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祈る娘  作者: オーガ
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第57話


 

 じりじりと汗ばむ暑い夏がやって来た。

 湿度も高く、日中は陽射しの中を歩くのはとても辛い。日が頭や服から出ている手や顔を、容赦なく焼くのだ。

 近郊から王都への道は良く整備され、旅行者にも馬車にも移動するには動きやすい。

 今日も昼間とはいえ、ひっきりなしに王都へ入るために人がやって来ては、衛兵が守備する城門を通っていく。

 ロバに荷物を積んだ薄汚れた男も、その列に並び暑い陽射しを浴びている。肩が上下に動き、息が荒いのが分かる。

 自分が通る順番が来て男は、衛兵の傍に寄った。


「大きな荷物だな、何処から来たんだ」

「東の町ですよ。兵隊さんが聞いても分からない小さな所です」

「ふーん、じゃあその荷物は何だい。商人にしては姿がなあ……」

 

 言葉を濁したが荷物を運んで王都に売りに来るには、着る物が汚れていて臭かったので、商売には向いていない様に思えたからだ。


「違いますよ。頼まれてここまで荷物を運んできたんですよ。中身は絹糸です、質の良い物で王都で最高級の布が作られるそうですよ」


 兵隊は大きいが軽そうな荷物の説明に納得したのか、通行税を取って男を通した。

「だけどお前顔色が悪いが、病気じゃないのか?」

 男はヘラっと愛想笑いをして、軽く頭を下げた。

「住んでいた町より、こっちの方が暑いもんでちょっと体調を壊しただけです。すぐ治りますよ」


 男はそう言って、ロバを進めた。

 兵隊ももうその男に注意を払わず、次の通行人を呼んだ。

 

 男はそのまま歩いて事前に教えられていたとおり、今日泊まる予定になっている下町の宿を目指した。

 

 旅を始めて少ししてから寒気と吐き気がして、腹も下すようになった。それでも王都までは三日ほどの道のりだったので、体を騙し騙し歩いてきたのだが今日になって、体調は悪くなるばかりだった。

 今も我慢していたが腹が痛く、いつ急に下すか分からない状態だった。そしてそれは予想どおりやって来た。

「ううっ!!」


 急に下腹が動き腹の中が痛くなった。慌ててロバを傍の木に繋ぎ、林の奥に走っていった。すぐ横は王都に繋がる道だから、先ほどの城門を通った人が通るのだ。

 限界まで道から離れ、男は急いでズボンを下ろししゃがんだ。


 朝も腹の具合が悪かったから、食事も余り取らず水ばかり飲んでいたので、水の様な便しか出なかった。 少し楽になって男はやっと、立ち上がった。くらくらと目が回るが、食べていないせいだろうとズボンを上げて、ロバを繋いだ方に戻っていった。


 下町の木賃宿はなかなか見つからず、慣れない王都の下町をうろうろと歩き回った。自分が住んでいた街も地方では結構な大きさだったが、流石に王都は大きく住む人も多いのだろう、行きかう人の数が桁違いだった。

 ロバを連れて歩いているので、人にぶつかったり押されたりと信じられない程歩きにくかった。


「おい! もっと手綱を引き寄せろよ」


 小綺麗な服を着ている男がすれ違う時に、文句を言ってきた。地方では、ロバの手綱の事まで言われた事がない。


 汚れた姿の男をさげすむような目で見返しながら、早足で行ってしまった。人が急用のように急ぎ足なのも、地方と違ってせわしない。

 

 博打で作ってしまった借金を返せないと知ると、胴元はある仕事を持って来た。それさえやり遂げれば借金はチャラにしてくれるという、男には美味い話だった。

 引き受けるしかないままに、ロバと荷物を用意され王都までの旅費と食費まで渡された。これらを節約して王都で遊ぶ事が出来ると、ホクホクして旅に出たのだが、急に体調が悪くなってしまった。

 不摂生がたたったかと思っていたが、王都に近づく程にどんどん具合が悪くなってきた。


 下町をうろうろと教えられた宿を探しながら歩き、やっと見つけたのはもう夕方近くだった。

 木賃宿だろうと思っていたが案外良い宿で、これでやっと一息つけるとロバを、店の前で座っている小僧に任せ宿に入った。


「いらっしゃい。泊りかい?」

 細い棒のような女が、食堂のテーブルを拭きながら、顔を上げて聞いてきた。

「ああ、空いてるか?」

「空いてるよ。何日泊まるんだい?」


 素っ気ない女は五十過ぎで、何処にでもいるような顔だった。


「四・五日かな、外にいる小僧にロバを預けたんだがいくらだ?」

「宿賃に入れるから、今払って貰うよ。食事は付けるかい?」


 奥からいい匂いがしているが、腹の調子も悪いので断った。

 部屋に入る前に宿の裏庭にある井戸で、体を洗った。汗や熱で火照った体を拭くとさっぱりして、少し気分が良くなった。

「今日は疲れたから食事はいらない。もう寝るから、起こさないでくれな」

 そう言って、部屋に入って寝台に横になった。

 明日から王都の空気を吸って、酒と女と博打に節約した金を使おうと思いながら眠りに就いたのだった。


 腹の痛みで目が覚めた。外はもう人が動き出しているようで、足音や荷車の音が石畳に響いている。

「くううっ、痛てえ……」


 汗も尋常ではないが、今日は荷物を言われた店に届けないといけない。ずるずると寝台から起き上がり、身支度をして外の便所に行った。

 これは不摂生では済まされない体の悪さだった。このままでは王都で遊ぶ、と言っている訳にはいかないと考えて、宿の主人に何か薬はあるかと尋ねた。


「ああ、熱さましの薬ならちょっとはあるが、あんた汗も酷いが顔色が白いぜ。医者のとこに行った方がいいんじゃないか?」


「そんな金がありゃ苦労しないさ、熱さましで良いからくれないか?」

 気の毒がった主人が熱さましをくれたので、それを飲んで荷物を渡しに出掛けた。



 下町から少し王都の内側にある店の裏口に、ロバを連れてやって来た。

「あの……東の町から、頼まれて荷物を持って来たんだが、聞いてるかい?」

 男は裏口に居る男に声を掛けた。

 店の男は少し店の中に入ったまま、荷物はロバに乗せて置いていって良いと言って、奥から金を持ってきた。

「今日の夕方までには着く、と言われていたから約束通りだが早いくらいだ、これは運び賃で色がついているからと主人が言っていた。王都にせっかく来たんだから、遊んでいくといいさ」

  

 店の男は愛想よく、顔色の悪い風体の良くない男にも声を掛け、送り出してくれた。

 

 男は具合は悪いが、気分良くその店から出た。 

 ふらふらと歩いていたら、居酒屋があったので一杯飲みたくなった。まだ早いが中に入ると

「いらっしゃい!!」」

 と声が掛かり、男はまだ誰もいない居酒屋で酒を一杯注文し、ひっかけた。


 ――ああ、美味い――

 と思ったのが、意識のある最後の感想だった。

 男は居酒屋で酒を飲んで、ひっくり返って床に倒れた。店の主人の男を呼ぶ大声が響いた。





「先生!! 店に来た客がひっくり返って倒れちまった!!」

 近所の居酒屋の主人が、医者の所に飛び込んで来た。


「お前の作った食事が不味かったか、出した酒がまがい物だったかだな」


 慌てた主人にふざけながら声を掛けた医者は、その顔が真剣だったので診療カバンを持って、おっとりと立ち上がりその居酒屋に付いていった。


 青い顔をした男は尋常ではない汗をかき、息が荒くそして失禁していた。

 居酒屋の女房が怒りながら、床を拭いていた。


「先生……酷いもんですよ。入って来た時から具合の悪い顔で、酒なんか飲めないような感じだったのに、このざまですよ!!」


 医者は床に倒れた男の額に触れ、酷く熱が高いのに驚いて、夏に風邪とは珍しいなと思った。

 それ以外の病気を、この段階で考えろというのは医者に対して、気の毒な事だった。


 王都を巻き込んだ病気の蔓延は、この日ここから始まったのだった。


 


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