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祈る娘  作者: オーガ
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第69話



 離宮から帰ったデフレイタス侯爵は、夕刻まで手紙を書いたり読書などをして時を過ごし、明日着る服や小物を執事と、――あああ、こうだ――と機嫌良く話しながら選び、さて食前酒でも飲もうと立ち上がり廊下を歩いている途中で倒れたのだった。


「旦那様!!」


 執事達の手で寝室に運ばれた侯爵は、腹痛を訴え吐しゃ物をまき散らし、意識を失った。

 医師が呼ばれ、屋敷は緊張に包まれている。


 召使達は、はやり病の病人が屋敷に出た事にも驚いたが、それが当主だったのに衝撃を受けた。

 罹るのなら下働きのような平民街を行き来している者だろうと、注意していたのだがまさか主人が罹るとは思いもよらなかった。


 召使の動揺は屋敷全体に広がり、皆うろうろと屋敷を歩き回っている。


 侯爵夫人は外出する為に支度をしていたが、一報を聞き気絶してしまった。


 呼ばれた医師は侯爵が疫病に罹ったのなら、屋敷の全員が病に倒れる可能性があると、自分も覚悟してやって来た。

 薄暗くした寝室に侯爵は眠っていたが、気を失いながらも吐き下し、腹痛の為かベッドの上で体を縮めていた。

 

 医師は口元を布で覆い、手袋をして侯爵の体に触れた。

 王都での病では発熱し汗をかき、腹を下し吐いて体が干からびるように死んでいくと聞いていた。

 しかし侯爵の症状はそれに似ているが、顔は土気色で唇は真っ青になり、体に発疹が出てきていた。


「こ、これは……?」

 

 一応はやり病の対処方として現在知られている方法をとり、砂糖と塩を入れた水を飲ませ様子を見ていた。


 そこに王宮から使いがやって来た。もう夜もかなり遅い時刻であったので、看病についていた執事は驚いて玄関に出向いた。


 屋敷にやって来たのは近衛の騎士で、夜に馬を飛ばしてくると言う無謀な事を、息も切らせずやってのけていた。


「いらっしゃいませ。王宮からの至急の使いとお伺い致しましたが、当主は今病にて応対できません。代わりに私がお伺い致します」

 執事長が丁寧に頭を下げると、近衛兵は足を鳴らした。


「やはりか!!」

 騎士が怒号の様な声を上げると、まだ休んでいない使用人達が慌てて玄関ホールに集まってきた。


「騎士様、一体どうしたことでありましょう」

 騎士の慌てぶりに執事長も不安な気持ちが湧き、思わず詰め寄った。

 

 しかし騎士はその問いに答えず、

「医師が来ているならば、呼んで欲しい」

 と言ってきた。

 執事長は命令には忠実に応えるように習慣付けられているので、反射的に反応して医師を呼ぶようにと使用人に命じた。


 


 医師と騎士は、侯爵家の応接間で対面した。


「騎士殿、私に御用とは、一体どのような事なのでしょう?」


 侯爵の傍を離れたくなかった医師は、近衛兵と聞いて要件がまったく想像もつかず、苛ついていたのだ。

 夜中に近い時間でも近衛兵は糊のきいた制服を着こなし、夜目にも鮮やかな色の帽子を片腕に抱いていた。騎士はそっと医師の傍に寄り、耳元に口を近づけた。


「医師は患者の秘密を守る義務が有る事は分かっているであろうな?」

 当然の事を言われ医師は、ムッとした顔をして頷いた。


「侯爵は毒を盛られた可能性が高いのだ」


 医師はぎょっとして騎士を見た。侯爵の体に見た発疹がなんであるか、納得がいった。


「閣下は発疹が出ていて、顔色も土気色で……現在王都での疫病とはどうも違って見えたのです。だが何故近衛の方が閣下の御病状をご存知なのですか?」


 騎士は逡巡していたが、医師を信用したのか、

「今日侯爵は宮殿の離宮で、ある姫と高貴な方とお茶会をなされた。今その方々もお苦しみになっていらっしゃる」


 医師は真っ青になった。宮殿での茶会で毒を盛られるとは、あり得ない事だった。


「本当に、今王都で蔓延している病ではないのでしょうか?」

「宮殿の医師も一旦はそれを疑ったが、茶会に出たお三方が一度に病に罹るとは思えないと仰られて、それで同じく出席した侯爵の御様子を伺いに参ったのだ」


 そこで侯爵の病を知りこれで疫病ではなく、毒を盛られたと確証したのだろう。


「それで宮廷医師の方は解毒の方法を何か仰られておられましたか?」

「ああ、毒は野草のようで、もし侯爵も同じ症状ならばと、処方箋を渡されてきた」


 騎士は懐から紙を取り出し、医師に渡した。

 

 医師は貪るように読み、

「急ぎますので失礼致します」

 頭を下げて、部屋から飛び出して行った。


「執事長殿、そなたも他言無用ぞ?」


 執事長は――はっ――と、頭を下げた。


 騎士は颯爽と夜の闇の中を、馬を走らせ帰って行った。



 

「父上!!」


 ラウーシュが夜明け頃、屋敷に帰って来た。リリアスの協力をしていたために、極力屋敷には帰らないようにしていたのだが、父が意識不明と連絡を貰い慌ててやって来たのだ。


 寝室に横たわる父の姿を見てラウーシュは、覚悟した。

 今や王都で病から逃れるすべはなく、誰が罹ってもおかしくない状況だったのだ。

 父の傍にいる執事長や良く知る医師の姿を見て、体から力が抜けそうだった。

 まるで臨終の席に居るような様子だったからだ。


「坊ちゃま!!」


 執事長がラウーシュの顔を見て顔を歪ませた。

 それを見てラウーシュは、絶望を感じた。まさかこんなに早く父が亡くなるとは思わず、自分に伸し掛かる重圧に体が震えた。


 まろぶようにベッドにたどり着き、膝をついて父の顔を覗いた。

 その顔は青白く唇は真っ青だった。

 自分が知っている疫病の人々とは、明らかに症状が違うのに気が付いた。

 医師に振り向くと、彼は真剣な眼差しでラウーシュに噛んで含めるように話し始めた。


「良くお聞き下さい、若様……。閣下は毒で危篤状態に陥ったのです」


「毒だと?」

 

 意外な言葉にラウーシュは声を荒げた。

 父が人から恨みを受ける人物ではないのは、誰もが知る所で剣で斬られる事以上に、毒を盛られるという姑息な手段で暗殺されるいわれがないのだ。


「危篤だと? まだ助かる可能性があるのか?」


 亡くなったと言われるより、危篤と言われる方がまだましだなと、変な事を頭の片隅で思った。


 医師は頷き、解毒の処方をしたので今はまだ顔色が悪いが、少しづつ快方に向かっていると告げた。

 この青白い顔で快方に向かっているのかと、不思議に思ったが、先程まで土気色だったのだと聞くと、そうなのかと思うしかなかった。


「説明を……」


 ラウーシュが、人が変わったように、冷静な声で医師執事長に問いただす。

 執事長はとても言いにくそうに医師の顔を見ながら、昨日からの一件と夜中にやって来た近衛兵の事を話した。

 黙って聞いていたラウーシュは、姫の様子を聞いて顔を歪めた。

 冷たい侍女達に看病されている、苦しむ姫を思うと、すぐに離宮に行ってやりたいと思うのだったが、疫病の事を考えるとそれも出来なかった。

 今毒で危篤状態に近いであろう姫に、疫病が移れば確実に体が耐えられないだろう。

 

 ラウーシュは拳を握りしめた。


「先生……、父は確かに回復するのだろうな?」

「処方が確かでありますから、必ず回復致します。閣下は元より頑健な方でありますし、まだお若いですから、抵抗力もございます」


 ラウーシュは口ごもりながら、姫の事も聞いた。

「姫はどうであろう? お若いが、子供と言ってもよいお年であるし、女性である……。ご無事であろうか?」


 医師は頭を振った。

「何に毒が入っていたか、どれほどお口にしたかで変わりますが、女性の方は抵抗力がお弱いと思われます。楽観はできないかと……」


 それに誰も口には出さないが、王太子と第二王子までもが、毒に倒れたと聞かされているのだ。

 とてもではないが、その先の事を想像するのが恐ろしい。


  ――疫病とこの暗殺の一件が偶然と言えるだろうか?――

 

 この国を継ぐはずの王太子達の禍患かかんと疫病に、貴族達は戦いを挑んで勝てるのだろうか。

 

 ラウーシュは、体が震えるのを抑えきれなかった。






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