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祈る娘  作者: オーガ
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第4話


 

侯爵家に行くには徒歩なので、雨上りのすべる石畳を木靴で、リリアスは足を踏ん張って歩いていた。


太陽が出て、昨夜降った雨のせいで、ひどくむしてきた。

ひたいの汗を拭いながら、一人で侯爵家に行かなくてはならなくなった原因のペラジーを、胸の内でののしった。

陽気なペラジーとなら、長い道のりも時間を感じなかっただろうが、自分だけではつらい。


 ゆるい坂道を登り切って、腰を伸ばしたリリアスはその先に、灰色の王宮かと思わせる、豪邸を緑の木々の間から見つけた。



――はああ……――


 王都の中心に近い商業地区で生活していたため、ある程度の屋敷は見たことがあるが、貴族の本宅を初めて見ると、比較にならなかった。


 陛下が住まわれていると言われても、信じたことだろう。


 人ならば乗り越える事もできなさそうな、大きな鉄の門の横で門番に、今日来ることになっている者だと名乗ると、聞いていると裏口に案内された。

 

 裏口といっても馬車寄せが大きくとられ、豪商の表門のような造りだった。門番がとりついでくれると、灰色に紺の縦じまのお仕着せに、白いエプロンをつけたリリアスと同じ年ぐらいの、女中がやってきた。


「あなたが……」


「マダムジラ―の工房の、コルトレでございます」


 洋服のわきをつまみ軽く膝を折って、挨拶した。

 

 女中は当然のような顔で、リリアスの挨拶を受け流し、


「付いてきてちょうだい、勝手に屋敷を歩き回られると、困るから」

 自分と同じぐらいの年齢だろうリリアスに、女中は居丈高に物を言う。

 

 貴族のこんな豪邸で女中として働けば、どんな人でもえらくなった気になるのだろう。

 前を行く女中のお仕着せやエプロンは、糊もわずかしか効いておらず、布も随分と洗われて古く見える。


 きっと女中でも下のほうなのだろうなと思いながら、細く暗い廊下を歩いていると、通路の向こうに女性が立っていた。

 

 まるで二人を待っているようだった。


「マダムジラ―の方?」


「はい、そうです。マダムリュイー」


 借りてきた猫のような女中の声だ。

 

 女性は濃紺の、のどの詰まったタイトなドレスを着ており、袖口と胸のボタンが金であった。

 侯爵家の人間かとも思ったが、薄暗い使用人廊下にそのような人がいるはずもなく、上級使用人であろう。


「こちらへ」


 落ち着いた声の女性は、リリアスの返事を待たず、歩き出した。若い女中は不満げな顔をして、さっさと違う廊下に行ってしまった。

 

 リリアスは貴族館の使用人の階級が、はっきりと線引きされているのに驚いた。裏玄関に人を迎えるのは下女で、屋敷内の表だったところには顔を出さないのだろう、だからお仕着せも人目につかないから、粗末な物だったのだ。


 リリアスの前を行く女性は栗色の髪を結いあげ、着ている服も薄い上物の生地を使っている。ましてや金のボタンなど、普通の使用人には使わない。


 彼女は、侯爵家の正式な客を相手にする召使なのだろう。今日リリアスを案内するのは侯爵家の息子が、指示したからなのだろうか。

 

 進んでいく廊下がどんどん綺麗なものになり、案内される部屋がどこなのか少し不安になってきた。

 しばらく歩いて立ちどまった場所は、広い廊下に面し木の大きな扉の部屋だった。

 

 女性は、リリアスを中に招き入れた。


「あなたの様な女工を入れる部屋ではないのだけれど、若様のお召し物を置くのに商人用の部屋は使用できないのでね……」


 いかにもリリアスを入れるのは、不服と言いたげな様子だった。


 明るい広々とした部屋の中に数台のトルソーが置かれ、色とりどりのジュストコールが着せられていた。

 リリアスはキラキラと光る洋服を見て、目がくらみそうだ。


 おもわず駆け寄ろうとすると、


「触れてはなりません。そばで見るだけです」

 

と、感情のない声が響いた。

 

 わかったと首を振り、ひざまずいてビーズの模様を目でおった。持ってきたバッグからわら半紙と、木炭を取出し、その模様を書き写した。


 女性は扉の側に立ちじっと、リリアスの行動を見ていた。


 部屋の中には大きなソファーがあり大理石のテーブルには、金蘭の花鉢が置かれ、いかにも貴族を迎え入れそうな部屋だった。

 

 片時も自分から目を離さない女性に、


「あの……、お座りになったらどうですか?」


 と、彼女がソファーに腰掛けたら、少しは緊張感のある空気がほぐれるかと思い声をかけた。


「おまえに、指図される覚えはありません。若様のご指示がなければ、会う事もなかった身分でしょう。余計な事を考えず、お衣裳を汚さぬように気をお付け」


 冷たいが平民の自分には当たり前の態度で、心の中で首をすくめリリアスは衣装のデザインの書き写しに集中した。

 ここにペラジーがいてくれたら、きっと知られぬように顔を見合わせ、渋い表情をしただろう。

 そう想像しただけで、気持ちが軽くなった。


 ――コチコチコチ――


 暖炉の上の金メッキの大きな置時計が時を刻む中、十枚ほどの衣装の模様を書き写し、そのビーズの美しさを堪能したリリアスは、やっと木炭を持つ手をおろした。

 

 白から深緑の色とりどりのコートは、あの貴族の男の趣味がとても良い事を証明していて、リリアスは何故か悔しい気持ちがわいていた。

 

 身分の低い身ながら貴族の婦人たちに向かい合えたのは、彼女らにはない裁縫の高い技術と、センスの良さがあるからだと自分では思っていた。

 しかしあの男は自分にはない、貴族が持つ独自の感性を持っている。それは自分には一生持てない感覚だろう。


 それゆえに自分は、あの男にかなわないと思わざるを得ないのが悔しかった。


「終わったの?」

 

「はい、お時間をいただき、ありがとうございます」


 部屋を出る時もう一度振り返ると、美しいビーズが光るコートは、部屋に彩色のうずをまき散らし、ひと時リリアスの目を奪った。

 

 部屋を出ると、白いヘッドドレスの美しい娘が立っていた。


「どうしたの?」


 紺色のドレスの女中が、その娘に声をかけた。


「奥方様が、用が終わったら、針子を部屋に連れてくるようにと、おっしゃっておいでです」


 リリアスから見ても、後ろ姿の女中の背中がこわばるのが分かった。

 静かに息を吐いて、頭をふった。


「午後からのお支度の準備はできているの?」

 

「はい」


 と、答えた娘はさも当然という顔をして、女中を見ている。二人の間に流れる微妙な空気は、働く女性間にある力の差引を感じさせた。

 

 どこにでも、女の縄張り争いという物はあるのだなあと、リリアスはのんびりと考えていたが、


「付いてきなさい」


 唐突に言われてリリアスは、急に侯爵夫人に会うのだということを意識した。




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