第78話
ユロ伯爵は、二人の会話を聞いていて唖然としていた。
今年の春先から、ユロ伯爵と同じような身分の貴族に話しかけてくる男が居た。
何か不満がないか貴方は何がしたいのだとか、雑談の合間に聞いてきたので意見を言っていた。そのうち彼の妻が王太后の茶会に呼ばれるようになり、王宮の出入りにはまだ慣れなかったユロ伯爵も、舞踏会に出席するようになり、顔見知りが多くなるにつれ、気が大きくなっていったものだった。
彼の妻が王太后と話す内容も、軽い行政批判から始まり段々内容が政治の話になり、宰相ら権力者への非難に変わっていった。そういう内容になると穏健派と言われる貴族の妻は、茶会に出席しなくなり残ったのは自分達の現状に不満の有る、貴族の妻たちであった。
夫達は舞踏会で王太后と話をし、彼女の意見に感化されていった。
その結果がこれである。
王太后の裏には大物が居るだろうとは思っていたが、まさか宰相とは思ってもいなかった。
その上今宰相は、王を殺したと言った。
これはもう後戻りも出来なく、それでいて成功への道が伸びている証しだった。
宰相がこちら側であるなら、何も心配する事は無かった。ユロ伯爵達は欲した役職をもらい、宰相の言う通りに動けばいいだけなのだから。
今まで泣いていたユロ伯爵は涙を拭った。
「閣下、なんなりとお申し付け下さい。手足となり働きましょう」
「ユロ伯爵、王宮に攻め入るなど尋常の人では出来ぬこと。その心意気や良し。ひとまず我が屋敷に引き上げよう」
宰相は思い出したように、王太后に向かった。
「殿下もご一緒に参られませんか? ここしばらくは王宮は騒がしく、殿下のお世話も碌に出来ぬかもしれません。我が屋敷なれば、手は多うございますれば……」
王太后は、――そうよな……―― と、考えた。
今自分には差し迫って危険な追っては掛からないが、王が亡くなれば近衛兵や軍が煩くやって来るかも知れなかったし、ここの使用人は自分への対応が悪いのだった。
「そうじゃのう……、そちの屋敷は美術品が素晴らしいと聞いておる、それを眺めて国が手に入るのを待つのも良い手じゃのう」
王太后はヒラヒラと扇を仰ぎ、
「案内せよ」
と、宰相に頷いた。
王宮から宰相、王太后、腹心の侍女、ユロ伯爵とその配下が、秘密の通路を通り抜け脱出した。
「良くご存知でしたね?」
ユロ伯爵が関心すると、宰相は我が家の秘匿すべき事柄であると、胸を張った。
昔からオルタンシア公爵家で引き継がれている、一子相伝の王宮の隠し通路であった。
王宮の壁を越えて皆は待っていた馬車に乗り込み、数頭いた馬で相乗りして、宰相の屋敷を目指した。
***
王宮の中は襲撃隊が、近衛兵とブリニャク侯爵の私兵とに取り押さえられていて、阿鼻叫喚の騒ぎであった。
近衛兵は襲撃者の中に数多くの貴族と、他の貴族の縁者が居る事を調べその家に追手を掛ける事となった。
「ジアンビ伯爵、人手が足りません。屋敷にそれぞれ向かわせるには今は無理です」
「仕方が無いな、王都に出て行った軍が戻ってきたなら、すぐ対応できるように準備しておくのだ」
ジアンビ伯爵は身なりを整えて、王の居室に向かった。
応答のない部屋を開けて見れば、その中は狂乱の一言だった。
「伯爵様!! 陛下が斬られて、お怪我を……」
執事の一人がジアンビ伯爵に縋りついて来た。
「なんと!!」
ジアンビ伯爵は人だかりになっている方に走り寄ると、王がソファーに横たわり頬を布で抑えられていた。
「陛下!! 一体誰がこのような事を?」
伯爵は、自分達の所には犯人らしき者は来なかったなと思い訊ねた。
王も周りに居る執事達も黙り込み、口を開かず気まずそうな顔をして、互いに見合っていた。
「宰相だ……」
王が不貞腐れたように、言葉を投げ出した。
ジアンビ伯爵は次の言葉を待ったが、王は唇を尖らせているだけで、何も言わなかった。
「伯爵様……、私達がここで陛下をお守りしておりましたら、突然宰相閣下が現れて、小刀で陛下に斬りつけたのでございます。二太刀目を陛下が防ぎますと、閣下は秘密の通路からお逃げになりました」
ジアンビ伯爵は王が怪我をしていて、執事が嘘など吐くはずが無い事を合わせると、宰相が斬りつけたのは事実なのだろうが、余りにも馬鹿げた事の様に思えた。
それは茶番の様だ。
最も信頼がおける宰相が王を斬るのには、余程の理由があるはずだった。
「陛下、宰相がどこに逃げたかは、お分かりになりますか?」
じっと動かない王に、ジアンビ伯爵は辛抱強く待った。
「あれは、王太后殿の所に行ったのであろう……」
悔し気に呻くように、王は言葉を紡いだ。
ジアンビ伯爵は――はっ――と頭を下げ、王太后の部屋に向かった。
雪解けと言っていいような王太后との仲であったが、それが幻想だったと王も分かったのだろうと、伯爵は思った。
近衛兵は誰もが、王太后が王を良く思っていないと考えていた。
三十年以上辺境の地に押し込まれていて、誰がそれを自分に科した本人を許すと言うのだろう。
恨みこそすれ融和などありえない。
それを王だけが分かっていなかった。
王太后の部屋は数人の侍女が残っているだけで、予想通り誰も居なかった。
「どこに行かれた?!」
怒鳴るように尋ねると、
「宰相閣下のお屋敷に向かわれました」
一人の侍女が答えた。
王の言う通り宰相は王太后と合流し、屋敷に逃げ帰った。ここで身動きが取れなくなれば、命取りになりかねないだろう。屋敷からなら兵さえ集めれば、まだ逆転の目はあるかもしれない。
伯爵は取り合えず、宰相屋敷を包囲する事だけを考えた。
一番逃してはならない、宰相と王太后が一緒にいるならば都合が良かった。
今残っている人数で宰相の屋敷に向かう事とした。
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城下の遥か先の山際を見れば、青色が薄くなっているのが分かった。
「夜明けが近いな……」
ジアンビ伯爵の馬はそれに応えるように、嘶いた。
傷ついて動けない者以外は、宰相の屋敷に向かっている。王都の争乱は、たいまつの動きから落ち着いてきているようだが、まだ軍が引き上げてくるようには見えなかった。
城門を閉鎖している現状では、王都から逃げ出せるとは思えないが、ここまでの事件の用意周到さを考えれば、何処に逃げ道を作っているか分からない。
だから早く二人を取り押さえたかった。
逸る気持ちで、伯爵は馬の尻をけった。
ジアンビ伯爵の身からすれば、公爵邸は王宮と変わりはなかった。
門から見える前面の玄関の造りは、ほとんど王宮と同じだった。
長い歴史のオルタンシア公爵家の当主である宰相が、このような愚かな真似をするだろうか、巨大な屋敷を見てジアンビ伯爵は思った。
王都の屋敷でさえ城のようなのだから、領地の館はきっと城なのだろうと、取り留めのない事を考えていた。
来てみれば公爵邸は篝火が焚かれ甲冑を着た男達が、庭の警備をしていた。
外にいるだけでも百人近くが、剣を持って広い屋敷の警護をしている。 屋敷の中には何人いるか分からない。
「どこからこれだけの男達が、集まって来たのだ。宰相が私兵を持っているとは聞いた事が無い」
ジアンビ伯爵が、副官に問いただすと、
「たいまつに映される旗を見ますと、王宮を襲った貴族家の旗が多く見受けられます。王宮を襲った以外の兵がここに集まったのでは?」
「何のために? 王宮をこれからまた襲撃に行くのだろうか?」
それならば、早くここを封鎖して屋敷内で決着を付けたい所だ。貴族街や、王宮を襲われると厄介な事になる。早く軍が王都内を鎮圧して、援軍に来てくれることを願った。
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王太后は用意された美しい部屋を気に入り、公爵家の侍女達に世話をされて夜明け前に寝室で眠りに就いた。
「閣下……昨夜王宮を襲撃した者達の、家臣や私兵が集まっているのは、どういう事なのですか? 私は聞いておりませんが」
ユロ伯爵はもう疲れて立っておられず、椅子に腰かけ公爵家の執事に酒のグラスを渡されていた。
「各家からバラバラに出撃しても、軍が現れれば簡単に腕を捻られてしまいますからね。貴方達が王宮を襲った後にここに集まるように、連絡をしておいたのです。夜が明けてから整然と王宮に入場すれば、誰も只の暴動ではなく、想いを持って集まった政治集団と認める事でしょう」
ユロ伯爵は眠気から、宰相の話が半分も頭に入ってこなかった。グラスを持ったまま船を漕ぎ始めた。
執事はそっとグラスを取り、テーブルに置いた。
「ご苦労であったな。男達が集まって来て、屋敷に混乱は無かったか?」
執事長が頭を下げ、宰相に真剣な声で答えた。
「事前に聞いておりましたから、混乱はございませんでしたが……旦那様、先程から不穏な言葉が聞こえておりましたが、どうなさったのでございましょうか?」
宰相は長い付き合いの執事長の顔を見て、
「陛下を弑し奉ろうとしたのだ。もっとも失敗したのだがな……」
と、可笑しそうに口元を上げた。
執事長は起き上がり、じっと若い頃から知っている公爵を見た。
「昔から旦那様は間違いをなさらない、頭の良い方でございました。今回の事も深いお考えが有っての事と存じます」
宰相は――うん――と頷いた。
「すべて思うがままに動いておる、私は自分の才が恐ろしいぞ……」
笑う宰相に執事長が窘めた。
「旦那様がご冗談を仰っても、少しも可笑しゅうはございませんからお止め下さい」
「そうだな、私は子供の頃から少しも面白い事が言えなかった」
宰相は立ち上がり、次にやって来る戦闘に思いを馳せた。
――さあ一世一代の計画を、成功させる時が来ているぞ――
王宮争乱編(?)終わりませんでした。
あともう一話お付き合いください(汗)




