偽聖歌02
朝から夕方まで、身体を(そして呪術を)鈍らせないことだけを考えた行動計画に添って動いた。『神社』の育成計画に僕がちょっと手を加えたもので、まあ効率はそれなりに良い。何を育成する計画かは教えて貰えなかったが。最後の休息だけは満足に取れなかった──二時間眠るところを、魘されて起きる、を三回に変更──ので担当者はいい顔しなかったが、水晶基準だと過剰な休息を取っているので、問題はない。
夕方の終わりかけに、ホテルから出た。神社と大して関係のない車に乗り込んで、途中で降りて歩く。空はまだ紫よりも朱く、雲が少ない。建物から溢れる光が、段々と増える。目的の建物を見つけ、階段を上る。そう新しくも古くもない、灰色の建物。意外と足音は響かなかった。
ちょっと趣向を変えてみよう、と思った訳だ。
「いらっしゃいませ……あら」
カウンターの向こうに立つ女性が、楽しそうに微笑んだ。
「良く来たわね、蝙蝠……で止めておいた方がいいかしら?」
「良く御存知で」
カウンター席に座る。狭い店で、他に客は居ない。
店主が差し出す御絞りを受け取る。
「飲みに来たの? それとも情報を?」
「貴方に会いに来たんですよ、静火日成さん」
「あら、お上手」
まあ、アルコールが欲しくない訳でもないので。
「チーズの盛り合わせと火酒を氷割りで」
かしこまりました、と静火日成が動き出す。……呪術の素養はないようだし、それ以外の何かも見つからない。戦闘能力を有さない、というのは本当らしい。それで情報屋なんて稼業をやるってことは、余程、難がある人生か在り方なんだろう。
「世歌季ちゃんとは、上手く話せた?」
するり、とした声だったので反応が遅れる。
「どうだろう。あれくらいのお嬢さんと話す機会なんてあんまりないから」
これはまあ、本当。
……井伊野早月と会ったことは、知られているだろうか。
「お願いは聞いてあげた?」
「……折角の御指名だけれど」酒を舐めるように飲む。「神社の首輪付きだからね。可哀相だけれど大したことは出来そうにないな」
「もの探しは得意でしょう?」
「それなりには」
余裕を湛えた視線を無視する。青黴のチーズが美味い。後で追加しよう。
「何で僕を、とは訊かないの?」
「生憎、情報料が払えない身分でね」
「お酒代だけで話せる分は話すけど」
「『学校』かな」
「学校が?」
流石に分かり易くはない反応だ。
「学校には知られたくないから、かな。井伊野早月のこと」
「……そうねぇ」
バーテンダーらしく何かしらの作業をしながら、彼女は溜息を吐いた。程々には当たり、らしい。
そしてそれを隠す必要はない。
「病院の成果が、漏れるのはまずいのよ……『他人化』は知ってる?」
「外でもやっている」
知らなかった、と態とらしく目を見開いて……どうなんだろう? あの医者も知らなかったみたいだし、本当に知らなかったのかもしれない。まあ、何方でもいいのだろう。企と野より進んでいなければ。
「自己を減耗させずに多様性を獲得する外科手術。病院が確立した技術……というより、他人化に成功したから病院が出来た、という流れなんだけれど、まあこれは古い歴史ね」
「その他人化が?」
「他人化が何処まで出来るのか、のひとつの答えが井伊野早月の現在である。これは、外に知られてはいけない」
「……貴女にとって?」
「病院にとって。で、まあ御得意さんだから。何か食べない? 夜ご飯食べてないでしょ?」
「青黴のチーズを追加で」
学校の流れ者には教えない、外に知られてはいけない。神社には、知られても問題ない。
「……水晶には知られても?」
「戻れるの?」
「さあ?」
供されたチーズを齧り、火酒を喉に流し込む。次は何を飲もう、と緩く考える。そこそこ幸福な感覚だ。
「お強いのね」
「久々だから飲みたくて。別の火酒はないかな」
「じゃあもう少し甘いのを」
飲み終わったグラスを下げ、大して待つことなく次の一杯が差し出される。
「……蝙蝠には伝わってもいい、みたいよ。病院にとって」
「隠しごとを暴くのは得意な方だ」
冗談めかして言う。彼女にとっても、病院の認識は異常らしい。
「病院は随分と貴方を重要人物扱いしているのだけど、心当たりはある?」
「さっぱり」
嘘を吐こう、と口に出して、嘘でもないな、と思い直した。結局、僕は何も掴んでいない。咽貫うずずと会った理由も。
「……そうだ。ひとつ訊いていいかな」
「どうぞ。食べ物はともかく、結構飲んで貰ってるから」
因みに、僕以外の客は誰も来ない。大丈夫なのか。
「貴女の信教は?」
クスリ、と彼女は自然と不自然の中間で笑った。
「強いて言えば神社ね。それか無宗教。病院ではないわ」
「……神社の連中と話している時から思ってたんだけれど、神社の宗教、病院の宗教って言い方なんだな」生ハムとチーズを口に。酒をもう一杯頼むかで少しだけ悩む。
「え? ああ。ナントカ教とか言うんだっけ、外は。なんだっけ、銀祓教? どんなのかまでは知らないけど」
「有名どころだ」『どんなのか』を説明する気はないので、神社の話をする。「神社には巫女がいるって聞いたけれど、男は居ないのかな」
「女の子ばっかが良い?」
「あはは」
どうも教えてくれそうにない。空いたグラスに目配せする。
「もう一杯飲む?」
緩やかに首を振る。酩酊を少しだけ味わえたので、まあ、収穫。




