仮寝床01
寝心地から察するに、質素なベッドだ。男がふたり居る。ひとりは安っぽい回転椅子に座っていて、もうひとりはその傍らに立っている。椅子に座っている方はいかにも医者らしい。但しヤブ寄りの。
「身体は起こせるかね」
医者が声をかけてきた。存外、声が高い。思ったよりはスムーズに上体を起こせた。「よろしい」と医者が満足気に頷く。
「君は此処に死にかけで運び込まれた訳だが。幾つかの幸運もあって、無事に手術は完了した。特に後遺症も残りそうもない」台詞の割に、自分の手柄を誇る表情をしている。「とはいえ死にかけただけはある。暫く無理は出来ない。我慢するように」
「……はぁ」
溜息を吐くよりは気合を入れて返事をする。患者の反応はどうでもいいのか、特に気を悪くした風でもなく医者は続ける。
「外側より中身の方がやられてたな。特に左肺と心臓は酷かったから完全に取り換えさせて貰った。それから肝臓と小腸は幾らかマシだったから残しつつ」「いや、いい。もういい」聞いてて疲れる(既に疲れた)ので遮る。「臓器が色々悪かったのも企と野の医療が外より進んでいることも知ってる。具体的な手術の内容は聞いたって分からない。無事だったところ……手術しなくて済んだ部分だけ教えてくれ」
「ふん。医者には説明義務というものがあるのだがね」これには分かり易く不機嫌そうにしている。「それに無事という言い方も頂けない。自身の肉体がまるで最上のものかのように。もしかして、外の医学ではまだそうなのか? 他人化の方法も、まだ……」
「まあまあ、先生」うるせェな、と思ったところで医者の傍らに立っていた男が口を開いた。「彼はちゃんとした患者じゃありませんから、説明義務もおざなりでいいでしょう。先生もどうせ話すなら話の分かる人のがいいでしょうし」
医者の声質と話し方が大概だったからか、内容の割に穏やかな気分になる声だ。もしかしたら余所者に余計なことを言い掛けたのを窘めたのかもしれない。他人化くらいはうちでもやっているが。
「……そうですな」医者は落ち着いた(やや落ち込んだ)様子でそう返事した。矢張り窘められたのかもしれない。何でもいいから質問には答えろ、と睨んでいると医者が思い出したように口を開く。
「手術しなかった部位は胃、大腸、尿管に精巣だ。……嗚呼。それと、首から上は何もしていない。左頬の切り傷を消毒したくらいだ。他に質問は?」
「ない」知りたいことは聞けた。内心で胸を撫で下ろしているのを悟られないように努める。
「よろしい」何らかの満足をしたらしい。ひとつ頷いてから、傍らの男を見上げ、言う。「これからのことは彼が説明してくれる。治療費のことも含めて」
うわ。と声が漏れた。いや、何もタダとは思ってないけれど、どう考えても碌な話じゃない。
男の方を向く。……どうでもいいけれど、なんでこの男は立ったままなんだろう。
「さて、君はどれくらい現状を把握してるかな。自分の名前は言えるかい?」
「蝙蝠」
「フルネームは」
「蝙蝠玖時真」内心で舌打ちしつつ答える。
男が医者に何か指示をし──口調から何から丁寧だったが、どちらの立場が上か、よく分かる──医者が退室する。狭い部屋だ。
男は立ったまま、会話(或いは尋問)を再開する。
「此処が何処だか分かるかい?」
「企と野。……『病院』?」随分雑な質問だ、と思いつつ恐らく求められているだろう答えを返す。
「随分詳しい。流石蝙蝠」男は楽しそうに微笑んだ。「でも外れだ。此処は『病院』ではない。病院は流れ者に手を出さない」
街の中には入れたらしい。
「流れ者って、企と野の外で生まれ育って企と野に住んでる奴のことだろ。僕は別に住んでいない」
「少なくとも観光客じゃない。それに、これから住むことは決まってるんだから」
「……そっちが決めるのは勝手だけど、こっちが嫌がったら?」病院じゃなく、医療行為が可能で、流れ者の処遇を決める、となると。「ヤブかと思ったけど結構いい腕じゃないか、あの医者。動き回ろうと思えばそれなりに動きそうだ」『神社』か『警察』……順当に行ってたら警察かな?
「機嫌が悪くなるのも分かるが、止めておいた方がいい」
余裕のある声。まあ僕、そんなに演技達者じゃないし。その気がないことくらいは簡単に分かるだろう。
「ここから逃げて、企と野からも出て。その後何処に行くんだい? 元『水晶協会』所属の、蝙蝠玖時真」
「…………」
「──今、その気になったね? 成程、これは怖い。さて、そこも含めて何処まで把握しているかな。逃げてきたって聞いたから自覚はあるかなと思ったけど」
「その気になってんのが分かってる割によく喋るな」ということは、さっきはその気がなかったことに気付いてなかったらしい。
一度、息を吐く。
「原因は知らない。あれは神社じゃなくて警察かな。じゃれ合いが思ったより上手くいかなかったらしい。交換条件が何かは知らないけど、僕を売って丸く収めようとした。……収まった?」
「表向きは」あっさりした答えだった。医者はまだ帰ってこない。「裏でどうなってるかまでは、まだ分からないな」
「神社か、アンタ」
「下っ端だけどね。君の身柄は神社が権力的合法的に預かった。警察が君に関与することはない。安心していい」
勿論、君が犯罪者になった時は別だけど、と冗談めかした声。特に笑えない。
「納得出来ないって襲ってくる可能性は?」
「有り得ない、とは言わないけれど」男はにんまりと笑った。「警察は神社に噛みつかない。君に恨みがある奴が勝手に手を出してくることはあるかもしれないが、神社が何かする前に警察が止めるんじゃないかな。それこそ死に物狂いで」
「……ふぅん」
こっちが把握していたよりも、神社の権力は強大らしい。当事者側の申告だから断言は出来ないが。
「あ、それから。水晶協会にも伝えておいたよ」
血の気が引いた、気がする。
「向こうは何て言った?」
「分かりました、って。……嗚呼、こっちは組織ぐるみで神社に逆らわなくもないのか。どう? 暗殺とかされそう?」
「暗殺というか、堂々と殺しに来るんじゃねェの。……一応、企と野に入るのも企と野で好き勝手するのも難しいとは認識してるよ、水晶は」
「因みに、神社の認識は?」
「因みにじゃないだろ、それ」
如何にも気にしてます、という風に言ってきた。多分この男は演技下手だ。
「……街の宗教組織で、最大勢力。だから水晶は神社を避けて警察を相手にしていた」
「成程」男は満足気に頷いた。「企と野についての誤解は多少あるようだけど、訂正は追々。多分他の人が説明するかな?」
「……ああ」
漸く本題か。一度首を回す。……うん、本調子からは程遠い。
「死にかけた身体の治療と、取り敢えずの安全か。で、代金は?」
「人殺しを手伝ってくれ」