第75話
「しかし、王太后様の陰謀である証拠がございません!」
王太后は宮殿に来てから出掛けたとか、誰かを呼んだという報告はなく只貴族の夫人達と茶会をし舞踏会に出席していただけであった。怪しい動きは一切なかったのである。
「それはこれから分かるであろうが、その証拠固めには予と言う餌が必要なのだ」
サバシア侯爵はとんでもないと首を横に振ったが、結局王宮から出る事が叶わない王は、自然とその様な事になるのだった。
「しかし……イーザロー国が後押しをしているのならば、随分早い時期から計画は練られていたのではありませんか? 王太后様が許されたのは、イーザロー国が攻めて来た後だったのですから」
確かに王太后が許されるのを知っているかのような、イーザロー国の行動であった。
春遅くの会議で王自らが、王太后を許すと言ったのであり、それまで誰もそれは知らなかったのだ。
「うむ……それが不思議よな……」
急に王が体を硬直させ、顔色を失くした。
「陛下? どうなさいました? お加減が悪くおなりにでも?」
ここで王が倒れでもすれば、何が起こってもおかしくない状況になってしまう。側近達は傍に寄って来た。王は手で皆を制し、すっと息を吸った。
「何ともない……、サバシア侯爵、警備の方法を考えよ」
皆の疑いの目を感じながらも、王は今夜からの軍の警備を話し合った。なるべく人目に付かず、現れる襲撃人達に警備状況を悟られぬようにと。
王は、サバシア侯爵やハンラハン伯爵と警備の話を詰めていたが、心の中は嵐が吹き荒れていた。
***
イーザロー国が攻めてくる前に、たった一人にだけ、王太后を釈放したいと告げた人物がいた。
もし王太后を釈放する情報が事前に流れたとしたら、その経路であろうが。しかしそれは絶対あり得ない、経路のはずなのだ。
冬の終わりというより早春、今年も一年が良い年になるような予感がし、王太子や王子、王女の成長が感じられ国の安泰が続くと思えたあの日、時々頭に浮かぶ幽閉されている王太后の事を考えた。
そして幽閉されてからの年月を思うと、もう許しても良いのではないかと思ったのだ。
王太后も七十近い年でもあるし、辺境で一生を終わらせるのも忍びないと思うようになっていた。
死に近い年でもあり、変な欲望も消えていると思っていたのだ。
私室に呼んだ宰相のオルタンシア公爵に、王太后の幽閉を解くのに何か差し障りが有るかと、只自分の意向を伝える為だけに聞いたのだった。
しかし、宰相は猛烈に反対した。
王太后を釈放すればこの国に仇し、王は必ず後悔するだろうと。
今まで宰相にこれ程反対された事はなかった。
若い頃から宰相は王の片腕として、奔放な性格の王の舵をとりながら、国政を行い豊かな国作りに協力してきて、一度たりとも王の意見に反対をした事はなかった。
あれが初めての反対であった。
今なら強行な反対意見も、この結果を見れば分かるが、あの時の王は――この世の春を思う――自惚れで自信過剰であったのだ。
たった一度の宰相の反対を押し切って行った、王太后の釈放がこの結果である。
誰がどうやってではなく、疫病の蔓延と王太子達の暗殺が起こっただけで、十分な証拠だった。
すべての糸は王太后が引いている。
そして、考えたくはないが、宰相が何がしかの関係を、王太后と持っているのかもしれなかった。
しかし昔、宰相は、オルタンシア公爵を継ぐはずの兄を、王太后の邪魔になるとされて殺されている。
その上に、王の異母弟を預かりながら暗殺されて、王太后には恨みこそあれ、手を組む理由など有るはずが無かった。
宰相が王を裏切るはずがない。
一点の疑問を残しながらも、王は宰相を信じていた。
日が落ちてから、王都では住民の暴動が始まった。
食料の不足に病気の蔓延の恐怖が、とうとう住民の抑えを取り払った。
病人の呻き声や苦痛の声が響く建物の中で、外から空気を圧する振動が伝わって来た。
汗を掻いている子供の額を拭っていたリリアスは、その振動が何か分からなかった。じっとして聞いていると、それは人の足音と叫ぶ声だと分かってきた。
傍で一緒に病人の看護をしていたオテロは、リリアスよりも先に騒動を感じ、入り口に走って行き夜風を入れる為に開けられていた両開きの扉に閂を掛けた。
「どうしたの?」
突然のオテロの行動に、リリアスは戸惑っている。
「とうとう始まってしまったようです。住民の我慢の限界が来たのでしょう。皆城門を目指しているはずです」
長年の経験から分かるが、ただ王都の外に出るために城門を目指していた住民は、衛兵や国に盾突くと言う行為に興奮し、ついには暴徒と化すのだろう。
城門を守る衛兵達がどれだけいるか分からないが、きっとそこにいるであろう主人の無事を祈り、リリアスの傍にいるしかない、オテロは歯噛みしていた。
「侯爵様は大丈夫かしら? いくら衛兵が強いといっても、大勢の住民が襲ったら、危ないのではないの?」
「大丈夫です! ただの平民にやられる旦那様ではありませんよ」
オテロは自分の不安を隠して、リリアスを安心させた。
ブリニャク侯爵の腕なら自分一人助かるならば、どうにかなるだろうが、衛兵達の事も考えると非常に危うい事になるだろう。
主人があの場を、死に場所などと考えていなければ、良いのだがと案じていた。
「陛下!! 住民が暴徒と化しましてございます」
「何!?」
侯爵たちとの話し合いが終わり、そろそろ休むかと思っていた矢先の知らせであった。
「何故分かる?」
「皆たいまつを持ち、城門を目指しておりますれば……。物見の塔から見ますれば、まるで火の川のようでございます!!」
住民はこのままでは王都で略奪をし、その勢いで王都を脱出し疫病を地方にまき散らして進んでいくだろう。それをさせればこの国は終わってしまう。
赤い火の流れが徐々に大きくなり勢いを増していくように見える、王は民の本当の恐ろしさを知って体が震えた。
「サバシア侯爵とハンラハン将軍に、軍隊の出動を命じよ! 決して住民を王都の外に出すなと伝えよ!!」
側近は――はっ――と頭を下げて、機敏な動作で走って行った。
城壁の上で王は、一つの決断の甘さが引き起こした事の大きさを目の前にして、ずっと忘れていた緊張感と、自国にたいする責任の重さを改めて感じていた。
軍を集める招集ラッパが鳴り、馬の嘶きや人々の怒号が城壁の下から聞こえ、兵を整列させる将軍の大きな声が聞こえた。
「出撃!」
将軍の威厳に満ちた号令が、無言の兵達を駆け足にさせ、開かれた門から訓練された隊列で出て行った。
――王都で民を相手に、軍を出撃させた――
黒い波のような軍の行進を、見てはいたくなかったのだが、目を離す事は出来なかった。
――すべては己が招いた事なのだから――と、言い聞かせて。
そして、その策略はとうとう牙を剥く。




