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祈る娘  作者: オーガ
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メゾン・ラベーエにて



 二頭立ての赤いレースウッドで作られた馬車が、メゾン・ラベーエの店前に付けられた。ドアマンは来客があるのを分かっていたようで、馬車が現れる前から外で待機していた。


 中から体格の良い一目で護衛と分かる男が降りてきて、馬車の後ろに立って乗っていたフットマンが馬車の下に足台を置いた。

 店の近くに居た人々は、豪華な馬車からは男性が降りてくるのだろうと、見る事無しに見ていたが、現れたのは紫の絹で作られた女性の靴だった。


 人々は靴先から徐々に表れた菫色のドレスにまず驚き、凝ったドレープのスカートの上の胸元に飾られたサファイアのネックレスに驚嘆し、さらにその上の美しい顔に目を奪われた。

 赤い髪に白い肌の切れ長の瞳の娘は、見つめる人々に軽く頭を傾げ微笑んだ。

 貴族の娘に笑顔を向けられた事のない庶民は、皆ドギマギして顔を赤らめた。


「お嬢様ようこそお出で下さいました」

 ドアマンは頭を下げ、扉を開けた。


「ありがとうございます」


 侯爵令嬢と聞いていたドアマンは、貴族から礼を言われたのは初めての事で、内心驚いていた。今の庶民達に対する仕草と言い、少し他の貴族令嬢とは違った印象のある女性だと思った。


 二度目の訪問のラベーエの印象は、やはり豪華な店構えだと言う事だった。

 口元に微笑みを湛えたマネージャーのマレは、店の内装を気に入っているように眺めるリリアスに礼を取った。


「お嬢様、当店に来て頂けるとは光栄でございます。こちらからお伺いせねばなりませんのに、ご無理を申し上げて大変申し訳ございません」


 きっちりと着こまれた三つ揃えは、男の色気を一番引き出す黒で、腰元に金時計の鎖が垂れていてアクセントとして演出されていた。


「こちらこそ押し掛けてすみません。どうしても主任の仕事ぶりを見たかったので、無理を言いました」


 宮廷に出仕する時の衣装を作る為に、リリアスはここにやって来たのだが興奮で胸が躍っている。男性衣装制作の最高峰と言われる、メゾン・ラベーエの主任の作業現場を直に見る事など、一生の中でも有るか無いかの事であった。

 

 しかも女性用の衣装制作現場である。

 リリアスでなくとも、裁縫を生業なりわいとしている者には、憧れの地であった。


 店のホールを抜けて廊下を行くと、小ホールがありそこで一つある扉をマレは開けた。

 オーク材の色が変わった扉が開くと、少し煙草の匂いがしていかにもここは紳士の店なのだと教えてくれる。


 明るく広い豪奢な部屋の端にその人は、立っていた。


 リリアスが子供の時の主任と聞いていたから、老人と勝手に考えていたが、まだ壮年といえる年齢の人物だった。

 背が非常に高くオテロより少し頭が高く、体の幅は半分程の痩せた体だった。


 げた頬に、広い額で髪は後ろに流し首元で括っている。

 白髪交じりの茶色の髪色で、瞳も茶色でその風貌は裁縫師というより、学者と言った方が良い感じだった。


「リリアージュ様、ようこそいらして下さいました。メゾン・ラベーエの裁縫主任、ロイク・バルビエと申します」


 深々と礼を取ったバルビエに、リリアスもドレスの脇の端を手で押さえ、軽く頭を傾けた。

「リリアージュです。今日は宜しくお願い致します」


 向かい合った二人は、顧客と技術者という関係ではなくどちらかというと、弟子と師匠と言った方が正しい気がする。


 リリアージュの体の採寸は、バルビエの要望の箇所をすでにジラーの所で測っていて、数字はラベーエに送られていた。

 今日はバルビエが、デザインされた物をリリアスに見せ、好みを聞くと言う事であったのだが、部屋の真ん中にはトルソーが置かれ布が掛けられていた。


 リリアスはそれに目を輝かせ、

「こちらは?」

 と、興味津々に訊ねた。


 バルビエはニコリともせず、トルソーに掛かった布を取った。


 現れたのは真っ白なドレスだった。

 ――まあ――

 と、リリアスは声を上げ、そっと近づいた。


「リリアージュ様の寸法を頂きましたので、シンプルな形で仮のドレスを作ってみました」

 

 淡々とバルビエは話すが、単純なデザインで刺繍もフリルも付いていないドレスのスカート部分は、皺ひとつなく滑らかに波打ち正確なバイアスでできていると分かり、確かな技術がそこに見られリリアスは感激した。

 

 バルビエもこの装飾のないドレスを見て、感嘆してくれているリリアスに好感を持った。

 普通の貴族は派手で豪華な装飾を好み、金さえかければ良いと思っている所があるのだ。

 それでも顧客の中のデフレイタス侯爵親子などは、自分達のセンスと好みでバルビエに注文をし、事細かく寸法も言ってくる。

 それが二人の容貌に見事に似合っていて、自分達を客観的に見る事の出来る稀な客と言えるのだった。


 ブリニャク侯爵の息女も、その稀な客の中に入るのだろう。

 

 昔バルビエが主任になり立ての頃、寸法だけで子供のそれも女児の服を注文されたが、古くから店の顧客であった為、無理を承知の上での注文を引き受けた事があったが、その女児が目の前に立っている。


 赤い髪の毛に緑の瞳と教えられた女児は、同じ色で美しい女性となってバルビエの所にやって来た。

 マレから聞くとバルビエの作った女児服が手掛かりとなって、長らく行方不明だったブリニャク侯爵の息女がこの女性だと判明したとの事であった。


 そしてこの息女が裁縫師として身を立てていて、マダム・ジラー・メゾンの若き刺繍の主任だったとは、驚くばかりである。


 バルビエもマダム・ジラーの店が王妃のドレスの注文を受け、見事な品を製作したと聞き及んでいたが、そのドレスの刺繍の製作者がブリニャク侯爵の息女と知らされ、二重に驚かされたものだった。


 その驚きの息女は、飾り気のないバルビエが作ったドレスの技術を理解し感嘆してくれている。

 裁縫師として、これ程嬉しい事はあるだろうか。

 

 ブリニャク侯爵息女のドレスを作ると決めたのは、昔の因縁もあるがマダム・ジラーの裁縫師だったと知ったのも大きかったのだ。


「ひとまず、お座り下さい」


 バルビエがソファーを勧めると、リリアスは名残惜しそうにドレスを見ながらソファーに腰かけた。

 

 貴族の対応はいつも同じで、紅茶と菓子が出され一息ついてから世間話を少しして、それからおもむろに衣装の話に入っていくという、もどかしいいものである。


 しかしリリアスは、紅茶も菓子にも目を向けず、マレが最近の社交界の話題を振っても、うわの空だった。

 バルビエとマレは、顔を見合わせ苦笑した。

 いかにも貴族令嬢とした容姿だが、中身は立派な裁縫師なのだ。


 リリアスはバルビエの横に置かれた、紙の束が気になってしょうがない。

 きっとあれはデザイン画で、バルビエの手による物だと推測している。

 今トルソーに飾られているドレスは基本型で、あれから首回り袖やドレスの幅などがデザインされ、調整されていくのだろう。

 その変化を目前で見られる事の幸せを、リリアスは感じていた。

 

 ジラーの所とは、やはり製作過程が違うのだろうかと思う。

 店それぞれのやり方があり、手順や装飾の方法も各店での技法があるはずなのだ。

 バルビエは、リリアスに何処まで見せるつもりなのか、期待で胸が膨らんでいる。


 扉を叩く音がして入って来たのは二人の若い男性で、大きな木の箱を持って来た。接客の使用人と言う感じではなく、どちらかというと職人の雰囲気がある。


 天井までの窓の前にある大きな机の上にそれを置き、机の横に控えて立った。


「こちらがご用意したデザイン画ですが、勿論お嬢様のご要望を第一にお聞きいたします」


 バルビエは紙の束を出して、リリアスの前に広げた。

 目の前には黒の線ではあるが、豪華なドレスの絵が数多く書かれてあった。


 女性専門の店と違いやはりラベーエは、甘さを極力取り除きシルエットと襟や胸のカッティングで個性を出そうとしている。

 それはジュストコールの前立ての襟や後ろの裾のドレープ、ジレの前裾の斜めに切れたカッタウエイなどのデザインが使われており、今までの女性のドレスにはない、強くて清廉な印象がある物になっていた。


「なんて、斬新なデザインでしょう。バルビエ様、男性の衣装のカッティングも女性の衣装に応用が利くのですね」


「そう仰っていただくと、考えた甲斐がございます。それで、ご要望はどの様な物がございますか?」


 リリアスはいざ自分が着るとなると、どの様なデザインが似合うのかというのが客観的に見ることが出来なかった。

 豪華なドレスを着てきた経験がなく、体形や容貌髪の形との全体のバランスが分からない。


 貴族の令嬢が子供の頃から人に教えられたり、自分で体験して少しずつ身に付けて行くものが、リリアスには無かった。


「バルビエ様……私には自分の事は良くわかりません。貴方が私をご覧になって、似合うという物を見せて頂けますか? それを見てからならば、考えることが出来ると思うのです」


 リリアスは、正直に今の気持ちを伝えた。

 バルビエは、頷き数点のデザイン画を見せた。


「お嬢様は、どの様なデザインの物でもきっと着こなす事は出来る事でしょう。しかし個性を重要視するならば、私はこの中のどれかと申し上げる事でしょう」


 全て腰からの切り替えが膨らまず、腰の線が分かるような細身のドレスであった。

 現在流行っているドレスとは、反対の物だ。


「お嬢様には、他の貴族令嬢とは違う断固とした意志と、自立している自信がお有りです。その方が、甘い綿あめの様なフワフワとした物を着られても、その個性を発揮できるとは思いません。マレからお嬢様の印象を聞いて、私なりに考えた物でございます」


 リリアスは、バルビエの審美眼を信じている。

 それは、リリアスの為に作られた子供服を見ただけで、容易に分かる事だった。

 だから示されたデザイン画の中で、自分の好みの物を選ぶだけで良かったのだった。

 レースと刺繍が、品よく使われているドレスを選んだ。


 バルビエはそれを見て、机の横に立っている男達に、

「レースのAを」

 と、告げた。


 二人の男達は木箱を開け、中から布を取り出し始めた。


 リリアスは思わす立ち上がり、二人の手元をじっと見つめた。

 バルビエはそんなリリアスの姿に微笑みながら、

「お嬢様、どうぞこちらへ」

 と、リリアスを机の方へ案内してくれた。


 机の上にあるレースは、最高級の物だった。


「ご存知の通り、レースは先に作っておく事が出来ますから、ドレスのデザインを選べば、それに合ったレースを付けるだけで宜しいのです。勿論刺繍はこれからですが、職人は多数おりますので期限までには、必ず仕上げてご覧に入れます」


 バルビエは別の木箱から鋏を取り出し、トルソーの襟元を大胆に切り始めた。

 リリアスは息を呑み、バルビエの鋏のさばき方を凝視した。

 迷いなくバルビエの持つ鋏は、リリアスが選んだデザイン画と同じ襟を切り出していった。


 立体的に鋏を入れて衣装を作る方法は、リリアス達はあまり使わない。

 勿論補正をする時やデザインの変更の場合は、トルソーに着せてそのまま待ち針を打つ事はあるが、裁断の段階では型紙を使う。


 男性の衣装の方が型紙に縛られると思うのだが、バルビエの手は素早く切った個所に布を足し、襟を仮ではあるが完成させた。


 そして用意されたレースを、待ち針でデザイン通りにドレスに仮止めして行った。


「いかがでしょうか?」


 リリアスは、目の前で成された作業に言葉が出ず、その出来栄えに目を見張った。

 実際には、これ以上の完成度でドレスが、出来上がるのだ。

 リリアスはそれを想像すると、鳥肌が立ってしまった。


「バルビエ様! 私は、このドレスを製作する所を是非見せて頂きたいですわ!」


 突然のリリアスの要望にバルビエは、頭を傾けて無言だったが、マレや部屋の隅で静かに立っていた護衛の者の――良いと言え――という無言の圧力に負けてしまった。


「全てとは、申し上げる事は出来ませんが、折々の過程で宜しければどうぞお出で下さいませ」


 バルビエが了承すると、リリアスの顔は上気し頬を押さえた。


「お仕事のお邪魔をしてしまいますが、バルビエ様の作業の方法を実際に見て、参考に出来ればと思ってしまうのです」


 職人ならば当然の言葉だが、それが貴族の令嬢から出るとおかしく感じられる。

 バルビエは、リリアスの職人としての気構えに、女性ながらも感心してしまった。

 それにリリアスは邪魔をすると言ったが、彼女が来れば何がしかの参考意見が聞けるかもしれないと思うのは、やはりバルビエも職人だからなのだろう。


 それからリリアスはバルビエのアトリエに入り浸りになるのだが、刺繍に対する一家言いっかげん有るリリアスは、アトリエにいる職人達にはいい刺激になるのだった。

 



書き足りていない所が有ったので、再度投稿致しました。


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