第80話
広大な公爵家の前庭の噴水の縁に腰かけて、雑兵の男達は昼食後の休憩を取っていた。
自分達の主人が国を乗っ取ろうとするなどと、恐れ多い事をするものだと思っても、男達は食べていければ良いので、国の頭が誰なのかは関係なかった。
さすがに公爵家の食事は一味違って、雑兵に出すものでさえたっぷりと肉の塊が入っていて、昨夜からの疲れもあって、皆瞼が落ちそうになっていた。
上からの話だと、これから王宮に進軍するらしい。その前に休んでおこうと、思い思いに横になっていた。
芝生に寝転んでいた男が、その音に気が付いた。地響きが芝を通して伝わって来て、その音が大きくなってくる。明らかに多数の馬の蹄の音であった。
まだ合流する者が居るのかと思い庭のずっと先にある、開いている鉄の門を見ていた。
馬の音は立っている者にも聞こえ、皆が門の外を注視した。
石積みの外壁の切れた場所から真っ先に見えたのは、馬に乗った兜も甲冑も真っ赤な大男であった。
「誰だ?」
男達は見覚えがある貴族かと記憶を探ったが、門から真っすぐ進んで来る姿を見て、
「赤鬼だっ!!」
と、口々に叫んだ。
一瞬味方に来たのかと――彼が宰相の友人なのは誰もが知っていた――歓声が上がったが、侯爵が剣を抜いたのを見て、それが間違いだと知った。
前庭に居た男達は我先に城のような公爵邸に逃げ込み、間に合わなかった者は屋敷の裏手に逃げた。
ブリニャク侯爵の後には軍隊が続き、兵隊が途切れる事無く次々に敷地内に入り込み、蟻のように屋敷を囲み始めた。広大な敷地に建てられた公爵邸は、その周りを囲むにも大変だが軍隊はそこを何重にも人で囲った。
玄関の前庭でブリニャク侯爵は馬のまま、呼ばわった。
「オルタンシア公爵出て来い!! 話を聞こう!!」
玄関の扉から顔を出している男達は、近くで見るブリニャク侯爵に恐れよりも、好奇心が勝っていた。
彼らは自分達がどういう立場にいるのか、今一つ分かっていなかった。
「強そうだなあ……」
「当たり前よう、戦争の立役者だぜ」
ひとしきり怒鳴るブリニャク侯爵への講釈を垂れたあと、屋敷を囲む軍隊の多さに騒ぎ始めた。
「なんだよ……王が死んだから、宰相が王になるんじゃねえのかよ?」
「王太后様が王になるんだろう?」
「じゃあ、なんでブリニャク侯爵が軍隊連れて、ここにやって来てるんだ?」
「宰相閣下を、迎えに来て……」
憶測で物を言い合っているうちに、裏手で声が上がった。
外に逃げた男達と、軍隊の戦闘の音だった。
玄関ホールに居た者達は、もっと奥に逃げ込み、裏手の様子を探ろうと二階に上がり、屋敷の裏手側に走った仲間を探した。
窓から下を覗くと、男達が軍隊に斬りつけられ、倒れた者から捕縛されていた。
「畜生! やっぱり、国を相手にすると不味い事ばかりだぜ」
誰ともなく文句が口を吐いた。
「旦那様……ブリニャク侯爵様が話をしたいと、仰っておいでで、玄関前の前庭で馬に乗ってお越しでございます」
友人とは言え武装した者を勝手に通す訳にもいかず、執事長は応接の間にいる主人に伝えに来た。
侯爵が武装して剣を抜いている段階で、面会の案内もないのだが執事長はいつもと変わりなく、淡々と自分の仕事を果たしていた。
心の中がどんなに恐怖で満たされていたとしても、王太后や屋敷内に居る貴族やその郎党に、無様な姿を公爵家執事長として見せる訳にはいかなかった。
外の様子を見てユロ伯爵やその他の貴族達も、応接の間にやってきたが顔が真っ青であった。
「何故軍隊が来ているのです? 私たちはこれから王宮に、入城するのではないのですか? それとも彼らは、王太后様をお迎えにいらしたのでしょうか?」
宰相は頭を捻って、
「私が事情を聞いてまいります。国政は私が居なければ成り立たぬのは、誰もが知っている所です。軍もそれは理解できていたと思っていたのですが」
と、表情も変えず王太后に言い、部屋を出て行った。
その後ろ姿を見ながら、ユロ伯爵は王太后に、
「何かおかしくはございませんか?」
と、汗を拭きながら自分の運の上下が激しくて、状況を受け入れられなくなり訊ねてしまった。
王太后は長い年月荒波を渡って来ており、気持ちはユロ伯爵よりずっと強かった。彼の泣き言の様な質問を一蹴した。
「ここまで来て、――何かおかしくはないか?――とは、そなたも凡人よな?」
王太后は扇を動かしたが、全身を流れる汗を止める事はできなかった。
今更ながら、宰相が言った王の死が本当かどうか、あの時確かめるべきだったと、後悔していた。
――この国が欲しい――
との、宰相の言葉に飛びついたのは、聖人君子と言われていた男でも、やはり権力欲があったのだと、ほっとした気持ちからだった。
イーザロー国とのいざこざは、頭の切れる宰相に任せたが、それからの計画はこちらが握っていたのに、いつの間にこのような事になったのか分からない。
宰相が王を殺す程、この国を欲していたのは意外だったが、彼自らが王を殺す事以外はすべて予定通りだったはずなのだ。
協力する貴族と宰相は、最後まで互いを知らなかったから、貴族が宰相側に取り込まれる事もなかったし、王太后が一人孤立する事も無かった。
皆がそれぞれで計画を実行し、順調に王宮襲撃までたどり着いたはずなのだ。
だが今、この計画を実行していた者全員がこの屋敷に集まっていて、袋の鼠になっている。
「ユロ伯爵、貴族の屋敷には必ず秘密の抜け穴があるはず。そなたはそれを、屋敷の者から探って参れ。いつまでもここにおれば、命は無いやも知れん……」
ユロ伯爵は驚いて、部屋を飛び出していった。
王太后は自分の運の強さを、信じたかった。
玄関上のバルコニーに、宰相は姿を現した。
いつもの黒い質素な服装だった。
見慣れた姿に、一瞬ブリニャク侯爵は笑いかけようとして、顔を引き締めた。
これからの会話は軍の者達も聞いていて、後々証拠になるから、慎重に言葉を選ばねばならない。
「何故斬った?」
バルコニーの宰相が、笑ったように見えた。
「どうして、私が陛下を斬ったとはっきり言わないのだ」
侯爵は、宰相の意地の悪さに歯噛みした。知らなかった周りの兵がどよめいている。動揺が広がった。
「この平和ボケした国に嫌気がさしたのだ。王太后殿下が復活すれば、私にも王を弑して国を手に入れる機会が来るかもしれないと、思ったまでの事。誰ぞに、私を連れて来いと言われて、子供の使いの様にやって来たのだろうが、お前は昔から馬鹿の一つ覚えで、言われた事しかできないのだな」
ブリニャク侯爵の側近が、酷い言われように顔色を変えて剣を抜いた。
「陛下はお前がどうして、このような事をしたのか知りたがっておられるぞ。今ここで投降すればお慈悲があるはずだ」
宰相はベランダの手すりに近づき、下に居るブリニャク侯爵の顔を見た。
表情はいつもと変わらないようだったが、瞳は真剣だった。
「王はまだ生きているのか? なんと私はしくじったようだな! それならば、私には国を手にいれる機会は無くなったと言う事だ……。投降はしないぞ、最後まで戦う」
宰相はバルコニーから姿を消した。
ブリニャク侯爵は顔を歪めて、友人の頑固さと偏屈さに腹を立てた。何かを熱心にやりだすと、人の言う事を聞かない性格だった。日常は己の主張などまったくしないのに、聞いて欲しい肝心の時に、融通の利かない性格が顔を出すのだ。
このままいけば、この屋敷を攻め落とさねばならないのだと、茫然とした。若い頃から出入りした屋敷の中には、思い出が詰まっている。
ブリニャク侯爵は人前も憚らず、泣き叫びたい気持ちだった。
執事長は主人を前に困惑していた。
目の前に差し出されたのは、屋敷の秘密の通路の図面であった。
「夕食の準備を早く仕上げて、使用人を皆逃がすように」
執事長はそれを返した。
「使用人の私達が知ってはいけない事でございますし、何故屋敷を離れねばならないのでしょうか? 私は旦那様のお傍におりませんと……」
執事長は主人の意図を知りながら、あえて無視した。この状況で逃げるほど、忠義心の無い自分では無かった。
「うむ……コエヨ、お前は逃げるであろうな?」
「はい、旦那様のお申しつけでしたなら。カノー殿も逃がさねばなりませんし」
執事長は護衛のコエヨがあっさりと、逃げる事を選択したのを批判の顔でみたが、秘書の名前を出されると苦渋の顔をした。
城から一緒に公爵邸に来てしまったが、カノーはれっきとした貴族の嫡男で宰相の秘書官と言うだけの関係である、この一件にはなんら関与していないだろう。
これ以降、宰相の秘書官をしていたと言う事が、経歴の傷になる事のほうがよっぽど、大変な事であろう。
執事長はコエヨの意見が正しいので、反対がしづらくなった。
結局コエヨが自分に任せてくれというので、執事長は使用人達や秘書官のカノーにそれとなく、こらからの事を伝えに行った。
「頑固な爺さんですね」
コエヨが笑いながら、地図を見ている。
「覚えているのか? 持っていていいのだぞ」
「いえ、誰かに盗られたら大変ですから。……処理する鼠の数は、多いほど良い」
宰相は聞こえぬふりをして、二階の大広間に向かいバルコニーから姿を見せた。
軍人が、現れた宰相を指さしている。
先ほどの王を斬った話を聞いたのか、口々に非難の声を上げている。
空を見上げると、午後の遅い時間だが陽はまだ少ししか傾いていなかった。オレンジ色の強い陽射しが顔を焼いている。
暫くすると、呼ばれて軍務大臣、将軍、ブリニャク侯爵がバルコニーの下にやって来た。
三人とも慌てた顔をして、見上げている。この状況をどうしたらいいか検討していたのだろう。
先ほどから閉鎖した玄関や裏口の扉を、丸太で打ち付けている音がしている。
軍はまだ宰相の身分だった男に、遠慮しているのだろう。
大砲を持って来て一発打ち込めば、扉どころか屋敷の壁に穴が開くのだ。
「お前達は甘い! だから私達の様な者に付け込まれるのだ! その馬鹿で阿呆面を、少しは厳しくしたらどうなのだ」
「閣下! どうしても、ご一緒に王宮には来て下さいませんか?」
いつもの口調で軍務大臣が、宰相に懇願した。
ほとんど泣き声だった。
彼も若い頃からの知人で、軍が何たるかを宰相に直接教えられたのだ。
王に斬りつけたと知っても、宰相を罰する事に躊躇いがあったし、今でも間違いだと信じたかった。
「ヴァランタン!! お前は子供の頃から体ばかりが大きくて、頭はさっぱりだったな。だから隣の国の王女と結婚などするのだろう。少しは頭を使って小狡く生きるが良い!」
ブリニャク侯爵は人前で秘中の秘をばらされて、ジタバタした。
「お前なんで知っているんだ!!」
「馬鹿な男の行動は、隠してもすぐにばれてしまうのだ。娘はお前に似なくて良かったな!」
宰相は裏玄関の扉が破られる音を聞いて、バルコニーから離れた。
一瞬ブリニャク侯爵が、顔を歪ませるのが見えた。
この後もう一話投稿します。




