第48話
リリアスが座るソファーの後ろにオテロが立ち、ジラーも気まずそうにしていた。
「オテロ様も、ご一緒にお茶などいかがですか?」
一応誘ってみたが、この態勢の男が――そうですか――と言って、座るはずもないのは分かっている。
オテロは――自分に構わず、話をするように――と言った。
「オテロ様が居るのに、事情を聴くのもおかしな物だけど、話せるところだけでもね?」
「本当にマダムには、申し訳ないと思っています。昨日……」
話し始めてから、今の一件に至るまで、昨日メゾン・ラベーエに行き洋服を見せてから、たった一日しか経っていないのだと気がついた。
自分の大切な事柄が、一日で分かってしまったのが驚きである。
さっきまで応接室で、父であるブリニャク侯爵と抱き合っていたのだと、その一瞬が現実ではない様に思えた。
しかし後ろにはオテロという父の従者がおり、今日から自分を守るのだと言っている。
貴族のお姫様などという生まれが欲しい訳ではなかったのに、現実はお話よりもおとぎ話のようだった。
「昨日メゾン・ラベーエに行って分かりましたが、やはり私の服を作ったお店でした」
ジラーが――まあ、そう――と、思っていた通りだったという顔をした。
「支配人のマレさんが、紋章店を教えてくれて、そこで私の家系が分かったのです。それで……私の家名は貴族だったのですが、マダムにはそれを秘密にしていて欲しいのです」
ジラーは感慨深い顔で、頷いた。
孤児でありながら擦れたところがなく、美しい容姿が平民というにはずっと違和感があり、貴族の息女と言われたほうが、よっぽど受け入れられるのだった。
その上ブリニャク侯爵がリリアスの出自が分かった途端に、会いにくるのだからよほどの家のようだ。
こうやって護衛を置いていくのも、配慮が並み大抵のものではない。
侯爵家の縁戚ならば、同等の家格ぐらいではないだろうかと思ってしまう。
腕の良い針子が居ると聞いて、仕事のために借り受けた子だったが、仕事ぶりや言動を見ているうちに、随分と情が移ってしまっていたのだと心の内が見えて来た。
「勿論よ。ブリニャク侯爵様が、おいでになる程の家名という事ですものね。……寂しくなるわ、やっとお店にも慣れて、仕事も順調だったのに」
そうとしか言えず、寂しそうに笑った。
「いえマダム、お仕事は続けます。王妃様のお衣装は私とぺラジーで完成させます」
ジラーは、感激した顔で口を手で覆った。
自分が貴族の娘と分かっても、仕事を完遂させたいと望むのは、やはりこの娘が裁縫師として才能があるからなのだ。
「貴方さえよければ、私としては是非お願いしたいわ」
リリアスとジラーは、物を作る同志として手を握り合った。
後ろのオテロは、厳しい顔をし二人の熱い想いを見下ろしていた。
その後はオテロの寝泊まりする部屋の事とか、日中はどこに居たらいいかなどと、ジラーと打ち合わせをして部屋を出た。
「お嬢様、王妃様の衣装はどのぐらいかかるのですか? ここにはお屋敷から通えばいいのでは?」
「そうですね、秋には完成させたいのですが、なるべく早く納めるに越したことはないので、あと二か月半という所かしら」
リリアスは後半の言葉を無視した。
オテロは衣装の製作に、そんなに掛かるとは思っていなかったようで驚いていた。
「男の方と違って女性のドレスは、複雑なんですよ」
それは後で、リリアスとぺラジーの刺繍の手仕事を見て、実感する事となった。
昼食の時間リリアスは、モットにオテロを紹介した。
「モット……えっと、ある高貴な方の召使の方で、オテロさんと仰います」
「お嬢様! オテロと呼び捨てて下さい」
「いえ、いえ、ここでは無理です。これからこの店に常駐するので、色々宜しくお願いしますね」
モットは意味深長な紹介に笑い。
「いや、リリアス、俺この人知ってるから、ブリニャク侯爵の従者の方だよな?」
リリアスは、――え?――と驚いた顔をして、オテロを見た。
「この間、こ奴には会いました」
「まあ、顔見知りだったの? 良かった知った人がいて。これで一人でご飯を食べずに済んで、寂しくないわね」
リリアスの言葉に二人は、顔を見合わせて笑った。
「オテロと呼んでくれ」
「俺はモットです、宜しく。しかしどうしてここに? リリアスが何かしたのですかい?」
オテロは難しい顔をして、首を振った。
「事情はあるのだが、リリアス……さんの、縁者が主人の知り合いでね、いずれは親戚が彼女を引き取る事になると思う」
「ほお、それは良かった。女が一人で世間を渡っていくのは、厳しいものがあるからなあ」
モットが嬉しそうに頷くと、オテロがもっと大きく頷いた。
あまり何事も気にせず、全ての事は大抵受け入れていける性質だが、今の状態は非常に居心地がよくない。以前若君が来て仕事を覗いていったが、それは一時で直ぐ帰って行った――そういえばこの頃来ないな――と、ぺラジーは思った。
リリアスの知り合いだからと、顔には出さないが男が作業場に居るのは、他の女性達にも良い影響は与えないだろう。
責任者としてやはり、一言言わなければならないかと、ずっと機会を狙っている。
ジラーが言っていたが、本当にこの頃仕事に集中出来ない。何かの呪いなのかとさえ、思ってしまう。
ひと模様刺し終えて、ぺラジーは――ほおっ――と息を吐いた。
「そろそろお茶にする?」
ぺラジーの力が抜けたのを見て、リリアスが声を掛けた。
「良し! お茶にしよう」
ぺラジーが言うと、女工たちが一斉に声を出して、立ち上がった。
根を詰めて仕事をしても間違ったり仕事が粗くなったりするから、小まめな休憩は必要なのだ。
皆静かにしていた反動で、小鳥の様に騒がしくぞろぞろと食堂に出て行った。
リリアスとぺラジーとオテロが残った。
「あのさあ、ちょ~っとやり難いかもしれない……」
ざっくばらんないつもの言い方と違うのは、リリアスに気を使ったのと、男が貴族なのかもと思えたからだった。リリアスは言わないが、モットの男への態度や着ている服や立ち振る舞いが、平民とは一味違っていて、良い家の出の様な気がするのだ。
「ごめんなさいね、皆もきっとそう思っているわよね?」
がっくりと頭を下げるリリアスに、オテロが近寄って。
「お嬢様、謝る必要はありません。私が居るからで、決してお嬢様のせいではありません」
ぺラジーが口をへの字にして、眉毛を寄せた。
「その言い方、まずいんじゃないのかい?」
リリアスは泣きそうな顔になった。
「そうよね……」
オテロはリリアスの表情を見て、慌てて肩に手を当てた。
「そのようなお顔を、なさらないで下さいませ。私が何とか考えてみます。旦那様のお言葉を守るのは私の勤めではありますが、お嬢様を困らせたい訳ではありませんから」
「ええ、貴方がなさっている事は、命じられたからですもの。決して悪い事ではないけど、やはりやり方を変えないと、皆さんに迷惑が掛かりますものね?」
少しぺラジーと話があると言うと、オテロはモットの所に行くと言って部屋を出ていった。
ぺラジーは窓際に置いてある椅子の所にリリアスを連れて行き、
「言いたくなかったら良いけど、あいつ何者なんだい?」
と、直に聞いてきた。
「私ね……、ぺラジーには嘘や隠し事をしたくないの。でももしかして、迷惑が……」
「なんだよ、そんな事であたしが嫌がるとでも思っているのかい? あたしを見損なうんじゃないよ?」
ぺラジーなりの優しい言い方に、リリアスは嬉しかった。
窓の日差しはもう暑くなってきて、二人の背中が汗ばんでくる。
これから話す事は、ひどくぺラジーを驚かすだろうと、心臓の鼓動も速くなり汗も尋常ではないほど出てきた。
そっとぺラジーの手を取った。
ぺラジーの手も綺麗だった。その手を維持するために、彼女が努力しているのが分かった。彼女も裁縫師として、プロ意識を持っているのだ。
二人は裁縫を通して、仲間になっているのだと思いたかった。
「今日……ううん、昨日から自分の生まれの事で色々分かってきてね、今日になって、私がブリニャク侯爵の娘だって、分かったの……」
「うん、うん。ブリニャク侯爵の娘ね……。ブリニャクって言えば、あの赤鬼って呼ばれてる?」
「そう、さっき来てったのがブリニャク侯爵で、私のお父さんなんだって……。ちょっと信じられないでしょ?」
「ああ、そう……ブリニャク侯爵? ……って、え?」
きょとんとしたぺラジーの顔が、やっとリリアスの言葉が頭に届いたという感じで、見たこともない驚きの表情になった。
ぺラジーが大口を開けて、声を挙げそうになったので、リリアスは慌ててぺラジーの口を手の平で抑えた。




