第16話
侯爵夫人は窓際のソファーに腰掛け、その側にラウーシュが立っている。
背の高い男性は入口のドア近くに所在無げに立っていた。
「父上、先に生地を選ぶのでしょうか?」
ラウーシュの声に、ポケットの懐中時計を取り出して見ようとしていた男性は、顔を上げた。
「姫様のお顔に合う色が分かればそれでいい。生地はすべて買い上げじゃ」
壁際の商人たちが、驚いてざわめいた。数点買ってもらえればそれで十分だと思っていたらしい。満面の笑みを浮かべている。
「さすがに、デフレイタス侯爵様だねえ。豪儀なもんだ」
隣でペラジーが、ささやいた。
細身で背の高い男性が侯爵その人だった。妻になる人に、着る物に財産をどれほど使っても構わないと、言っただけの事はある。
良く見れば銀色の髪も、高い鼻梁も唇の薄い所も、若君に良く似ている。
「お前たちはもう帰って良いぞ」
時計を見ながら、手を払った仕草も親子で似ている。
商人達は、愛想笑いで部屋を出て行った。この商売で、一年以上の売り上げを上げたことだろう。
「そろそろ、おいでだな」
そう言ったデフレイタス侯爵は、ぐるっと部屋の中を見回し、立っている者達を確認した。
一周した目が、もう一度リリアスに戻ってきて、じっと見つめている。
リリアスは、視線を合わせないように、床に目を落としていたが、――コツコツ――と足音が近づいてきて、目の前で止まった。
「ジラーの所の縫い子か?」
「はい」
スカートを持ち上げ、ぴょこっと膝を折った。
「良い腕だと聞いている、励めよ」
「もったいのうお言葉でございます」
マダムジラーが、応えた。
ドアが開き、香水の匂いが部屋に漂い、大勢の女性達がにぎやかに入ってきた。
5,6人の侍女が先に入り道を開けると、やってきたのは、薄い緑のドレスを着た、少女だった。
聞いていたとおりのストロベリーブロンドのサイドを編み上げ後ろで止めた、健康そうな顔色の美しい少女だった。
13才と聞いていたが、もっと幼く見えたし、この年で人質とは、自国ながら非道な事をするものだと、憤りを感じた。
姫は黙っているのに、先に入って来た侍女達は奥に反物が有るのを見て、嬉しそうに声を上げている。この王宮の侍女教育はどうなっているのかと、言いたくなるほど、場の空気が読めていなかった。
よく聞くと、自国の言葉ではなく、イーザロー国の姫付きの侍女達だった。皆美しく、イーザロー国の貴族の娘達なのだろう、うるさいが仕草もドレスの着こなしも、育ちが良いのが分かった。
デフレイタス侯爵が姫君の側により、ソファーに案内した。
まるで宝石を扱うような丁寧さで、侯爵が姫を大切に思っているのが、良く分かった。
自分の夫が姫君とはいえ、他の娘を大切にあつかっているのを見るのは、何か思うところはないのかと、夫人を見れば、自分の上臈と何か違う話題でクスクスと笑い合っていた。
貴族とは、本当に不思議な種族だと思う。
「デフレイタス侯爵夫妻、ご子息には、お世話になります」
姫君は綺麗なこの国の言葉で挨拶をし、微笑んだ。
「私どもには、過分なお言葉。もったいない事であります」
デフレイタス侯爵は手を広げ、頭を下げ姫君に感謝を述べたが、その姿は一片の隙もない上品な物だった。
侍女達が姫君の前に大きな姿見を持ってきて、その前に小ぶりの絨毯を敷いた。
リリアス達は、反物を持って側に置き、布地を広げていく。
侍女がそれを受け取り、座っている姫君に当てて、侯爵夫妻に確認を取っていった。
「姫様は、どんな色もお似合いでありますから、どの生地もよろしいですね」
「ええ、でもとくに、薄いピンク地に小花柄などは、お若い時にしかお召しになられませんから、それらがよろしいのでは?」
部屋で話しているのは、侯爵夫妻と息子だけで、他の者は黙って聞いている。そして動いているのは、侍女とリリアス達だけだった。
侯爵とラウーシュは、立ったままで姫に当てた生地の、大ざっぱなデザインなどを決めている。
マダムジラーはそれを書き取り、ラフ画も描いていく。
今しか似合わない生地は、可愛らしさを強調したデザインにし、大人びた生地は夜会用にするために、胸や背中があくデザインになった。
時間にして二時間、ドレスは数十着になった。
リリアスとペラジーは、へとへとである。
反物の持ち運びに片づけと、皆を待たさないようにきびきびと動かねばならず、着なれぬよそ行きの服が重く中は汗びっしょりだった。
一通り生地を見終わった頃、ドアが開き男性が一人部屋に入って来た。
熱気の溢れる部屋だったので、廊下の新鮮な空気が入り込んで、少し涼しくなった。
今までにぎやかだった部屋が、急に静まり返った。
「これは、これは、オルタンシア公自らご確認ですかな?」
にこやかに姫君に話しかけていた侯爵は、オルタンシア公と呼んだ男性に顔を向けた途端、皮肉な笑みを口元に浮かべ、意地悪な目を光らせた。
オルタンシア公といえば、この国の宰相を務めている人物で、めったに人前に出ないという事で有名な貴族であった。
黒髪と黒眼が落ち着いた雰囲気を醸し出していて、年配のはずだが、白髪も見あたらなく影の薄い感じの人物だった。
大貴族であるのに、着ているジュストコールは茶色の、色褪せているのではないかと見えるほど地味な作りだった。
背が高く立派な口髭を生やし、流行の服を着ているデフレイタス侯爵と、中肉中背で男性にしてはやや低めの身長で、いつの時代の物かと思われる、洋服を着ているオルタンシア公爵では、互いに理解はできないだろうと思えた。
侯爵夫人は、侯爵はオルタンシア公爵を嫌っていると、はっきり言っていたはずだ。
しかし侯爵の身分とはいえ、相手は宰相を勤めている公爵で、国王の親戚筋にあたるはずである。その人を、こうもあからさまに嫌っていいのだろうか。
長年の積もり積もった因縁が、あるのかもしれない。
「少し時間が取れたので、姫様のドレス選びを見せていただこうと思ったのです」
「残念だった。今終わったところだ」
オルタンシア公爵は、
――ほう――
と、軽く声を出し、機嫌よく笑いながらソファーに座る姫君の隣に、腰掛けた。
皆ぎょっとして、その場面にくぎ付けになった。
「こ、公……、無礼でありましょう!」
デフレイタス侯爵は顔を赤くして、抗議した。
「姫様は他国から、知る人もいない我が国にお出でになられて、たいそう心細い思いをしておいででしょう。私は実の娘のような気持ちで、姫様に接しているのです」
ゆったりとした動きで、オルタンシア公爵は姫君の手を取り、
「姫様はなんのご心配もせずに、お心静かにお過ごし下さい」
にっこりと笑う公爵は、今まで誰も聞いたことのない、優しい心からの声音で囁いた。
「公……、私はドレスなど、こんなにいらないのです」
姫君は困った顔をして、まだ手を握る公爵に言った。
「それは承知していますが、これは私の望みでありますれば、どうか我が儘をお聞きください」
宰相という偉い貴族に言われてしまっては、姫君もそれ以上は拒めなかった。
困った顔でうつむいた姫君の手の甲をひとつ撫でて、公爵は立ち上がった。
「では、デフレイタス侯、あとはよろしく……」
公爵は、流れるような動作で部屋を出て行った。
「お前に頼まれなくても、姫君のために最善を尽くすわ!」
怒ったデフレイタス侯は、地団駄を踏んだ。嫌っている公爵から、あてつけがましく頼まれたのが腹に据えかねたのだろう。
「侯……、オルタンシア公爵とは、仲が良くないのですか?」
姫君が曇った顔で聞いてきた。
「いいえ……、いいえ、子供の頃から顔見知りなので、ついつい本音で互いに話してしまうのでございます。決して、仲は、悪くはございません」
姫君に笑ったデフレイタス侯の顔には、汗がにじんでいた。




