第27話
王妃のドレスの製作が佳境に入ってきた。図柄を刺繍する手もこなれ、実際に本人を見た事から、気持ちの入りようも大きい。
ペラジーの考えた柄は見たこともない模様で、砂が広がる一年中熱いというその外国を想像させてくれる。色使いもその国の物のようで、自分ならこの色の配置や選択はできないだろうと思えるものだった。
夢中で刺していると部屋の音や話し声は遠くに引いていき、自分が刺繍の世界に没頭していくのが分かる。そうなると何時間でも続けられて疲れる事もないのだ。
肩を叩かれてやっと現実の世界に戻ってくる。顔を上げるとペラジーが立っている。
「はい、はい。お昼の時間だよ」
子供に言う様に、笑いながら声掛けをしてくれた。
「お腹減った」
現実に戻ると途端に空腹を覚え、いい歳をしているのに子供になったように感じた。甘える事が許されず、早々に大人になる事を強制されて生きて来たから、ペラジーの優しさはとても嬉しい。
「あたしも大概だけど、あんたも相当な馬鹿だよ。この部屋で何があったかなんて、知っちゃいないだろう?」
リリアスが不思議な顔をして見ると、作業場のドアが開いていて皆が、リリアスに向かって頭を下げて食堂に向かって行く。
「あんたのお蔭だってみんな喜んでいるんだよ。さっきレキュア様が来て、この間のお詫びだってお菓子を持ってきてくれたんだ」
――ええっ!!――
と声を上げて、リリアスは慌てて立ち上がった。経験上美味しい物はすぐ無くなってしまう。
「大丈夫、凄い量のお菓子だから、無くなりゃしないさ」
食堂に向かうと、大きなテーブルの上には、焼き菓子や日持ちのしないケーキなどが盆に置かれてあり、若い娘達はキャアキャア言いながら、皿に取っていた。
今日は食事を取る上に、菓子を食べるつもりらしい。
いつも質素な食生活の庶民には、砂糖が入った菓子は贅沢品なのだ。皆が笑いでほころぶ顔を見るのは嬉しい事だった。
「レキュア様は?」
「お帰りになったよ。あんたに教えようとしたんだけど、レキュア様が構わないようにって言ってくれてね、あたしが代表してお礼を言っといたから」
詫びと言っても貴族であるラウーシュが、平民に菓子を振る舞うのは珍しい事だ。その上使いは貴族のレキュアだ。いくら姫の仕事の関係や、侯爵夫人の衣装を作っている工房だとしても、こちらが恐縮する待遇である。
「若様はこの間の事がよっぽど堪えたんだろうよ。今まで声さえ……いや、あたし達を見た事もなかったと思うのにさ」
リリアスはうなずいた。自分達の地位は低く、貴族の生活を支える者としか思われていないのだ。
今まで貴族との繋がりが無かったから気にしたことは無かったが、こうやって接すると自分達の
身分は危うい物なのだと感じられた。
だからなおさらラウーシュの行いが、特別な事に思えてくる。あの気位の高い若君は変わってきているのだろうか。
目の前の豪華な菓子を見ながら、リリアスはラウーシュの戸惑っていた顔を思い浮かべていた。
「おいしいねぇ」
ベッドの上でシュミーズの間から牛のような乳房が見えている女は、寝転がりながら焼き菓子をポリポリと食べている。
気を入れて相手をすればご褒美に良い物をやると言われて、女はいつになく頑張って汗だくになり息を切らせてベッドに横たわったのだった。
その女に手渡されたのは紙袋に入れられた焼き菓子だった。
色とりどりの砂糖漬けの果物が練りこまれた焼き菓子は、地方の農村から売られてきた女には見たこともないものだった。
「ねえねえ、こんなお菓子を持ってるってのは、あんたはお貴族様なのかね?」
身支度をしている男の腕にすがって女は、聞いてきた。贅沢な物を持っているのが貴族という田舎娘の発想が、こんな商売をしていても擦れない純朴な心根を表しているようで男は微笑ましく思えた。
菓子一つで喜ぶ女に、また来てもいいかと思った。
「泊まっていかないの?」
泊まっても帰っても料金は変わらないから、男が帰ったほうが自分は楽なのに、夜更けに帰らすのは忍びないと思ってくれる気持ちも嬉しい。
「明日も仕事があるからな」
男の言葉に女は納得した。
「奥さんが待っているんじゃないの?」
「いや、結婚はしてない」
こんな場所で男が言うセリフは決まって同じなのだが、女はそれを信じたようで嬉しそうな顔をした。
「じゃあまた、遠慮なく来てね」
笑う顔が愛嬌があった。部屋のドアまで送ってくれるのも、仕事慣れしていなくて良かった。
ドアを開けると
――ガチャン――
と、何かが割れる音がして女のキンキンとした叫び声が聞こえた。
「大丈夫なのか?」
女はうなずいて、声をひそめた。
「ジャジャおねえさんが、癇癪を起してるの」
この仕事場ではよくある事で、心が荒んで病んでいく女の方が多い。
「色んな事が上手くいかないって良く愚痴を言ってるの。ここじゃあ、みんな同じなのにね」
若いのにこの女のほうが人の生きる、ことわりを分かっているようだ。
廊下に大きな音をたて開いたドアから出て来た女は、痩せて目が落ちくぼんだだらしない感じだった。男と眼が合うと睨んできて、気が強そうだ。
――あれでは客は付かないだろう――
階段を下りながら、廊下でまだ騒いでいる声を聞いて思った。
若い頃は少しは綺麗だっただろう顔も、痩せてしまって老けて見え身体も細いから抱く気にもならないなと、さっきの娘と比較してしまった。
外は暗く明かりもないが初夏の気持ち良い空気が流れている。石畳に二階の窓からの明かりが落ちてきた。
見上げると、窓が開き女が身を乗り出している。
「モットおじさ~ん! 待ってるからね~」
手を振って歩き出したが、誰か聞いていないかと冷や汗が出た。
名前を聞かれとっさに浮かばなくて、本名を名乗ってしまってから後悔しても後の祭りだ。
リリアスが貰った菓子のお裾分けはモットにまで回って来て、皆が家に持ち帰って家族で良い話題になっている事だろう。家に帰っても誰もいないモットは一人で菓子を食べる気分でもなく、喜びそうな人にやろうと一石二鳥を狙って店に来たのだ。
汗ばんだ身体が夜風で気持ちいい。
ゆっくり家に向かって歩いて行くと、――ギャア!――と、物騒な声が聞こえた。
身体も疲れているし明日も仕事だからと、言い訳しながらその声から離れるように歩いた。
しかし続いて聞こえたのが怒鳴り合いではなく、剣が打ち合う音だった。
ナイフが遣り合う音ではなく、長剣同士の打ち込みの音だった。
王都は平和で庶民の殴り合いなどは日常茶飯事だが、貴族や騎士達は王のお膝元とあって血の気の多い喧嘩は少なかった。
音から一対一ではなく数人の戦いで、声からして喧嘩ではなく殺し合いのような感じだった。
「くそっ!!」
そのまま帰れば良いものを、何故か嫌な予感がしたモットは不自由な足に気合を入れて、戦いの場に急いだ。
その場所は人や馬車を襲うには適した場所で、住宅街でもなく商店街でもなく片側は高い塀が建っていて、横には林が続いている道だった。
馬車はドアが開き、御者の姿は見えない。奥を見ると背の高い男が誰かを後ろにかばい長剣を構えている。
手前には同じく長剣を構え左手には短剣を持って、じりじりと二人に寄っている4人の男がいた。
こういう時どちらに助っ人すべきか考えるが、多数で少数を襲う方が大抵悪という事になっている。
モットは足音を消しながら男達に近づいていった。
チンピラは喧嘩の時景気づけに良く声を上げるが、戦場ではないこういう場面では無言でいるのが鉄則である。
いつも護身用に持っている短いナイフを懐から取出し、一番近い男の足に切りつけた。
――わぁ!!――
後ろからの攻撃で、援軍が来たかと思ったのか男達は横の方に走り、モットがいる方向にも警戒を見せた。
暗い中足を引きずりながら、襲われていると思われる二人の方に進んで行った。
「誰か?」
聞こえて来た誰何する声は、最近良く耳にする声だった。
「レキュア様ですかい?」
相手もモットの声に聞き覚えがあったのか、ほっとしたように体の緊張を緩めた。




