第64話
王都は殺気だっていた。
騎士が城門を破って逃げ出した住民を斬り、亡くなった者は焼かれ怪我を負った者は、王都の中に戻されたようだと話が伝わってきたからだ。
――まさか――
と誰もが思ったが、運ばれてくる怪我人がそれを証明していた。
はやり病で人手が足りない状況の中に運ばれて来た怪我人は、ただ包帯で傷口を巻かれ、病気の患者と分けられただけで、碌な治療も受けられなかった。
王都中の医者が、国から貸し与えられた大きな建物に集められ、病気の患者を診ているが助かる者より死んでいく者のほうが圧倒的に多く、医者達は無力を感じていた。
そんな時、幼子が病から回復したという話が聞こえて来た。それも貧民街の子供で、町医者が救ったというのだ。富裕層の主治医をしていた医者達は、その情報を握りつぶそうとした。
町医者が、自分達よりも腕が良いのは、商売に係わると言う事らしい。
しかし町医者は国の用意した建物にやって来て、ある人から教わったという治療法を皆に伝えたのだった。
医者達は半信半疑だったが、その後に貴族から届けられた砂糖や塩などの材料を見ると、一応やってみるべきかと判断したのだった。
自分達の手で助ける事が出来れば、誰に教えてもらったかと言う事など、後々話題にもならないだろうと思ったからだ。
それでも、疫病の蔓延する街中で国の命令で仕方なくとは言え、自分たちの身も危ないのに、病人を治そうとしているのはやはり、立派な事だと言えるのかもしれない。
しかしある程度の人数の病人の容態が良くなったとしても、それ以上に亡くなる人の数は増えていった。
人手も足りなく医者達は、新たに知った治療法に微かな望みを持ちながらも、絶望と言う言葉が頭に浮かんでいた。
そしてとうとう貴族の中にも、病人が出始めてしまった。
国の中枢は混乱した。
「どうするおつもりか?」
古老が節が曲がった手で机を叩き、宰相に詰め寄った。いつもは何も言わない無能と言える老人だったが、自分の周りが危険になってきて乱心したようだ。才ある宰相を持ち上げ、媚びるのが上手かったが今はそれどころではなかったらしい。
「医者を手配し、国の管理する場所で病人を診させておるが、それらに貴方達が協力すると仰るならば、すぐにでも医者や看護の人々を派遣することができるだろうな」
「いや……私に出来ることなど何もないだろう。神にこの災禍を治めて下されと祈るぐらいしかできん」
宰相に協力の事を言い出されると、こそこそと口を閉じ強気な態度を一変させた。
薄っすらと目を開けていた宰相は、
「他に用が無ければ屋敷に閉じこもっていた方が、互いに良いのではないのか?」
と、皮肉気に言い放った。
古老は不満げな顔をしながらも、さっさと会議室を後にした。
会議室に残っているのは、もう数人の貴族しかいなかった。
伝染病対策の為の会議は保身故に誰も意見を言わず、――どうしても用が有るので領地に帰る――と言い張る者が続出し、ただ時間の無駄なだけだった。
宰相は部屋に残った貴族を見たが、彼らは古くから続く由緒正しい家柄の者ばかりだった。
その筆頭であるデフレイタス侯爵が、会議室の窓の傍に立ち外を見ているのは、宰相と話す機会を狙っているからだった。
「デフレイタス侯爵……貴方が残っておられるのは意外な事ですな」
宰相が声を掛けると、いつもは反抗的な顔をして見てくるデフレイタス侯爵だが無表情で、今日は会議中も静かで進行する宰相にも文句を付けなかった。
「この国の困難な時に、私的感情を出すのは貴族としては不味い事だろうと思ってな」
――言葉はいつもと変わらぬな――と、宰相は口元を少し笑みで緩めた。
「会議中には何も仰らなかったが、何か提案でもおありですか?
「ああ……、息子がある医者の治療法に眼を掛けて、援助をしているのだが王都中の病人の治療には間に合わないのだ、宰相からその治療に援助してやって欲しいのだ」
「それは有効な手立てなのでしょうね?」
「当たり前だ! それで幼子が治っているのだ。嘘は言わん!」
宰相は少し考える体で顎に手を当てていたが、すっと手を下ろしデフレイタス侯爵の方を見た。
「分かりました。それなら財務部に連絡を取り費用を出させましょう。それで責任者は息子さんがなるのでしょうね?」
侯爵は――ぐっ――と詰まり、息子の重責に思いを馳せたが、決意した様に頷いた。
「分かった、息子を責任者にさせるが、長くは現場には置かない。我が家のたった一人の、跡継ぎなのだからな」
宰相もその言葉の重さに、真剣な顔で聞いて承知した。
そしてその二人の会話を聞いていた数人の貴族は、デフレイタス侯爵の息子に対して協力を申し出た。
彼らは国の有事に何をしたら良いか分からなかったが、できる事が有ればとこの場に残っていたのだった。
「貴方方のような人が、本当の貴族と言うものなのでしょうね。この恩は忘れませんよ」
宰相はそれぞれの貴族と握手をすると、少し興奮気味に会話を続け皆を感激させた。
しかしデフレイタス侯爵だけが、鼻に皺を寄せて嫌な顔をしていた。
暑い陽射しの中、一人の男が王都に向かって歩いていた。
じりじりと頭を焦げつかすような太陽も気にせずに、逸る気持ちに突き動かされて足を進めていた。
その内に、自分がいた町から数日経っていたが、王都に向かうにつれて人の数が減っていくのに気が付いた。
男と前後して歩いている旅人も同じように気が付いたようで、キョロキョロと周りを見ていた。
後ろにいた男が小走りで近づいて来た。
「なあ、なにかおかしくはないかい? 王都に向かう人はいつもなら大勢で、荷馬車もひっきりなしに私を抜いていくのに、一台も通らないのはおかしいよな? それに王都からの人が誰もやって来ないんだよ」
男は旅慣れていないので、旅人の言う事には同意できないが、王都に向かう人が少ないのにはおかしいと思い始めていた。
「私は金がもったいないから、野宿でここまで来たんだが、あんたは宿に泊まって噂を何か聞かなかったかい?」
旅人が聞いて来たが、男も同じような移動だったから人とは何も話していなかった。
「いいや何も知らないんだ。とにかく王都に行けば、この変な事は分かるだろうよ」
「ああ……そうだな。じゃあ一緒に王都に向かわないか? なんだかこんな様子じゃ、一人で旅を続けるのは心細いんだ」
男は自分もそう思い始めたので、ありがたくその言葉に乗った。
肩を並べて歩く二人は、名前を名乗りあった。
「私は王都にある商店の番頭で、故郷で姪の結婚式に出席した帰りなんだ。グエンダル・アミエだ」
「俺は知り合いの所で料理の修行をしていて、嫁さんの所に帰る所だ。ベゾス・ボダニだ。道中宜しくな」
二人はまだ王都の状況を知らなかった。




