無闇に〇〇を拾ってはいけません
ある日小学校からの帰り道、道端にトカゲが落ちていた。
いやいやほんと。ぐったり横たわって、落ちてたんです。
最初、真っ黒の雑巾? って思った。近づいてみると、うずくまるトカゲだった。そして私は弱ったトカゲを家にお持ち帰りしました。
小学生の身には大きくて重いトカゲだった。家までの五十メートルが、めっちゃ遠くて心折れそうだった。
太い足と野性味溢れすぎてるのに、もの問いたげな眼光。胴もちょっと太すぎるかなーとか、いやいやこれ筋肉の塊じゃない? などと、今考えれば止めておくべきヒントはいっぱいあったのに。それよりも自分の欲が勝ってしまったのだ。だってサイズが猫だったから……。
その日私は、友人宅の室内飼いでデロデロに甘やかされた猫ちゃんと戯れた帰りだったのだ。無限におやつを食べるビアちゃん(本名はリリーちゃんだけど、ビア樽っぽい体型から友人と二人でこっそりビアちゃんと呼んでる)に多過ぎるおやつをあげて、友人のお母様の静かな怒りに触れた帰りだったのだ。
もっとあげたかったのよ! あの必死におやつ食べる姿を見たかったの! 甘やかして懐いてもらいたい!
あ、ペットの肥満は人間の責任ですし、社会人となった今ならちゃんと弁えてます。当時の友人のお母様に謝りたいです。
だから、まあ、ぐったりしたトカゲを拾ってしまうのは避けられない運命でした。
…………たぶん。
「ちゃんと世話できるから! ねっ可愛いよトカゲさん!」
「それはどうかな!? お母さんは爬虫類関連とは解釈違いなのっ」
「ええー。でもみてみて、この愛らしい真っ黒なおめめ。ウロコだってツヤツヤなんだよ」
「いくらツヤツヤしてても、黒くて空飛ぶ恐ろしい存在だっているでしょう? トカゲは、ナシです」
「こんなにぐったりしてるんだもん。お世話しないと死んじゃう……」
「うっ……でもね、そもそも全体的に大きすぎない? 飼えるサイズじゃないよ。絶対トカゲっていうカテゴリからは外れてるし。これ、保健所に連絡入れないとまずい感じじゃあ」
母がこめかみを押さえて唸ってる。帰宅した父にもトカゲは評判が悪かった。何故だ。尻尾に棘のチャームポイントだってあるのに。解せん。
クロすけと命名したトカゲは、結局我が家の飼いトカゲにはならなかった。
母との攻防の末、次の日保健所と警察に迷子トカゲの問い合わせをすることになって、その夜私はクロすけに添い寝して眠ったのだけれど――。
翌日目を覚ましたら忽然といなくなっていたのだ。
悲しくて、でもやっぱり私には動物を飼うなんて高度すぎたのかな……とめそめそしながらその晩ベッドに入ったら――――クロすけは先に私のベッドで寝てた。しかも枕を使って。
居るんかーい。
朝になるといつの間にか居なくなるのに、夜寝る時間に部屋に戻るとちゃっかりクッションの上とかで寝てる。
なんだろ。持ち家たくさんある通いトカゲ的な? 週に一度の時もあれば、二晩続けていることもある。地域猫みたいだ。ご飯は食べない。うちは寝床担当ですね。
そんなこんなで私はペットじゃないけど、添い寝トカゲ・クロすけをゲットした。
因みに図書館で調べたら、クロすけはトカゲじゃなくてトゲオイグアナ属ツナギトゲオイグアナぽかった。
ははーん、なるほどね。だから今では体長百センチ超えちゃってるんだね!
◆◆◆
「それにしてもクロすけ、大きく育ったねー」
クロすけの艶々の鱗を撫でながら、自然と頬が緩む。
独り身生活の癒しの時間である。
大学から家を出て独り暮らしを始め、今は社会人三年目。
夜の過ごし方もルーティンが出来ていた。その中には、しっかりとクロすけを愛でるタイムが含まれる。間に何年かまったく顔を見せない時期もあったけど、社会人になってからは、ほぼほぼ毎晩クロすけはやってくる。相変わらず私のベッドを寝床だと思っているみたい。
上京し引っ越しそばを啜り、早くもホームシックになりかけた大学生活一年目の春、布団をめくって目が合った時には本気でびびったけど。え。実家から新幹線で二時間はかかるんですが……。徒歩で移動してきたの? イグアナってそんな健脚でしたっけ。まあお蔭で寂しい上京を乗り越えましたよ。
若干独り立ちに失敗した気はしますが。
「明日は月曜日かあああ。会社行きたくなーいー。一生クロすけとこうしてべったりしてたいー」
ひんやりとして、夏はとっても重宝するクロすけの鱗にぺたりと頬をくっつける。
クロすけは私の体温が暑苦しいのか、びくっとなった。
別に仕事が嫌いなわけじゃないし、増えてきた業務にもやりがいを感じている。けれど最近、社内の居心地がいまいちなのだ。
「立花さんはさ、私に何を望んでいるの? 初対面からいきなりライバル宣言されたんだけどさ。あの子、勝手に問題を出してくるんだよね。しかも内容、業務に無関係だし」
本当に、意味がわからん。
今年から配属された同僚に立花智香さんという女性がいる。何故か彼女に初日からぐいぐい来られている。面倒くさい方向で。
立花さんは通常業務では気遣いもできるし、飲み込みも早い。その上美人となれば、社内でかなり評判は高い。
それなのに休み時間の度に私を捕まえては、自作の爬虫類問題を出題してくる。鬼気迫る真剣さで。お蔭で私は卵生にとっても詳しくなった。何故だ。
はっきり言って、残念な美人である。最近は時代を遡って氷河期と恐竜絶滅問題まで言及し始めた……。
「…………」
クロすけが遠慮がちに頭を寄せてきたので、鱗の流れに沿って撫でる。ごめんよ。いつも毒吐きに付き合わせてごめんよー。
私は日々クロすけに慰められて、同僚の指導を頑張っております。
「それに最近、親会社の役員さんがいきなり抜き打ち視察とか言って頻繁に来るんだよ。……うちの上層部、汚職とか粉飾とかしてるのかな。せっかく大きな企業のグループ傘下に入って、福利厚生ばっちり! なんて思ってたのに。もしかして、転職するなら今のうち? やだなー」
私も視察の度に話しかけられる。何か疑われてるのかな。役員の雨谷さんの眼鏡越しの鋭い眼光。軽く恐怖である。あの人、毎回めっちゃ至近距離でガン見するんだよ。蛇に睨まれた蛙の気分が味わえるよ。何も悪くないのに自白しそうになります。
早目にサイト登録だけでもしておくべきか。いや、それともいい機会だし地元に戻って就職しようか?
片頬を相変わらずクロすけに乗せながら、何となく転職サイトを検索してみる。いつもゆっくり動くクロすけが、素早く前進し、私のスマホはそのお腹にむにっと乗っかられてしまった。クロすけをどかして画面を覗きこむと、また上にお腹が乗る。何度か攻防を繰り返し、私は諦めてスマホを手放した。頬がちょっとだけ鱗に擦れて痛いんですが。
「やっぱり早く転職しておけば良かった……のか?」
私は目の前で繰り広げられる惨状を見ながら、本音を隠す努力を放棄した。
遡ること数時間前。
終業後会社の社員出入口を出てすぐ。二時間ドラマのような展開が待っていた。
黒塗りのバンに! 誘拐されました!!
目隠しをされ、どこだかわからない倉庫街に運ばれ、なんだか怖そうな男の人たちに囲まれた。何故かうちの親会社の社長に身代金要求する人質にされたらしい。私は必死に訴えた。人質を取った身代金要求の成功率の低さを説き、大人なので解放してくれれば口を噤むのもやぶさかではないことをやんわりと伝え(実際は解放されたら警察に駆け込む算段でしたが。当たり前です)。
そもそも私と社長に接点なさ過ぎて泣けてくる。もっと重要な社員を人質に取れとはもちろん言わないけれど、グループ会社のさらに子会社的な位置の一社員を誘拐してどうする。
「え? その人本当にうちの社員?」とか言われて、社員データの照会から始まるじゃないか。初動捜査が遅くなりすぎるっ。わかれよ、誘拐犯! チョイスミスだよ。
そう思って泣きそうになっていた瞬間がありました。
でも現実はもっとすげえ。
失礼、言葉が乱れました。事実は小説より奇なりとはよく言ったもので。
突然倉庫の高窓が割れたかと思うと、窓から飛び込む黒い物体。回転しながらすごい速度で落下してくるそれを見て、私は昔DVDで観たガメラを思い出した。
てか、ガメラっていうより、トカゲ。
もっと正確に言うとイグアナ。
その特徴的な尻尾の棘と真っ黒な全身の鱗。ツナギトゲオイグアナ。
「クロすけっ!!??」
声が裏返った。しゃーない。自分が毎晩愛でているイグアナが颯爽と? 助けに来たら叫ぶよね。いや、投げ込まれたのか? 投石代わりですか。
事実は解らないけど、とりあえずクロすけは強かった。人対イグアナ、イグアナ優勢。ディズカバリーチャンネルのイグアナ特集がちょっとだけ頭をよぎった。野生ってすごい。たぶん。
その後倉庫のドアが外側から壊され、社長の私設ボディーガードという世界が違いすぎる人たちが駆けつけ、私は救出された。誘拐されてから一時間以内の、素早い解決でした。ドラマみたいだった。
八面六臂の活躍だったクロすけを小脇に抱えて、ふらふらと帰り着いた部屋で。思わずクロすけにありがとうのぎゅーっをしようとした筈なのに。
何故か人間の両腕に抱きしめられた。
あの眼光鋭い雨谷さんでした。しかも全裸。
クロすけよ、何処。
そして今。
何故か全裸の雨谷さんが私の前で正座をしている。
不本意ですが前を隠して頂くために、クッションを一つ貸し出しました。クロすけお気に入りのクッションを……。
「祖名雪 澪さん。君に話さなければならないことがあります」
「……はあ」
全裸でクッションなのに神妙な顔をしている雨谷黒騎さんに、微妙な相槌を返す。もう転職する気全開なので、おざなりは致し方ない。
今更ですが、祖名雪澪が私のフルネームです。私の個性は苗字が珍しいこと。それ以外は没個性です。ええ。ちょっとイグアナには詳しい(強制的)くらいで。
雨谷さんの濡れ羽色の黒髪は少し乱れて、涼しげな柳眉にかかってしまっている。頬と身体には大小の擦り傷がいくつか。ああそういえば、いつもはシルバーフレームの眼鏡装備ですが、眼鏡がないと結構黒目がちなおめめなんですね。そう、ちょっとイグアナっぽい……。
現実を直視したくない。
「実は私が――」
「ちょっと待ちなさあああいっ!」
雨谷さんの言葉は、良く通る女性の声に阻まれた。それと共に、私のワンルームのベランダ窓ガラスが外から開けられる。
鍵閉めてなかったかな? いやそもそも、いつからベランダにお潜みになられていたんですかね、立花さん?
「智香さん、どういうつもりですか」
何故か私より先に怒る雨谷さん。部屋の使用者の口を挟むターンは残しておいてくださいませんか。あといつの間に私の両手押さえてるの。離して。逃げたい。そもそも前を隠せ。その手は何があっても浮かしちゃいかんだろ。あのお盆芸人さんを見習いなさい。
「黒騎さんこそ、どういうつもりですか? 一族のしきたりを忘れたとは言わせませんよ」
「私と澪さんの関係は、そんなものは既に超越しているんです」
いや、してないです。何のことか知らんけど。
「毎夜こうして逢瀬を重ねているのだから」
うっとりした顔で見つめられても、私の毎晩の癒しタイムの相手はクロすけです。決して、目の前の成人男性(裸)ではありません。
くっそ。引き抜きたいのに絶妙な力加減で両手が抜けない。
「ヒト属から伴侶を娶る時には、同族の許可が必要なのはご存じでしょ? 貴方の卵の時からの許嫁である私が許可しなければ、黒騎さんは彼女に求愛してはいけない決まりです」
私に指を突きつけ、立花さんがドヤ顔を決める。いや、待って待って。聞き捨てならない。許嫁とかはどうでもいいです。
……『卵の時』って何?
「君とはただの卵馴染みでしょう。つまらないプライドなんて捨てて、従弟の彼と幸せになりなさい」
そんな! 彼は私に釣り合う身分じゃっ……。などと形だけ抵抗する立花さんと、それをやれやれって感じで説得する雨谷さん。なんか、これ知ってる。身分違いでツンデレなお嬢様の方は気が無いふりをして、別の男性をあて馬にするやつ。知ってる。
そんなことを思いながら、これ全部夢オチで解決しないかな~って目をつぶったのに、再度目を開けても、私の部屋には立花さんと全裸の雨谷さん。
花粉症じゃないのに何故だろう、目が霞んできた。
助けて……。
「と、とにかく! 祖名雪さんの身を案ずるなら、きちんと手順を踏みませんと。その為に私は子会社で彼女の特訓にあたっていたんですよ。お二人が真っ当に認められる為に! それなのに黒騎さん、貴方と言う人は! 勝手に視察にくるわ、誘拐現場に乗り込むわっ」
あ、立花さんのコイバナはまとまったんですね。そして、私は身を案じられなければならない状況にいつの間に陥ったのでしょうか。
「……そもそもここで言う真っ当、とは?」
全てにおいてこの状況が真っ当じゃないと思います。茫然と呟いた私に雨谷さんが語り始めた。
「私達はジュラ紀から続く、もうひとつのヒト型へと進化を遂げた種族。いつもは本来の姿形を偽って人として生きているんです。けれど本性は――」
「ツナギトゲオイグアナですか?」
「いや、それも派生形の形状の一つなんだが。まあ、祖先が哺乳類か『爬虫類』かの些細な違いです、うん」
「そこ、些細じゃねえよ」
おっと、失礼しました。また言葉が乱れました。しかも口から出ちゃった。
「ずっと澪さんに打ち明けたかったんです。貴女が『一生私とこうしていたい』と言ってくれた時、どれだけ話しかけて、プロポーズをしてしまいたかったか」
「いえ、突然クロすけが雨谷さんになったら警察呼びましたけど」
今だって呼びたい。
それを分かってるから、私の両手ホールドなんでしょ? 何だかんだで付き合い十三年ですもんね。無駄に長いな……。
「けれど、私の一族には守らなければならない掟があって、中々決断が出来なかった」
「……掟」
スルーされたし、まあ聞くしかないよね。
「雨谷さんと結婚したい一族の雌、全てとの決闘です」
答えたのは立花さん。
「雌」
復唱すると沈痛な面持ちでこくりと頷かれた。雌ってことは、ヒト型じゃなくてトカゲ型ですね。だから弱点とかの知識を与えようと問題を? 遠回りが過ぎるんじゃないかな!
私の両手を握りっぱなしの雨谷さんの手にも力がこもる。
「因みに、勝てないとどうなるの?」
二人揃って目を逸らした!
そもそも体長百センチ越えのイグアナとの決闘なんてやりませんけどっ。
つまりこの全裸雨谷さんは、間違いなくクロすけのヒト型で。
道端で何故か死にかけていた幼少の雨谷さんは、助けた私に刷り込み的に恋をした、と。
立花さんのおかしな言動とか問題集とかは、ヒト型とトカゲ型を有する彼ら一族の仲間になれるかどうかを確かめる試練だったそうで。
誘拐されたのも、雨谷さんが一族内で私を未来の伴侶と公言していたから、らしい。そうだった、この人役員で社長令息だった。つまりグループ企業の要職はみんなトカゲ……?
あれか。小学生の時のあのクロすけを拾ったのが全ての元凶か。
ねえ。卵って、なに? 卵生? この西暦二千年代に、彼らはまだ卵生なの?
そもそもクロすけはともかく、雨谷さんって私にとってはほぼ初対面じゃない?
「全力でお断りしますっ!」
力強く叫んだ私は悪くないと思う。
その後、承諾してないのに次々と現れる雨谷さんの嫁候補(トカゲ&イグアナ)。立花さんの知恵と手を借りて成り行きで彼女達を打ち倒したり。
立花さんとの間に友情が生まれて、結婚式で友人代表スピーチを任されたり。
他の雄(トカゲ&イグアナ)に見染められて求婚されて、病んだ雨谷さんに軟禁されそうになったり。
その間に何度転職しても、どこも買収されたり最初からだったりでみんなトカゲがトップな企業で途中で転職を諦めたり。
まあ人生は色々ありますが、今のところ何とか卵は産んでいません。
私は元気です!
おしまい
お付き合いありがとうございました!
ちなみに雨谷さんが数年いなかったのは、両親にこりゃあかんと留学させられたからです。そして効果なかったので諦められてます。
頑張れ澪ちゃん!