第52話
リリアスはあまり食事が喉を通らず、残してしまった。
フォークを置いて、フリオリとエンゾに顔を向けた。
「とても美味しかったと、料理の方に伝えて下さい。なんだか胸が一杯で入らなかったのです」
フリオリはにっこり笑って、頭を下げた。
「お嬢様のお気遣いを、料理長に伝えておきます」
父が隣の国の王女と駆け落ちしたと聞いて、すっかり食欲を無くしてしまい、その後の話に集中することにした。
隣国との戦争のきっかけが駆け落ちにあるとしたら、とてもではないが平常な気持ちで聞いてはいられなかった。
「その駆け落ちは、母も承知していたのでしょうか?」
リリアスの鋭い質問に、コーヒーを飲んでいた侯爵は手を止めた。
「間者を通じて手紙をセルウィリアに届けていたのだが、彼女からの返信は無かった。だから国境近くで彼女に近づいた時、どちらかを選んでもらったのだ。この場に留まるか一緒に行くかと」
その時の母の気持ちは分からないが、王女が国を捨てて他国の貴族と一緒になるのは、考えられない事なのではないだろうか。国民からは王女が自分達を捨てたと、恨まれるかもしれない。
「セルウィリアは、断った。希望を抱いていた私は、それで現実に意識が戻ったのだ。互いの立場を思い出したと言ってもいい。年は彼女の方が若かったが、覚悟の程は王族の方が強かったのだな」
侯爵が感慨深げに頭を振ったが、一同はでは何故王女は、駆け落ちをする事になってしまったのかと、頭に疑問符が浮かんだ。
「私とオテロは、がっくりとして領地に帰ろうとしたのだ。そうしたら、彼女の居た方から悲鳴が聞こえ、慌てて引き返すと、セルウィリアの一行は覆面をしている男達に襲われていた」
侯爵とオテロも正体を知られぬように、覆面をしていたのだが襲っていた男達の方がいかにも怪しげな風体だった。
だが剣の使い方を見れば鍛錬されたもので、ただの野盗ではないと分かった。
その為に、王女の行動がお忍びだったために、護衛の人数も少なく力で押されていた。
「騎士達が、セルウィリアが攫われたと叫んだので、音のする方に追っていったのだ。馬車があって乗せられて逃げる所だったのを、二人で襲い掛かった」
あまりの急展開にとっくに過ぎた昔の出来事なのに、皆は息を呑んだ。
「野盗ではないなら、一体何者だったのですか?」
思わずフリオリが声を出した。
「うん……、これが後の内乱の元になったのだが、ある貴族が彼女を手に入れて、王家転覆を謀っていたのだ。それは後になって分かったのだがな。護衛の騎士達が殺され、馬車を追ってきた男達が加勢に加わったのだが、私達が負ける訳がない」
侯爵は胸を張ったが、まるで悪童の様な得意げな顔に、使用人たちはあきれ顔だった。
「旦那様……私達の目の届かない所で、とても人には言えぬ事をなさっておられたのですね……」
フリオリも疲れた顔で、顔を覆った。
「私は、今しか機会はないと思った。このまま彼女を返せば他国に嫁いで、二度と会えなくなると考えたら、この機会を逃がせないと決断したのだ」
護衛は殺されていて、侯爵を追って来る者はおらず、セルウィリアを馬車に乗せて国境を越えたのだった。
「その後は領地からずっと離れた場所まで逃げて、リリアージュが生まれた村に落ち着いたのだ」
無謀な侯爵の行動にリリアスも驚いたが、その後の事を知りたかった。
「母の国はどう対処したのですか? 護衛達が殺され、王女が行方不明になってしまったのですもの、大変な騒ぎになったのでは?」
「生き残った侍女達の話から、最初に接触した私と後に襲って来た男達の事を知って、色々推測して我が領地に侵入してきたのだが、確たる証拠はなかったから闇雲に王女を探しただけで、私たちに追い返されたのだ」
リリアスは母の心情を思った。いくら好きな人と一緒だったとしても、両親や国から引き離されて、悲しくはなかったのだろうか。
じっと侯爵を見た。
夢の中に出てくる王子の様に美しい訳ではなく、すっきりとした体形でもなく、大きく武骨な武人その物の侯爵で良かったのだろうか。
「何を考えているのか、分かるぞリリアージュ……。強引に母を連れ去ったが、あの村で普通の人の生活をして、平凡と言う言葉を体験したのだ。私を愛してくれたし、お前を授けてくれた。私も侯爵の生まれを忘れて、夫婦として家族の生活ができた」
「でもそのせいで、戦争が起こったのでは? 旦那様が疑われたせいで、何度も領地に入って来たのが、きっかけだったのでは?」
侯爵は少し考えて顔を上げた。
「うん……、それは私も考えたのだが、イズトゥーリスは我が国に攻め込む理由を考えていた節がある。あの頃両国の関係が悪化してきて、こちらの友好的な行為にことごとく反発して、どう対処したらいいかと宮廷でも問題になっていたのだ。流石に何の落ち度もないこちらに、突然戦争を仕掛けるのは無理だと思っていたのだろう。そこに私が犯人ではないかという、王女失踪が起こったのだ。相手に心理的な大義名分を作ったのは、私の行為だったろうな」
「何故イズトゥーリスは、戦争を仕掛けたかったのですか? 我が国の領土を狙ったのですか?」
領地にいたフリオリは、あの時の隣国の兵の恐ろしさを思い出していた。身近で争いというか戦闘が行われていたのは、今思い出しても身が震える物だった。
「北の国の存在が理由だと思う。北の国は今まで脅威ではなかったが、その国が王女を妻にと望んできたのだ。それだけ北の国が力を付けてきた上に、イズトゥーリスの国力が落ちてきたという証拠だろう。いつでもお前の国を平らげるぞと、脅かされていたのだと思う。セルウィリアは美しいと評判の姫だったし、国の権威上げには良い材料だったと思う」
自分の妻を、良い材料と言い切る侯爵に貴族や国の冷淡な性質を思い知った気がする。
リリアスの非難の目に侯爵は、平然とした顔をしている。
「国王とか国とか貴族なんぞは、そんなものだ。自分達を守る為には何でもするし、そうやってきたから生き残ってこれたのだ。王とは正当な血を持つ盗賊の様なものだ」
「旦那様!! 不敬でありますよ!!」
フリオリの言葉に、侯爵は不敵に笑った。
そう言われれば、侯爵も盗賊の首領に見えないでもなかった。
「まあ追い詰められたイズトゥーリスは、長年平和と思われていた我が国を奪って、国力を大きくしようと思ったのだろう。それが悪い選択で、初めからこちらに援助を求めれば良かったのだ。平和ボケしていると、我が国を侮ったのが、間違いだったのだ」
その判断の不味さが、国を無くす事になるのだから、政治の世界は恐ろしい。
自分の両親の話から、亡国への話になってしまった事にリリアスは胸が痛くなった。自分が関わる話が壮大な物になって、なんだか違う世界に入り込んでしまったような気がし始めた。
長い話が一区切りして、家政婦長のアルレットが紅茶を入れてくれた。目の前に上がる湯気に、ほっとして礼を言って口にした。
暖かいはずの室内で体が硬く固まり、手足が冷たくなっていた。
熱い紅茶が一息つかせてくれた。
「とんでもない話を聞かせてしまった……。お前が見つかって、目出度いはずなのにな。今日はもうここまでにしよう、この話はまだ続くのだ」
頭がぼおっとしてしまい、侯爵の言葉もあまり入ってこない。誠実な瞳でこちらを見てくるが、彼もやはり貴族であり見つかった自分を、何かの材料と思って行動するかもしれないと、疑う気持ちが湧いてくる。
そしてまだ続く話の中には自分が孤児になった理由や、母が居ない理由があるのだろう。
大きな不安が自分を押しつぶすような気がして、思わず立ち上がった。
テーブルの上の茶器が鳴った。
「お嬢様?」
普段はおしとやかな侍女や、他家の夫人を見慣れている家政婦長のアルレットが、不審な声をあげた。
「もう、結構です。これ以上お話は、必要ありません。帰らせて頂きます!」
そのまま部屋のドアに向かって、さっさと歩いて行った。
フリオリ、エンゾ、アルレットは、驚きの目でリリアスの行動を見ていたが、オテロだけが数日リリアスと居たせいで、彼女の行動を理解できていた。
リリアスは性格的に、侯爵に良く似ている。
女性にしては淡泊で、些細な事は気にしないが、自分の拘る所は意志を貫くのだ。
平民として暮らしてきて、一応侯爵の娘という所までは受け入れたのだろうが、隣国の王女の話でもう嫌気がさしたのだろう。
面倒くさい話を受け入れないのは、侯爵と良く似ていると、少し笑ってしまった。
「オテロ、笑っていないで、お止めしなさい」
フリオリが命令するが、オテロはリリアスの後を付いていって、ドアを開けて一緒に出て行ってしまった。
「オテロ!!」
慌ててフリオリが追いかけたが、侯爵がそれを止めた。
「フリオリ、我が娘が一筋縄でいかないのは、理解できるであろう?」
オテロが家令の命令に従わず、一緒に行ってしまったのは、もうオテロがリリアスを主人と認め、その気持ちを尊重しようとしているからだ。
――娘を守れ――という侯爵の命令をオテロは忠実に守り、そして自分の忠心を捧げるだけの価値がリリアスには有ると思ったのだろう。
昔の事とはいえ、王女をどう扱うかなどの国策を聞いて、気持ちの良い物ではなかっただろう。
まるで自分の行為の言い訳を、娘に聞かせたようなものだ。
その上に娘の今までの事情を推測すれば、良い話が一つもないのは分かるだろうから、嫌になるのも理解できる。
侯爵は椅子の上でのけ反って、天井を仰ぎ見た。
出会って直ぐにする話ではなかったと、後悔したが後の祭りだった。
しばらく娘には会えそうにないと、がっくりとした。
「オテロさんまで、一緒に来なくても良かったんですよ」
もう侯爵家とは縁を切りたいとまで思っているのに、やはりこの人は来るんだと諦めの気持ちになった。
「お嬢様の気持ちは、少しは分かります。もう少し落ち着いてからで良いので、旦那様の話も聞いて頂ければと思っております」
家紋も付いていない地味な馬車で、二人は中心街のジラーの店に向かっていた。
初夏の夕方はまだ明るく、本当なら気持ちの良い時刻なのだが、リリアスの気は重い。
自分に降りかかって来た運命はとても大きく、今の自分には受け入れられない。孤児でも裁縫師のほうがよっぽど、楽しく生きられそうな気がする。
馬車がそろそろ街中に入ろうとする時に、その手前で大きな馬車が止まっていたが、リリアスには見覚えがあった。
デフレイタス侯爵家の、馬車ではなかったろうか。




