と仲良くやっていくなんてできっこない。だからなんとか変えたいけど、そもそも他人なんて変えようがない。できることと言えばきっかけを与えるくらい。
そう思えば、ゴードンが言っていることは至極真っ当。あらがいようのない事実だ。
暁さんもきっとそれを承知で詩織に接してきたに違いない。そしてギルドマスターとしての責任を果たそうとして、自分の首を斬り落とすところまでいってしまった。
そうなる前に何かできたのではないか?
そう打ち明けると暁さんに、それはさすがに傲慢なんじゃないか? と言われて、不思議と心の棘が抜けたような思いになったのはなぜだろう。
重荷に感じていたのだろうか。
改めて思う。そうだとしても背負いたい。見過ごすなんてできはしない。傲慢だとか出しゃばりだと言われても諦めたくない。
こんな素敵な環境で、優しくて頼もしくて楽しい人々の笑顔が素晴らしいって思えるようにしてあげたい。
お前はお前のやりたいようにやれよ。
別れ際にそう背中を押してくれたゴードンは夜の闇へ消えていった。
食堂には暁さんとアイシャが並んで食事をとっている。
暁さんにしては珍しい時間で晩ご飯をとっていた。普段ならもうとっくに就寝している時間なのだが。
「よぉたかピコ。今日は大活躍だったんだってな!」
「いや……そんなたいしたことは」
「そうか? ゴードンがあいつはできるやつだって感心してたそうだが」
「おかげさまで久しぶりのホノオガニをいただいています。ありがとうございます」
2人して小鍋でカニをしゃぶしゃぶしてらっしゃる。
これ一点に関してマジに悔しい。
美味いもんが目の前にあるのに食べられない絶望感たるや膝を地につけるレベル。
それにしてもゴードンは随分と俺を高く買ってくれてるみたいだな。吹っ飛ばされてマグマに落ちて、たまたま無双モードに入って追いかけっこしてただけなんだが。
「すみません暁さん。明日付き合ってもらえませんか? 試したいことがあるんです」
「明日か。昼飯のあとからならいいよ。あたしからも頼みたいことがあるんだ。さっきまで詩織の様子を見に行ったんだけど、どうも茫然自失っていうか、真っ白になっちまっててさ。あたしが声をかけると反射的に怯えるんだ。だからできれば毎日顔を出しに行って欲しいんだ。きっとこれはお前にしかできないだろうからさ」
「それはもちろんです。でもどう声をかければ……」
「なんでもいいよ。昨日あったこととか、些細なことでもなんでも。元気づけてやってくれ。それからさ、お前にはすまなかったと思ってる。あいつの心の闇に気付かないまま、荒療治と思っていたが結果的に最悪の事態になっちまった。ギルドマスター失格だ」
「そ、そんなことないです! 暁さんはギルドマスターの仕事をしただけです。そりゃあ結果だけ見ればアレかもしれませんが…………でも、ギルドメンバーは詩織さんだけじゃないわけで、わふっ」
「アイシャは本当に優しいな。ありがとう。救われる気持ちだよ」
「俺も暁さんは正しいことをしたと思っています。ひどい言いようかもしれませんが、これは詩織ちゃんが引き起こした自業自得。なるべくしてなったものだと思っています。彼女自身が変わらないとまた同じことの繰り返しでしょう。他人を変えるなんてできっこないのは分かってます。でも、俺は変わるきっかけを作ることを諦めないって決めました。彼女にもみんなと一緒に幸せになって欲しいんです」
「ああ、お前が頼りだ。ありがとう」
申し訳なさそうな笑顔でそう言うと、俺は掃除があると言って席を離れた。暁さんもあんな顔するんだな。
あんな顔をさせたのが自分のような気がして、いたたまれなくなってつい逃げてしまった。
立ち向かうって決めたばっかりなのに、なにやってんだ俺は。
でもまぁ気負ってばかりでは仕方がない。俺が今出来ることを全力でやろう。
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♯肉体強化♯
アルマ「今日は共通魔法の肉体強化のお話しです」
エレニツィカ「戦士とか魔術師が最初に覚える基礎的な魔法だよね。あたしも子供のころに覚えさせられた」
アルマ「そうです。肉体強化はコストパフォーマンスが高く、歴戦の勇士も好んで愛用するロングセラーマジックです。能力の上昇値はその人の元々の体力に依存するので体を鍛えれば鍛えるほど高い効果が期待できます。逆にどんなに質の高い魔力で唱えても効果が上がらないので、この辺は少し魔術師には不利と言えます」
エレニツィカ「それで魔術師も筋肉バキバキの人が多いのか」
アルマ「そうです。単純に健康的な体づくりという意味もあるでしょうが、何かあった時、最後に頼れるのは自分の体1つですからね」
エレニツィカ「あ〜それよく分かるわ。戦うにしても逃げるにしても体力ありきだもんな」
アルマ「ですです。ところで、肉体強化の魔法に種類があるのはご存知ですか?」
エレニツィカ「肉体強化だろ。それから肉体超強化。肉体限界突破だっけ?」
アルマ「その通りです。肉体強化、肉体超強化、肉体限界突破の順で効果が大きいと言われています。使う人が殆どいないのであまり知られていませんが、肉体限界突破は肉体強化と、肉体強化を重ねて相乗効果を狙った肉体超強化とは別物なんです。肉体強化に加速術式が組み込まれているので、副作用的に初速は肉体強化より遥かに劣るのですが、時間が経つにつれて能力が無尽蔵に向上していくのです。その分消費魔力も維持するために必要な精神力も加速していくので、使用できる人は英雄級の傑物だけだと言われています」
エレニツィカ「肉体強化は最初からパワフルに活動できるけど効果は一定だもんね。それに個人差にもよるけど術者の意思を問わず勝手に効果が消滅するよね」
アルマ「はいそうなんです。魔術回路自体の耐久力を超えると消滅するので、再度の掛け直しが必要です。とはいえ簡単に再発動できるので特に問題はありませんが。その点、肉体限界突破は加速、つまり魔力を流し続けているので常に新品であると言えます。これは術者の意思次第で加速速度を変えられますし、破壊した魔力回路をエネルギーに変換していくので省エネ効果もあります。問題点としては常に破壊と創造を加速度的に成長させていく魔力回路の維持にあります。尋常ではない集中力と精神力が必要です」
エレニツィカ「なるほどな。安定志向の肉体強化と違って常に革新を続けていく感じなのか」
アルマ「(…………エレニィさんからそんな小難しい言葉が出てくるとは思わなかった。けど言わないでおこう)」
エレニツィカ「でさ、ヘレナから聞いたんだけどゴードンのやつが暁さんとアルマが考えたっていう新しい肉体強化を使ってたって言ってたけどどんななの?」
アルマ「ッ! 使いこなしてたんですか!?」
エレニツィカ「え? ああ、又聞きだけどね。4m級のデカホノオガニを一発で仕留めたって」
アルマ「ふわああぁぁっ! 凄いです! あれは肉体超強化を同時に3つ起動させて、それらを連結、回転させることによって初速から肉体超強化と回転によって生み出される凄まじいパワーとジャイロ効果で得られる安定性を求めた理想論だけの産物だったのに。それを実現しちゃうなんてっ!」
エレニツィカ「肉体超強化を3つ同時に起動? 連結して回転させる? なんとか効果で安定、ってそんなこと可能なの? 現にできてるんだけど」
アルマ「元々強靭な肉体を持っていて、なおかつセンスが求められると思います。えーごほん。さきほど肉体限界突破を使い続けるには維持をする集中力が大切だと言いましたよね」
エレニツィカ「そう言ってたな」
アルマ「肉体超強化回転三連式はそんな欠点を補おうと試みたものなのです。まず誰でも無理をすれば肉体超強化を3つ同時に起動できるにはできます。問題は肉体限界突破と同様、維持することが難しいということです」
エレニツィカ「それを連結、回転させることで安定させるってこと?」
アルマ「そうです! それにはジャイロ効果がミソなのです。アルマたちは普段、魔力回路を固定させて安定させようとします。この固定という概念を捨てて回転による遠心力で安定させようと考えたわけです。しかも遠心力による運動エネルギーによって肉体強化のポテンシャルを最大げに引き出せるのです」
エレニツィカ「なんで回ると安定するんだ? どっかに飛んでいっちまいそうだけど」
アルマ「たとえばコマを想像してみてください。ただ置いてあるだけでも形としては維持していますが、回すことで先っちょだけでも安定して自立することができます。これは遠心力が均等に働いて重心が安定するからなんです。でもエレニィさんのおっしゃる通り、ただ回すだけではぶっ飛んでしまいます。そこで連結させて3つの魔力回路がバラバラにならないように固定。肉体という器の中で回してウロウロしないように可愛がってあげるのです」
エレニツィカ「理屈はわかったけど、回してパワーアップできるなら1個のほうがよくないか?」
アルマ「それなんですが、ご存知のとおり肉体超強化は肉体強化をサンドイッチのように3枚重ねた状態です。このままだと遠心力に負けて霧散してしまうのです。そこで、肉体超強化回転三連式で使う肉体超強化は球体なんです! イメージとしてはここに平面的な真円が3つあるとします。この3つを縦に90度。真ん中に90度の角度で挿し込むと球の立体が出来上がります。各々ががっしりと掴み合っているのでとても頑丈です。ただしこれ単体の能力は肉体強化と肉体超強化を足して2で割ったくらいなので劣化だといえます。しかしこれに回転を加えるとパワーが3倍にも5倍にもなるということがわかりました。例えるなら、ただしゃぶってもそんな美味しくないアリメラの根っこですが、噛めば噛むほど味が出る感じです!」
エレニツィカ「なんかよくわからないけど、最後の例えで完全に理解した!」
アルマ「当然ある程度の集中力は必要ですが、初速から絶大なパワーが発揮出来ること。回転が安定してくれば肉体限界突破と比べて飛躍的に運用し易いメリットがあります。デメリットとしては慣れるまで時間がかかるのと、効果時間に限界があること。回転には魔力の消費を伴うこと。そんなところですね」
エレニツィカ「なるほど。アルマは凄いなぁ。あたしにも使えるようになるかな。とりあえず話しを聞きながら球体の肉体超強化を3個同時に起動させようとしてるんだけど…………マジムズイナニコレ?」
アルマ「エレニィさんならきっとできます! 頑張ってください!」
エレニツィカ「オ、オウ……ガンバッテミル」




