第23話
大理石の床をぎこちなく歩いているリリアスは、心臓の音が聞こえそうだった。人々の驚く顔や興味津々な顔や、憎々しげな顔がありそれが何故なのか、平民のリリアスには分からなかった。
ましてや堂々と自分を連れ出した宰相の心の中など、想像もつかない。
「君が姫のドレスの縫い子なのは、分かっているよ」
周りの人々に軽いうなずきと微笑を振りまきながら、宰相は言った
リリアスは、ほっとした。
本当にどこかの貴族の令嬢と思われていたら、どうしようと思っていたのだ。
「私が少し話をしたい人がいてね、ただ二人だけだと目立つので、君を目隠しに使わせてもらいたいのだ」
「私でいいのですか? 若様とかの方が、目立たないのでは?」
宰相は――おや?――という顔をした。
「お利口な娘さんですね。だが話す内容を誰にも知られたくないのでね」
――私はいいのですか――と、リリアスは言いたかった。変な事に自分を巻き込んで欲しくない。自分はただのお針子で、ドレスを縫っていればそれで満足な平民の娘なのだ。
そう言っているうちに、宰相の足はホールの奥で、もう酒に酔わされている人達の所にたどり着いた。
「酔うのが、早すぎやしませんかね」
面白そうに宰相が声をかけると、賑やかに酒を飲んでいた人達は姿勢を正し頭を下げた。皆30代ぐらいで、宰相とも顔見知りのようだった。
「酒でも飲まないと、やっていられないでしょう?」
一番背が高い赤毛のブリニャク侯爵が、ワイングラスを掲げた。皆もそれに同調し、声を上げてグラスを重ねた。
宰相はそれに、微笑で応え
「美しいご令嬢を、貴方に紹介しようと思いましてね」
と、リリアスの身体を引き寄せ、侯爵の前に出した。
「ほう……、これは美しい……」
ブリニャク侯爵はリリアスの手を取り、形式的だが丁寧な挨拶をした。
「お会いできて光栄ですな」
遠目で見た時は若々しい動きをしていたので、そうとは思わなかったが年の頃は宰相とそう変わらないようだった。
無骨な身体からは想像もつかないほど優雅に、執事の盆からワイングラスを取り、リリアスに渡してきた。
「い、いえ。飲めませんから、結構です」
「まあまあ、持っているだけでいいから」
にこやかに笑う侯爵は、日焼けした顔にしわがあり、太い茶色の眉の下にある瞳も茶色で瞼が厚く、鷲鼻で口も大きく強そうな印象だった。
良く見ると頬の横にうっすらと傷があり、恐ろしげであるがリリアスを見る瞳にはユーモアがあるように思えた。
「デフレイタス侯爵がいないようだが?」
笑い顔でリリアスの方に顔をむけて、ブリニャク侯爵は唐突に話しかけてきた。
――は?――
何と答えていいかと思った瞬間に、宰相が、
「欠席ですね。あの人は私の事よりもっとあの方が嫌いですから」
と、リリアスに顔を向けて答えた。
リリアスは侯爵と宰相を交互に見て、自分を目隠しに使うと言った意味をやっと理解した。
そして自分も何か言わなければ不自然だと気づき、扇で口元を隠し――ホホホ――と侯爵夫人の笑い声をまねて見た。
リリアスの賢明な目隠しの演技に、侯爵と宰相は目を見開いて驚き、その後爆笑した。
「宰相殿、このご令嬢は面白いですね。機転が利く貴族の令嬢はあまりいないから、貴重ですね。どの家の方ですか?」
「貴方には関係ない人ですよ。それより、従者は何人連れてきましたか?」
「ふーん……。なんだか面白くない……」
グビグビとワインを飲み干して侯爵は唇を突きだし、不満げな顔を宰相に向けた。
「こらこら、私を見るんじゃない」
笑いながら文句を言うという芸当を宰相は見せて、それにリリアスは笑わされた。
どうやらこの二人は宰相と――若君のいう所の――国の英雄という関係以上の、友達とも言っていい仲のように見える。
一緒に酒を飲んでいた若い人達が若君の反応と同じように、尊敬の目で見ていたのと違い、宰相が見る目はまるで弟を慈しむような優しい感じであったからだ。
「それで、何人なんだね?」
「あまり多いと邪推されるのでぎりぎり20人」
侯爵がリリアスにニッコリ笑って答えた。
「それぐらいが妥協点か……」
宰相も、リリアスに笑った。
「陛下のお出まし!!」
音楽が止み、衛兵の声が高らかに告げた。
騒がしくしていた者達も口を閉ざし王が入ってくるドアに体を向けた。
リリアスは身体が震えた。
まさか孤児である平民の自分が、国王陛下を直に見る事があるとは、夢にも思っていなかったからだ。
いや今もこうしてすぐ隣に、国の重鎮の宰相と、祖国の英雄と呼ばれる侯爵が立っているのも信じられないのだ。
ドアが開かれ、金糸銀糸で埋められた紫の上着を着た、長い巻き毛の金髪を肩に垂らした王を見た瞬間、リリアスは腰を抜かして床に座り込んでしまった。
皆が王に視線をやっていたので、誰も気づかなかったが宰相と侯爵が二人でリリアスの腕と腰をつかんで立ち上がらせた。
「も、申し訳ありません」
真っ赤になりながら謝ると、侯爵が首を振った。
「いやいや、陛下を間近に見ると、その品格に誰もが驚嘆するものなのだ」
「貴方だけではありませんよ。見てみなさい」
宰相に言われて人々の顔を見ると、感激で頬を染め誇らしい顔をしている。
まるで自分の自慢の宝物のような顔で、王を見ている。
豊かで平和なフレイユ国を作り上げた賢君と謳われる王はその美貌でも知られていて、姿を見た者は魂を抜かれると言われるほどだった。
50歳半ば過ぎでありながら、若い頃の姿をまだ残している。
「デフレイタス侯爵が心酔するのも分かるがね……」
ブリニャク侯爵はやや不満げな顔で、頭を横に振っている。
列席者の感嘆の声や拍手がやや収まると、王は手を上げそれらに応えてからおもむろに、後ろを見て手を差し伸べた。
皆はそこから誰が出てくるか知っていて、かたずを飲んで待っていた。
王に呼ばれてホールに入って来たのは、少し肉付きの良い体型で、真っ赤なドレスを着た年配の女性だった。
その横には、付き添いのような形で王妃が歩いている。
王妃も他国から輿入れしたとはいえ40歳を過ぎ、世継ぎを産み責務を果たしている実績から、貫禄が滲み出ているが、その隣にいる真っ赤なドレスの女性の存在感は並外れた物だった。
その女性は満面の笑みを浮かべ、誇らしげに威厳を持ちこの城の主の様な態度で、王妃と共に王の側に歩み寄った。
清楚に笑う王妃が小娘に見えるほどの老獪さが、年をとっても失わない美しさと同居していて、その人を知る者達には心の底から恐ろしさが沸き起こり、ただ茫然と立ち尽くすしかなかった。
「とうとう、毒蛇が宮廷に戻って来たぞ」
ブリニャク侯爵が心底嫌な顔をして、つぶやいた。




