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祈る娘  作者: オーガ
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第73話



 昼過ぎの離宮の外には、衛兵もおらず暑い日の陽射しが短い影を作っているだけだった。

 その眩しい陽の中を、護衛のコエヨのみ連れて宰相は姫の元を訪ねた。

 

 姫は茶会の夜に腹痛で倒れ、デフレイタス侯爵と同じ症状が現れ、まだ侯爵より若かった為に意識を無くすまでにはいかなかった。

 却ってその方が辛く、腹痛で一晩中苦しんだのだった。

 侍女は一人しか付かず、親身に世話もしてくれなかった。


 今はやっと落ち着いたが、まだベッドからは起き上がれない。 

 侍女長は宰相の訪問を断りたかったようだが、命を落としかけた姫の見舞いは、この国の宰相として当然と押し切った。


 薄いカーテンが引かれた薄いピンク色の壁紙の部屋には、可愛い小家具が置かれ姫が居心地良く過ごせるように、しつらえられていた。

 

 部屋には誰もおらず、宰相が(いぶか)し気な顔をして侍女長を見ると、

「只今昼食の時間でありますから、侍女も食事を取っていると思います」

 と、平然と宰相に告げた。


 宰相は、自分が来ると知ってもなお、姫への待遇を改めない者に何を言っても無駄かと思い直した。


 デフレイタス侯爵の時と同じく病人の傍に寄る為に、静かにゆっくりと近づいた。 

 姫は顔色は悪くまだ荒い息をしていたが、デフレイタス侯爵よりはもっと生気があるような気がした。


「姫様……、ボエニでございます。お眼を覚ます事は、叶いますでしょうか?」


 日頃より感情のない平坦で物を伝えるだけの宰相の声は、今は小さいが姫を心配し気遣う優しい声であった。

 侍女長も宰相の声に、この人はこのような感情溢れる声を、出せるのとかと驚いていた。その上宰相は姫に自分の名前を、呼ばせているのも驚きだった。

 宰相が姫を、近しく親しい者と思っている証しだったからだ。


「姫様……」


 宰相はさらに姫を呼ばわった。

 姫は長い睫毛を震わせながら、そっと目を開けた。苦しい中誰も優しい声を掛けるでもなく、義務の様に汗をぬぐって薬と水を飲ませてくれるだけだったのだ。

 それが今は聞き慣れた声が、優しく自分を呼んでくれている。どうして目を覚まさずにいられるだろうか。


 ぼやけた視界には黒い物が見え、段々焦点が合うと見慣れた顔が心配げに見下ろしていた。


「オルタンシア公様……」


 姫は笑おうとしたが、体にも顔にも力が入らず、ただ宰相を見つめるしかなかった。


「お話にならずとも、姫様のお考えは私には分かります。そのままお聞き下さいませ」


 宰相は侍女長を見て、部屋から下がらせた。もはやこの時期には宰相の言葉も何らかの計略も、姫や自分達には影響がないと、思い定めたからだろう、彼女はあっさりと部屋を辞した。


 心細げな顔をした姫は、宰相を見ておりこんな時に寝室にやって来るのは、余程の要件があるのだろうと推察していた。


「お体が辛い時に、寝室まで押し掛けて申し訳ありません。姫様がこれからどのような扱いになるか、分かりませんから、今どうしてもお話せねばならぬ事があるのでございます」


 姫は、宰相の真剣な顔に緊張し、次に話される事に身構えた。


「姫様の母上は……この国の王の異母妹でございます。……ええ、お信じになられないのは分かりますが、母上様と乳母殿はご存知です。ですから姫様は、平民とイーザローの王との間に生まれた庶子ではございません」


 姫は宰相の言葉に、今までの生活の根底にある物の正体を、知った気がした。

 母や乳母の自分に与える躾が、他の住民が子供に与える躾と、違っているのに違和感を覚えた物だった。

 だがそれも、今の話で全てが理解できた。

 フレイユ国の言葉で話すのも、貴族のような会話や仕草や礼儀作法の教えも、自分がフレイユ国に戻った時に役に立つようにとの、母たちの考慮だったのだ。

 だからこの王宮に来ても戸惑う事はあっても、何も分からないという事は無かったのだ。

 

 ――いつか母は、自分を連れてこの国に、帰って来るつもりだったのだろうか――


 姫は母の気持ちを知りたかった。


「いずれ母上様と乳母殿は、この国に帰って参られるでしょう。その時をお待ち頂ければと思っております。さぞや、母上様にお会いしたい事でしょうね?」


 誰も言ってくれなかった事を、宰相が言ってくれたので、姫の心は緊張が解け瞳から涙が零れ落ちた。

 宰相は持っていたハンカチで、姫の涙を拭いさらに言葉を続けた。


「母上様がこの国を出られたのはまだ赤子の頃だったのですが、母上様には兄上様がおられ、その時は五才になっておられました。母上様は赤子の為、上手く追手から逃れられ、イーザロー国に身を潜める事が出来ましたが、兄上様は国を出る事が出来ませんでした」


 姫に理解が出来るか宰相には分からなかったが、今話しておかなければならなかった。


「追手には顔が分かっておりましたから、国境を越えられなかったのです。そこで護衛の者は、当時宰相をしていた私の父に助けを求めました。……父は、世捨て人の様に、田舎の僧院で僧侶として修業をしていた私に、兄上様……つまり姫様の伯父上にあたりますが、をお守りする様にと預けて来たのです」


 姫は自分の母と伯父と、宰相との関係に驚いた顔をした。この国に来た時からとても優しく気遣ってくれていたのは、そういう理由があったからなのだと、分かったのだった。


 宰相は姫を見ているようで、その眼はずっと昔を見ているようだった。 懐かし気な恐れるような、複雑な色を見せていた。


「当時私は、十七才ぐらいだったでしょうか。伯父上をなんとか、お守りしようとしていたのを覚えております。ですが貴族の次男で、甘やかされて育った私が、幼い伯父上を守ると言う事がどの様な事だったのか、理解していたとは思えません。……ある日、ちょっと目を離した時に伯父上はいなくなり、必死で探していた時に、僧院の裏の井戸に落ちてお亡くなりになっておりました……」


 姫は息を呑み、伯父の最後を看取ったのが宰相と知り、あまりの事に本当に起きた事なのかと、思うしかなかった。


 宰相はじっと姫を見ているが、その顔はまるで懺悔する人のように、苦し気だった。


「父にもその通りの事を話しましたが、――事故――と誰が思った事でしょう。伯父上は誰かに殺されたのです」


「まさか……、そんな……僧院でそんな事が、本当に?」


 宰相は頷いた。

 四十年近く、あの日の事を考えているが、事故とは思えない事ばかりだった。


「私は、父に頼まれた事の重大さを実感していなかったのです。頭ばかり小利口で、社会の事も人間関係も、煩わしくて逃げていた、ただの子供だったのです。……その僧院に伯父上のお墓がございますから、いつか母上と共にお参りに参りましょう」


 宰相は少し笑って、姫の乱れた上掛けを整えた。

「それまでには、姫様はお体を治さねばなりませんね?」


 姫も少し元気な顔になって、宰相に笑いかけた。


「では姫様……、長居してしまいました。今日はこれで失礼致します」


 姫の手にそっと口を付けて、宰相は寝室を辞した。


 去っていく宰相の後姿は、随分と小さく見えたのだった。



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