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祈る娘  作者: オーガ
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第81話



 宰相は走って王太后の居る部屋に向かった。

 階下で軍と貴族の郎党が、ぶつかり合う音が聞こえて来た。


「それほど、持たないな」


 軍の数を見て、始めから戦意が無かった貴族達の声が弱かった。抵抗せず投降しても、反逆罪は大体死刑の判決が下りる。

 今ここで命を拾っても、先は見えているのだが、やはり人は命は惜しいらしい。


 応接の間に入ると、ユロ伯爵が従者数名と王太后と居た。


「ユロ伯爵、他の者はどこに居る?」


 ここに集まった貴族は、数名集合しなかった者もいるが王太后に協力を申し出た、侯爵三名と伯爵が六名いたはずだった。

 それらがどこにもいなかった。


「宰相閣下が部下に教えられた、秘密の通路を使って逃げたところでございます。さすが宰相閣下、用意周到でございますね。今王太后様と一緒に逃げる所でございます。案内を待っているのです」


 ユロ伯爵はほっとしたのか笑っていて、王太后の手を握っているのも分からないようだった。


「宰相殿、私はそなたを疑っておった。このまま軍に引き渡されるか、殺されるのではないかとな。さきほど部下の者が、皆を案内して秘密の通路に向かったのじゃ」


「何故先にお逃げにならなかったのですか? もう軍が突入してきましたが」


「そなたの部下が、先の安全を確認してから迎えに来ると言ってな、そなたもおらぬし一緒に逃げた方が、絶対に安全じゃと思ったのじゃ」


 王太后はニコリと笑った。


「さようでございますな、私と一緒なら一番安全でございましょう。しかしこの様になってしまっては、殿下はどうなされますか? やはり……」


 王太后は頷いて、

「おお……イーザローに頼るしかないの、そなたがいればいずれこの国も手に入るであろう?」


 宰相は頭を下げた。

 その時何かが焦げる匂いがした。

 扉を見ると、隙間から淡い色の煙が入って来ていた。


「火が付いたな」


 それを聞いて王宮から付いてきた侍女が、声を上げた。王太后は侍女の手を取り、自分に引き寄せた。

 気丈な王太后も、火が迫っていると知ると、身の危険を感じたようだ。


 宰相は皆に、

「これから秘密の通路で逃げるので、静かに声をたてぬように」

 と、言い渡した。



 応接の間を出て、三階の宰相の書斎に皆で向かった。

 階下では争う音、叫び声、そのうえに煙が上がって来て、皆足早になった。


 どこから火の手が上がったのか分からないが、書斎も少し煙っていた。

 宰相が書斎の壁を触ると、手ごたえがあり壁の一部が開き、そこを引くと踊り場があり、下に向かって行く階段があった。

 燭台に火を点け宰相は、ユロ伯爵の配下に渡した。


「私が案内するので、先に行きなさい」

 配下は燭台を持ち階段を降りようとした時、下からコエヨが階段を上って来た。


「ああ、皆さんいらしたのですね。先ほどの方達はもう、外に出られましたよ。離れた森の中に出口があって、灯りさえ気を付ければ安全でした。さあご案内いたします」


 コエヨは燭台を取り、下りていった。皆ははぐれない様に、急いで付いて行った。


 王太后も侍女に手を引かれ階段に向かったが、宰相が付いて来ないので振り返った。

「どうしたのじゃ? 逃げんのか?」


 宰相は書斎の椅子に腰かけ、傍にあった酒瓶を手にしていた。


「私の屋敷の秘密の通路ですので、いつでも逃げられます。この酒は年代物で、残していくにはもったいないので、飲んでから参ります。殿下はお先にお逃げ下さい」


 王太后はここが、古くから続く公爵家である事を思い出した。

 オルタンシア公爵家は、伯爵家の娘だった時の王太后から見れば、雲の上の様な存在の貴族であった。

 それが今は公爵から――殿下――と呼ばれる地位に上り詰めている、隔世の感がある。


「旦那様! 案内の者が行ってしまいます」

 侍女が焦って王太后の手を引いた。


 王太后は宰相に手を伸ばし、酒を所望した。

「良い、先に行け。案内人には宰相と一緒に行くと、告げよ」


 侍女は迷いながらも、意を決してコエヨの後を追った。

 

 二つのグラスに真っ赤なワインを注ぐと、仄かにワインの匂いが立ち上がった。

 王太后は椅子に座り、宰相がグラスに口を付けるのを見て、自分もワインを飲んだ。芳醇な赤ワインは緊張して疲れていた喉と、体を強い酒精しゅせいで潤し、心地良い物にしてくれた。


 ここで少し休んでもこれからの道程を考えれば良いかと、もう一杯とワインを所望した。

 二杯目を飲んだ時、階段からコエヨが顔を出した。


「遅いので、御迎えに参りました。そろそろ火の手が、お屋敷に回り始めております」


 コエヨは、燭台を捧げて催促した。

 しかし宰相は動かず、目で先に行けと合図した。

 コエヨも行って良いのかと、確認したが宰相の顔つきを見て、少し口を曲げて諦めたように、肩をすくめて下りていった。


「どうした? あの者と一緒に行かぬのか?」

 ほろ酔いになった王太后が立とうとすると、宰相がもう一本ワインの瓶を持ち出した。


「これが本当に我が家一番極上の、ワインであります。ここにはいつ帰って来られるか分かりませんから、酒蔵から持ち出してまいりました。王太后様には是非飲んで頂きたい物です」


 新しいグラスに注いで、渡そうとすると、王太后はそれではなく、宰相が持っているグラスに手を出した。先ほどの瓶は蓋が開いていなかったが、これは開けられていて飲んだ後があった。

 王太后は用心している。


「持ち出した時味見をいたしました。古い物ですので、悪くなっていたらと心配したのですが、とても良く熟成しておりました。王太后様にはお好みのワインかと……」


 それでも宰相が飲むまで、王太后は口を付けなかった。

 宰相が大きく一口飲むと、やっと安心して飲んだが非常に美味しく、一気に飲んでしまった。


 書斎の廊下からも煙が入って来るようになってきた、王太后はそろそろ逃げ出そうと立ち上がろうとしたが、足に力が入らず慌てて椅子の手すりに掴まった。


 段々煙でかすんで来た書斎の中で、宰相は机に向き合って、体に力が入らなくなってきている、王太后を見た。


「皆の様に、苦しくはしませんよ。一応貴女は女性ですから、少しは気を遣って上げましょう」

 宰相の声は酷く冷静で、冷たかった。


 王太后は自分の手を見たが、震えていて握る事が出来なかった。体も真っすぐ立てていられなくなり、ソファーの背に寄りかかって座らなければ、ソファーからずり落ちそうになっていた。



「やはり……私はお前に騙されておったのだな?」


 朦朧もうろうというか、思考力が無くなっていく感覚の中で、王太后は自分を冷たい目で見る宰相を睨んだ。


「いいえ、騙そうなどと……。王を切り殺したと言ったのは、少し大げさでしたかね。ですが後は、本気だったのですよ」


 王太后は訝し気に宰相を見た。


「王が貴女を放免すると言った時の私の驚きを、ご存知ないでしょうね……」


 王太后は、今まで良く自分を騙していたと、驚いていた。


「貴方は自分の欲望の為に、周りの者を振り回し、邪魔者を排除してきた。この国にとって悪しき者と言って良いでしょう? 無念の思いを持って死んでいった、兄や王の異母兄弟の王子殿下の事を考えた事など、一度もないでしょうね。貴女をこの国で、野放しにする訳にはいかなかったのです」


 もう目を開いていられなくなってきた。


「お前はここで私を殺すのだな?」


「ええ、どれほど私が貴女を憎んでいたのか、ご存知なかったのですか? この年になるまで、人を憎み続ける事が出来るとは思っていませんでした。だが一人では死なせませんよ。私も、お供しましょう。貴方が居なくなれば、この国はもう心配する事もありませんしね」


「王太子達が死んだのにか?」


 無言の宰相に、やっと王太后は、この件も嘘だったのだと理解した。


「殿下達は毒に苦しみましたが、生き残りましたよ。私が緘口令を引いたのです。どうです? 死ぬときに自分の失敗を知るのは、とても悔しい事でしょう? 貴女は王太子殺害未遂犯人と、王をしいしさせようとした悪女として、国の歴史に名を残すのです。嬉しいでしょう? 貴女の名前は未来永劫人々の口に登るのです……」


 王太后は、国を取り仕切る事が出来る頭の良い男が、自分を殺す為に己の命を引き換えにするのが、理解できなかった。


「私も王をしいしようとした、悪の宰相と名を残すのです。それも面白いでしょう? 私の名前もずっと人の口に登るのです。良くも悪くも、人々は私を忘れない……」


 ――頭は良いがそれだけの自分が、死ねば名前はいつかは忘れ去られるだろう。だがこの事件で悪くとも名は残る、それで良いのだ――


 部屋の中が煙で充満してきた、二人とも咳き込み段々と意識が無くなっていく。

 王太后は、もうソファーに横たわっていた。

 宰相は、その姿を見て口元に微笑みを湛えていた。

 ずっと見たかった、光景だった。


 宰相の意識も、無くなった。


                                   

遅くなりました、すみません。

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