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祈る娘  作者: オーガ
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第91話

*ご注意

 怪我の状態が悪い描写が有ります。



 顔の包帯をとると火傷が見えたが、左側の額から頬と顎のあたりまで傷があり、重症であった。

 この暑さで火傷は崩れて酷く痛むと思うが、宰相に意識が無いのが幸いだった。

 左の腕と胸の骨折は添え木をし、包帯で巻いておくしか治療は無かった。

 リリアスが体を拭こうとすると、老人とオテロが布を奪い合って二人で綺麗にしていた。


「あのお年寄りは召使の方ですか?」


 コエヨと二人で居間の方に出ている時に話をした。


「公爵家の執事長だ。他の使用人と一緒に逃げるように言ったのに、最後まで付いてきたのだ。あの人なら、それしかできないだろうがな」


 リリアスは貴族の家の執事と呼ばれる人達は、やはり主人に忠実なのだと、ブリニャク家の家令や執事長を思い出していた。

 主が謀反人になり、屋敷が軍に襲撃され火で燃やされても、医師に命を助けてくれと願うのだ。

 この先どうするのだろうと、心配になった。


「私達に居場所が分かってしまって、これからどうするのですか?」

 コエヨが居間の真ん中で立ったまま、腕組みをしている。


「それを決められるのは俺ではない、オテロ殿だろうな。もっとも宰相が助かるかどうかも分かるまい」

 コエヨは淡々と答えた。


 ステファヌは薬を執事長に渡し塗り方を説明していて、オテロはコエヨと向かい合っていた。

 リリアスも聞くとはなく、二人の会話を聞いていた。


「宰相をどうして助けたのだ。捕まれば処刑になるのだぞ。だいたい宰相の遺体は誰だったのだ」


 オテロは、主人の気の落ちようを見て気の毒になっていたのに、この事実はあまりに残酷な気がした。同じ悲しみでも、屋敷で亡くなっていればそこでお終いだが、生きて捕まれば宰相は針のむしろだろう。

 処刑されるまでの屈辱は、考えたくない程だ。


「体力が回復すれば、王都の疫病が治まり次第他の国に逃げるつもりだった。死んだと思わせて、居なくなるのが一番良い方法だろう? 遺体は屋敷の外で亡くなった雑兵の遺体に、宰相の服を着せて焼けた柱を乗せて顔を焼いたんだ」

  

 それに皆が騙されたのだ。コエヨもその時に火傷を負い、ぎりぎりの救出劇だった。


「用意していた馬車に乗せて、この空き家に隠れていたが宰相閣下の傷が酷くてな……」


 オテロも火傷を思い出して憮然となり、

 ――あの顔で生きて行かねばならないのか――と思ってから、宰相は処刑されるのだと改めて思いだした。


「どうしてこんな事になってしまったのだ……」


 オテロの悔しげな言葉は、皆の気持ちを代弁していた。



 外は暗闇でコエヨが吸う煙草の光だけが蛍の様に光っていて、後は湿った暑い空気で満たされていた。


「俺は閣下の護衛でしかないし、頭も悪いから政治的な事は良く分からんが、閣下は決して悪人ではないと思うぞ」

「それはお前の勘か?」


 コエヨが息を吐きだすと、煙草のけむい匂いが二人の体にまとわり付いた。それは煙草を吸わないオテロにも、気付けには心地良い物だった。青臭い草の匂いと共に、それを胸いっぱいに吸い込んだ。


「閣下の護衛になってから四年かその位だが、あの人ほど国に尽くしている人を見た事が無い」


 それは、オテロも重々知っている。主人とは政治と軍とには分かれてはいたが、宰相の差配は完璧だった。すべてにおいて吝嗇を徹底していたが、戦争の様に使うべき所では何も惜しまなかった人だった。


「だからあの人が陛下に斬りつけたと聞いても、謀反を起こそうとしたと聞いても、きっとその底には国を思う気持ちがあるのだと思っていた」


 オテロは自分が主人を信じている様に、コエヨも宰相を信じているのだと思った。

 それは主人が何をしても自分が信じた主人の性根が、変わらない物だと分かっているからだった。過程がどんな物であれ、結果に主人の魂が表現されていればそれで構わないのだ。


 それでいけば宰相の行動も、結果がどうであったか考えれば良い事になる。


「うーん……なるほどなあ」


 オテロは頭が良くないと思っているから、宰相のやり方は分からないが、結果的に王太后が亡くなったという事実がすべてだろうと思った。


 王宮にはびこる毒蛇が、退治されたのだ。


「カノー殿も、宮廷で閣下をかばっているはずだ。宮廷で閣下が陛下を殺したと言っても、屋敷まで着いて来たのだ。信じていなければ、謀反と知った段階で傍を離れるはずだろう?」


 その通りだが、オテロには宰相の考えは理解不能だった。この先は主人に任せるしかないと思った。



 とりあえず三人はその家から帰る事になった。食料もコエヨがあちこちで調達しているが、今は厳しい時だから手に入らないようだった。

 オテロは、食料を持ってくる事を約束して家を出た。つまりは宰相が生きている事を、言わないと言う事だった。 



 医師は治療に専念するだけであるから、患者が何者であろうと関係なく帰路は気楽な物だった。

 リリアスとオテロは、そうはいかなかった。

 徹夜仕事の帰りの様に、街まで歩くには気が重かった。


「お嬢様はやはり、来なければ良かったのですよ」


 リリアスを気遣ったオテロの言葉も、気持ちがささくれ立っている彼女にはあまり通じなかった。


「私が知らなければ、オテロはあの方の事を国に、言い付けつけるつもりだったのね?」


「とんでもない!」


 オテロは頭を振って否定したが、火傷が酷い宰相の姿を見て興奮しているリリアスは承知しなかった。

「私がいたから仕方なく、食料の事や薬の事を約束していたのね……酷いわ」


 怒っているリリアスは涙ぐみ、顔を押さえた。

 若い娘には衝撃的な現実で、やはり連れて来なければ良かったと後悔した。もしかしてとんでもない事を考えるのではないかと、主人に似ているリリアスを見た。


「お嬢様、私は旦那様と閣下のお付き合いを長く見て参りましたから、閣下が生きておられて、嬉しくないはずはないのです。ですから私は閣下をお助けする方を選びます。ただ……旦那様にはお知らせいたしません」


 リリアスは驚いてオテロを見た。

「どうして? 侯爵様は喜ばれるはずよ」


 オテロは首を横にふった。

「閣下は叛逆者ですよ。貴族の旦那様が知れば、国に突き出さねばなりません、お知りにならない方が宜しいのです」


 リリアスはそういう物かと、納得しかねる顔をしている。

「いづれ閣下が国外に逃げ切る事が出来れば、旦那様にはお知らせいたします。それまでは誰にも秘密ですよ?」


 リリアスは、そういうものかと頷いた。




 夜明けに救護所に戻ると、ちょうど食事ができる所だった。

 

 スープを飲みながらリリアスは、荒い息で横たわっていた宰相の姿を思い出していた。

 感情を露わにしないが優しい人だった、姫に向ける笑い顔は嘘だとは思えなかった。一国の宰相だった人が酷く惨めな姿だったと、その罪故に陥った状況でありながら、同情を禁じ得なかった。


 ――着ておられた服も汚れて、火傷のお体にも良くないわ――


 救護所でももう着られなくなった服があり、ここでは大鍋でそれを煮て綺麗にし繕い、着替えに使っていた。リリアスは、早速綺麗になった服を数点、見繕(みつくろい針を持った。


 やはり針を持って布に向かっている時が、一番心躍る時だった。それが古びた麻や、木綿の服だったとしても。


 ぺラジーは王妃のドレスを完成させただろうかと、不意に思った。今まで病人を診る事で精一杯で、仕事の事を考える余裕がなかった。それが頭に浮かぶようになったと言う事は、少しはゆとりができたのだろうかと思う。


 針で細かく服のほころびを縫っていると、どんどん無心になり縫う事に集中する。弱くなった生地の所を糸で補強しながら、いつもは絹のドレスに使う技術を茶色くなった男物の服に使い、それでも嬉しくて我を忘れた。


 肩に手を置かれて意識が戻った。顔を上げるとラウーシュが立っていた。


「いくら呼んでも、返事が無いので……」

 体に触れた事を謝っているようだったが、ラウーシュを見たリリアスの瞳は夢心地だった。

 服を横に置き、ラウーシュを椅子に座らせた。


「申し訳ありません。久しぶりに針を持ったら夢中になってしまったようです」


 リリアスの言葉にラウーシュはニコリと笑った。リリアスも遠慮がちに笑い、互いが洋服の事が頭にあるのを理解して、なんとなく嬉しかったのだ。


「妃殿下のドレスに使う技術を、かけはぎに使っているのですか」

 横に置いた服を手に取りラウーシュは、思ったより硬い生地に驚きながら縫われた場所を撫でた。


「良く、かけはぎなどという技術をご存知ですね。侯爵家ならば、どんどん新しい服をあつらえるのでしょうに」


 ラウーシュは、リリアスに褒めてもらった事に気を良くして、

「母に仕えている女中は、洋裁の技術を持つ者が多いのです。ほつれたレースやドレスを直すのを良く見ておりました」


 今の事ではなく幼い頃のラウーシュの話なのだろうと、ドレスを広げた部屋で幼い男の子が、布が縫われているの見ている姿が想像できた。


「今日はどうなさったのですか? 侯爵様はこちらに出入りなさるのを、お許しになっておられるのですか?」


 ラウーシュは黙ってリリアスを見ていた。

 ほんの数日でその顔は、随分と引き締まり男らしい顔つきになっていた。

 色々あったのだと、リリアスも彼に同情した。


「姫様が、やっと陛下の姪御殿だとお知らせする事ができたのです。王太后が亡くなって、もう恐れる者も居なくなりましたからね」


「姫様がですか? どうして?」


 ラウーシュは今までの事を、リリアスに話して聞かせていたが、そのうちにリリアスが船を漕ぎ出したので、そっと横に座り自分の肩を貸した。

 

 ラウーシュの体に寄りかかるリリアスの重みは、心地良かった。





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