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祈る娘  作者: オーガ
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第94話



 この頃この階段は良く使われるので、踏板は滑らかになり艶々としている。

 父を案内しながら下を向いて階段を上がっていると、そんなどうでもいい事が頭に浮かんだ。

 オテロがブリニャク侯爵に伝令を出し、早々に侯爵が救護所にやって来たのだ。

 前にはオテロがいて、三階まで上がるのにも息も切れず足も軽々と動かしている。


「お前の方から私に連絡が来るのは、初めてではないかな? 収容されている病人の事で、相談があるそうだが、よっぽどの事なんだな?」


 現在侯爵は軍と一緒に、謀反を起こし宰相の屋敷から逃げた貴族達の残党狩りをしている。王都が閉鎖されているので、王都から逃げるのは難しく一人二人と捕縛されているようだった。


「貴族の方は反撃してこないのですか?」


 捕まれば過酷な状況になると知っているから、死にもの狂いなのではないかと思ったのだ。

「いや貴族でも皆、武闘派ではないから私が出張るとほとんど抵抗は無い」


 三階に上がると、侯爵はリリアスに案内されて小部屋に通された。

 その向かいはカンタンが閉じ込められていて、完全に病が治ったら侯爵家に連れて行かれる事になっている。まだ起き上がる体力がついていないので、日々オテロが食事を運んでいるが、リリアスにはそれが不思議であった。


 小部屋にはベッドが一つに、横に椅子が置かれていた。

 三人が入るとそれだけで手狭になり、特に侯爵は体が大きいので、普段通りに動く事が難しいようだ。

 侯爵は横たわっている病人に気遣い、静かに話した。


「この怪我人は誰なのだ?」

 

 暑い部屋の中では、侯爵が嗅ぎ慣れた血や傷の匂いがして変な感じだった。

 リリアスが侯爵の手を取り、静かにベッドに連れて行った。

 侯爵が腰を折って見た怪我人は、頭と顔半分を包帯で覆った顔色の悪い男だった。


「この間の暴動で怪我をした……」

 

 侯爵はその男が誰なのか分かったのか、折った体を尚近づけその顔をじっと見た。

 分からないはずが無い、長年付き合ってきた友の顔であった。


「お、お、お……っ!」


 絞り出す侯爵のうめき声のような声は、リリアスの胸を打った。色々な感情が籠った声で、侯爵の気持ちを思えば、リリアスでさえ胸が締め付けられそうだった。

 オテロは後ろで泣いているようだった。

 赤鬼と呼ばれ、負けた事のない強さの象徴とされている主人の声が、普通の人の様に悲しみと喜びとが混ざった複雑な物で、胸に迫る物があった。

 

 それが宰相との強い友情を感じさせ、オテロは泣かずにはいられなかった。突然に友人が自国を裏切り王に反旗をひるがえす事が、どれほど親しい人を傷つけたのか今更ながらに気づかされたのだ。


 リリアスは、衝撃で動けない侯爵の体を誘導し椅子に座らせた。

「昨日お目覚めになられて……目を離した隙に投降されようとしたのです。私とオテロだけでは、もうどうして良いか分からなくなって、侯爵様にお願いしたいのです」


 侯爵は茶色に染められた宰相の頭に手をやり、熱を感じた。

 事件が起きてから感情的にならずに対応してきたが、公爵邸の火災と友人の遺体を見た衝撃は、侯爵を極度に緊張させていた。


 張りつめていた感情が、宰相が生きていたと分かった今、緊張から解き放たれ胸の内から溢れ出ていた。


「ボエニ……ボエニよ……」


 人前では泣いた事の無い侯爵が、押し殺した声で友人の名前を呼び、生きていた安堵から忍び泣いていた。

 いつも強く良い意味で能天気な侯爵の、複雑な感情が入り混じった泣き声で、リリアスも貰い泣きしてしまった。

 しばしすすり泣きが部屋に響き、この事件が皆に傷心の日々を送らせていたのだと教えていた。


「侯爵様……私達はどうしたら良いのですか?」


 侯爵にハンカチを渡すとこちらを見ず、ぐしゃぐしゃっと顔を拭い、リリアスに返してよこした。

 じっと宰相の顔を見ているが、黙ったままだった。


「どうして良いかは、私にも分からぬ。まずこいつが、何を考えていたか知りたいのだ。誰もが謀反などと無縁だったと思っていたこいつが、何故このような騒動を起こしたか知りたい。死んだと思い、総てが闇の中かと思っていたのだから尚な」


 宰相は今は動かせないし、残党狩りも行われている以上ここに暫く置いておく事になった。

 なにせ残党狩りをしているのが侯爵なのだから、情報は筒抜けであるしこの建物に衛兵が近づがかないようにするのも簡単であった。


「私は戦うのは得意だが、頭を使うのはこいつが担当であったからな。良い考えなど浮かばない……。これは……」

 

 侯爵は顎に手を当てて、考え込んだ。

 オテロもリリアスも、少し不安な気持ちになっていたが、侯爵が――うんうん――と納得して頭を振り立ち上がった。


「少し出てくる、こいつを頼むな」


 侯爵は足早に部屋を出て、一瞬で表に行き馬で駆けて行ってしまった。


「オテロ、侯爵様大丈夫よね?」

「はい……戦場では旦那様の勘は、大体勝利に結びつくのですが、今の状況では如何かと……」


 残された二人は、不安な気持ちで侯爵が戻るまで待つ事になった。




 ブリニャク侯爵が、息せき切って屋敷に突然やって来たと聞くと、何事かとラウーシュは不安になった。

 友人とは言え、先触れも無いのは余程急ぎの用件だろうと、父親の代行を務めている身としては、急いで応接室に向かった。


 侯爵は馬を走らせてきたのに、落ち着いた様子で部屋の窓際で外の花を眺めていた。


「閣下、急ぎの用と思われますが如何致しましたか?」


 先触れもなく訪問する侯爵に、文句も言えないのはリリアスの父であるからで、

 ――将を射んとする者はまず馬――である。



「ああ、父は起きておるか?」


 人に命令し慣れている人は、その声に人を従わせる力を持っている。

 侯爵の質問に――どうして、何故――と問い返す事が出来ない。


「起きておりますが、元気がありません。まったく気力が湧いてこないようなのです。陛下がお怪我をされておられるのに、お見舞いに参上出来ないのも原因の一つだとは思いますが」


 あえて宰相が亡くなった事が一因だとは、父の見栄の為に黙っていた。


「ならば少し話がしたい……ああ、部屋は分かっているから案内はいらん」


 そう言って侯爵はさっさと、人の屋敷の奥に行ってしまった。

 廊下から執事の、慌てて侯爵を先導する声が聞こえてきた。

 

 リリアスともしも婚姻関係になる事があれば、あの人が岳父になるのかと、憧れの英雄の真の姿を垣間見た気がして、少し恐れる気持ちが湧いてしまった。

 なかなかに自分の婚姻への道は、困難であると改めて思い知ってしまった。



「シルヴァン……起きろ、シルヴァン」


 すっかり痩せて顔色が青いデフレイタス侯爵の顔を見て、――自分の知り合いは皆顔色を悪くして調子が悪いな――と思っていた。

 この非常時に元気が良いのは、戦闘集団の長である将軍や侯爵ぐらいなのだが、侯爵は自分はいつもと同じなので、その非凡さが分からなかった。


 寝ているデフレイタス侯爵の肩を掴み、揺らして起こした。

 後ろにいた執事が驚いて、傍までやって来て主人に声をかけた。

 弱っている主人をこれ以上疲れさせたくなかったのだ。


 デフレイタス侯爵は薄っすらと目を開き、自分を見つめる顔が鼻先にあるのに驚いた。


「なんだ!! 顔さえうるさい男だな」

 

 弱っていても侯爵の口は元気である。


 


 執事にガウンを羽織らせてベッドに半身を起こした侯爵は、見回りで薄汚れているブリニャク侯爵の服装にも口を出した。


「人の家に来るのに、その姿はありえん。どこかで転がって泥を塗り付けたのか?」


 ブリニャク侯爵が忙しくしているのは、分かっているのだろうが服装に関しては妥協が出来ないのだろう。


「こんな時にまで、うるさく言うな。お前に、特別な知らせを持って来たんだぞ」


 寝台に寄せられた椅子に腰かけたブリニャク侯爵は、得意げな顔をした。

 ブリニャク侯爵が笑っている時は、碌でもない事を考えている時なので侯爵は用心した。現在自分に良い知らせなど無く、唯一王太后が死んだというのが良い知らせだった。


「宰相が、生きているぞ」


 肩にかけたガウンが滑り落ちた。

 心臓に悪い冗談だと、怒りが湧いて来た。


「お前は……!! 子供の頃から馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、これ程馬鹿だとは思っていなかった!!」


 デフレイタス侯爵は脇のテーブルにあった、水の入ったグラスをブリニャク侯爵に投げつけた。

 余程腹が立ったのだろう力が入り、ブリニャク侯爵には当たらず顔の横をすり抜け、外に出る扉まで飛んで割れた。


 ブリニャク侯爵はそれは意に介さず、かかった水を払い、

「私も驚いたが、本当に宰相は生きているのだ。お前と確認した遺体は宰相ではなく、外で死んでいた傭兵の遺体を身代わりにしたようだ」


「だ、誰にそれを聞いたのだ。というかお前は、宰相に会ったのか?」


 あまりにもブリニャク侯爵が自信あり気に言うので、デフレイタス侯爵も渋い顔をしているが半信半疑の様子になってきていた。


「ああ、会ったというか見た。宰相は顔に火傷を負っていて、体も骨が折れていて重症だった。だが……生きているぞ」


 笑うブリニャク侯爵の顔が嬉しそうなので、――これだから戦闘しか能のない男は単純なのだ――とデフレイタス侯爵は鼻で笑った。


「宰相が生きていてお前は嬉しいのか? 謀反人だろう? 処刑されるしかないのだぞ?」


 ブリニャク侯爵の様に笑う事が出来ないと、複雑な心境の侯爵だった。


「それで、今どこに隠れているのだ。重症では治療せねばなるまい?」

 

 いずれ謀反人として、捕まるとしても怪我をしているのならば、やはり治してやりたいと思ってしまう。それ程宰相とは、長い付き合いであったのだなと納得していた。


「ああ、それならば大丈夫だ。疫病の為に用意された救護所に隠れているのだが、私の従僕と娘が看護しているから安心だ」


 デフレイタス侯爵は、聞いた事の無い言葉を耳にした。


「娘とは、町娘が看護しているという事なのか?」


 良く意味が理解できていないデフレイタス侯爵の顔は、つくろわない素の表情をしていた。


「いや、私の娘のリリアージュが、宰相の看護をしているのだ。一番信用できるだろう?」


 デフレイタス侯爵の寝室に、衝撃が走った。


 



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