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祈る娘  作者: オーガ
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第92話



 ――ギッ、ギッ――

 小さな荷車をリリアスが、一応後ろから押す形にはなっているが気休めであり、本当はオテロが引っ張っている。


 以前から人通りは無いがそれでも人の目を避けて、日が落ちてから二人は救護所を出た。

 荷車には、食料と衣類と薄物の寝具が乗っていて、押す程の荷物ではなかった。


 隠れ家には台所があったので、調理はできるからと、悪くならない芋などを多めに持ってきた。

 荷車に手を置きながら、昼間の事を思い出しては、恥ずかしくて顔を赤らめてしまう。

 宰相の治療に付き合い徹夜をした後に、食事をとればどうなるかぐらいは分かりそうなものだった。


 ラウーシュから姫の身の上を聞いているうちに、目を開けていられなくなりいつしか寝てしまったのだ。

 気が付いたら奥の部屋に寝ていて、ラウーシュがなんとか抱いて運んでくれたらしい。

 

 近くで見ていた看護人が、

「そりゃあ身なりの良いお貴族様の若様が、抱き上げて運んでいるんだもの、皆声こそ上げなかったけど、注目の的だったのよ」

 と教えてくれた。

 

 とてもいたたまれ無かった。

 若い看護人は数人で、後は家族のいない未亡人とか年配の夫人が、国から出る手当てを貰って、手伝いをしている。

 初めは無償だったのだが、それではあんまりだと言う事で国費と、貴族達の報謝で賄っている。

 看護人は、家族が病気になったり、自分一人だから手伝う、という理由でここに詰めているのだった。


  ――一緒にいて、眠ってしまうのは、それだけ気を許していると言う事かしらね――


 それだけ、親しい関係になってきていると思うのだが、寝室に運ぶのならオテロに頼めば良いのにと、ラウーシュを少し恨んだ。


「お疲れですか?」

 後ろを歩いていて静かだったので、オテロが気を遣って話しかけて来た。

「ううん、大丈夫。昼間若君じゃなくてオテロが寝室まで、運んでくれたら良かったのに、って思ってただけ」


 オテロは暗闇の中で、ニヤニヤ笑った。

 眠ったリリアスを自分が運ぼうとしたら、ラウーシュが譲らずさっさと抱きかかえ運んだのだ。

 

 ――若さって良いな――と、思ったものだ。


「……宰相閣下の事、侯爵様には言わないのね」

 

 リリアスには政治の世界は分からないし、貴族の事もさっぱりだが、宰相が悪い人には思えなかった。ラウーシュから聞かされた姫の話も、イーザロー国から取り返した形になっており、ずっと姫の母を探していたのだから、誠意のある人と思えるのだ。


 存在した事も行方不明になった事にも、誰も関心を持たなかった姫の母を、年月を掛けて探し出す人が居るだろうか。


「宰相閣下は決して悪い人だとは、思わないわ」


 王に斬りつけ謀反を起こそうとしても、それ以上に宰相を、信じられる事をリリアスでさえ知っている。


 ――そうですね――

 

 オテロが口の中で返事を言った。

 誰もが今まで宰相が、国に尽くして来た事をすっかり忘れて、謀反人とののしっているのだ。

 

 なんと情けない事だろう。

 一国の宰相だった人が、廃屋のような家に怪我で苦しみ横たわっているのだ。公爵家の見事な屋敷を知っているオテロにとって、何とも言えない状況だった。



 宰相はまだ意識を取り戻していなかった。

 医師から塗り薬の使用法を習ったリリアスが、宰相の火傷がある顔に塗るのだが、男でもきつい行為を淡々と行っていた。


 まだ熱が下がらず汗を掻いているので、リリアスが持って来た肌着や寝巻を、執事長がオテロの手を借りて着替えさせた。


「さすがに、ブリニャク侯爵様のお嬢様でいらっしゃいますね。旦那様の火傷を見ても、顔色一つお変えにならない……」


 傍でリリアスの治療を見ていた執事長は、慣れた手つきで薬を塗り包帯を巻く様子を褒めた。

 これも市井で暮らしてきたリリアスが、孤児院で覚えて救護所で経験を積んだ賜物だった。


「ですがね、卵の一つも碌に割れないんですよ」

 オテロが笑いながら言うと、執事長は――とんでもない――と首を振った。


「侯爵令嬢は、料理はいたしません」


 ――貴族令嬢の知り合いがいないので、知らなかった――と、オテロが笑った。


 結局食事もコエヨと執事長が作った。

 スープとパンとハムを焼いた、簡単な物だったが飢えている二人にはごちそうだった。

 宰相には執事長が、リリアスの持つスプーンを取り、根気良く滴を口元に垂らしていた。

 作って持って来たいのだが暑さで悪くなるので、ここで調理するしかなく凝った料理はできなかった。


「これからどうするのですか?」

 

 リリアスが聞くと、地べたに座ってスープを飲んでいるコエヨは、困った顔をした。


「王都の閉鎖が解かれなければ、逃げる事も出来ないし、閣下が回復しなければ移動もできないだろうしなあ」


 ブリニャク家に連れて行けば侯爵は全力で守るだろうが、発覚した時に侯爵も仲間と見なされる。

 勿論デフレイタス家も駄目だろうと考えると、個人の家はまず無理だと思った時、リリアスには良い考えが浮かんだ。


「閣下を救護所に連れて行くのはどうかしら。火傷で弱っている身元不明人として、看護するのはどう?」


 三人は呑み込めない顔をしている。

「貴族の方が見れば、すぐ誰か分かってしまいますよ」


 執事長がもっともな事を言うが、リリアスは首を振った。

「閣下は顔を火傷なさっているから、半分は包帯で隠されるし、あそこには貴族は来ないわ。それにね、髪を染めるの、金髪は無理でも茶色なら染められない?」


「私は、旦那様のお世話ができるのでしょうか?」


 執事長の願いは却下された。身元不明人に、使用人は付かない。


「救護所にいる患者さんはほとんど治っている人ばかりで、用心すればいいと思うし、三階に居れば人目にもつかないと思うの。それに女手はあるし、清潔な所で火傷も手当てできるわ」


 リリアスの提案は良いのだが、弱った体が疫病に罹れば宰相はほぼ助からないと思えた。だがこのまま熱も下がらず、食事もままならず不潔な家で火傷の手当てをしていれば、疫病ではなく他の病に罹る可能性もあった。


 コエヨと執事長は、リリアスが一番信用している、ジラーの店に行かせようとしたが、コエヨは


「私は街に隠れ家があるから、そちらに行っている。連絡はするから、何かあればすぐ教えて欲しい」

 と言って、オテロとなにやら秘密の話し合いをし始めた。


 そのまま宰相を荷車に乗せて、ゆっくりと街に帰る事となった。

 



 寝静まったといっても、食事の支度はもう始まっていたが、そっと三階まで宰相を運び小部屋に横たえた。

 コエヨはすぐ降りてどこかに行ってしまい、執事長は名残惜しそうに宰相に挨拶をし、リリアスが書いた手紙を持って、ジラーの店に向かって行った。

 執事長は見るからに紳士で、誰が見ても信用できる人だと分かるので、ジラーの店でも引き受けてくれると思っている。


 リリアスは医師の所に行き、先日見舞った男を連れて来たと言った。


「やはりこちらの方が治療ができると思ったので。宜しいですよね?」


 医師に断るつもりはなかった。


「酷い火傷だったしね、僕もその方が良いと思っていたんだ。事情がありそうだったから、黙っていたけど、身元不明人で名前も知らないって事でいいんだね?」


 察しが良い医師に、リリアスは感謝した。


「ここは国が作った施設ですから、誰かが病気や怪我で助けを求めてきても、基本断らないですものね?」

「ああ、そうだよ。ましてや行く当てのない身元不明の人などは、特に保護しないとね」


 リリアスは医師に頭を下げた。彼は何も知らない、善意の医師である事に徹してくれているのだ。

 それができるからリリアスは、宰相をここに連れて来たのだった。


 隠していた髪の毛を濡らし、そっとくしで染粉を塗っていくと、黒い髪の毛が少しずつ暗い茶色になっていく。全体に付けると放置し、丁寧に頭を洗った。

 湯が真っ黒になり、焼けた屋敷から連れ出されたままだったのだと、気の毒に思う。

 

 髪の色は黒とは言えない程度の色だったが、それでも少しは目立たないだろう。

 火傷の痛みで体が衰弱し、食事も満足に取れなかったせいで、顔や腕から肉が落ちていた。

 執事長がやっていたように、体力が付くようにと願いながら、意識のない宰相の口元にスープを一滴ずつたらした。


 リリアスは、いつ目が覚めても良いように傍に座り、落ち着いた気持ちで針を持ちつくろい物をしている。すっかり手が荒れてしまい、ジラーの店に戻ってもすぐに仕事はできないと思いながらも、針仕事はやはり楽しかった。


「お嬢様、旦那様がおいでになられました。一階の食堂にお通ししています。ここは私が……」


 入り口に慌てた様子のオテロが立っており、リリアスも宰相を連れて来た日に侯爵が来るとはと、空気が読めない父にイライラしてしまった。


 待たせない様に急いで食堂に行くと侯爵は、椅子に腰かけて賄いの夫人が淹れてくれた麦湯を神妙な顔で飲んでいた。麦湯などを侯爵が飲むのは、初めてではないかと思う。

 戦場で食事がままならなくとも、貴族にはオテロの様な優秀な従僕が付いているのだから、口に入れる物の品質は良いはずだからだ。


 侯爵はリリアスの姿を見ると立ち上がり、両腕を広げたが今はそれに付き合う暇がなかった。

 飛び込んでこないリリアスにがっかりとした顔をして、侯爵は肩を落とした。


「どうなさったのです?」


 侯爵は黙ってリリアスを見ていたが、服の内側から革袋を取り出し渡した。

 開けろと言う事なのだろうと思い、紐を解くと大判の絹のハンカチと白い刺繍糸が見えた。

 リリアスの心が、嬉しさで跳ねた。


「私にも、お前が刺繍したハンカチを作って欲しくてな、絹の上等なハンカチと糸を用意したのだ。忙しいと思うが、時間がある時で良い」


「侯爵様にも……とは、どなたの事を仰っていらっしゃるのですか?」


「勿論デフレイタスの所の、ラウーシュの事だ。あれにハンカチを送っただろう? 貴族の娘がハンカチを男に渡すのは、――興味があります――というような意味だから、これからは気を付けるようにな……」


 リリアスは、侯爵の言っている意味が良く分からず、ポカンと口を開けたままになっていた。


 


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