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祈る娘  作者: オーガ
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帰還 2



 馬車が止まると、護衛がまず休憩場所を少し整備し簡易竈かまどを馬車から降ろして湯を沸かす準備を始めた。

 侍女達はそれを見てから、テーブルを降ろさせて茶の用意を始めた。


「お嬢様、敷物をご用意致しましたので、お休み下さいませ」


 リリアスにはこそばゆい丁寧な言葉使いに内心で苦笑しながら、アニスが差し出した手に掴まり馬車から降りた。


 ――えっ?――


 地面に下ろした足が、膝からくずおれ転びそうになった。アニスが手を引っ張り態勢を立て直してくれて、リリアスはようやく立つ事が出来た。

「ありがとう」

「長く馬車に乗っておりますと、体が鈍ってしまいますので良く有る事ですわ」


 普段から座って仕事をしていたから、足腰は強くはないが平民として生活していたから、弱いとは思っていなかったので、馬車の移動の体への負担には驚かされた。


 遠くで護衛の指揮をしていたオテロが、こちらを見て笑っていたのが癪に障る。


 どうしてこんな物がここに、という小ぶりの彫刻が美しいテーブルが置かれ椅子に腰かけると、熱い紅茶が金の縁取りの桃色の小薔薇が描かれたカップに注がれて出された。

 皿に盛られた焼き菓子は、朝料理長が作った物でサクサクして香ばしかった。

 傍には侍女達が立ってリリアスの様子を伺っているが、一向に休もうとはしない。彼女等も屋敷勤めで長の旅には慣れていないはずで、疲れているのは同じはずだ。


「アニス……」

 気心が知れたアニスにリリアスは声を掛けた。


「如何なさいました?」

「屋敷なら何も言わないけれど、今は旅行中でしょう? こうして傍にいてもらうのは、申し訳ないわ。一緒にお茶にするか、どこかで休んで欲しいの」


 アニスは驚いた顔をしたが、日頃のリリアスを見ていたり、馬車の中での話でどの様な性格かは把握したつもりなので、この言葉にも意外な気はしなかった。

 侍女達が顔を見合わせ、それぞれが頷くと

「では、申し訳ございませんが、こちらで休ませて頂きます」

 リリアスのすぐ後ろの草原で敷物を引いて、腰を下ろした。

「アニス、皆にもお茶と焼き菓子をね……」


 アニスはリリアスの心使いに顔をほころばせ、頭を下げた。


 ゆっくりのんびりと急ぐ旅でもないので、護衛達には物足りないほどの呑気さで一行は進み、夕方に泊まる予定の街に着いた。


 事前に聞かされていたのか町長が宿の前で待っており、馬車が止まると慌てて駆け寄ろうとして、護衛に止められていた。

 ベリーが降りると、周りにいた町民からは侯爵令嬢と思われて声が上がり、酷く恥ずかしい思いをしていた。


 次にアニスが降りると、人々はついに侯爵令嬢かと大きな声が上がり、アニスが馬車の方を向いて頭を下げると、――あの美人がお嬢様じゃないのか?――と驚きの声が上がった。


 そのくだりを聞いていたリリアスは、馬車を降りるのに二の足を踏んだ。町民の期待が大きくなっていて、その中に出て行くのが恥ずかしい。


「お嬢様?」

 いつまでも出てこないリリアスに、アニスが覗き込んで来た。

 情けない顔をしているリリアスに、

「町民に綺麗なドレスを見せると、お思いになられたら如何ですか?」


 アニスの心遣いに勇気をもらってリリアスは、馬車から降りた。

 旅装のリリアスのドレスは、ペチコートは細身の物を着用し、襟元も喉までの詰まった物だが、ドレスは金色こんじきで深くなってきた秋を現している。同色のボンネットを頭に乗せて、色白のリリアスにはとても似合っている。

 アニスも美人だが、その後に出て来たもっと美しい侯爵令嬢のリリアスを見て町民は息を呑んだ。

 皆――さすが侯爵令嬢――と思って見ていると、リリアスが恥ずかし気に皆に向かって微笑んだものだから、驚きの声が上がる事となった。


 旅の街道にある町だから貴族は時々通るが、平民に気安く顔を向ける貴族はいない。ましてやお嬢様が平民に笑いかけるなど、見た事も無かった。

 町民は――おお――と声を上げ、旅籠に入るリリアスを見送った。


「恥ずかしいわ。まるで見た事の無い動物でも見るみたいな、好奇心だったわね」

「お嬢様がお美しいからですわ」

 アニスが自慢げに言うので、一緒に居た侍女達も笑った。


 旅籠の台所を料理人が占領したので、食事をしにきた客や泊り客にもリリアスの料理のおすそ分けがあり、旅籠は大いに盛り上がったのだった。


 それから毎日馬車に同乗する侍女が替わり、リリアスは侯爵家の侍女達との交流を深める事となった。


 村に近づくにつれて気温が和らぎ、この地方が南にある事が分かる。

 オテロが馬で馬車に寄って来て、声を掛けた。


「お嬢様、村が見えましたよ」

 リリアスは窓から体を乗り出して、前を見た。


 遠くに高い山並みが見える村は、なだらかな坂道を降りて行った所に家々が点在していて、藁ぶきの屋根や瓦の屋根の赤い煉瓦れんがで作られた建物はおもちゃの様に小さく見える。


 収穫が終わってのんびりとした雰囲気の村は、リリアスの心を穏やかにしてくれた。母の居た村に行くと思い緊張していた気持ちは、少しづつ落ち着いていった。


 村の入り口の坂に現れた五台の馬車や騎乗し武装した男達を見つけた子供達は、好奇心よりも恐ろしさが先にたったのか、原っぱから一目散に逃げ出した。

 子供達の叫び声に家々から大人が顔を出し、一瞬その一行の物々しい姿に驚いたが、そのすぐ後に――とうとういらっしゃった――という思いが浮かんだのだった。


 少し前にブリニャク侯爵家から村長に、――息女が暫く村に逗留するから、屋敷を整えておいて欲しい――という連絡が来ていた。

 村民でブリニャク侯爵の息女の話を知らない者はいないので、村は大騒動になった。

 常に屋敷の周りや邸内は掃除し整備していたが、改めて村民一同で一斉に手入れを行ったのである。

 薪を台所に運び込み、井戸を綺麗にし窓を全て拭き屋敷までの道を、箒で掃く事さえやった。


 用意万端整えた状態になったところに、一行の馬車が現れたのであった。


 村民は、ガラガラと進む馬車を家の前で静かに見ていた。

 馬車のすぐそばに騎乗して付き添っているオテロは、今年三度目の来訪で顔を知る村民も少なくはなかった。

 ひと際大きな馬車が行列の真ん中にあり、それに侯爵令嬢が乗っているのだろうと誰もが思っていた。

 すると突然窓が開けられ、中から色白の女性が顔を出して外を見始めた。


 村人は美しい貴族の令嬢を見た驚きより、十数年前ここから居なくなった子供がやっと帰って来たという感慨の想いの方が強かった。

 

 ――良くぞ無事に生きて帰って来た――というのが、村人の本音だったろう。

 

 今まで令嬢が見つかったという朗報も、亡くなっていたという凶報も聞かず中途半端な状態に置かれていた住民は、美しく成長した令嬢を迎えるという善き日を迎えたのだった。

 皆それぞれの想いを持ちながら、肩の荷を下ろしたのだった。



 リリアスが生まれ育った屋敷の門の外で、男女二人の老人が地にひれ伏していた。

 オテロはその二人を見下ろしながらも黙って、傍を通り抜けた。

 リリアスは貧し気な服装の二人が肩を振るわせ、額を地に付けているのを見て、大体の事情は理解できた。

 アニスに小さな声で頼み事をした。


 玄関には村長が膝を突き頭を下げ、リリアスが現れるのをじっと待っていた。

 王都のブリニャク邸と比較すると、馬丁たちの住居程の大きさの屋敷だった。古くはあるが綺麗に手入れされ、玄関脇には終わりが近い秋の花が植えられて、リリアスを歓迎する気持ちが溢れているようだった。

 一張羅であろう黒の服で窮屈に屈んでいる男に、オテロが声を掛けた。


「出迎えご苦労。館も綺麗にしているようで、なによりだ」


 村長は――はっ――と声を上げ、さらに頭を下げた。

「お嬢様、この者が村長でございます。この館もこの者から、買い上げたのでございますよ」


 館のいわれを聞いてリリアスは、村長に

「大変お世話になりました。今日から暫くこの村にお邪魔しますね」


 少し低めのリリアスの声に、村長は体を震わせさらに頭を下げた。

 彼はリリアスの姿は一度も見た事はなかったが、村人がこの令嬢にした事を考えれば、今自分が生きている事が夢のような気がするのだった。

 館を買った男の正体がブリニャク伯爵と知った時の衝撃と恐怖は、未だに夢に出てくるほどであった。


「お嬢様がご無事にご生還された事を、心からお喜び申し上げます」


 震え声で発言する村長にリリアスは言葉を失い、どうやら自分の誘拐事件が村長を長く困難な状態にしていた事に気が付いた。

「ご心配をおかけしました」


 そんな言葉しか掛けられず、リリアスは足早に屋敷に入って行った。


「この村は、私が居なくなってからずっと苦しんでいたのね……」


 玄関ホールに入ってから、リリアスはオテロの顔を見た。

 微かにオテロは頷き、ひとまず居間にリリアスを案内した。


 暖炉が壁際に有るこじんまりとした部屋だったが、置かれていたソファーやテーブルはつい最近侯爵家の使用人達が運び込んだものだった。

 屋敷は人が出入りする気配で息を吹き返したように見え、とどこおっていた陰鬱な空気も浄化されたようだった。


 直ぐにリリアスには紅茶が出され、有能な侍女達の仕事の一旦を見る事になった。

 陽が傾きかけてきたので背の高い護衛が、部屋にある蝋燭に火を点けて回り、暗かった居間の様子も良く見えた。

 壁などは塗り直されており、リリアスが居た頃の面影はないが、造りは変わっていないので、昔の雰囲気は感じ取る事が出来る。


「お母上様は、この部屋で一日をお過ごしになられ、レース編みや刺繍をなさっておいででした」


 オテロも懐かしそうな声でリリアスに、その頃の話をしてくれた。

「居心地の良い部屋ですもの、お母さまも心穏やかに住まわれていたのでしょうね」


 だが古くともその頃の家具が有れば、もっと母の過ごしていた状況が分かるのにと、残念に思う気持ちもあった。


 外では馬の世話をする護衛達の声や物音も聞こえ、夕方の物悲しい雰囲気を感じなくて済み少しは気が紛れた。




 翌朝母が寝室にしていた部屋で目覚めたリリアスは、色々な鳥のさえずりを耳にし、人々の声や馬車の音で煩い王都の朝とは違う賑やかさを感じていた。

 開け放した窓から見えるのは、一面の木々と遥か遠くの山並みだけだった。 広がる空の大きさに、王都とはまるで違う田舎の風景を物珍しく見つめていた。

 母がこの景色をずっと見ていたのかと思えば、木の揺れる様子さえ愛おしく思えた。

 

 居間での食事を終えるとオテロが、可愛らしい花束を持って入って来た。

 皆素朴な名も知れない花ばかりだったが、この季節に花をそろえるのが難しいのは分かるので、オテロに感謝した。


「綺麗な花ね、この土地の花と思うと尚更美しく感じるわ」


 馬車を護衛が守る形で、母のセルウィリアが最初に埋葬された墓に向かった。

 驚く事にそこには、村人が全員集まったのではないかと思えるほどの人々が、リリアスの墓参を待っていた。

 静かで鳥の声しか聞こえない中で、リリアスは村人の心情が分かる気がした。リリアスが母の墓を参る事で、村で起こった事件の区切りが一旦付くのだろう。


 花束を持って馬車から降りたリリアスに、村人からどよめきが起こった。

 都会の住民やまして貴族など目にしたことがない村人には、紫のベロアのドレスを着、肩にはケープを羽織り、孔雀の羽を飾った帽子を被っているリリアスの姿は、王族と言われても信じてしまうほど神々しい姿に映っただろう。


 あの美しい令嬢がこの村で生まれ育ったというのが、信じられない事だった。皆思わず膝を突いて、墓があった所に歩くリリアスを見ていた。


 大きな大理石の新しい墓石には、――セルウィリア・ブノトワ・ティルクアーズ・ルヴロアここに眠る――と彫られていた。

 膝を突き花束を供え、リリアスはその墓石に身体を伏せた。


 ――お母ちゃん、やっと私もこの地に帰ってきたよ――


 三才の幼子を残して、死ななくてはならなかった母の無念の気持ちと、さらにそれからの我が子の苦難を天国から見ていた辛い気持ちを思うと、リリアスはその切なさに涙を流したのであった。


お待たせして申し訳ありません。この話はもう少し続きます。

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