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祈る娘  作者: オーガ
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第6話


 侯爵家から帰ってきたリリアスは、待ち構えていた女工達に質問攻めにあい、午前中の仕事ははかどらなかった。午後になれば来るかもしれないと思ったペラジーは、やってこず本当に話し相手になってほしい者がおらず、リリアスは消化不良だった。

 

「失礼はなかったでしょうね」

 

 本来ならば一緒に、行かねばならないマダムは、若様の―必要ない―の一言で断わられてしまったのだ。

 侯爵家の屋敷の事はリリアスよりも詳しいマダムは、心配げな表情だった。


「奥様にお会いしました」


 マダムは思わず、手にした煙管を落とすところだった。

 いつもは冷静な顔をしているマダムが、ぽかんと口を開けて、なにか言おうとしたのだが、言葉がでず、肩を落とした。

 

「とんでもない事だわ!」


 リリアスを怒るでもなく、独り言のように、声がでた。


「あなた……、侯爵夫人にお会いするなんて……、どういう事か分かる?」

 

 ソファーから、身体ごと乗り出したマダムは、煙管をリリアスに向けた。

 リリアスも、とてつもなく、すごい事だろうとは思うが、よくわからなかった。

 やけに冷静なリリアスにマダムはため息をついた。

 

「そうね……、あなたに分かろうはずもないわね。……侯爵夫人は、それは、それは、プライドの高い方で、王妃様にでさえなかなか膝を折らないという、有名な方なのよ。お生まれは公爵家でね、身分下の侯爵家に嫁がれるのを嫌がられて――修道院に入る――とまでおっしゃられた方なの」


 リリアスにすれば、公爵も、侯爵も変わらぬ歴然とした貴族の代表なのだが、何が嫌なのだろうか。


「まあ、今の侯爵閣下が、好きなだけ装飾品に財産を使ってもよいと、おっしゃられてやっと首をたてに振られたの」


 ――なんと素敵な男性だろう。装飾品…………レースに、ドレスの生地、刺繍糸、ボタン、絹の靴にストッキング……――

  

 きっとあの侯爵夫人はリリアスの見たこともない、布やレースを持っているのだろう。

 それらをどれだけ買ってもよいとおっしゃられた、侯爵閣下の男前なこと。

 見たこともない侯爵を想像して、リリアスは興奮で顔を赤らめた。


「あなた……、そうとうな者ねえ」


 赤くなった頬を押さえて、口を開いているリリアスを見て、マダムもあきれている。

 

 ドレスを着たいと思ったことはないが、あまたある生地を手に入れて、思うままのドレスを作りたいとは願ったことはある。女としてはどうかと思われるが、職人としては当たり前の感覚だと思う。

 

「このデザイン画は一度目を通しておくわ。今日はご苦労様」


 まだぼーっとしているリリアスを残して、マダムは部屋に引き上げていった。




 翌日もペラジーは仕事にやってこなかった。にぎやかな彼女がいないと、仕事部屋は静かで、はさみの音や、布に刺す針の音さえ聞こえてくる。


「ペラジーが休む時には、連絡はこないの?」


 いつも彼女の助手をしている娘に聞くと、


「ううん、いつもならお店の下働きの子が来るんだけど、今日もきてないよ」


 十歳ぐらいの、頬が赤い助手の子は、無邪気に頭を振った。


「お店をやっているのよね?」


「うん、飯屋を家族でやっていて、夜は居酒屋になるんだって。ねえさんは帰ったら、居酒屋を手伝うって言ってた」


 昼は裁縫、夜は居酒屋とは、休む暇もないのではないだろうか。

 もしや体を壊して、お店の人手が足りなくて、連絡もできないでいるのではないかと心配になってきた。


「ここから、遠い?」

 

「うん、ここと反対側の街にあって、歩くと半刻ぐらいかな」

 

 ――そう――

 

 と言ってから、リリアスは立ち上がった。


 周りの女達からペラジーの家への道筋を聞き、会いに言ってくると話すと、もう暗くなるからやめたほうがいいと止められた。 

 ペラジーは、慣れた道のりだし顔なじみが多いから大丈夫だが、リリアスには見知らぬ街だし、年頃の女が歩くには物騒だと皆が言う。

 

 リリアスは気にしていなかったが、彼女の美しさが厄介ごとをまねきそうなのは、火を見るよりあきらかだったからだ。

 それでも行くというリリアスに、下男を連れて行けと押し付けられ、結局あまり話した事のない下男と、街を歩くことになった。


 紫色の空が、黒く染められていく下を歩くリリアスは、初対面のような下男に困っていた。

 

 顔は知っていたが声さえ聞いたことがなかったし、これから夕飯という時に、リリアスの我が儘で、お供に連れ出されて怒っているかもしれない。

 

 付かず離れず、灯りを持って歩く下男に、リリアスは声をかけた。


「ごめんなさいね。とっくに仕事は終わって、ごはん時だったのに、私に付き合わせてしまって」


「かまわないよ。ちょうど帰るところだった」

 

 年の頃なら四十代半ばだろうか、日焼けした顔はしわがあり、いかつい顔つきだが、話し方は思っていたより、丁寧だった。

 まだ若い範疇にある男性が、洋裁店の下男とはおかしいが、それは彼が足を不自由にしているからだろう。


 歩くたびに左の足が少しかたむくのだ。

 足の遅いリリアスに合わせているのではなく、これが彼の普通の歩き方なのだろう。


「足は痛まないんですか?」


 毎日通いで歩いてくるのは大変なのではないかと、いらない心配が浮かんだ。


「痛みはもうない。ただもう、普通には歩けないんだ。先の戦争で、弓にやられてな、少しの金で軍隊はお払い箱だった」


 リリアスが孤児院に捨てられた年に、イズトゥーリス国との戦争が終わり、戦後十年以上もたつというのに、まだ戦争の傷を負って人生を変えられた人がいた。


「田舎に帰って、兄の世話になるのも面倒だったし、王都に来た方が働き口はあるかと思ってな。運よくあの店に雇ってもらって、その上こんなべっぴんさんと肩を並べて歩くことができた」


 ――がはは――と大きな声で笑った下男は、緊張していたリリアスを気遣ってくれたのだろうか、店で顔合わせをしたときより、陽気な雰囲気を出してくれた。


 それに、通り沿いにいる仕事帰りの男達が、ぶしつけな目をリリアスに向けるのを、身体で隠すようにしてくれている。

 孤児院で孤児として成長してきたリリアスにとって、そんな目は慣れっこだったが、年上の男性にかばわれるのは嬉しかった。

 

 大きくなるまで、男の意地悪な目や邪見な視線しか知らず、父親の子供を見守る目を感じたことない自分には、新鮮な心遣いだった。

 知らない人との気づまりな道のりが、思わぬ心温まるものになって、夕暮れの心寂しくなる時刻が、気にならなくなった。


 ペラジーの店の近くまでくると、リリアスはここでいいと下男を帰そうとした。


「帰りはどうするんだ?」


「道も分かったし、大丈夫」

 

 根拠のないリリアスの言葉に、下男はため息をついて、頭をふった。そして灯りを持ったまま、ペラジーの店に向かって、歩いていった。

 

 慌ててリリアスも後を追った。


 困った顔のリリアスに、

「ペラジーの店で、晩飯を食いたかったんだ。酒も飲めるしな」

 と、暗い小路の奥にある、ささやかな灯りが壁にかかっている、居酒屋にあごをしゃくった。



誤字報告ありがとうございます。

訂正いたしました。

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