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祈る娘  作者: オーガ
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第7話

 

――カラン――


 ベルがなって、下男の後に入って来たリリアスを見ると、そろそろ酒がまわってきていた男達は、酔眼を向けてから口を閉じた。


 掃きだめに鶴とはこのことだろう。


ゆるやかに赤毛を巻き上げたリリアスは、下町にいる女にしては小奇麗な服を着ているし、その顔は透けるように白く、緑の瞳は輝き、赤い唇は紅をはいたように、濡れている。


騒がしかった店は、音が無くなったかのように、静かになった。

 

店は奥の厨房の前に数人が座れるカウンターがあり、その手前に4人掛けのテーブルが6卓あるだけの、狭いつくりだった。

 下男がリリアスを守るように、奥のカウンターまで進み、厨房の中にいる者に声をかけた。


「おかみさん、いるかい?」


「いらっしゃい! 初めてのお客さんだね、今日は煮込み肉か揚げ肉で、芋と人参が付け合せにあるよ。酒なら、おつまみに、ソーセージと、酢キャベツだ」


 汗をかいた赤ら顔の、小太りの女が、奥から顔を出した。

女は下男を見てから、その後ろにいるリリアスに気づき、不審な顔をした。

夜に若い女が店にやって来ることは、滅多になかったからだ。


「初めまして。お母さんですか? ペラジーさんと、同じ職場で働いている、リリアスと言います。今日もペラジーさんが休んだので、様子を見にきたんです」


「ああ、ペラジーの……」

 

 女は納得がいったのか、ニコッと笑った。

 母親は、ペラジーの年からして、四十代後半ぐらいだろうが、客商売をしているせいか、とても若く見えて、肉付きの良さからしわもあまりなく、人懐っこそうな人だった。


 彼女の奥には、この店の主人であろう、白髪が多めの中肉中背の無精ひげを生やした、男性が肉を揚げていた。

 油のはねる音がして、肉の良い匂いが鼻を刺激する。リリアスも空腹を感じてきた。


 厨房の奥にいた若い男性が、振っていたフライパンの手をとめ、顔をあげこちらを見た。

 薄茶の髪で、背がひょろっと高く、リリアスを見る目がうさんくさげだった。


「すまないねえ。昨日の朝から、腹が痛いっていうもんだから、寝かせているんだよ。知らせに行けなくて、悪かったねえ」


「調子はどうなんですか?」


「今日も一日寝てたから、だいぶ良いみたいでね。明日には仕事に出られそうだよ。二階にいるから顔を見ていくかい?」


 具合が悪くて寝ているのに、顔を出しても大丈夫かと迷っていると。


「あのおしゃべりが一人でいるんだ、退屈してるだろうさ。エイダ、母ちゃんの所に、お客さんを連れていってあげな」


 カウンターの端で黄色の頭がぴょこんと、動いた。


「こっち」


 カウンターの端にある椅子から飛び降りたのは、三、四歳くらいの女の子だった。

 ペラジーの子供なのだろうが、彼女に似ているのはハーフアップに結われた髪の色だけで、ぱっちりした大きな瞳と、ぽっちゃりとした赤い唇が、小さな顔の真ん中におさまっている。


 頭がカウンターの板に届くか届かないかぐらいの背の高さで、もみじのような手には、自分と同じ色の髪の毛の人形を持っていた。


 とても可愛らしく、リリアスはしゃがんで彼女に笑顔を向けた。


「お母さんの友達で、リリアスっていうのよ。こんばんは、エイダちゃん?」


「こんばんは、リリアチュしゃん」


 リリアスは雷に打たれたように固まった。

 この頃の子供はリリアスとは、なかなか言えない。


――― リリアーチュ、リリアーチュ ―――

 

 寒さにふるえる身体で、必死に自分の名前をつぶやく唇も、つかんだタオルを持つ指の感覚も、忘れてはいない。

 孤児院に捨てられた時、自分はこんなに幼かったのだと、今さらながら衝撃を受ける。

 

リリアスが黙ったまま、動かないでいると、グイッと手を引かれて、カウンターの奥の急な階段を上って、二階の細い廊下の奥の部屋に連れていかれた。


「かあちゃん……」


 ドアを開けてこっそりのぞくエイダの声はこわごわで、大きな声で呼んだら母が壊れてしまうのではないかと思っているように、不安気だった。


 こんな小さな子供にとって、母親は絶対的な存在だろう。

 その母が寝込んで起きられない事は、きっと恐怖でしかないのではないか。


 エイダの肩を抱きながら、

「ペラジー、リリアスよ。起きている?」

 と、小さな声で聞いてみた。


うす暗くなった部屋の奥のベッドで黒い塊が、身じろぎした。


「リリアス? あんた……良くここが分かったね」


 思ったより元気そうな声で安心した。


「工房の皆に教えてもらって、下男の人に連れて来てもらったの」


 エイダはさっと部屋に入りこみ、ベッドで身を起こしたペラジーに抱きついた。


「かあちゃん……」


 身を揉みながら母の胸元に顔を押し付けて、――スンスン――と鼻を鳴らしている。

 ペラジーが良くなるまで、部屋に入ってはいけないとでも言われていたのだろう、甘えるしぐさで母を堪能している。


「仕事終わりに来てくれたんだろう? 疲れているところに遠い所まで、すまないね」


 声はかすれてはいるが、いつものペラジーのようだ。薄暗くなったベッドの上で笑うと、歯が白く浮き上がった。

 長い黄色い髪はおろして、おさげに結い片側に垂らしていて、それがとても幼い少女のようで、寝間着姿もあいまって無防備に見えた。


「お腹が痛かったんですって? もう痛みはいいの?」


「ああ、二日も寝てたんだ、もう大丈夫。明日から仕事に出られるさ。ああ、そこの椅子に座って」


 部屋を見渡すと、窓際に小さなドレッサーがあり、その横にはエイダのであろうベッドが置かれている。

 自分が座った椅子の横にはもう一脚置かれていて、小ぶりのクッションがおそろいで、置かれている。

 広くはないが、若夫婦には居心地の良さそうな、部屋だった。


 ベッドの上で甘える子供を抱いて、髪をなでているペラジーは、工房で見るのとは違って、本当に母親に見える。

 仕事場で布を相手に作業している姿しか知らないから、母親の姿をしているのは奇妙だった。

 

「坊ちゃんの所に行った話も聞きたかったんだ。明日は質問ぜめにするから、今日はもう帰んな。もうすぐ真っ暗になっちまう。あんたみたいなべっぴんが、夜歩いていたら男のいい餌食だ」

 

 まるで母親のような心配げな言葉に、リリアスは驚いたが、長くこの街に住むペラジーにとっては、当たり前の忠告なのだろう。

 リリアスは元気になったペラジーの顔を見たこともあり、安心したのかさっきの肉の匂いのせいかお腹が減ってきた。


「うん、分かった。じゃあ明日ね」


 リリアスはペラジーの側に寄って、うすい肩に手をかけ頬を寄せた。

 薬の匂いがした。


「下男のおっちゃんは、待っていてくれてるのかい? ちゃんと送ってもらうんだよ」


「下でご飯を食べているの、お願いしたら工房まで送ってくれると思うわ」

 

安心したようなペラジーの顔は、もう暗くなって見えなくなってきた。


「おやすみ」

 手を振るペラジーに、手を振りかえしてドアを閉めると、中から


「いっちょにねる……」


 という、エイダの声が聞こえた。リリアスは微笑ながら、階段を下りて行った。


 階段下のエイダが座っていた椅子のところに、色とりどりの布でつぎはいで作られた、小さな手つきの袋があった。

 その配色がまさにペラジーが好む暖色系の色合わせで、リリアスは思わず手に取った。


 中にはエイダが持っていた人形の洋服が、数枚入っていた。

 ワンピースに、エプロン、上着に帽子まであった。

 それらは自分達には買えそうもない高級な服地で作られていて、店で出た端切れをつないでいるようだ。

 

 小さな上着の襟や袖には、細い刺繍糸で縁取りがされていて、白いエプロンにさえ黄色のデイジーが、胸元一杯に刺繍されていた。

 子供の人形の着せ替えに、一流の裁縫技術を惜しみなくふるうペラジーの親ばかぶりに、リリアスは笑ってしまった。


 いやきっと、人形の服とはいえ、手を抜くことができなかったのだろう。夜、手元の明かりでぶつぶつ、ひとり言を言いながらせっせと針を刺しているペラジーが、目に浮かぶようだ。

 ペラジーの職業魂はなんにでも、発揮されるのだ。


 じっと服を見ていると、肩を叩かれ、


「飯も食ったし、店に送っていこう」


 下男が、酒臭い息でリリアスに笑いかけてきた。   



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