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祈る娘  作者: オーガ
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第25話


 その朝は静かに穏やかに過ぎ、リリアスはやっと王妃のドレスに専念できていた。

 寝不足も緊張からくる疲れも、やはり針を持って布に向かうと、集中できて無心な気持ちになれる。

 夢のような一夜で起こった色々な事も、不安な気持ちも頭の中から消え、色彩の波に溺れていく。

 ブッブッという針が布を通る音だけが聞こえ、心から嬉しい気持ちが溢れてくる。

 

「―――――!!!」


 廊下の奥から人の声が響いてくる。

 ドタドタと足音が近づいて、いきなりドアが蹴破られるような音を出して開けられた。


「若様!!」


 廊下から、ジラーの悲鳴のような声が聞こえた。


「おんな!!」


 見上げるとラウーシュが憤怒の相で立っていた。


 部屋にいた針子達は手を止めて、入口にいるラウーシュをただただ見ている。

 リリアスが黙っているとバタバタとやってきて、見下ろした。


「夜更けに、父上の部屋に行ったそうだな?!」


「はい」

 そのとおりなので返事をすると、腕を上げて殴ろうとした。


「若様!」

 後ろから来たレキュアが、その腕をつかんで止めた。


「お前はそれが目的だったのか? 父上の金が目当てだったんだな?」

  

 ラウーシュの言葉の意味が分からず、リリアスはきょとんとした顔をしたが、それが答えをはぐらかしていると思ったのだろう、なお詰め寄ってきた。


「仰っている意味が分かりません」


「まだとぼけるのか! 放せレキュア! この女はとんでもない女だ! 父上が装飾品に金を掛けるのを知っていて、狙っていたんだな?」


 ラウーシュは暴れているが、背の高いレキュアに後ろから羽交い絞めにされて動けないでいる。


「もしかして、侯爵様に部屋に呼ばれたのを、誤解なさっていませんか? 部屋にはお爺さんとマダムリュイーが、一緒にいらっしゃいましたけど?」


「……!」


「夜中に呼ばれたのを奥様もご不審に思われて、マダムリュイーに部屋に戻るまで一緒にいるようにと、仰っておいででした!」


 ラウーシュの顔色が青くなったように見え、眉をひそめ唇をへの字にして気まずそうにいている。


「お、女……、こちらへ来い」

 急におどおどした態度になって、身体の力を抜いて部屋から出ようとした。


「お待ちになって下さい! 今若様はこの部屋の中で……、私が身持ちの悪い女だと声高におっしゃいましたね?」


 隣のペラジーがリリアスのスカートを引っ張る。顔は見られないが、――止めろ――と言っているのは分かる。

 リリアスはあまりの言われように、腹が立っている。

  

 昨日の舞踏会出席はラウーシュの申し出で行く事になって、夜中に疲れて帰って来ているのだ。その上の侯爵との予想もつかない対面なのに、自分が殴られそうになるのは理不尽すぎる。


「い、いや……そんなつもりではない……」


 ラウーシュは横目で工房の女達を見ると、女性達はさっと顔を下げ、手元の仕事を慌てて再開した。まるで何もなかったような態度だった。


「みんなの前で私を悪しざまに言っておきながら、陰でこそこそと言い訳をおっしゃるつもりなのですか? それならばここで仰って下さい!」


「リリアス! 言葉が過ぎますよ!」


 ジラーが、ラウーシュの名誉を守るためではなく、貴族に恥をかかせたとリリアスが処罰されるのを止めようとして口をはさんだ。


 ラウーシュは、顔を赤くして体を震わせ、口を開こうとしてレキュアが袖を引いた。


「若様……、ここは言わねば貴族の面目よりも、男がすたるという物ですぞ」


 レキュアの顔は真剣とはいえず、なにか面白がっているように見える。この頃服にしか興味のなかったラウーシュが、色々行動を起こしている事が興味深かったのだ。


「おんな……、女中から父上の部屋に夜中に呼ばれたと聞かされて、あらぬ疑いをかけたのは、誤解だったのだと思う。これからは……、紛らわしい行動はせぬようにな」


 これを謝罪と受け取るのは微妙なところだが、貴族の過ちの言い訳としては明確なほうなのだろう。リリアスは一応謝罪として受け取る事にした。


「分かりました、それでは仕事がありますのでこれで……」


 言下に帰ってくれと言ったつもりなのだが、ラウーシュはこちらに来いと頭を振った。

 あからさまにため息をついて、さっさと部屋を出ていくラウーシュの後に付いて行った。


 工房のドアを閉めると、中から忍び笑いが聞こえた。


 それはラウーシュの耳にも届いたはずで、背中が硬直している。レキュアにいたっては笑いを堪えているようで、背中が震えていた。


 店の貴族専用の応接室にジラーも交えて、皆で紅茶を飲んでいる。

 緊張が解けた様子のラウーシュは、堂々とした態度でソファーに背中をあずけて足を組んでいる。


「それで、父上はどのようなお話をされたのだ?」


 まるで何事もなかったような、言い草にリリアスはカチンときた。


「侯爵様は誰にも話さぬようにと仰せになられましたので、お話することはできかねます」


 木で鼻をくくったような答えをしておいた。

 ラウーシュは、間の抜けた顔をして持っていたカップから紅茶を零した。


「まあ、大変」


 ジラーがナプキンを持って拭こうとすると、レキュアが止めて彼が茶をぬぐった。


 ジラーはシミ取りの布を取りに行った。ラウーシュならもう着ないかもしれない服だとしても、そのままという訳にはいかないからだ。


「熱いぞ」

 他人事のような感想を言いながら、ラウーシュはびくともしない。


「落ち着きがないからですよ」

 ラウーシュの若い頃から従者をしているレキュアは、遠慮なくいさめる。

 

 貴族たる者、暑い寒いと文句を言ってはいけないのだが、そういう所はちゃんとしているのに、感情面ではなかなか貴族の鉄面皮をかぶれないラウーシュなのである。


「大体お前に父上が聞きたいことがあるのが、おかしいのだ。それを口実に、部屋に招き入れたという事はないのか?」


 リリアスは首を振った。

 誇り高い貴族のお殿様の苦悩を見てしまった、衝撃は大きい。女性を部屋に連れ込んでという、下世話な話などとんでもない事である。


「若様は昨日の、赤いドレスの方をご存知ですか?」

 

 この質問で、侯爵との話の内容が分かる筈もないだろうと、自分が疑問に思った事を聞いてみた。

 

 ラウーシュは姿勢を正した。

「王太后様だが、私は初めてお目にかかった」


 やけに真剣な顔に、あの女性の話題は皆に緊張をもたらす物なのかと思う。


「どうして今までお城にお住まいでは無かったのでしょうか? だって王様のお母さまでしょう?」


「うーん……この話はなあ……」


 ラウーシュは困った顔になった。


 夕べの侯爵の話が本当なら、その事を知っている者は口にするのもはばかられるのは当然だろう。まして平民に王族の醜聞を言いたがる者はいない。

 

 昨夜の侯爵は異常だったのだ。


「王太后様は陛下の本当の母君ではなく、妃殿下が御病気でお亡くなりになった後の、後添えの王妃さまなのだ」


 うんうんと、リリアスはうなずいた。それならば話が分かりやすい。平民の裕福な家でもある、お家騒動という物だ。

 後添いが自分の子供を跡継ぎにしたくて、先妻の子供を邪険にするという、悲喜劇を舞台で上演して庶民にとても良く受ける物語だ。


「お前が考えているほど単純な物語ではないぞ? 王族の話であって、国の存亡が掛かっているのだぞ?」


 ラウーシュの言葉で、色々大変だったのは良く分かった。

 うんうんと、頭を振るリリアスにラウーシュは、しかめっ面をした。リリアスの訳知り顔が、腹立たしげだった。


「分かりました。まま母が先妻の子供をいじめるのは、良くある話ですよね」


「違うだろう! 先妻の子供はとっくに大人で、王太子になってたんだぞ!」


 それはいつの話なのだろうか?

 リリアスは頭をひねった。


「若様、若様。おしゃべりが過ぎますよ」


 レキュアが止めに入ったが、もう遅い。リリアスはこの事が国の重鎮の問題になっているのを知っている。


「毒蛇なんですね?」


「お前……どうしてそれを……」


 リリアスはニヤリと笑って、

「平民はもっと下世話な内容の芝居を観ていますよ。下々のほうがもっと刺激的なのです」


 それに――ラウーシュの知らない酷い話は世間には一杯ある――と、言いたかった。


「そんな問題のある後妻さんが、どうして戻って来られたのですか?」


「お、お前……ご、後妻さんって……」


「まあ色々国の事情があるのでしょう。私達には分かりかねますね」


 この話はおしまいとばかりにレキュアが、締めくくった。

 

 本当に平民には関係ない話だと、リリアスは思った。

 自分達は平和に食べ物に困ることなく生活できれば、それで構わないのだ。

 家の争いごとはその中でやっていて欲しいと、思うのだった。





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