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祈る娘  作者: オーガ
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第84話



 王都の住民の暴動が起こった夜、リリアスは一睡もできず病人達を見て過ごしていた。


 喧噪が聞こえ建物を壊す音や、後にやって来た軍隊の揃った足音などが、病で苦しむ人の声と合わさり、リリアスを酷く不安にさせた。

 建物の入り口にはオテロが剣を下げ、仁王立ちで守っていてくれていたが、いつ暴徒が扉を破って入って来るかと心配であった。


 軍の掛け声があちこちで響き、それに呼応するように住民の叫び声が聞こえ、皆が無事であるようにと願っていた。それでも朝は来て、鎧戸から朝日が差し込む頃には、暴動も治まっていた。


「静かになったわ」

「軍が鎮圧したのでしょう」


 一晩の徹夜など何程でもない顔で、オテロは扉のかんぬきを外した。

 新鮮な空気に交じって煙たい匂いが入って来て、夜の間に王都が焼けていたのを知った。


 外に出ると遠くで黒い煙が何本も上がっているのが見え、やはり暴動の規模が酷かったのだと思えた。

 見える範囲では建物が数軒壊れていて、焼かれて燻っているのが見えた。あちこちに怪我人が寝転がっており、その中の数人はピクリともしなかった。


 疫病の人がいる建物に怪我人を入れるのには戸惑いもあったが、放っておけもせず医師達と運び込んだ。


 あまり酷い怪我人はいなかったが、それでも数が多いので、建物の中は狭くなった。


 医師の手当てを補助しながら、怪我人に昨夜の暴動の話が聞けた。


「いやあ……俺は大勢の人となら、検問が抜けられるんじゃないかと思って、一緒に付いて行ったんだが、城門に向かう途中で誰かが、――門を閉めている王が悪い、衛兵をやっつけろ!――なんて言い始めて、それに何人かが同意してるうちに、暴動が始まっちまったんだ」


 ――決して俺が悪くないとは言わないが、煽る奴らがいたんだ――

 と、男は罰が悪そうな顔をした。


 軍も決して暴徒を力だけで押し止めようとするだけではなく、家に帰れと説得し逃げる人々には、後追いはしなかったらしい。

 だが商店などは奪略にあって、見事に何もなくなったようだ。


「怖いのね、人の力って」


 リリアスがあきらめ顔で包帯を巻きながら、溜め息を吐くとオテロが傍で慰めた。


「こんな時ですから、皆は何を信じて良いか分からなくなるのでしょう」

「だから、自分勝手に動くって事?」


 ――どうでしょうね――


 オテロは、主人が昨夜暴動鎮圧に出ていただろうと思い、今はどこにいるだろうかと気になっていた。


 昼過ぎてから、軍が動いて街を通り抜けて行った。住民は暴動の後始末でもするのだろうと、気楽に考えていたが、夕方に、ある方向から銃の音や何かを壊す音が聞こえて来た。


 皆が夕べの続きがどこかで起きているのかと、心配そうに見ていたが夜中になってからそこで火の手が上がったのが見えた。

「夕べの今日と、王都は酷い事になっているなあ」


 皆が心の中で同じ事を思いながら、夜も更けていったのだった。

 昼近い頃軍隊が王宮に引き上げてきたが、二晩も徹夜で皆疲れて萎んだように見えた。どこが焼き討ちにあったのか、住民が聞き出そうとするが誰もが黙って通り過ぎていった。


 その日の夕方食事の世話をしようと準備をしていると、戸口に馬車が止まり中からラウーシュが出て来た。


「若様! 侯爵様はいかがですか?」


 リリアスはラウーシュに駆け寄ると、彼の元気が無いので侯爵に何かあったかと、笑いかけた顔を引き締めた。

「父は意識を取り戻して、歩けるぐらいには元気になった……。若様ではなく、ラウーシュで構わないとずっと言っておりますよ」


 リリアスは首を振って、ラウーシュの顔を見た。

「なかなか直りません。ずっとこうやって、話してきたのですから。とてもお疲れの様ですが、侯爵様の看病は大変でした?」


 ラウーシュは突然リリアスの腕を取り、外に連れ出した。中にいたオテロが顔を伸ばして見ていたが、ラウーシュの後ろにレキュアが居るのを見て、安心した顔をした。


 建物の前の通りは傾いた太陽のオレンジ色の光が輝き、眩しくその光の中にいる二人も輝いていた。

 ラウーシュは数日ぶりに見るリリアスの顔を見て、昨夜から今朝にかけての辛い体験を、頭から振り払おうとしたが、上手くいかなかった。


 自分が信じていた物が無くなってしまうのが、どれほど苦しく胸が痛む事か初めて知った。


「どうなさったのです?」


 無垢で真摯なリリアスの瞳は、何かを疑ったりはかりごとをするような物ではなく、ほとほと精神的に疲れたラウーシュの気持ちを浄化してくれる。


 リリアスを腕の中に抱いて、耳元で囁いた。


「直ぐに分かるから言うが、宰相が謀反を起こし、陛下の殺害を企てて……亡くなった」

 慌ててラウーシュの顔を見ようと体を動かしたリリアスを、もっと強く抱きしめた。


「さっき貴方の父上と、父とで遺体を確認してきた。宰相閣下だと思うが、未だに信じられないのだ」


 震えるラウーシュをリリアスは抱き返した。


「それでも、貴方は閣下と呼ばれるのですね?」

 

 宰相が反逆者であったとしても、それでもなお、尊敬の念を消せないラウーシュが、リリアスは好ましく思えた。

 リリアスも、姫の手を取り優しく微笑む宰相の姿を、思い出した。

 数回しか会った事は無かったが、権力者には見えない落ち着いた人だったような気がする。

 その人の死を知っても、ラウーシュほど悲しくないのは、自分には遠い人だったからだと、納得するしかない。

 このはやり病が始まってから、随分人の死を見てしまって、死に対して鈍感になっているのかもしれなかった。


「父も貴方の父上も……いや、国の重鎮は皆宰相の事を良く知っていたし、悪という言葉と一番無縁な人だと思っていたから、今回の件はとても信じられないのだ」


「お嬢様、食事の時間です」


 オテロが遅いリリアスを呼びに来た。

 二人は抱き合っていた事を思い出し、慌てて離れた。リリアスの顔が、夕日で赤くなっていた。


「貴女は知っていた方が良いと思って、来たのだが。それは貴女に会いたかった私の、言い訳だな」


 ラウーシュは名残惜しそうに、一筋垂れたリリアスの赤い巻き毛を掴んでから、馬車に戻って行った。

 窓からリリアスを見るラウーシュは、暗い瞳をしていて離れていく馬車の中では、俯いているようだった。

 彼が気落ちしている姿が、リリアスにも移り切ない気持ちになった。

 共通の知人である宰相の死が、随分と二人の距離を縮めたような気がする。


「坊ちゃんは、どうなさったのですか?」


「宰相閣下が、亡くなられたと教えに来て下さったの」


 オテロは持っていた大きな匙を取り落とした。

「そんな馬鹿な! 王宮で病などと……」


 ずっとリリアスと、この救護所で病人を相手にしていたオテロは、デフレイタス侯爵が倒れたのは知っていたが、それからの事は蚊帳の外だった。だから宰相の死を病気と決めつけたのだろうが、真実を告げるのは気が重い事だった。


「若様も仰っていらしたけれど、宰相様の死は誰もが信じられないそうよ。……陛下を殺そうとして、謀反を起こしたのですって」


 オテロの驚愕の顔を見る事が出来なくて、リリアスはそっとその武骨な手を取り、優しく撫でた。


「そんな……馬鹿な……馬鹿な、馬鹿な事があるはずが無い!」


 振るえるオテロの手を、リリアスはずっとさすっていた。それしか父と同じく、宰相と長年顔見知りで懇意にしてきたであろうオテロを、慰める方法を知らなかった。

 きっと父もオテロが衝撃を受けている様に、今も心の中は嵐が吹き荒れているのだろう。

 こうやって父も慰めてやりたいと思うのだった。


「お嬢様……今旦那様に会いに行っても宜しいでしょうか?」


「勿論よ、私も侯爵様に会いたいけれど、ここは手が足りないから抜けられないわ。侯爵様にお辛いでしょうが、お体に気を付けてと伝えて下さい」

 

 オテロは、リリアスの口調に残念な顔をした。

 その顔を見て、リリアスも少し罪悪感を持った。良くしてくれている、オテロの喜ぶ顔は見たいが、そう簡単に考えの整理がつかないのだ。


「まだ、気持ちの踏ん切りが付いていないの。簡単に貴族の人を父とは呼べないわ」


 リリアスはオテロが落とした匙を拾って、救護所の中に入って行った。


 オテロもその後ろ姿を見送ってから、馬に跨って王宮を目指した。





 


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