第24話
帰りの馬車は侯爵夫人がリリアスに一緒に乗るようにと言いはり、レキュアも同乗した。
「……それで、宰相閣下はどんなお話をなさったのじゃ?」
馬車が動き出した途端に、質問攻めになった。
「私の事はお針子だとご存知で、姫様のドレスの仕上がりをお聞きになりました」
「おや……、そうか……。他にはブリニャク侯爵とも話をしていたな?」
夫人は宰相との会話がドレスの事だったので、拍子抜けした顔をした。宰相が自分との接点が姫のドレスの事しかないのだから、適当にその話でお茶を濁しておくようにと、言ってくれたのだ。
「お二方は、お前を自分に仕えさせたいとか、仰らなかったのか?」
驚くことに宰相もブリニャク侯爵も独身で、女性を近づける事自体が珍しいのできっと噂の元になるだろうと注意されていた。夫人の質問もリリアスが側女になる可能性があるかと、聞いているので頭を振って否定した。
「とんでもありません。私がデフレイタス侯爵様のお屋敷にお伺いさせていただいているのをお知りになり、皆様のご様子をお聞きになられたのです」
「おお! ブリニャク侯爵が? あの方は、旦那様の古くからの友人であるからのう。旦那様が今日欠席なさったのを、心配したのであろう。しかしお顔を見るのは随分とお久しぶりじゃが、ラウーシュお前は何か存じておるか?」
リリアスが宰相に連れられて侯爵夫人の所に戻ってきてから、ラウーシュはずっと無言で機嫌はあまり良くない。
リリアスの後を追って宰相達の中に加わろうとしたラウーシュは、侯爵夫人に舞踏会の最後まで若い女性と引き合されていたのだった。
宰相と一緒にいる時に、美しいドレスを着ている女性数人と踊っているのを見たが、相手が年上年下関係ないのに少し驚いた。その時は女性と笑い合って楽しくダンスを踊り、他の人が普通に動いているのに必要以上に女性をくるくる回しているのは、ご愛嬌だった。
皆素敵なドレープで、ひらひらと動く裾がとても美しかったのだ。
「私は、知りません。ですが、仰る通りずっと王都には、お顔をお見せになっておられませんでしたね」
ラウーシュは、久しぶりにブリニャク侯爵の顔を見る事が出来て、少し嬉しげに言った。
リリアスは借りたドレスのまま工房に帰る訳にもいかず、結局侯爵の屋敷に泊まる事になった。
夜更けに化粧を落とし、女中達が暮らす部屋の一つにやっとたどり着き、かび臭く湿気ったベッドにもぐりこんだ時部屋がノックされた。
「はい?」
女中達に知り合いはいないし、この時間に訪ねてくる人も思いつかなかった。眠りにつきかけていたので、おぼつかない足取りでドアをあけた。
紺色の服の女性、リュイーだった。
「寝たところを悪いけれど、着替えてちょうだい」
――えっ?――
という声がのど元まででかかったが、貴族の屋敷で平民に嫌はないただ「はい」というだけだ。
慌てて着替えると、そのまま屋敷の二階に上がり以前入った侯爵夫人の寝室に連れて行かれた。
侯爵夫人はすでに着替え寝間着にガウンを着ていた。化粧を落とした顔は、そのほうがよっぽど若く見えるので、貴族の化粧に疑問が浮かんだ。
そして夫人の顔には、不安が現れていた。
「奥様、縫い子を連れてまいりました」
夜中遅くでもリュイーは疲れた様子も見せず、声も張りのある厳格な物だった。
「ああ……、いったい……」
侯爵夫人は何か言いたげだったが、リュイーに手を振って連れて行けと、合図をした。
「お前は最後まで側にいるのだよ」
――はい?――
と答えそうになってしまったが、その前にリュイーが
「かしこまりました。必ず……」
と、頭を下げた。
リリアスは訳が分からぬまま、夫人の寝室の前の廊下の奥に連れていかれ、大きな二枚扉の部屋の前に留められた。
リュイーがノックすると、中から白髪頭の痩せこけた老人が出て来て、ドアを広く開けた。
「入るのです」
リュイーに背中を押された。
夜中なのに、部屋の中は煌々とシャンデリアに火がともっており、暗い廊下を歩いてきた目にはまぶしかった。
部屋の奥のソファーには、侯爵その人が座っていた。
夫人と違いまだ夜の服装だった。
ぬめぬめとした艶のある絹の無地の上着は、レモン色で侯爵を華やかに見せていた。
リリアスは侯爵に手招きされ、ソファーの前にあるテーブルの脇に立った。
白髪の老人と、リュイーは部屋の脇に立っている。
「お前は奥様の所に戻って良いぞ」
侯爵はぞんざいにリュイーに言った。
「奥様に連れて戻って来るようにと言われておりますので」
リュイーは頭を下げ、その場所に留まった。
侯爵は口をとがらせたが、夫人の懸念も分かるのでそのままにした。
「だが、この場で話された内容は奥様にも話す事は許さぬぞ。分かっておるな?」
「はい」
夜中に侯爵の部屋に呼ばれ、夫人に色々詮索された上に、誰にも話してはいけない事を聞かれるのだろうかと不安になる。
「宰相とブリニャク侯爵はどのような話をしていた?」
前置きもなく唐突に侯爵は聞いてきた。
今夜の事はもう夢の中の事ではないかとさえ思う。
王宮の光と影、笑う貴族、酔う者、踊る者、広がる色とりどりのドレスに、美しい王。
興奮と疲れで、もう倒れてしまいそうだった。
リリアスは首を横にふって、
「話せません。宰相閣下が私を目隠しに使うと言っていましたので」
侯爵は口元に笑みを浮かべた。
「という事はブリニャク侯爵とは、人に聞かれたくない話をしていたのか?」
リリアスは頭を傾けて、もう遠い事のように感じる舞踏会を思い出していた。
「いいえ、人に聞かれていけない話など何もありませんでした」
王と一緒にいた女性を、毒蛇と言っていただけでそれは悪口だが、ちょっと人聞きが悪いぐらいの事でしかない。
「お二人とも楽しそうでした」
「楽しそうだと?」
侯爵はソファーから身体を乗り出した。
「年を取った女が、陛下の傍にいただろう? それでも楽しく話をしていたというのか?」
「はい……、お酒を飲まれてお若い方々と、たわいのない話で笑っていました」
侯爵は驚いた顔をして、じっとリリアスを見ていた。
大貴族に見られて、いたたまれなくなって
「王様を初めて見ました。とてもお美しくて、品があって腰がぬけてしまいました」
――えっ?――
と侯爵が間の抜けた表情をしてから、口を開けて大笑いを始めた。
「そうか……そうか……、平民のお前でも陛下の美しさと威厳が分かるのか……」
嬉しそうに、リリアスに笑いかけたのだった。
――デフレイタス侯爵は陛下に心酔している――
ブリニャク侯爵が言うとおり、王の話をする時のデフレイタス侯爵の顔は穏やかにほほ笑んでいる。
「ブリニャク侯爵様が、侯爵様の事を褒めていらっしゃいました」
「ほう……あの男が私をなあ」
笑い顔が、皮肉な目つきになったので、リリアスは慌てて
「とても陛下を尊敬していらっしゃると仰って……」
侯爵は考え込むように顎に手をあて、頭を振った。
「陛下を尊敬しているのは貴族として当たり前の事だ……。私は陛下の為なら命を投げ打つ事もいとわない、だからどうしても……あの女を許す事ができないのだ……」
侯爵は苦しげに顔を歪め、
「陛下を亡き者にしようとした女を……」
小さな声で呟かれた言葉は部屋の中に響いた。




