第31話
「皆の納得のいく婚儀の理由なあ……」
ブリニャク侯爵は、武骨な指で紅茶のカップを持ちグビグビと飲み干した。
無作法な行為にデフレイタス侯爵は、顔をしかめてから彼らしい飲み方にニヤッと笑った。
「どうも我々は、こういう微妙なやり取りが苦手であろう? あの時あいつに聞くのも業腹で、自分で何とかしなくてはならなくなったのだ」
「おいおい、私を一緒にしないで欲しいね。これでも領地で微妙な采配をふるっているのだよ」
――フフン――とデフレイタス侯爵は笑って、傍にいる彼の従者に顔を振った。
「本当か? この男が面倒な問題に首を突っ込むと、かえって悪くなるのではないか?」
主人にもう一度紅茶を注いでいる従者は、筋肉質の大きな体をお仕着せに押し込んで、少しでも動くと服が弾けそうになっている。従者と言うよりも、従卒の様に見えるが動きもきびきびしていて、本当に兵だったのかもしれない。
「旦那様はなかなかそういう事には慎重で、下々の事を良く考えておいででございます」
ブリニャク侯爵はニヤッと笑って、カップを受け取って口に運ぼうとしたが、その手を止めて友人の顔を見た。
「いい考えが浮かんだ」
デフレイタス侯爵は、悪い予感しかしない。
「私は独身で、親戚もあまりいなく、跡を継ぐものがいない。どうだ? この際若い姫を……」
「馬鹿だろう?」
「違う、違う。私が求婚者に名乗りを上げれば、誰も文句は言えまい? 私に張り合おうと思う者はいないはずだ。ところが……、天邪鬼の我が友人が横槍を入れて……」
「やめてくれないか。少しは気にしているのだ」
デフレイタス侯爵はいい考えだとは思ったが、互いの名に傷がつきそうで気分は悪い。
「だが、無理のない設定だろう? 年寄りの私より、お前の息子が娶った方が外聞がいいはずだ」
「何が無理のない設定だ。お前が姫を娶るという事自体に、無理があるわ。大体結婚していたら、姫よりも大きい子供がいても、おかしく無い年なのだぞ。何を血迷ったと、思われかねんぞ」
――ガチャン―― と、従者が皿を落とした。
デフレイタス侯爵は従者の無作法に、冷たい目を向けたが、ブリニャク侯爵は黙ってカップに口をつけていた。
「失礼致しました。とんだ不調法を……」
従者はそそくさと食器を片付け、菓子を盛りつけテーブルに置いた。
「我々の名誉や面目など、どうでもいい。お前の息子の婚儀が、成立すればいいのだろう? いづれ私たちは一線を退き、死んでいくのだ」
「まだ枯れる年でもないだろうに」
戦争が終わってから一気に厭世的になった友人に、戦争の後遺症がまだ続いているのかと思った。
他家の婚姻の事だからと黙っていたが、どんな女性でも誰かが傍にいた方が、これからの人生に彩りが添えられるのではないかと思った。
死の事を考えるには、まだ若い。
ブリニャク侯爵は、黙ったままだった。
――ガチャガチャ――
と金属音がして部屋のドアが開けられた。
マダムの言う通り、この頃仕事がはかどらない事著しい。
顔を上げると王宮の騎士が5人帯剣したまま、入って来た。
若い子は――きゃあ――と嬌声を上げているが、いい迷惑だ。
ぺラジーもリリアスも黙々と針を動かしている。
騎士が傍に寄って来て、机の上にあった裁断用の大きな鋏を手に取った。
「しばらくの間、預からせてもらう」
と、威厳を持って言うのだが、ぺラジーがその騎士の後の棚を指さして、
「その中に人の手首くらいなら切り落とせる鋏が、何丁もあるよ。用心するなら、誰か一人立たせた方がいいと思うよ」
責任者のような男は、騎士の一人を呼んで鋏を渡して、棚の前に立たせた。ほかの騎士も工房の端のほうに散らばり、誰かが入ってくるのを待っていた。
開いたドアから始めに入ってきたのがジラーで、その後にはラウーシュが姫の腕を取ってやって来た。
「姫様!!」
リリアスが驚いて立ち上がると、騎士がその肩に手を置いて、とどまらせた。
「お忍びゆえな、いつも通りにしていてくれ」
平民の自分にも丁寧な言動で、流石に騎士だと思えた。
姫は入り口の方から女工達の仕事を見聞きし、ラウーシュも興味深げに細かい布への細工などを見ている。
幼い姫の顔が、美しい刺繍を見て嬉しそうにラウーシュに向けられると、ラウーシュも自分の知識を披露して自慢げな顔をしている。
年の離れた兄妹にも見えるが、これが夫婦になるというのだから、貴族の生活は別世界だ。
いや平民だとて、年の離れた夫婦はいるが、後妻とか子供の頃から知っていて縁あってとかで、愛もないのに結婚する事はよっぽどの事でしかない。
――愛もなく――
と、思うが姫とラウーシュを見ると、年の事以外では差しさわりは何もない気がした。
隣国のお姫様と、侯爵家の嫡男は並んでいるのを見ると、良くお似合いに見える。
ラウーシュは姫に付きっきりで、ドレスに取り付けられる別布の刺繍の説明をしている。ジラーの出る幕もなく、流石衣装狂いの若様の面目躍如であった。
最後に、奥に座っているリリアスとぺラジーの作業台にやってきた。
「お姉さま」
姫が嬉しそうに、リリアスに声を掛けると、傍にいた騎士が目をむいた。
「良く来たね、ここに座んな」
ぺラジーは、自分たちの間に丸椅子を持ってきて、姫を座らせようとした。
騎士もラウーシュも、慌てて姫を止めようとしたが、姫はササっと二人の間に入り込んで椅子に腰かけた。
少女の動きは案外早くて、作業台や道具箱が置かれていても、間をすり抜けて動けるようだ。
「皆さんの作られている刺繍やリボンのお花も美しいですが、お姉さま方の作られていらっしゃるドレスは、各段に素晴らしい物ですね」
「王妃様のドレスだからね……」
ぼそっと呟いたぺラジーの言葉に、騎士が飛びのいた。
もう少しで、生地の柔らかさを確かめようと、手で握りこもうとしていたのだ。
自分の手の平をみると、馬車に触れたり建物のドアなどを開けたりしていて、少し汚れていた。
危うく妃殿下のドレスを汚してしまうところだったと、冷や汗をかいていた。
そして侯爵子息に連れられてやって来た洋裁店が、ただの店でないのがやっと理解できた。
デフレイタス侯爵の御用達の店であり、妃殿下のドレスを作る特別な店だから、お忍びででも姫を連れて来たかったのだと納得した。
「こうやってぺラジーと二人で、中心から外に向かって刺繍をしているのですが、ひと針もないがしろにできないので、時間がかかります」
姫に見せようとリリアスが刺した針は、迷うことなく模様の一点をとらえ正確に布に刺さり、直ぐに刺した針の横に針先が出てきた。
二、三針刺繍をすると姫は、口を押さえて息をするのさえ忘れているようだった。
「お姉さま、私も刺繍を習ってみたいですわ」
「お母さんに習わなかったのかい?」
ぺラジーも、不思議そうに言った。
「はい……、母も乳母も針仕事は苦手で、基本を少しだけ習いました」
「それは、貴族の娘の嗜みですから、とても良い事ですね。退屈もしのげますし、さっそく教師を用意させましょう」
ラウーシュが嬉々としてジラーの方を見ると、ジラーも心得たものでうなずいて、教師の選択を引き受けた。
「姫様、あちらでお茶をご用意致しておりますので、しばしお寛ぎ下さいませ」
ジラーがちょうど良いタイミングで間を取り、姫を応接室に促した。
「お姉さま方は、ご一緒できませんの?」
姫もリリアス達の様子で、共に茶を飲む暇はないのだと、薄々は分かっているが一応誘ってみたのだ。
「申し訳ありませんが、妃殿下のお衣装ですので、あまり余裕はありませんの。姫様のお優しいお気持ちだけ、受け取らせて頂きます」
なんと断っていいか分からないぺラジーの代わりに、リリアスが返事をした。
しょんぼりとした姫に、にっこり笑って、――また、今度―― と、口だけで言った。
姫は嬉しそうにうなずいて、ジラーと共に部屋を出て行った。




