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祈る娘  作者: オーガ
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第55話

 


 ラウーシュもレキュアも、頭が言葉を理解できない。

 黙り込んで互いに顔を見合わせた。


「閣下、今なんと仰いましたか?」


 むっつりとした顔の侯爵が、口をへの字にしていて、それ以上は何も言わないと思っているようだ。


「娘と聞こえたようでしたが、いつご結婚なさったのです。父からも聞いてはおりませんが……」


 宰相とブリニャク侯爵が独身なのは、この国の不思議に数えられているがそれは間違いだったのだろうか。

 ラウーシュは――娘と自分を結婚させられない――と言った侯爵の娘とは、誰の事だと疑問で頭の中が混乱していた。


「若様……、落ち着いてお酒でも一口いかがですか?」

 レキュアがワインを注いだので、飲み干すと酒が体に巡り、鈍くなった頭が動き出した。


「大変失礼ですが、馬車で娘と会った時に質の良いドレスを着て、顔を隠した事を考え合わせて、娘が閣下の妾になったのだと思ったのですが、私の邪推でしょうか?」


 侯爵は顔を真っ赤にして、怒りの目をラウーシュに向けた。しかしそれでも侯爵は、何も語る事は無かった。

「申し訳ございません、口が過ぎたようです。閣下がどの様な女性をお傍に置こうとも、私が口出しする事ではありませんでした……」

 

 ラウーシュは大袈裟に落胆してみせたが、本当にリリアスが妾になっていたとしたら、暫くは立ち直れない気がした。

 グラスの縁に指を触れるとレキュアが驚いた顔をして、ワインを注いだ。普段あまり飲まない主人なので、大丈夫かと心配げである。


 ――構う物か――と一気に仰いだが、器官に入って盛大にむせた。


「ゴホッゴホッ……グフッ……、こ、これ、は、しつ……」

 

 ラウーシュはハンカチを取り出し、口を押えた。レキュアはいつもなら背を撫でるのだが、客の前では主人の威厳が損なわれるので我慢している。


「ラウーシュ、大丈夫か? お前は父に似て、あまり飲めない性質ではないのか?」

 

 心配げに侯爵が言うが、ラウーシュは口を押えながら背を伸ばした。

「子供扱いはして下さいますな。もうとっくに成人して、二十五才になっております」


 ――ほおー――

 と侯爵が驚いたような、感心したような顔をして頷いた。

 

「いつまでも青臭い少年だと思っていたが、いつの間にか大人になっているのだな。まだ元気なつもりでいるから、人の時の流れに気付かなかった……」

 

 侯爵は感慨深げに頭を横に振って、もう一度ラウーシュを見た。

 子供のころから線が細く背だけが高かったが、やはり父親に似て武骨な事は苦手で洋服に関心があった。

 いくら剣を教えてやると言っても、逃げ回っていたのがついこの間の事の様に思える。

 

 それが女性に恋をする年になったのかと、驚くばかりであった。

 

 やはりこの家とは縁が深いのだろうと、侯爵は思う。

 武門の生まれのブリニャク侯爵と、文化的なデフレイタス侯爵とでは水と油のような間柄なのだが、子供の頃に知り合って以来馬が合い友人であった。

 

 その友人に言えない秘密を持ち、ずっと心苦しかった。自分がしでかした事とはいえ、戦争が終わればすべて上手くいくと思っていたのが、運命とは恐ろしい物だった。

 妻と娘と自分の人生が、すべて奪われた気がしたものだった。

 

「ラウーシュ……お前はあの娘をどうするつもりだったのだ? 平民の……お針子の……娘だぞ」


 ラウーシュは咳き込んで赤くなった顔を、ハンカチで拭いてそれを見た。


「いえ、何も。今私には内々で、イーザローの第六王女との婚儀の話があります。条件が整えば婚約が発表されるでしょうから、私に選択の余地はありません。一度娘を自分の物に……と思った事がありましたが、自由な鳥は籠には入れておけません」


 ラウーシュは持っていたハンカチを、侯爵に差し出した。

「娘の物です。侯爵から返してやって下さい。もう会う事もないと思うので」


 その瞳には、恋を諦めた寂しさが浮かんでいた。

 恋を知る男の哀れさを、侯爵も経験している。

 ――このまま何も知らせず、他国の王女と婚姻を結ばせても良いものだろうか。後でリリアージュの事が知れれば、きっと侯爵を恨み自分の人生を恨むかもしれない。


 侯爵はまだ若く将来あるラウーシュに、後悔はして欲しくはなかった。


「いづれ誰もが知る事になるだろうが、それまでは他言無用だ!!」


 侯爵の怒号の様な声が部屋に響き、戦場を生き残った男の声は、ぬるま湯の人生を送ってきたラウーシュとレキュアの体を震え上がらせた。

 

 体中が総毛立ち皮膚の表面がしびれた。

 二人が子供なら、泣き出すか失禁するだろうほどの胆力ある気合だった。


 侯爵が一体何を言い出すのか、ラウーシュは震える体で待っていた。

 おもむろに侯爵はラウーシュの傍に来て、肩を掴み立たせた。


「リリアージュは、私の唯一血を分けた娘なのだ。分かるか? たった一人の子供なのだ。妾なんぞではないぞ!」


 噛みつくような侯爵の口が唾を飛ばして、ラウーシュに衝撃的な言葉を吐いた。ラウーシュはなおも体が震え、侯爵の腕で支えられて立っているようなものだった。


「娘……ですか? リリアスという娘がですか?」


 ラウーシュは侯爵の言葉が呑み込めず、混乱しながら聞き返した。


「そうだ、リリアージュと言うのが本当の名前だ、ずっと私を知らず孤児として生きてきたが、その苦労も終わったのだ」


 侯爵の手はラウーシュの肩をぎゅっと掴み前後に動かした。


「やっと親子が出会えたのだ。それなのにすぐに、他の男に嫁がせるはずがないだろう? そうは思わんか?」


 ラウーシュは混乱から――ええ――と答えるしかなかった。

 ――赤毛で美しく洋裁が得意でレース編みが素晴らしい、自分が初めて好きになった娘がブリニャク侯爵の娘。


 厳つい侯爵の顔を見つめ、その中にリリアスの面影を探そうとしたが、何も見つける事が出来なかった。 赤い髪だけが唯一の、共通点だった。


 あの娘が侯爵の娘と言うならば、侯爵家の息女と言う事だ。

 唯一の子供ならば侯爵家を継ぐのは、彼女なのだ。となれば貴族として認められれば、自分の妻になる事も可能ではないのだろうか。

 

 ラウーシュは息女の母の事が気になった。


「閣下……、ご息女の母上はどなたなのですか? 今までお話にならなかったという事は、貴族の方ではないのでしょうか?」


 唯一の子供だとしても、庶子ならば貴族の家は継ぐ事は出来ない。侯爵が子供の事を誰にも話さなかったのは、そういう事なのだろうかと不安な気持ちになった。

 まるで天国と地獄を、行ったり来たりする気分だ。


 侯爵はまた黙ってしまった。

 ――なにか言って欲しい――

 とラウーシュは自分の肩を掴んだままの、侯爵の苦悶の表情を見ていた。


「閣下、どうぞお座り下さい」


 レキュアが固まった二人に声を掛け、やっと息を吐いてソファーに座った。


「いえ……もしご息女が貴族に列せられたら、私にも結婚を申し込む事が出来ると思ったものですから、大変失礼な事をお聞きしてしまいました」


 侯爵の態度からきっと母は庶民の出なのだろうと、光明が差し込んだと思った未来は、また閉ざされてしまった。

 がっくりと頭を下げて、膝に手をつくという行儀の悪い姿をしたラウーシュは、レキュアに肩を叩かれて侯爵の前だと気づき、ハッとして頭をようやく上げた。


 まだ侯爵は苦々しい顔をし、腕組みをして考え込んでいる。一体どんな葛藤が侯爵をさいなんでいるのだろう。

「閣下もう何も仰らないで下さい。私が悪うございました。私も諦めが付きましたので、お心を穏やかになさって下さい」


 弱弱しく笑うラウーシュに、侯爵は益々眉を寄せ苦し気な顔をして見せた。

 

「あああっ……!!」


 侯爵は頭を抱えて膝に顔を埋めた。

 

「閣下!!」


 侯爵の突然の狂乱に、ラウーシュもレキュアもその姿に怯えた。

 侯爵に暴れられたら二人では、止める事はできない。

 誰か呼ぼうかとドアに向かおうとした時、侯爵が立ち上がりラウーシュの傍に駆け寄った。


「ラウーシュ……」


 また肩を掴まれ、耳元に口を押し付けられた。

 ――えっ?――

 と身を引こうとした時、侯爵は小さな声で、


「リリアージュの母は、イズトゥーリス国の第一王女だった、セルウィリア王女なのだ」


 と、心臓が止まるような事を告げて来た。

 




 


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