仮寝床02
「『病院』は街の医療全般を担う、企と野第二位の組織だ。ところが三年前、何を思ったか宗教に手を出してきた」
「……『神社』の領分を侵した?」
「そう。因みに、神社は最早宗教組織ではない。適当な一般人に訊いたら分かるよ、平気で無宗教って言うから」
男の表情が少し、鋭さを増す。
「病院が領分を侵した。更に言えば、第一位になろうとしている」
「三年間、止めなかったのか?」
「止められなかった」
「神社でも?」
「神社でも」
きっぱりと認める。如何にもな『第一位』の矜持を滲ませて。
「神社の尽力空しく病院は増長、世間一般でも神社と病院がやんわり対立していることが分かるまでになってしまった」
「やんわり?」
「病院は神社を潰す気だが神社はそうでもない。病院には第二位で頑張って貰わなきゃ困る。それに表向きには、世界は相変わらず平穏ですってことにしておきたいからね」
「平穏な訳ないだろ、この世界。で、誰を殺すんだ?」
「病院の教祖。咽貫うずず」男は懐から写真を取り出した。「この子を殺せば病院は鎮静する」
「この子? ──……」
高級そうな子供向けのワンピースを着た、幼い女の子。
「……幾つ?」
「七歳。今年で八歳になるけど、誕生日は半年後くらいだったかな」
全体的に、正気じゃない話だ。幾らこんな世界とはいえ。
「教祖が子供、なのは分かるけれど」写真をつまんで目の前に持ってくる。「御飾りとかだろ。後ろに居る大人はいいのか?」普通の、強いて言えば可愛らしい子供にしか見えない。写真と実物を見るのではまた違うが……。写真を返す。
「罪のない子供を殺すのは気が引けるかな、蝙蝠」写真を懐にしまいながら、男がおどけた声を出す。
「いや……あー、どうだろ。良い気はしないんじゃないかな」
軽く驚かれた。子供も楽しく殺す人間と思われていたらしい。そんなことしてない……多分。
「勿論父親なんかは娘を利用してなり上がったりしてるみたいだけどね。この子は本当に、病院の支配者だ。咽貫うずずを祭り上げた結果病院が増長したんじゃなく、咽貫うずずが病院を増長させ、神社を潰そうとしている」
「七歳児が……いや」病院が宗教に手を出したのが三年前。「四歳児がどうやって?」
「下っ端だからそこまでは知らないし分からない」
「…………」
よく断言したな。
「少なくとも、神社はそう判断している。流石に三年前、出てきてすぐにって訳じゃないけど。大体で三年間」両手の指を三本ずつ立てて、ひらひらと振り出した。それだと六年になる。「三年間、神社は女の子ひとりを殺すのに失敗し続けている」
「……人外?」写真ではそうは見えなかったが、上手く偽装していたら……いや、人外なら写真でも分かる、か?
「さぁ。人間離れしているのは確かだけど。その辺は企と野の人間より詳しいだろうけど、何か心当たりはない?」
「いや、これだけじゃ、何とも……」特にはぐらかす必要もないので素直に答える。「写真で分かる範囲では人間だったけれど」
うーん。
「まあ一旦置いとくか。この子……えーと、咽貫うずず? を殺す……手伝いか。手伝いってことは殺してこいって訳じゃないんだろ? 何をすればいい」
「暫くは待機だ。そう遠くない内に、病院の或る施設を襲撃する」
襲撃。襲撃かぁ。
「随分思い切ったな」
「それだけ逼迫していると捉えてくれていい。具体的な日時は決まっていないが、直近になるまでは伝えないだろう。病院に勘付かれない為のリスク対策だ」
「或る施設ってことは、具合的にどの施設かも決まってない?」
「ああ。まあ、彼女の行動範囲に依るからまだ特定しきれないというのもある。恐らく君には、怪しくない程度に病院の支配域は避けて生活して貰うことになる。どうせ治療は此処でやるから不都合はない筈だ」
「下見するなってことか」
「その通り。下見している、と思われるのもまずい。従ってくれるかい?」
「立場上、余程無茶なことでもなかったらその心算で居る」
「それは有難い」男の微笑が深くなる。
「じゃあ得物の調達もしない方が良いな。丸腰で挑めって言われても一応は動けるけれど、そっちで用意は?」
「武器も術具も、多少は融通が利く。どうしても外には劣るだろうが、病院よりはマシだ」
じゃあ、と言い掛けたところを男が手を振って制止する。
「今はまだ。また別の者が色々やってくれるから、その時に」
頷く。ギリギリで入手出来ませんでした、が怖いがそこは神社を信じるしかない。企と野の最高組織。
まとめ。
「そう遠くない内に行われる咽貫うずず殺害を目的とした襲撃に参加して、目的達成に貢献しろ。……直接殺すのは神社直属の人間にやらせた方がいいんだろ」
「そこは拘ってないな。最終的に死んでくれたらそれでいい」
「逼迫してる、か」
「あと、これは下っ端の予想だけど、貢献具合もそんなに気にしなくてもいいんじゃないかな。成功すれば」
「失敗したら?」
「さあ?」表情はそのまま、首を深い角度に傾けた。本当に分からないんじゃないかと疑う仕草だ。……これ、僕が上手くやっても残念でしたで処理される可能性があるな。逃亡経路を見繕う余裕があればいいんだけれど。
「ま、そんな感じだから。不明点はそういうものとして諦めて」
「了解」
ぽん、と手を叩く音がそう大きくない割に響く。
「じゃあ説明はこの辺で、宿に案内しよう。それなりに良いホテルを用意したつもりだ、くつろげると思うよ」
「へぇ……企と野は選民意識が強いって聞いていたんだけれど」
「え、何で? いやまあそれなりにあるけど」
「余所者の待遇が良いから」
「成功して貰わなきゃ困るってのと、単純に金に余裕があるからかな。水晶、そんなにひどいの?」
喉から変な声が漏れた。深刻。
「呪術師かどうかで露骨に変わる。乗り換えるのは御勧めしない」
「予定はないけどどうも。……ん? じゃあ何で企と野にちょっかいかけてるんだ?」
「さあ。僕は知らない」
「そう言わずに。ほら、君はもう水晶じゃない……ああ、ごめんごめん」
分かっててやってんじゃないかなコイツ。癖で動きかけた左手を誤魔化したくて、適当に肩を揉む。
男がゆっくりと歩き出す。医者は結局、戻って来なかった。
「着替えたら下りてきてくれるかな。医者が言うには、階段の昇降くらいはいけるらしい。平気だろう?」
「ああ」先程、軽いノリで凄んだ都合上、無理とは言えない。男は扉に凭れ掛かっている。
「ホテルの前で解散だ。もう手続きは住んでいるから、普通にチェックイン……フロントで名乗るだけでいい。何か質問は?」
「そのホテルに連絡は出来る?」
「何か要望かな?」
「チェックインの時、蝙蝠で通じるようにしといて」




