第28話
「後ろの方は坊ちゃんですかい?」
男達も誰を襲っているか、分かってやっているだろうが、ラウーシュの名は出さなかった。
返事がないという事はそういう事だ。
こういう時貴人は馬車の中で救出を待つのが筋なのだが、何故ラウーシュは外に出てしまって、レキュアの働きの邪魔をしているのか分からない。
塀を背に立っていたとしても、後ろにラウーシュがいてかばいながらだと、4人相手にはきつかっただろう。
「二人はまかせて下さい」
戦争に行った手前少し見栄を張った。
「一人見て貰えば大丈夫だ」
暗闇での構えたシルエットはモットが見てもほれぼれとしていて、口先だけではないのが分かった。
いつも穏やかで、癇性なラウーシュにも動じず相手をしているのを見ていたが、その本質が騎士だというのが見えなかった。
これなら大丈夫と、モットは自分が傷つけた男に対峙した。
男達は若く、レキュアの剣技と、モットの戦場で鍛えた実践の剣には敵わず、腕や足に傷を作ってほうほうの体で逃げて行った。
「あんな弱くてよく人を襲おうと思うものですね。ところでさっきの叫び声はあいつらのですか?」
まだ他に人がいるのかと思い聞いてみたが、レキュアの後ろにいたラウーシュが身じろぎしたので、声の主が誰なのかは分かった。こちらを見ないのは、声を上げた事が恥ずかしかったからだろう。
「御者さんはどこかね……」
とぼけた声で馬車の側に行くと、後ろの林の中に倒れていた。慌てて寄ってみると、頭から血を流している。
「御者を襲って、馬車を止めたのだ。動かせそうか?」
レキュアが後ろから話しかけてきた。
小柄なので二人なら何とかなりそうだと、レキュアと持ち上げて、馬車の中に横たえた。
ラウーシュはもう乗り込んでいて、奥で腹を押さえている。
「お怪我をなさったので?」
モットが大声を出すと、イライラした態度で手を振ってモットを追い払った。
御者は動けないし、レキュアはラウーシュの手当てをしているので、必然的にモットが御者台に乗って、馬車を動かして屋敷に帰る事となった。
ラウーシュが襲われたと聞いた侯爵夫人は気絶し、侯爵は深夜だというのに正装に近い服装で、治療されている部屋にやって来た。
部屋の中に医者が呼ばれ、ラウーシュはソファーに横になり、傷の手当てを受けていた。
侯爵が覗き込むと医者が、
「お命には別状は有りませぬ。刺されてはおりませんで、剣で払われておりますので傷は浅うございます」
ウンと頷いて息子を見ると、ラウーシュは憎々しげに顔を歪ませていた。
「痛むのか?」
「違います。下ろしたての服を斬られました。色も着心地もよかったので、もう一度ぐらい着ても良いかと思っていたのです」
「どこの仕立てだ?」
「父上の贔屓の店ですよ」
――ああ、あそこか……――
とつぶやいて近くの椅子に座った。
「ところでラウーシュよ……。我が家では今までに闇討ちに遭った者がおらぬ。お前はその初めての人間だ。お前は何か政治的に動いていたのか?」
とんでもないとラウーシュは否定した。
「ご存知ではありませんか。父上より政治に関心はありませんよ」
「そうよな……」
侯爵は顎に手を当てて考え込んだ。
「まったく腹立たしい。あの女が帰ってきてから、早々にこれだ」
「ではこれは、完全に父上関係のとばっちりですよね?」
――むっ――と侯爵は難しい顔をした。
ブリニャクが自分の屋敷からの帰路に尾行されたのと、息子が襲われたのはあの女が後ろで手を引いているのに間違いない。
オルタンシア公爵、ブリニャク侯爵、それに自分と、あの女が自分の計略に邪魔だと思えるのは、この3人だ。
しばらくはおとなしくしているだろうと思っていれば、あの女の手は素早く動いている。
一番危ないのはオルタンシア公爵だが、さすがに国王の片腕は襲わないだろうと思う。
あの男を襲えば犯人が誰かなど、誰でも思いつく。
そこまで危ない橋は渡らないと思うが、老獪な女狐の動きは想像もつかない物だから、油断はできない。自分への脅迫に息子を襲うという、搦め手をもう使ってきているのだ。
「しかし息子よ……、レキュアが怪我をするのなら分かるが、馬車にいたはずのお前が何故?」
この言葉にレキュアがはっとして、前に出て来た。
「殿!! 私が付いていながらラウーシュ様にお怪我をさせてしまい、誠に申し訳ありません。どんな処分でもお受けいたします」
普段は朗らかなレキュアが深刻な顔で、頭を下げた。
主の息子の従者で、側に居ながら守りきれなかったのは事実なのだが、腕の立つレキュアがそのような不覚をとるだろうか。
「ラウーシュ……お前何か馬鹿な事をやったであろう?」
シャツ姿で腹に包帯を巻かれたラウーシュは、動きを止めじっと痛みに耐えているようだ。
少ししてゆっくりと起き上がった。
「レキュアがあんなに、強いと思わなかったんですよ」
――え?――
侯爵もレキュアも予想外の返事がきて、戸惑った。
「馬車の中にいる時に襲われたら、じっとしていろと聞いていましたよ……。だがレキュアが4人に塀の所まで追い込まれて、あのままなら殺されると思ったら飛び出していたのです」
侯爵は口を開けて眉をひそめている。レキュアは困った顔をしてから、少し笑った。
「お前ってやつは……。良く考えてみなさい。レキュアは子爵家の3男だ。継げる爵位があればとっくに継いでいるが、継いでいないという事は、自立しなければならんのだ、分かるな? そのためには、頭か剣しかない。侯爵家の嫡男の従者をやっているという事は、腕に自信があるという事だ。散々剣の稽古を付けてもらっていながら、なにを今更、だぞ!!」
「自分が馬鹿だったのはようく、分かりましたよ。慌てて出ていって、一度目の攻撃で服に穴をあけられて、返ってきた一振りでお腹を斬られたのです。ですが、ジレが思ったより防御力が高くて、深くは切れなかったのですよ」
何が嬉しいのかニコニコ笑って――鎧より軽くて、防御にすぐれている服はいいな――
などと、馬鹿げた事を言っているのは、恐怖から解放されて精神が高揚しているからだろう。
レースの編み棒が、目にも留まらない速さで動いている。
今は昼休みで皆は各々おしゃべりをしたり、うたた寝をしたりと自由に過ごしている。
リリアスは普段レースを編む時の倍の速さで、レース糸を編んでいるところである。
「分かるけどさー。今日明日でなくても、いいんじゃないの? こっちは刺繍で忙しいんだからさあ」
「うん……、だから今やっているのよ。お菓子を貰っているし、何も返さないっていうのも気持ちが悪いし、怪我をしているって聞いたら、なおさら何かお見舞いしなくちゃと思って」
「だーって、あれって若様の詫びなんだろう? そのまま貰っておきゃあいいんじゃないの?」
「うーん……、そうなんだけどね。お金もないし、貴族様に物を買うっていったって、なんでもあるだろうしね、まあ、せめて手作りで誠意をみせようかなあって」
いつになくリリアスの強情さが出て、ペラジーは面白い。
朝に、モットから夕べの若君襲撃の話を聞いて、工房の女達は大騒ぎだったが、モットの助っ人をした話を聞いて、レキュアの株が急上昇したのだった。
「そこは、俺が――すてき~――ってなる所じゃないのかね?」
「皆地元の人間だからね? 夜遅くにあそこら辺にいた理由が、なんだろうなあって思っているんじゃないの?」
「べ、べつに俺はやましい事なんてないぞ。お菓子を貰ったから、知り合いの女の子に持って行って、近くの酒場で飲んでただけだぜ」
「ふ~ん、どこの年増の女の子なのかねえ」
「違わい! 若くて、乳のでかい……」
語るに落ちたモットは、赤くなった。
「モットのオッチャンも、まだ現役なんだねえ」
「おいペラジー、俺をいくつだと思ってるんだ? まだ35才だぜ」
「え~っ!! 」
食堂にいた女達が声を上げた。
――思っていたより、若かった。45才ぐらいかと思ってた。でもやっぱり、中年だね――
若い娘達の辛辣な感想がモットの胸をえぐり、17、8の娘からするとやはり、35才はずっと年上になるのだ。
「くそっ!」
若君救出の話で、若い娘の歓心を買おうと目論んでいたモットは、すごすごと食堂を出て行ったのだった。




