第21話
その日は、一陣の風と共にやって来た。
6頭引きの白い馬車は、王都の縁を伝って王城に入った。
その馬車を迎えるのは、馬車の中にいる人に仕える従者ばかりであった。
「この頃仕事がはかどらないわね」
ため息交じりにマダムジラーが言った。
皆が無言でうなずいた。
侯爵家の依頼の件で、ペラジーもリリアスも寝る間も惜しんで、仕事をしている。先月まで受けた仕事をこなしたあとは、仕事の依頼はすべて断っている。全員が侯爵家依頼の姫のドレス製作と、王妃のドレス製作に携わっているのだ。
「名誉な事だけど、神を恨みたくなるわ」
王宮に伺候した時に決めたデザインを、明確にするためにマダムジラーは数十着のドレスのデザイン画を描き、型紙を起こさねばならなかったのだ。
型紙ができてからは、流れ作業で、裁断、縫製と誰一人手が空く者がおらず、ドレスに取り付けるレースや、刺繍も他の工房にも製作を依頼し、店の人の出入りも派手なものになってきている。
「ここの合印がずれている。脇だと思って手を抜くんじゃない。ダンスで手を上げた時に見えるだろう」
陽気なペラジーはいなくなって、姑の顔をした鬼軍曹が降臨している。めったにないペラジーの余裕のなさに、工房の女工達は無駄口も叩けず、黙々と針を動かしている。
もっともこれが本来の工房の状態なのだが、のんきな空気に慣れた女工達は、気づまりな毎日だった。
今日は数点仮縫いが出来たドレスを、王宮に持って行き、姫に合わせるという大切な日であった。この仕事はマダムジラーがするのだが、どういう訳かリリアスも同行することになっている。
ペラジー、リリアスは今や船の船頭である、現場を離れる訳に行かないのだが、必ず横槍を入れてくる人物がいて、その対応にリリアスが必要なのである。
マダムにリリアス、そして針子数人を連れて、侯爵邸に寄ってから一緒に王宮に行くことになっている。
そして何故かマダムジラーとリリアスはラウーシュの馬車に同席している。
「若様……、私達も馬車は用意いたしておりましたのに……」
ラウーシュと同じ馬車に乗るのが恐れ多いと、マダムジラーはいい顔をしていない。だがそれは建て前で、リリアスに関心を持っているのが分かるので、一緒にしたくないのが、本音だった。
「構わない」
ラウーシュはそう言ったきり、話もしないで外を見ている。
マダムジラーもリリアスも、気まずくてしょうがない、早く王宮に着く事だけを思っていたが、急に馬車が止まった。
「どうしました?」
レキュアが御者側の窓を開けて、たずねた。侯爵家の馬車を動かしている御者である、道を譲られる事はあっても、止められる事などめったにない。権力を笠に着ているわけではないが、いつも強気の運転はしているのだ。
「近衛の方が騎乗で、馬車を止めております」
――え?――
まだ王宮には距離がある地点で、近衛がいるのがおかしい。
今日王族の外出はないと、父親から聞いていたラウーシュは、
「レキュア、聞いてこい。侯爵家の馬車と知っていて止めるとは、よっぽどの事だぞ」
レキュアは身軽に馬車から降りて、声をかけながら近衛の方に近づいていった。
『何者!』
という大きく通る声がレキュアを誰何して、それにぼそぼそと答える声が聞こえた。会話は数回繰り返され、すぐにレキュアは戻ってきた。
「少しここで待機することになりました」
「陛下が、お通りか?」
レキュアは首を横に振り、真剣な顔で
「王太后様がお通りだそうです」
途端に、ラウーシュの顔がゆがんだ。
「気分が悪い。帰るぞ」
「……とは言えませんねぇ。ここで引き返すと、近衛が見ていますから、話題に上がりますよ」
レキュアが困った顔をして、
「来週の舞踏会に招待されておりましたでしょう?」
「欠席の返事をしただろう?」
ラウーシュは――何を馬鹿な事を――という顔をしたが、レキュアが黙って微笑んでいるので、気が付いた。
「父上か?」
「旦那様はご欠席なさるので、代理として若様を出席になさっておいででしたよ」
やられたという顔をして、ラウーシュは馬車の椅子の背にもたれかかった。
「しかし、陛下の信奉者の父上が欠席なされてよいものかな? 陛下主催の舞踏会であろう?」
「それでも、嫌なものは嫌なのでございますよ。若様は伝え聞きでお知りになっても、その反応でございましょう? 旦那様は、ご自分の目でご覧になり、お聞きになったのでございますよ? 何十年たったとしても、許せない物は許せないのでございましょう」
リリアスは聞いてはいけない事を聞かされているようで、マダムと一緒に体を小さくしていた。
マダムも貴族社会に出入りをして、醜聞、恋愛、権力争いなどを見聞きしてきたが、今の二人の会話は王が関係している事と理解できて、何故ここで話すのだろうと二人を恨んだ。
どんな事が命取り――文字通りの意味で――になるのか分からないのが、貴族社会なのだから。
しばらくすると遠くから民衆の歓声が聞こえてきた。
リリアスが窓からのぞくと、道の向こう側に人垣ができていた。民衆が近衛兵が立っているのにつられて、偉い人が通るのだと待ち構えていたようで、通りの左側の奥を見ていた。
歓声が近づいてきて、良く見ようと顔を出すと急に体が寄って来て、見ると若君だった。
自分は下がろうとすると、肩に手を置かれ動けなかった。
歓声と馬の蹄の音と共に、白い6頭引きの馬車が通り過ぎて行った。
中の人は窓を開け、道の脇にいる民衆に白い手袋の手を振っていた。一瞬だったが、白いマントの下のえんじのドレスが、鮮やかに見えたのが印象的だった。
「いつまでも、王宮に居られると思うなよ!!」
小さな声だったが、ラウーシュの言葉には、怒りがこもっていた。
いつにない真剣な若君の言葉に、リリアスは違和感を覚えた。
相変わらず、侍女達はにぎやかに話をして、何がおかしいのかクスクスと笑い合っていた。
「姫様、お体の具合がお悪いとお聞きしていましたが、いかがでらっしゃいますか?」
姫は部屋にやって来た時からすぐれない顔色だったが、リリアス達の顔を見て、少し表情が明るくなっていた。
「この間のお茶のあとお腹が痛くなって、しばらく寝ていました。この頃良くお腹が痛くなるのです」
――やはり――
と、リリアスは胸を痛めた。誰がなんの目的で毒を盛っているか分からないが、毎日姫は危険にさらされているのだ。
仮縫いのドレスを頭から着せて、寸法を直しながら姫に
「召し上がる物にお気を付け下さい」
と、袖の具合を見ながら、つぶやく様に話した。
「えっ?」
姫は意味が分からず、声を上げると侍女長が側にやってきた。
「女中……、何かあったのか?」
探るような目をして侍女長は、リリアスに声をかけたが、
「お袖の周りがどうかと思いまして、お聞きしておりました」
と答えると、納得した顔をして離れていった。
姫をそっと窺うと、リリアスの言葉の意味を考えているのだろう、心細げな顔をしている。
これ以上何も言えず、リリアスは無礼と思いながら、ドレスのひだに埋もれた姫の手をそっと握った。姫は身体を震えさせながら、唇をぎゅっと閉じ潤んだ瞳で、リリアスを見ていた。
――なんとしてでも、姫様をお助けしなければ――
リリアスは心に誓った。
「どうなさるおつもりです?」
帰りの馬車に乗ってから、真正面に座ったラウーシュに聞いた。
マダムジラーは、横のリリアスを驚いて見た。
侯爵嫡男につめ寄っているのだ。
「リリアス、ご無礼ですよ」
いつにない厳しい顔をしている娘をいさめた。
「父上が、宰相にすべてを話した上で、解決を依頼したのだから大丈夫だろう?」
「それは、いつどうやって、お救いするのです?」
「分からん。それは宰相が考える事であろう?」
リリアスは大きなため息をついた。若君は姫の置かれている危うい立場を、理解しているのかと疑問に思う。エイダの苦しむ姿を見たならばとてもではないが、このまま黙って見ている事はできない。
「なんだ? 不満があるのか?」
ラウーシュは、リリアスの顔に戸惑っていつもの勢いがない。
「姫様が、お可哀そうではありませんか! お母様から引き離され、侍女達は態度が悪く意地悪で、体調が悪くてもちゃんと世話をしてくれているか、分からないではないですか!」
つい大きな声になってしまう。マダムジラーが、袖を引いてくる。黙りなさいという意味なのだろうが、リリアスは止まらなかった。
「自分が安全ならば、どうとでも言えますよね」
「なに!!」
ラウーシュはかっとなり、リリアスにつめ寄った。
「若様……、この娘の言うとおりではありませんか?」
熱くなった馬車の中で、レキュアの冷静な声が響いた。
「レキュア……、お前まで」
「若様は、危険な状況になられた事がおありにならないから、この娘の言う事がご理解できないのではありませんか?」
痛い所を突かれたラウーシュは、こぶしを握り締めて黙り込んだ。




