遊視察06
朝、鍛錬室で軽く身体を動かしてそのまま診療所に。経過は順調、近々全快し何なら持久力は少し上がるだろう、とのこと。全快するのが先か、咽貫うずずの襲撃が先かは、彼にも僕にも分からない。
診療所近くの喫茶店で昼食を摂り、例の遊園地へ。まだ情報を探る余地がある。堕ちた竜はいつ企と野に顕現するのか、企と野の何処に何回来るのか。ある程度は分かったし元々知っていたが、もう少し。もしかしたらあるかもしれない、堕ちていない正常な竜の情報も。
入口からすぐのロッカーに、朝の着替えを預ける。
ロッカーの中に生首が入っている。
「────」
腐臭も死臭もしなければ人間の匂いもしない、生首。それは光の亡い眼球を有している。その顔には見覚えがある。昨日見た写真、行方不明の少女。口は楽しそうに開いていて、口内は乾き切っているが歯は健やかに並んでいる。細い首は短い。途中で断ち切られているから。首の断面は接地していて見えないが、血の気は全くない。……顔だけ見ると、森久世歌季とそう似ていない。或いは生者と幻覚との明確な違いか。
人目がないのを確認して、ロッカーの扉を閉じる。三秒数えてからまた開く。……うーん、まだある。
幻術としては変な式の組み方をしている。雛形が確立している術式なのに癖が強い……企と野流? 僕を狙い撃ちにした幻術らしい。発生源は隠されているが隠し方もまた癖が強い。幻術よりは下手。軽く辿っただけで、大体の術者の居場所が分かる。──近い。
……えっと? つまり誘われている?
大通りを外れて、小規模な住宅街の奥へ。三階建ての集合住宅に辿り着いた──僕が来ていいんだっけ、此処。『病院』の領域的に。
階段に足を掛ける。焦らすようにゆっくり。踊り場に、癖の強い幻術。解かなくてもいいのに手癖で解呪した。
「こんにちは、蝙蝠」
井伊野早月が予定調和みたいに微笑む。
「初めまして、早月ちゃん」
「そんな他人行儀にしないでよぅ」
笑いながら態とらしく唇を尖らせている。……うん。
「やっぱり似ている」
「でしょ」
井伊野早月は嬉しそうに頷いた。こっちには自覚があるのか。
「この街で三番目にうずず様に近いんだから」
「……へェ。君で三番目、か」
……このガキ。随分と簡単に掻き乱すことを言ってくれる──!
「一番目と二番目が気になるな、そんなこと言われたら」
「えー? 目の前に三番目が居るのにー」
「ごめんごめん」
確かに、写真を見た時も思いはした。似ているのは分かる。
問題は、井伊野早月ひとりを実際に見ただけでは、何故似ているのかまでは分からない。
「中々な幻術だったけれど、何の用かな?」
「私に会いたがってるんじゃないかなぁって」
「会いたかったよ」
まさか会えるとは思わなかった。
……どうしようか。見事に思いつかない。
「君の友人が心配しているよ」
「知ってる。世歌季でしょ?」
楽しそうな声。楽しんでいるのは僕との会話であって、森久世歌季はどうでも良さそうに、言う。
「随分しつこいの。普通もう諦めるよね」
「彼女も僕も、てっきり君は拉致されて人体実験されて、囚われの身だと思っていたんだけれど」
「そんな訳ないじゃない」
分かる訳ねェだろ。
「もちろん、何もかも自由ってことはないけど、そんなの未成年じゃ当然でしょ?」
「……そうだね」
ゆっくり、慎重に頷く。時間稼ぎの一環みたいなものだ。大したことは、出来ない。
「病院だからね、てっきり人体実験のひとつやふたつはしているだろう、と思っていたんだけど。意外とそうでもないのかな?」それとも君が特別だから?
「あ。それは合ってる」あっさりと少女は頷いた。「ひとつやふたつ、じゃないね。おかげで、うずず様に近づいたってのもあるかんじ」
「……気になるな」
「実験結果が? 『神社』のために、それとも『水晶協会』のために?」
勿論、水晶の為だ。ゆっくりと、井伊野早月に歩み寄る。主導権を握る振りくらいはしたい。
「そうだね……うずず様、に何が近いのかとか、何故彼女に近い存在が必要なのか、とか」
「そんなの、見たら分かるでしょ? ……えっ?」
────。
思考が凍ったことを自覚する。
取り繕うにはもう遅い。井伊野早月は困惑しながら怯えている。分かり易い反応だ。
「……蝙蝠?」
少女は首を傾げる。口を滑らせた、とも思っていない、余りに無防備な仕草。
「えっと……どうしたの? 何か蝙蝠、ノリが変わったような?」
ノリって。
「いや、何でもないよ」追求したくはあるんだけれど、墓穴を掘りそうでもある。「会ってみたいな、『うずず様』」
「会って、見てみたい?」
「……そうだね」
平静を装う。別に装っていることはもうバレてもいいので、楽。
「うずず様には近々ね。それまでのお楽しみってことで」
「近々、ね。神社の伝手で合わせてくれるのかな」
「それより前だよ。偽聖歌祭があるでしょ? 会うってより見るだけだけど、蝙蝠ならそれでいいでしょ」
「……病院は随分、僕のことを知っているみたいだ。神社以上だ」
ついでに、襲撃もバレてるな、コレ。
「当たり前じゃない!」井伊野早月は誇らし気に言う。「だって、うずず様が居るんだから」自慢気でもあった。
実質的な支配者。
これが居るから、病院は増長した。
人間かどうかは、分からない。
「成程」舌先で返事を転がす。
「……うーん」
如何にも納得していない、という声を出しながら少女は、僕を下から覗き込むように接近した。
「というか蝙蝠。うずず様と一回会ってる筈だけど、覚えてない?」
「残念ながら」驚けなかった。慣れてしまったのかもしれない。「いつ会ったのかな。見たんじゃなく」
「覚えてないならなーいしょ。思い出すか本人に訊いて」
「残念」小さく笑ってやる。「それは再会が楽しみだなぁ」
「うんうん、お楽しみに。あっ! でも、私と会ってもなあなあで済ますとか止めてね。そりゃうずず様の方がいいけど、私だって当たりの方だから」
「勿論。それは安心していいよ」
森久世歌季を思い出しながら、離れていく痩躯を見送る。この辺りは似ていない。
「じゃ、今日はここまで! 病院で治療出来なかったからちょっと心配だったけど、大丈夫そうだね。じゃあまたね、蝙蝠」
「じゃあね、早月ちゃん」
……さァて。
どうしろって言うんだ。