第79話
夜が明け、宰相は皆を集めて檄を飛ばした。
バルコニーから黒い服装の宰相が現れると、どよめきが起き皆が二階の宰相を見た。
「すべては順調だ。私が国政を取り仕切れば、何も心配する事はない。お前達は、逆臣などと言う言葉は信じず、己の信念で行動して欲しい」
広い芝生が生えた庭には王宮襲撃には参加しなかった、王太后に賛同した他の貴族やその従者、私兵等五、六百の男達が集まって、各々話をしていた。
「王は亡くなった! もうこの国は私達の物である!」
そして――王が亡くなった――という言葉は、今まで鬱々としていた男達の心を一つに纏める事になった。
主人の為とは言え、王を倒し国を取っても良いのかと葛藤する気持ちがあったが、宰相の言葉は動き出した計画を、止める事は出来ないと決意させた。
――おおおお!!!――
男達の雄たけびが響き、皆硬い顔で剣を天に向かって上げた。
宰相は室内に戻り、まだ興奮冷めやらぬ声を聴きながら、優雅に茶を飲む王太后を見た。
「一国の宰相とは、人を煽る技術も一級品よな」
胸元が大きく広げられたドレスは、最高の織の技術で織られた薄い絹でできており、模様も砂漠の国の特徴ある模様で、白地に緑、赤、黄色と極彩色の糸で彩られていた。
朝方就寝したのに、きっちりと化粧をして、頭も日頃夫人の頭など結ったことがないはずの、公爵家の侍女によって綺麗に整えられていた。
宰相は――自分の使用人は優秀だったのだな――と、意外に思っていた。
昨夜夜中に王太后を連れて帰ってきても、誰一人無駄口を叩かず少しの言葉で理解して、王太后を迎える支度をしていた。
夜からずっと他家の男達がやってきて、食事の用意や休憩所の設置とやる事は多かったはずだが、朝まで皆立ち働いていたのだった。
非社交的な主人のせいで広大な屋敷には誰も訪れぬのに、公爵家としての体面を整えるために日夜働いている使用人に、宰相は感謝した。
「私は演説などという物は、した事はございません。まあ、ただ今の状況を正確に知らせて、己のなすべき事を、思い出させるだけでありますよ」
「それであの者達は、いつ王宮に出撃するのじゃ? 綺麗に整えられている王宮を、壊すことはならぬと強く言っておくようにな?」
「さようですな……」
宰相は頷いて、開いているバルコニーの窓から外を見た。
夏の青い空は白い雲を浮かべ、これから益々暑くなると教えていた。
暴徒が火を点けて回った王都の下町の家は、あちこちが焼け落ち逃げ出した住民達は、煤けた顔や体で路上に、座り込んでいた。
疫病に放火と息を殺して過ごしていた住民は、踏んだり蹴ったりである。
母親などは、幼い子供を抱え泣き伏していた。
まだ燻る材木の臭いが漂う中、ブリニャク侯爵、ハンラハン将軍等は衛兵を率いて、王宮に向かっていた。
暴動は軍隊が出てくると、勢いを弱め住人は逃げまどうだけで、衛兵にかかって来る者も多くはなく、戦争を経験していた二人は、おかしいと思いながら治安に当たっていた。
戦場でもそうだが、ある種狂乱に陥った集団は、高揚した気持ちで相手構わず襲い掛かって来るのだが、民衆はそうではなかった。
誰かに統率されているかの様に集団で動き、たいまつを持って、その火で衛兵を誘導しているようだった。
王の命によって住民は殺さぬようにとの事だったので、剣は振り回すだけで斬る事はあまりなかったが、住民は王都の中を家を壊したり火を点けるだけで、軍には対峙しなかったのだ。
一晩中王都を走り回った彼らは、疲れ切っていた。
住民は、明るくなるにつれ段々と姿を消し、街の火を消すのに手を取られているうちに、暴動そのものが無くなってしまっていた。
道には怪我をした者や、亡くなっている者も転がってはいたが、暴動を起こした数にしては少ないでほうであった。
軍隊も、民衆に振り回された一晩だったと、足を引きずって王宮に帰って来た。
サバシア軍務大臣、ハンラハン将軍、ブリニャク侯爵は、王宮に足を踏み入れて立ち尽くした。
夏の夜の暑さと放火の熱さと人の熱気でくたくたであったのに、帰って来た王宮の中も街に劣らず酷い状態であった。
火が出たのか廊下の壁や天井は煤けて、飾られていた彫像が打倒されており、壁の絵も切り裂かれ無残な様子を呈していた。
「何が起こったんだ!」
走り回る使用人や女中は、箒やバケツを持って廊下を行ったり来たりしている。
王宮に帰ってやっと休めると思っていただけに、疲れがどっと体を襲った。
将軍は副官に兵への休憩を伝えさせ、三人は王の居室にとりあえず向かって行った。
それは、王の居室に向かうにつれて酷い状況になっていっていた。
壁に飛び散る血痕、血だまりを作って倒れている男の死体、それが街で見ていた死体より多い気がした。
自分達が居ない間に、まさか王宮が襲撃されていたとは、驚きであった。
三人は思わず、走り出していた。
王の部屋に続く廊下は、近づくにつれて段々惨状が酷くなり、転がる死体も多かったので、狙われたのが誰かは聞かずもがなだった。
大臣も、将軍も、転がる死体の中に知った顔があるので、この襲撃に加担した貴族の名前が数名浮かんだ。
扉の前には近衛兵が立っており、三人の顔を見るとほっとした顔をした。
「ジアンビ伯爵は中においでです」
敬礼をして、扉を開けた。
三人は一晩中動いたせいで汗臭い服装を、謁見の前に着替えようと思っていたのだが、王の居室に居る近衛兵達の姿は自分達と同じようで、何故かほっとした気持ちになった。
「陛下は?」
大臣が聞くと、ジアンビ伯爵は頭を下げた。
「このような事態になり、お詫びいたします」
ジアンビ伯爵の謝罪に、三人は青くなったが、
「その必要はない、これを招いたのは予自身のせいだからな」
と、王の元気な声が聞こえて、ほっとして詰めていた息を吐きだした。
執事や近衛兵が避けて作られた空間から王が姿を現したが、頬に巻かれた包帯を見て三人は声を上げた。
「陛下! お怪我を?」
てらてらと光る滑らかな紫の絹のガウンを着た王は、包帯の間から巻髪をたらしてそれが陽に光り、美しく見えた。
奥の部屋にソファーに座った王と、ジアンビ伯爵と三人が集まっていた。
「……とても信じられぬ話だ……」
王からすべてを聞いたブリニャク侯爵は、部屋の中を歩きながら頭に手を当てて、困惑していた。
彼が宰相の多くない友人の一人なのは、誰もが知っていた。
王も昨夜からの事は衝撃が強く、執事達が怪我を理由に寝かせようとしたが、とてもではないが興奮して寝られるものではなかった。
王も四人に話している事が現実ではない様に、感じている。
宰相が兄を亡くして還俗してから、臣下と言うより友人のつもりでいた。戦争も災害も宰相と共に乗り越えて来たのだが、――いつから宰相は自分を裏切ろうと思い始めたのか――、思い当たる事はあるがこんな事になっても信じたくはなかった。
「皆には疲れている所を済まない事と思うが、宰相の屋敷に行き、王太后と宰相を連れてきて欲しい」
王太后の部屋に残っていた侍女達に話を聞くと、宰相が現れ廊下から逃れて来たユロ伯爵一団と王太后を連れて、屋敷に帰って行ったとの事だった。
「ですが、宰相閣下は、陛下がお亡くなりになったと、仰っておいででした……」
侍女は王が亡くなったと聞いた時も驚愕だったが、こうやって王が生きていると分かっても驚いていたのだった。
「もう予は訳が分からぬ。直接宰相に聞かなければ、納得がいかぬ。将軍、ブリニャク侯爵、難しい事だが宰相を生きて連れ帰ってくれ」
王の頼みを誰が断る事が出来るだろう。
将軍もブリニャク侯爵も体も疲弊しているが、心も萎えた状態で、休息に入ろうとしていた兵士を集め出動命令を出したのだった。
向かう先は、聞いた誰もが信じられなかった、オルタンシア公爵家であった。
終わる終わる詐欺で申し訳ありません(汗)
次回で、王宮争乱編は終わると思います。




