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祈る娘  作者: オーガ
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第54話



 二枚のハンカチをテーブルに置いて見比べて見る。


 一枚は大判の自分のイニシャルが入った物で、もう一枚は昨日レキュアが手に入れた物だ。

 レースの豪華さは違うが、イニシャルは同じ字体で同じ手に依る様な気がする。

 リリアスだと言われれば、馬車の中で目の前にいた女性がそうも思えてくる。


「お前はどう思う?」


 レキュアは茶を入れており、それに集中しているように見えたが、

「あの娘だと思いますが、正体を隠す意味が分かりません」

 と、茶器をラウーシュの前に置いた。


 リリアスは、ブリニャク侯爵とは王の舞踏会で顔を合わせて知り合いになっているが、それ以来二人が交流を持つ機会はないはずだった。それとも、それが縁で行き来する関係になったと思うべきだろうか。

 関係を秘密にする理由は、一つしか考えられないが、親子ほども年が違うのだ。

 父がリリアスを妾にしたらと考えてみるが、どうも現実的ではない。

 

 あの女性は質の良いドレスを着ていて、オテロはまるで貴族を相手にしているように丁寧な物腰だった。

 藪をつついて蛇を出すのは嫌だが、このまま答えの出ない疑問を持ち続けるのも嫌だった。


「レキュア……ブリニャク侯爵へ面会の連絡を取ってくれ」


 ――よろしいのですか?――

 と、レキュアはあまり勧めない顔をしたが、それでも使いをやりに部屋を出て行った。


 そろそろ本当に、ぬるま湯の中での生活を、終わりにする頃なのだろうと思った。






「ハンカチが無いの……」

「さっき持ってただろう」

「ううん。オテロさんから貰ったのは、全然違うので私のじゃなかったの」

「葬式で誰かのと間違ったのかい?」


 リリアスはレキュアが拾って、オテロに渡したのを見た。あの時しかハンカチが代わるのは、考えられなかった。

 ため息をついた。

 そんな事をする理由は、レキュアが自分の正体を知りたいと思ったからだろう。

 ――貴族って奴は、正直面倒くさい。

 

 父が普通の父なら、喜んで一緒に住んで、仕事に張りもできて頑張ろうと生きて行けたのに、予想もしない人生が待っていた。


 裕福な貴族の身分も、王女としての生まれも、自分には関係ないと思えたらどんなにいいだろうか。

 いっそどこかに逃げてしまおうかと、針を止めて思った。

 黙ってしまったリリアスにぺラジーが、顔を覗き込んで来た。


「なんだか色々と大変なんだろうね」


 優しい想いの言葉に涙が零れそうになり、慌てて顔を上げて布から離れた。

 それを見たぺラジーが、立ち上がった。


「ちょっとお茶にしよう」


 部屋から二人で出て、台所に向かった。

 誰もいない台所でお湯を沸かし、湯気が湧くのをじっと見ていた。


 思いもよらず涙が次々と溢れて、近寄ってくれたぺラジーに抱き着いて泣き出してしまった。

 しゃくりあげるリリアスに、ぺラジーは背中を優しくさすり、


「よし、よし……」

 と母親の様に、リリアスの頭を自分の肩に寄せた。


「……、もう、もう、なんだか皆勝手で……わ、わたしは……ただ服を作って……」


 降りかかってきた運命は、自分には重すぎて押しつぶされそうになり、どうしようもなくなっている。


「そうさ、そうさ、あんたは自分の好きなようにすればいいんだよ。人様に迷惑掛ける訳じゃないんだ。好きな時に針を持って、好きな色の糸で刺繍すればいいんだ」


 ぺラジーの言う事が洋裁の事だけで、彼女らしいと泣きながらもおかしかった。

 ただ好きな時に好きな事をしたい、それだけの望みがとても遠い事の様に思えて、リリアスは益々涙が止まらなくなった。


 台所の外で後ろから付いてきたオテロは、リリアスの嘆きを聞いて自分も泣きたくなった。

 ――生まれた時から見ていた息女が、出生の事で悲しんでいる。

 自分の責任ではない理由でだ。


 しかし見つかってしまった以上、リリアスをこのまま市井に置いておく事は出来ないし、主人は娘に対して、父親の義務を果たさねばならない。

 その為には、リリアスを侯爵の娘としてルヴロワ家に迎え入れないといけないのだ。

 

 今知ったリリアスの苦悩と主人の悩みをオテロは、自分ではどうしようも出来ない事が悔しかった。




 ブリニャク侯爵への面会の答えは、――お前の家に行くから美味い酒でも用意しておけ――と言う物だった。


「侯爵様らしいお返事ですね」


 友人のデフレイタス侯爵ではなく、息子からの面会に意外に思い軽い返事を送ってきたようだ。

 

 父の友人とはいえ、祖国の英雄の肩書から、なかなか近づく事も出来ない上に、王都に寄りつかなかったために、何年も顔を合わせていなかった。

 それが急に王主催の舞踏会以来王都に留まり、屋敷と王宮を往復している。

 

 口さがない貴族はこれからの生活の為に、保身に走ったと言っているが、それは誰も信じていない。

 なにか理由があるのだろうが、彼を尊敬している貴族は多いので、彼が王都に滞在している事が頼もしく思われており歓迎の雰囲気がある。


 いつもはデフレイタス侯爵の書斎の方に通すのだが、今日はラウーシュの要請なので、応接室を使う。

 レキュアは先に部屋に入り、落ち度はないかと目を光らせた。毎日の手入れは怠りないが、今日はラウーシュの憧れの人であるブリニャク侯爵との面会である、仕える者としては気合が入る。


 一応茶器も用意したが、酒を所望されると思い酒蔵から侯爵の好きな酒を、侍従に出して貰っていた。

 ラウーシュが部屋に入ってきて、落ち着きなくうろうろと部屋を歩き回った。


「お静かに、部屋に埃が舞いますよ」

 その様な事はないのだが、幼く見える主人の行動をいさめた。


 部屋のドアが開き、執事が侯爵の訪れを知らせて来た。

 少しして、案内された侯爵が部屋に入って来たが、舞踏会の時は傍に寄れず、遠くで眺めるだけだった人だが、同じ部屋にいるとその体躯に驚かされる。

 

 背はラウーシュより頭一つ大きく、体の厚みは倍以上あった。

「閣下、わざわざお越しいただき申し訳ございません」


 握手をするとその手は、硬くタコがあった。とっくに戦争はなくなり、平和な時代になっているのに――赤鬼――と呼ばれた侯爵はまだ剣の鍛錬をしている。

 侯爵の心掛けにラウーシュは、尊敬の念をより強く感じた。


「何を他人行儀にしているんだ。知らない仲ではあるまいに」


 笑いながらさっさと、ソファーに座ってしまった。

 侯爵からそう言われて、すっかり嬉しくなったラウーシュは、いそいそと前の椅子に腰かけた。


「先日はオテロ殿に、屋敷まで送って頂いて助かりました。ありがとうございます」

 笑いながら礼を言うラウーシュに、侯爵の顔は急に感情を無くした。


 ――これは、痛い所を突いたな――

 傍で見ていたレキュアが、茶ではなく酒の方が良いだろうと、ワインを用意した。


「閣下、まだ日が高こうございますが、よろしければ……」


 レキュアは如才ない応対で、侯爵の前にワイングラスを置いてワインを注いだ。

 気を落ち着けるためか侯爵はワインをぐっと飲み、テーブルに置いた。



「幼かったお前も、貴族らしい口を利く様になったものだなあ」

 感慨深げに頭を振って、ラウーシュを見た。


「あいつは今日私が来るのを知っているのかな?」

 ラウーシュは首を振って否定し、少し考えて言葉を選んでいた。


「父は何も存知ません。閣下をお呼びしたのも私の独断です。そもそも、今回の事は私のちょっとした、好奇心からなのです」


 気楽なラウーシュの言い方に、侯爵は少し警戒心を解いたようだ。

 レキュアはワインを注ぎ、侯爵を寛がせようとしている。


「ご存知の様に我が家は着道楽の一家と言われていますが、私は誉め言葉と思っています。洋服を着る事も作る事も、文化の一環と思っていますから。……まあただ好きなだけなのですが。母が贔屓にしているメゾンがあって、私も母の用でそこに出入りしています。――マダム・ジラー・メゾン――です」


「なんと……」

 侯爵はグラスを持ったまま、ポカンと口を開けていた。


「そこで、王妃様のお衣装を作っている、赤毛の娘に出会いました」


 侯爵は唸って顔を片手で覆った。

「リリアージュと知り合いだったか……」


「リリアージュ? リリアスではないのですか?」


 侯爵は頭を振り、レキュアにグラスを突き出した。

 レキュアは急いで、ワインを注いだがグラスを下げるので、ワインはたっぷり注がれた。


「それで馬車に乗っていたのが誰かと疑問に思い、それが誰かも分かったという事か?」


 ラウーシュは頷いて、侯爵を見つめた。


「好奇心と言いましたが、何故、あの時オテロ殿が彼女を、私達に隠す必要があったのですか? 娘も私とは懇意でしたし、――偶然ですね――と一言いえば良かったのでは?」


 侯爵は黙って、ワインを飲んでいる。

 何も話す気がないようで、やはりリリアスは侯爵の妾になったのかと酷く落胆した。

 知らずに握りしめた手が、少し震えている。

 段々項垂うなだれていく自分の頭が重く、体の力が抜けていく。


「ラウーシュはどうして、リリアージュの事が気になるのだ。ただのお針子ではないか」


 ただのお針子を好きになった事に、理由があるのなら教えて欲しいくらいだった。


「分かりませんよ……、人が人に惹かれるのがどうしてなのか、閣下はご存知なのですか?」


 侯爵は目を剥いて、それから何度も頷いた。


「ああ! 分かるとも! その人が大切で、大切で、守ってやりたいと思い、愛おしくて心が震えるのだ。

それが、愛というものではないのか?」


「愛があっても、結ばれない事だってあるのではないですか」

 ラウーシュは、不貞腐れた気持ちが湧いて、ぶっきらぼうに答えた。


「お前は、リリアージュが好きなのか?」


 まるで勝利者の様な侯爵の言葉は、ラウーシュの心をえぐった。

 この心の痛さが、リリアスを想う自分の気持ちの証ならば、好きという感情は辛いものだった。


「ええ……、私はあの娘を好きなのでしょう」


 見上げた侯爵の顔は、見た事のない複雑な物だった。


「まだまだ、くちばしの黄色い男になんぞ、娘をやれる訳がないだろう」



 ラウーシュもレキュアも、侯爵の言葉が理解できなかった。



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