第51話
侯爵の書斎でまず茶が出された。
中には、フリオリ、家政婦長、オテロ、侍従長、と上級使用人が呼ばれた。
家政婦長が二人に茶を入れ、それから皆と同じくソファーの横に並んだ。
リリアスがゆっくり茶を飲むと、家政婦長が心配気にしているがにっこり笑って見せるとほっとした顔をした。
「リリアージュここにいるのが、我が家の使用人だ。家令のフリオリ、家政婦長のアルレット、侍従長のエンゾ、オテロ、これからお前の為に働いてくれるだろう」
全員頭を下げて、礼を取った。
「使用人を代表して、私がご挨拶させて頂きます。長年のご苦労を思いますと慚愧に耐えませんが、これからはどうか心穏やかにお過ごし下さいますように、使用人一同お仕え致します」
家令のフリオリが一歩前に出て、リリアスに向かって挨拶をした。
侯爵よりも年上で頭の上が禿げ上がって白髪のフリオリは、侯爵家の家令を務めるだけあって、貫禄充分な人だった。
「……突然侯爵家の娘と言って現れても、皆さん納得出来ないと思いますが、実は私もまだ侯爵様の娘と言う実感はありません。これからどうなるかは、神様の思し召しだと思っています。どうぞ宜しくお願いします」
「リリアージュ、お前は私の娘だよ。それをこれから話して聞かせよう。皆も聞いて欲しい」
侯爵はソファーに座るリリアスの隣に座り、顔を見た。
「まずお前の母の話をしよう。フリオリこれから話すことは他言無用だ、分かっているな?」
威厳ある侯爵の言葉に一同は頷いた。
「母は、隣国だったイズトゥーリス国の第一王女セルウィリア・ブノトワ・ノエミ・ティルクアーズなのだ」
オテロ以外の使用人は声を上げた。
「皆はリリアージュの母親は人には言えない身分の者と、思っていたかもしれないが、違う意味でこの国では言えない身分だったのだ」
リリアスはしっかり侯爵の目を見て、頷いた。ティルクアーズが王家の家名と聞いてから、自分が複雑な事情で生まれて来たのだろうとは思っていた。
侯爵は上着の内ポケットから手の平ぐらいの丸い手鏡みたいな物を取り出した。
「お前の母だ。ちょうどお前と同じぐらいの年の頃だろう」
見るとそこには、自分と同じ赤い髪と緑の瞳の頬が丸みを帯びた娘が笑っていた。無垢で明るそうな人に見えた。
「私の髪の色は侯爵様と、お母さんから貰った物だったのですね」
クルクルと巻かれた髪は一房胸元に掛かり、小さな絵なのに胸元のレースがきっちりと描かれていた。
「いつも一緒に居ると思えるように描いてもらったのだが、母の絵はこれしか残っていないのだ。皆焼けてしまった」
懐かし気にしている侯爵の目は、昔のどこかの日を見つめていた。
「国王も母の兄弟も亡くなってしまったから、イズトゥーリス国の王と名乗れるのは、もうお前しかいないという事だ」
リリアスは絵を取り落としそうになった。
「私がですか?」
「そうだ、お前は私の元で育てば、侯爵の娘の身分を当たり前に感じ、イズトゥーリス国の王女という地位さえ、受け入れているはずだったのだ……」
いかにも無念という顔で、侯爵はリリアスの頬に手を当てた。
「お前が今、私の娘と言う実感がないと思っている事は、本来なら感じなくて良い事なのにな」
リリアスは酷く罪悪感に囚われた。娘に本当の父とは思えないと言われているのだから、ずっと探し続けてくれていた侯爵には申し訳ないと思う。
部屋の中が緊張感溢れる物になっている時、部屋にノックがあり昼食の用意が整ったとメイドが知らせて来た。
「ではこの続きは、食事をしながらにしよう」
皆は食堂に移動した。
広く明るい場所で、その上で大人が五人は寝られそうなテーブルがあった。
本来ならばその大きなテーブルの端と端で、向かい合って食事を取るらしいのだが、話が通じないので角の所で食事にした。
食事を運ぶのも給仕をするのもフリオリとエンゾがやってくれた。オテロとアルレットは二人の後ろに控え、話を聞いている。
「我が領地がイズトゥーリス国と隣り合っていたのが、縁だったのだ。セルウィリアは大事に育てられていた。初めての王女と言う事もあったし、国の為に婚姻を結ぶにも使いようがあったからな」
どこの国も女性を道具に使おうとしている気がして、リリアスは複雑な気持ちになった。平民でも商家などは、家柄の良い家に娘を嫁がせたがるが、国の規模は半端ではない。生まれた時から、嫁ぎ先を考えられてしまうのかもしれない。
「国同士が友好的だった時は王の代理として、イズトゥーリスに出掛けて行った事が何回かあったのだ。その時はセルウィリアもまだ小さくて、可愛らしかったのを覚えている」
それを聞いてリリアスは、侯爵と母はいくつぐらい離れているのか疑問に思った。
「母と侯爵様はどのぐらい年が離れているのですか?」
侯爵が考える素振りで頭を傾げると、
「十五才ほどかな?」
と、驚く答えが返って来た。
リリアスは絶句したが、周りの使用人は普通の顔をしている。決して驚きを隠している訳ではないようだ。
「それは貴族では普通の事ですか?」
「うん……、そうだな少し年の差があるというぐらいかな」
リリアスなら三十過ぎの人と結婚する事になる。――ほおっ――とため息が出た。
「大人になった時に再会したら美しくなっていて、……私達は惹かれあったのだ」
王女と隣国の侯爵とは、非常に難しい恋だと思う。
「結婚したかったが、隣国の王が承諾するはずもないだろうし、陛下に相談する事も出来ないし、八方塞がりだった時に、セルウィリアに婚姻の話が来たのだ。北の遠い国から内々にどうかと打診があって、国王が了承しそうだったので、私達は……駆け落ちしたのだ」
――ガシャーン――
執事長のエンゾが、驚いて料理の蓋を取り落とした。
「旦那様!! 隣国の王女を……攫ったのですか?!」
フリオリもエンゾも、侯爵に詰め寄った。普段ならあり得ない光景だろうが、二人とも子供の頃から侯爵を知っているから、やり兼ねないと思ったのだろう。
「ああ、オテロと一緒にイズトゥーリスの国境付近で、遊びに来ていたセルウィリアを連れて、自国に逃げてきた」
「……おお、何てことを」
家令はとうに昔の事であるのに、青い顔をしている。
「もしやあの時イズトゥーリスの兵が、領地に入り込んで来たのは、そのせいだったのでしょうか?」
侯爵はとても気まずい顔をした。
「あの時はなんと、理不尽な事をすると憤ったものですが。原因はすべて旦那様だったのですね!!」
フリオリは拳を握って振り回し、それが侯爵の頭に当たりそうになり、リリアスはハラハラしていた。
「あれしか手はなかったのだ。もうイズトゥーリスとの関係は険悪になっていたしな、どう話を持っていっても、断られるしかないと思ってしまったのだ」
フリオリはため息をついた。子供の頃からわんぱくで自分達の言う事を聞かなかったが、まさかいい年をしてからも、とんでもない事をしていたとは分からなかった。
「ですから奥様もお嬢様も、領地に連れておいでになれなかったのでございますね……」
フリオリは残念な顔をした。
それから振り返ってオテロを見た。その眼には批難の色があった。
オテロも甘んじてその批判を受け入れた。
彼にしてみれば、あの時は主人の思いを遂げさせたいという気持ちで一杯だったからだ。
その時自分は、どんな罪も受ける覚悟で行動したのだ。
今も後悔はしていない。
王女があのままイズトゥーリスにいたなら、きっと北の国との婚姻の前に自国との戦争に巻き込まれていただろうから。




