第33話
ラウーシュにはブランデーを、宰相には紅茶が執事によって出され、緊張感の中飲み物をとった。
「不敬ではありませんか? 我が家はともかく、王家を天秤にかけるのは」
「掛けても構わないのです。あの姫様には、その権利がおありなのですから」
漸く姫の本当の素性が分かるようだ。しかし何故他国の、庶子と言われている第六王女の事を、この宰相は知っているのだろうか。
「むかし、むかし、或る所に……」
ラウーシュはムッとした顔で、宰相を睨んだ。
文句を言おうとしたラウーシュに、宰相は手を上げて制してきた。
「王様の二度目のお妃様がいらっしゃいました。この妃は権力欲が強く、王太子が居るのにも関わらず、自分の息子を王にしたいと望んでいました」
ここまでは皆が知っている話だ。
「王様も妃の本性を知り、愛情がすっかりさめてしまい、こっそり、愛妾を作っていたのです。しかし妃はその愛妾の事を知り、愛妾と二人の子供を暗殺しようとしたのでした」
ラウーシュははっとして、淡々と昔話の様に語る宰相の顔を見た。感情を表す事無く、話す事ができるようになるまで、どれほどの時間が掛かったのだろうか。
「その事は、どなたが知っているのですか?」
「結果として、王の側近の何人かですね。……そして妃は、愛妾とその王子殿下の暗殺に成功したのです」
その様なことが昔この国で実際にあったとは、今では信じられない。平和で仲の良い王と王妃と王太子達が、いるだけだ。
「父上から聞いた事はありませんか?」
ラウーシュは頭を振った。
「陛下が王太子時代に、暗殺されかかっていたという話なら、何度も父の憤慨と共に聞いておりますが。その愛妾の方のお話はありませんでした」
宰相は、さもありなんと、納得するようにうなずいた。
「その時、逃げおおせたもう一方の王女殿下が、姫様の母上様です」
「なんですって?!」
ラウーシュは立ち上がった。今まで生きてきて、これ程衝撃的な話を聞いた事がない。
衝撃の事実である。
という事は、……姫は陛下の姪になるではないか。王太子とは従妹になる。
王族が少ないこの国では、貴重な人となるだろう。
「母上様が陛下の妹君で、姫様が姪御様ですか……」
我に返って宰相を見ると、彼は黙ってソファーに腰かけじっとテーブルを見ていた。まるで彫像のようで、いつも以上に人間的ではない。
「どうして、それを貴方がご存知なのです」
「宰相の地位に就いてから、ずっと王女殿下をお探ししていたからですよ。長い年月が掛かりました」
ラウーシュは、不思議な気持ちだった。なにか引っかかる。
「探していた……、長く掛かった……。つまり貴方は王女殿下も姫様も、事前に見つけておられたという事でしょうか?」
――ふふふ――
今日一番の、宰相の人間らしい声だった。
「貴方は、デフレイタス侯爵のご子息とは思えませんね。あの方は昔から、人の事に関心がなくて、陛下にのみ忠実で、何かの姦計に手を貸す事さえ、考えた事のない人でしたからね。貴方の様に、人の言葉の裏に気が付く、などという事は皆無でしたから」
宰相の語り口は、昔を懐かしく思う様で、犬猿の仲と言われて長い父との関係は、思う程酷くはないのではないかと思えた。
「……王女殿下と姫様をお見つけした時に、イーザロー国と複雑な関係になっている事に、頭を悩ませましたが、イーザロー国の王女殿下として正式な方法で、入国して頂くのが一番良いと思って、画策したのですよ」
また変な言葉が飛び出して来た。
――画策した? 一体どこから、どこまでを?――
「姫様を留学と称して、我国に送り込む事をですか? それとも……」
「そこは、言わぬが花でしょう」
宰相は今度は本当に、心の底から笑ったようだった。いつもの感情のない仮面のような顔ではなく、随分と人間臭い顔だった。
「話はだいぶ逸れてしまいましたね。陛下の姪御様という立場であれば、婚儀など望めばどの家とでもできるのですよ」
――うう―ん――
ラウーシュは唸った。
姫が第二王子との婚儀が嫌だと思えば、自分の意思で結婚相手を選ぶ事が可能なのだ。
今まで姫を、我が家の嫁になどと単純に考えていた両親は、この話を聞いたら腰を本当に抜かすかもしれない。
万に一つにも姫が、我が家に嫁して頂く事があるとするならば、父は敬愛する王の姪を義理の娘にした上に、王の血を引く孫を手に抱く事になるのだ。
この可能性がある事は、しばらく両親には隠しておこう。二人はこんな嬉しい事を、黙っていられるはずがないから。
「良く、分かりました。閣下のご心労、お察し申し上げます。もし私にできる事があれば、なんなりとお申し付け下さい」
ラウーシュの言葉に、宰相はうなずき立ち上がり、書類机の方に歩きだした。
これで話は終わりだ。
「では、これで失礼いたします」
執事がドアを開けて、外で待っていた体の大きい男が中に入り、代わりに執事が、ラウーシュの見送りをしてくれる。
長い廊下を歩いていくと暗がりの向こうから、真っ赤な派手なガウンを着た男がやってきた。
その男は、ラウーシュに気が付くと、
「おや、珍しいこの屋敷にお客とは」
と、言って笑いながら近づいて来た。
背はラウーシュと同じくらいで、体は細く護衛とかではないようだ。
だいたい使用人がガウンを着て、廊下を歩く事自体あり得ない。
茶色の巻髪がぼさぼさで、傍に寄ると変な油の匂いがした。
「ベルトレイ殿、夜に屋敷内を歩かれるのは、ご遠慮下さい」
「ほう……、中々良い男ぶりだ。今度は明るい時に来るといい。ここは美術館のようだから、目の保養になるんだよ」
美術館という言葉で、変な油の匂いはテレピン油の匂いだと気づいた。
「画家の方かな? 私もこちらのお屋敷の絵画には、驚嘆した」
「良い美術眼を持っていらっしゃる。では、また……」
男は、ふらふらと酒に酔っている様に歩いて行った。
「申し訳ございません。若様にはご不快でございましたでしょう。食客の、流れの画家でございますよ。旦那様が絵をお気に召して、色々絵を描かせているのでございますが。まあ、侍女には手を出そうとする、朝は起きない酒は飲み放題と、厄介者でございます」
執事が主人の食客を、人前であしざまに言うのは関心しないが、質素な宰相とは、相容れない人物の様に見える。執事の心配も、分かる気がした。
汗がシーツに飛んで、モットは息も絶え絶えにベッドに倒れこんだ。
心臓がバクバクと信じられない速さで動き、絶え間なく続く呼吸の苦しさで、死ぬかもしれないとさえ思えてしまう。
汗ばんだ体に肉厚の腕が絡まってきて、熱い体が一層暑く汗が気持ち悪い。
「ふふふっ……。モット小父さんは年の割に、元気だよね」
背中に乗せてくる乳房の一つは、メロンの大きさはありそうで、酷く重たい。
「う~ん。このままここに通ったら、俺は心臓麻痺で死んじまうな」
荒い息がまだ整わず、胸板が上下する。
夜も気分が出ていいが、昼というのもなかなか変化があって趣がある。
休みの日に、何となくここに足が向いて娘の顔を見たら、気が乗ってしまい一戦交える事となった。
休みに一人で、部屋で過ごすのも、もう飽きてきたのだろう。年のせいとは言いたくないが、人恋しいのかもしれない。
「まだ名前聞いてなかったな」
とんでもない客だなと、自分でも思った。やる事だけやって、さっさと帰ってしまい、名前を囁く事さえしていなかったのだ。
「タイナっていうの。店では、源氏名を使えっていうけど、自分の名前じゃないのに、呼ばれてもちっとも嬉しくないもん。親から貰った大切な物だからね」
その親に、売られたのじゃないかと言いかけたが、この娘の拠り所を壊しちゃいけないと思いなおした。
「ほら、これで何か美味いもんでも食いな」
モットは、料金以上の心づけを渡した。
娘の顔がパアッと綻んで、モットに抱きついてきた。
「ありがとう、モット小父さん。また来てね」
本人は無自覚でやっているのだろうが、こういうのが男にはたまらなく嬉しいものだ。心からの言葉ほど、人の中に入ってくる物はない。
この娘がずっとこのまま、変わらないでいて欲しいと思った。
「さあ、帰るかあ……」
モットは自分で尻を叩き、ベッドから起き上がった。
タイナは、着替えて廊下に出たモットの後を付いてきた。
夜は閉まっている廊下の窓が、全開になっていて、空気を入れ替えているのだろう。昼の日差しと爽やかな風が入り込んで、気持ちが良い。
それぞれの部屋の前で女達が、日や風を浴びておしゃべりをしている。日頃外に出ない女達が、どうしてそんなに途切れる事なく、話す話題があるのか不思議でしょうがない。
その中には、この間癇癪を起していた女もいて、一人離れて窓枠にもたれて、下の道路を行き交う人を見ている。
「この頃あの姉さんの調子は、どうなんだい?」
タイナはあの女を、少し怖がっていたようだったので、気になって聞いてみた。
「うん、この頃はおとなしいかな。物にも当たらないし、癇癪も起こさなくなったよ。……なんだか、色々あきらめが付いたみたい」
切ない言葉だが、ここにいる女達は誰でも、何かしらをあきらめて生きているのかもしれない。そうでなければ、過酷な生活を生き抜けないだろう。
「じゃあ、ここでな……」
モットが階段を降りようとした時、後で嬌声が上がった。
――なにごとか――
と、女達が見ている窓の下をのぞくと、そこには立派な黒毛の馬に跨った赤毛の騎士が、共数人を引き連れて歩いていた。
「え? あれは……」
モットの記憶があの悲惨な戦場に、彼を連れて行った。
「赤鬼じゃあないか!!」
モットの声は、廊下に響いた。




