第49話
夕方に、馬車で大量の家具が届けられた。店の裏手から次々と搬入される家具に、モットが目を丸くしていた。
オテロは御者が持って来た書類を見て、家具の照合をしジラーに仮置きの場所を聞いている。
「まあ、この店は三階建てで広いからどこにでも置けますけど、全て必要ですかしら?」
オテロは当然と言う顔をして、
「旦那様がお嬢様に使って頂こうと用意したのですから、勿論必要な物ばかりです」
騒動を聞いてやってきたリリアスも、家具の多さに驚いた。
「オテロさん、こんな家具なんて私の部屋には置けませんよ」
「ええ、広い部屋に移らないといけませんね」
やはり貴族も貴族の従者も、平民の感覚とは違って己の考えた事が、その通りになると思っている所があるようだ。
ジラーもオテロの言葉に、このままリリアスを寮に置いておくのは不味いと思ったのだろう、リリアスに手招きした。
「貴方の身分も分かったのですから、オテロ様の言う通り部屋をこちらの店の建物に変えた方が良いみたいね」
あきらめ顔だが、オテロを寮に出入りさせるのも人目もある事だし、却って都合がいいかもしれないと思い直した。
自分だけ特別待遇になるのが嫌で抵抗したが、オテロの事もあるしと言われ、不承不承従う事になった。
仕事をしたいと言ったために、色々面倒な事になってきて、父が分かった高揚感もすっかり萎んでしまっていた。
今まで平民として暮らしてきた自分が、これから侯爵家の娘として生きていけるのか不安な気持ちになってきた。
店の三階奥に部屋が与えられて、リリアスは夕食前に寮から移る事になった。
オテロはすっかり家具が整えられた部屋に満足して、侍女も呼ぶと言い出した。
「とんでもありませんよ。どこに針子をしている者に、侍女が付く事があるのです」
「しかし、これからドレスなども届けられるでしょうし、お世話をする侍女は必要です」
「いいえ、お世話などは必要ありません。食事も洗濯も寮の方がやってくれています」
オテロは不満気だが、リリアスの意思が強く一応様子を見ることにしたようだ。
「オテロさん、私は孤児院で育って平民として生活してきました。ここで働いている間は……侯爵家の娘としてはいられません。その事は分かって欲しいのです」
オテロはリリアスの経歴を聞き、驚いた顔をした。いずれどの様にして生きてきたか、訊ねなければならないと思っていたが、はっきり聞かされて酷く気落ちした。
オテロの顔に憐みのような表情が浮かんだのを見て、リリアスは憤りを感じた。
「私がもしお針子ではなく、道を踏み外して身を持ち崩し娼婦になっていたら、侯爵や貴方はどうしていたのでしょうね?」
オテロは言葉もなく、困った顔になった。
それでも――貴方達は、自分を娘と認め家具を贈ったりドレスを作ったり、侍女を付けると言うだろうか――と、胸の中で問いかけた。
たまたままっとうな生活をしていたから、簡単に受け入れてくれた気がするが、本当に悪人にでもなっていたら、侯爵は見ないふりをしたのではないだろうか。
「今日はもう疲れました、お先に休ませていただきます」
本当に今日は色々ありすぎて、せっかく熱も下がって体調も良くなったのに、また熱が出そうな気がして新しい部屋に引きこもった。
新しい部屋にある磨かれて艶が出ている年代物の家具が、自分を睨んでいるようで落ち着かなかった。
大きなベッドはマットレスも適度な硬さがあり、今までの横になると自分の体の形でへこむ物とは違っていた。この世の中にはこんな寝心地の良い物があるのだと、改めて思い知らされた。
複雑な気持ちで、一日を振り返ってみれば、ポロポロと涙が零れ落ちた。
たった一つの名前が刺繍された子供服を頼りに、自分と、父だという侯爵は出会ったが、嘘ではないという言葉にまだ翻弄されている。
本当に親子なのだろうか。
侯爵の娘がどうして、教会の前に捨てられなければならなかったのか、こんな小説のような話があるだろうか。
本当は喜ぶ話なのに貴族の娘という肩書が、こんなに重い物だとは知らなかった。溢れる涙がどんな感情で流れているのか、分からないままリリアスは眠ってしまった。
「狭い部屋だな」
急遽用意されたオテロの部屋は、ベッドしかなく椅子も無かったので、侯爵はそのベッドに腰かけている。
モットは直立して、主人に対している。
「ベッドの上で眠られるのですから、天国ですよ」
戦地では地面にごろ寝の事もあったのだから、本当に天国のようだと思っている。
「今日中にまた、お忍びでいらっしゃるとは驚きです」
数人の共を連れ、侯爵はジラーの店に夜更けにやって来た。
モットは建物全体が眠りに就くまでは起きているつもりだったので、侯爵の訪れにも気づいたが、夜警の者は驚いた事だろう。
「リリアージュは家具は気にいっていたかな?」
オテロはリリアスの戸惑いを、主人に話した。
「先ほど教会に捨てられて、そこの孤児院でお育ちになられたとお聞きしました。旦那様がいらした時は、お喜びのようでしたが、私がお傍にいる事や家具が届いた事で、動揺なさっておいででした」
侯爵は怪訝な顔になり――娘が喜ぶ事をしているのに何故――と思ったのだろう。
「何か言っていたのか?」
「はい……もし自分が身を落として娼婦になっていたとしても、旦那様は息女と認めたのだろうかと……。急にご自分の周りが変わってしまって、混乱なさっておいでなのではないかと」
侯爵は愕然とした顔になった。娘の言う事も一理あるからだった。
娘が見つかった喜びだけで駆けつけて来たが、もし娼婦に身を落としていても、――娘――と呼ぶ事が出来ただろうか。
平民として育ちお針子を仕事にし、美しい娘と聞いて、ホクホクとして会いに来てはいなかったか?
己のさもしい想いを娘に指摘された気がして、侯爵は黙り込んだ。
「旦那様はお嬢様を、ずっとお探しになられておられました。その間、最悪の事までお考えになられていたはずです。それでもお嬢様が見つかった時は、ただただ会いたいと思われて動かれたのではないのですか? その時に打算など、あるはずもございませんでしょう?」
普段、主に説教くさい話などしないオテロが、淡々と諭すように言葉を紡いだ。主人と同じく言葉よりも拳や剣こそが力だと思っている従者は、それでも己の思うままを告げた。
おこがましいが息女を探している間は、自分も侯爵の気持ちに共感していたと思っている。
そしてこれからも、従者として主人に追従していきたいと思っている。
「旦那様は今までの状況をご存知で、納得されておられますが、お嬢様は何もご存知ありません。ただ父上が侯爵で母上は、隣国の王家の女性かもしれないとしか、知らされておられないのです。これからお嬢様を、貴族のご息女だと納得させられるのは、御父上の旦那様しかおられないのです」
膝に肘を乗せて顔を覆っていた侯爵は、ゆっくり頷いていた。
「分かったオテロ、こんな事を言ってくれるのはお前しかいないな。妻と娘の事情を知っているのは、お前だけなのだから、これからも宜しく頼む」
オテロは頭を下げた。
承知の言葉など、主人と自分の間には必要ないといつも思う事であった。
次の日の昼休み、裏口の小さな花壇を見ながら、ぺラジーとリリアスは傍の椅子代わりの石に腰かけていた。
「夕べはなんだか寝られなくなっちゃってね、ついついエイダの洋服を作ってしまったよ」
今日はぺラジーが顔に隈を作っていた。
心配をかけてしまったようで、申し訳なく思う。
「なんだかおとぎ話のようだなあって思ってさ。あんたは綺麗でどこか品があって、下町育ちのあたしなんかと違うなあって思ってたけど、まさかね~」
ぺラジーは、くつくつと笑った。
「ぺラジーは変わらないのね、私の事を知っても」
知り合いが突然、良い所の娘だと分かって、人は羨むか嫉妬するか否定するか反応は様々だと思っている。小さな幸運を得た人を見た事があるが、他人はその人の事を素直には受け取れないのだと、経験上知っている。
だがぺラジーには、どうしても嘘や隠し事をしたくなかったのだ。
自分の心を、この人ほど穏やかにそして明るくしてくれる人を知らない。
ぺラジーには、全てを知っていて欲しかった。
それが友人と呼べる人への、誠意の様な気がしていたから。
ぺラジーは、へへんと鼻の下を指で撫でて、
「リリアスがどんな生まれでも育ちでも、ここで一緒に仕事をすれば仲間であり友達でもあるのさ。あんたの仕事を見れば、どんな人かなんて直ぐ分かるしね。初めて会った時から、驚かされっぱなしさ。……それにもう、こんな事を言っちゃあいけないのかもしれないけど、あたしはあんたの事を、親友っていうか、妹の様な気がしているんだ。もうとっくに、身内のつもりでいるからね。何があったって、変わる訳ないだろう?」
と、いつものおしゃべりなぺラジーの本領を発揮してくれた。
リリアスは思わず、ぺラジーに抱きついた。
「ありがとう、ぺラジー。嬉しい……」
「そうさねえ……、エイダやあたしに、甘~いお菓子を毎日届けてくれるんなら、お嬢様って呼んでやってもいいかな」
ぺラジーが珍しく照れた顔と声でリリアスの肩を、ポンポンと叩いた。
頭上の太陽の日差しが強く、二人を照らしている。
そろそろ、……夏がやって来る。




