第17話
リリアス達は午後の茶の時間を、城の侍女達と過ごした。
飲んだこともない紅茶と、形は崩れているが、甘い焼き菓子が添えられている。
「こんなおいしい物食べたことありません」
リリアスが、目を見開いてほめると、
「そうでしょう? 姫様と同じ物を頂いているのよ。ありがたく思いなさいな」
姫の生地合せの時に、鏡や絨毯を運んだ侍女達とは、少し打ち解けて話ができるようになった。
ペラジーも喉が渇いたのか、ゴクゴクと茶を飲み、無言で菓子を食べている。
「すごかったですねえ、高級な反物があんなに有って、見たこともない布地ばかりでした」
「そうね。デフレイタス侯爵様が、先導なさって姫様のお衣裳の用意をされておられるから、何事も早く進んでいくし、良い物が集まってくるのね」
侯爵は、ただ衣服が好きなだけでなく、自領での織物の普及や、他国から生地の輸入なども、指導していて、衣装狂いと影で笑われているとしても、自国の発展に寄与しているのである。
呼び鈴がなり、侍女達は慌ただしく茶を飲み、
「そのお菓子は持ち帰っても構わないわ。私たちは食べ飽きているし、お城のお土産だと皆が喜ぶでしょう?」
ありがたい申し出に、ペラジーはニコニコと、持って来たハンカチに菓子を包んだ。
茶の後は、姫の採寸だった。
これには侯爵夫人だけが同席し、男性達は帰っていった。
男性がいなくなった部屋は、女性だけの柔らかで、にぎやかな雰囲気になった。
侯爵夫人が上臈たちと、取り留めもない話題を語っている間に、マダムジラー、ペラジー、リリアスは、今までにない速さで採寸をやっていた。
姫を立たせているのだからと、皆必死で手を動かし、なるべく身体に触れぬようにと細心の注意を払っていた。
「お姉さま……」
一瞬リリアスは、姫が何を言っているのか分からなかった。
「お姉さま……」
はっきりと聞こえた。リリアスは心臓が飛び跳ねて、あやうく声を上げそうになった。
「姫様、私はただの平民の縫い子でございます。どうか、お前とお呼び捨て下さいませ」
侯爵夫人達には聞こえぬように、囁いた。
そばにいたペラジーも、マダムジラーも、無言だったが、姫の言葉に驚いているはずだった。
「私も、この国に来るまでは平民でした。王様の命令で、貴族としてやって来たのです」
思わず見つめると、まだ幼さを残している顔は悲しげで、綺麗な青い瞳は薄い膜がかかっていた。
しかし、ゆるく編みこまれたストロベリーブロンドの髪は手入れが行き届いていて、艶やかであるし、袖から出ている手も白く働いたような跡もない。
この国に来てから姫として生活していたとしても、短期間でこの髪の艶はでないだろうし、この言葉使いや動作も、平民と言われても信じられない。
肌の色こそ健康的だが、隣のイーザロー国は肌が少し浅黒く、これは国民の特徴なのだと思われる。
「宰相のオルタンシア公爵様や、デフレイタス侯爵様ご夫妻はとても良くしてくれますが、私に付いている自国の侍女様達は、私を……、庶子だと言って優しくはしてくれません」
「まあ……」
マダムジラーが、声をあげた。
人質と聞いていたが、やはり自国の王女をそう簡単に差し出したりはしないのだろう。
十三才の子供が、たった一人で他国に出されるとは、庶子とはいえなんとも気の毒としかいえない。
「あんの、お高くとまった女どもぉ……」
ペラジーが、メジャーを思わず引き絞っている。
「我が国の侍女様方は、お側にお付きになっているのですか?」
「はい、公爵様が何人か付けて下さっていますが、私の側には来ないように邪魔されています」
自国の国王の血を引く姫を、庶子であろうとないがしろにするとは、どんな意図があるのかリリアスは、不思議に思った。
「私は母と市井に身を落とし、貴族の暮らしをしていませんでしたから、あの方達から見れば、平民と同じなのだと思います。私は今まで自分が王様の血を引くとは、知りませんでしたから」
色々と事情があるらしいことは、分かった。
「お母様は? どうなさっているのですか?」
姫はグッと身体を硬くし、何か耐えるように口元を押さえた。
「あちらのお城に独りで連れて行かれてから、会っていません……」
三人は、怒りから無言になった。
「どうかしたのか?」
侯爵夫人の上臈が、ひそひそとしていたこちらに気づき声をかけてきた。
「いえ、姫様のご要望を少し伺っておりました」
マダムジラーが、にこやかに笑って言い訳をした。さすがに貴族階級に顔が広いマダムは、とっさの判断が上手だった。
全ての採寸が終わり、姫は侍女達に連れられて、部屋に戻っていった。
別れ際の姫の顔は、感情を押し殺していて、その心の内を知る者達には迫るものがあった。
まだ子供の姫が、何故そこまで我慢せねばならないのか、理不尽さにリリアスは怒りで身が震えた。
「ジラーようやってくれた。デザインが完成したらば、一度私と侯爵に見せて欲しい。分かったな?」
「一番に仕上げて、ご覧いただきます」
侯爵夫人達も部屋を引き上げ、残ったのは三人と、大量の反物だけだった。
ペラジーと眼が合った。
陽気な瞳が珍しく怒りに歪んでいる。子供のいる彼女にすれば、身に染みる話であろう。
茶の時間を共にした侍女達が入ってきて、茶器を片付け始めた。そのうち執事達も大きなワゴンのような物を持ってきて、反物を乗せて運び始めた。
「生地は持ち帰るのですか?」
「いったん侯爵家に持っていって、デザインが決まったら、その都度店に持ってくるという事になりそうね」
高級な生地をすべて店に持ち帰っても、何かあって汚したりしては大変なので、マダムとしてもほっとしている。
姫君のドレスを作るという、大仕事を受けたというのに、三人とも心が浮き立つどころか、ふさぎがちであった。
のろのろと帰り支度をしているとドアが開き、ラウーシュがのんきな顔で戻ってきた。
「ジラー、母上が一緒に屋敷に来るようにとの事だ」
「かしこまりました。この二人は帰してよろしゅうございますね?」
先日の事があるので、ジラーは用心したが、
「ああ、私が送ってやろう」
と、言うのを聞いて耳を疑った。
侯爵家の跡継ぎが平民の縫い子を送っていくというのだ、ジラーはまじまじとラウーシュを見た。
「早く行け、母上が待っているぞ」
ラウーシュは、恥ずかしげもなくジラーを追いやろうとしている。
ジラーは、ペラジーがいるからまだ安心だと思い直し、仕方なく侯爵夫人の元に行った。
前を歩く若君の足取りは軽く、この間の一件から考えて、どうしてそんなに機嫌良くできるのかと納得がいかない。
馬車寄せには侯爵家の豪華な馬車が着いていて、ペラジーと手を繋いでおののいた。
「若様、私達はこの馬車には乗れません。歩いて帰ります」
ラウーシュは何を馬鹿なという顔で、
「王宮の敷地内を、歩いて帰られるわけがなかろう。下手にうろうろしていたら、衛兵に連れて行かれるぞ」
「では…御者台に座らせていただきます」
最後の抵抗と、提案すると、
「うるさい! 早く乗るんだ」
馬車の横には、レキュアが立っていて、笑いながら馬車のドアを開けた。
若君の横にレキュアが座り、その前にペラジーが座り、リリアスは若君の前に座らされた。
本来ならとても気まずいはずなのだが、こうなった以上それどころではなかった。
姫の話を聞いてもんもんとしていたのだが、この人に話すしかないと、思い至ったのだ。
「若様……。ご存知かもしれませんが……」
と言ってから、どう続けて良いか分からない。
「どうした?」
若君は鷹揚に、リリアスの言葉を待った。
ペラジーは肘でつついてきた。
――やめておけ――
という意味なのだろうが、黙ってはいられない。
「姫様が、庶子だという事はご存知でしたか?」
若君は、不思議そうな顔をして、リリアスを見た。
「誰に聞いた? あまり知られていない事だぞ?」
「さきほど、姫様ご自身がおっしゃられて、元は平民だったと……」
――ふむ――
と、若君は顎をつかんで、頭をひねった。
「それに……、お国から付いてきた侍女達が、姫様に優しくないそうなんです」
「なに?」
若君は隣にいる、レキュアに顔を向けた。
「姫様付きの侍女達は、あまりお側に近づけないとは言っていましたね」
「何故そんな事をする? 庶子とはいえ自国の王女だぞ。不敬だろう」
先ほど生地を見ていた時の、侍女達の様子を思い出した。自分達の主と侯爵夫妻がいても、侍女達はあまり緊張もせず、布地の綺麗さにけっこうな声を出していた。
両親は姫の侍女だからと注意もしなかったが、母の上臈達は眉をひそめていた。
使用人としては、いたらない態度だったのだろう。
「良く話してくれたな。どうやって聞いたのだ」
「いえ、――お寒くないかとか、お疲れではないか――と、お聞きしながら採寸をしていましたら……」
宰相は、――誰も知る人もいない国に、独りで来て寂しい思いをしている――と言っていたが、たったあれだけの気遣いの言葉で姫は、自分達を頼ってくれたのだろうか。
リリアスは、まだあどけない姫の顔を思い出すと胸が痛くなった。
「……じつは、姫様は第二王子殿下の妃にという話があるのだ」
「若様……、ここで話していいのですか?」
レキュアが、苦笑いで止めた。
「お前達、誰かに話すか?」
リリアスはブンブンと、頭を横に振った。
気位が高く、いかにも貴族の若様というラウーシュだが、人を疑わない――特に平民は――こういう所は、育ちの良い坊ちゃん気質が現れている。
平民はラウーシュが思うほど善人でもないし人をだますし、簡単に裏切ったりする者なのだが。
「人質なのではないんですか?」
若君は鼻で笑った。
「イーザロー国が、束になってかかって来ても我が国は、痛くも痒くもない。あの国は、媚びて姫を差し出してきたのだ」
それでは姫の立場は尚、危うい物であるはずだ。
「自国にお帰りになる事はないのですか?」
このままでは、姫は一生母に会えなくなってしまう。
「姫を第二王子殿下の妃にと、推しているのは宰相だからな、あの人の発言は大きいから、反対はされないだろう」
姫を娘のように思っていると言った宰相が、姫を縛ろうとしているのは何故だろう。




