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祈る娘  作者: オーガ
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第147話



 今年最後の舞踏会から数日後、オテロは馬に乗って屋敷を出発した。

 王都は秋が深くなってきていたが、これから行く地はまだ秋が始まった頃だろうかと思ってみる。 

 朝もやがかかる中、街道に出る道を行くと、馬の嘶きが聞こえた。

 近づくと馬に乗った男の影が見え、何事かと目を細めた。


 相手は、オテロに向かって手を上げた。


「オテロ殿!」


 声でモットだと分かった。


「どうしてここに居る?」


 やっと顔が見えると、モットは気まずい顔をしていた。

「昨日リリアージュ様から、オテロ殿が仕事で何処かに行くとお聞きしたので、一緒に行こうと思いましてね……」


 何処に行くとも知らないはずなのに、モットはしっかり旅装を整えていた。

「どうした?」


 モットは子供の様な仕草で口を尖らせて、地面を見ている。

「言わせんで下さい。いい年した大人の感傷ですよ」

「変な奴だな」


 オテロは、薄く笑った。

 長年従僕をしていると、主人と共に良い事も悪い事も経験し、人間ではなくなったのではないかと思う程、感情が動かない様になった。

 辛い事苦しい事を一々感じていては、戦場ではやっていられなくなる。

 その為に自然と無感情になるのだ。

 

 笑いも泣きもするが、過酷な状況では感情を遮断する事が出来る。

 モットは、それが出来ない男なのだろう。


 街道を並んで馬を歩かせていると、

「やりたくない仕事では、ないですか?」

 深刻な声で聞かれた。


 モットも同じ事を、考えていたのだなと思う。


「貴族の従僕をやっているとな、やりたくない事など多過ぎて、そう思わなくなってしまうものだ」

「そんなもんですかね」


 納得がいかないようで、うつむき加減でいる。

 ポクポクとひづめの音だけがして、なんとものんびりとした空気が流れていた。


「オテロ殿は、家庭を持とうとは思わないんですか?」


 唐突な質問にオテロは困惑したが、モットも独身だがまだ一人で居続けるには若い年のはずだ。

「事情は知っているだろう、結婚を考える暇が無かった」

「じゃあ今なら? もう落ち着いた生活ですよ。お嬢様も婚約したし、心配事もない」


 随分しつこいから、ふと気が付いた。


「誰か所帯を持ちたい女がいるのか?」


 モットはため息を吐いた。

「年は取ってる、足は悪いし顔も悪い、稼ぎは普通。これで嫁に来てくれる女が、いるんですかね」


「聞いてみるだけでも、いいじゃないか。当たって砕けろだぞ。それにジラーの所の女なら、手に職があるから、稼いでくれるのじゃないのか?」


 モットはとんでもないと首を振り、そのまま黙ってしまった。

 一人よりは連れが居た方が退屈しないかと思ったが、重い空気が漂いかえって気疲れしてしまう。


 夕方宿屋に着くと、

「オテロ殿……宿賃を貸してもらえませんかね……」

 モットが体を縮めて頼んで来た時には、力が抜けた。


「お前金を、忘れたのか?」


「昨日の夕方に話を聞いたので、金を工面する時間が無かったんです。帰ったら必ず返しますから、お願いします」


 床に頭が付くほどに腰を折って頼んで来るモットに、オテロもこの時間では帰す事も、野宿をさせるにも寒くて出来ない状態だったので、しかたなく相部屋を借りる事になった。


「すみません、すみません」

 

 夕食を食べ酒を驕ってやると、モットはそう言いながら残さず飲み食いをした。

 食事の時の話題は、終戦の日に同じ戦場に居た偶然から、イズトゥーリスの激しい抵抗から、押し切られ撤退し始めた時の戦闘になった。

 

 話してみれば二人共ほぼ同じ光景を見ていて、あそこでは誰が、こちらではあの人がと話題は尽きなかった。

 そして最後は、ブリニャク侯爵が勝鬨かちどきを上げた、夕焼けで真っ赤だった、丘の情景になるのだった。

 

 不思議な事に、この半年以上ジラーの所で一緒に居たのに、親しく話をした事がなかったのだ。この晩を二人で過ごした事で、年は離れているが長年の友人の様な気持ちになったのだった。


 その地に着いた時、遥か向こうの山々はまだ紅葉が始まったばかりで、里の木々も葉も落ちておらず青々としていた。

 同じ国でも同時期に見る風景がこれ程違うのも、広大な土地だからだろう。


「これまた、田舎も田舎ですねえ」


 モットの故郷も同じような物なのだが、王都暮らしが長いせいかそう感じるのだろう。


 オテロの馬の後を付いてモットも行くが、暖かい土地柄か村の人は他所者がきても、余り警戒していないようだった。日向で老人がおしゃべりに、夢中だった。


 オテロは村の中を突っ切って、林の奥に入っていった。

 モットは村の家に用が有ると思っていたので、何処に行くのかと不思議だった。

 木々の間を抜けて開けた場所に出ると、その端に家がポツンと建っていた。

 草ぶきの屋根がへこんだ、小さな家だった。

 男が一人畑で鍬を使い、収穫の終わった作物の茎などを土地にすき込んでいた。男は馬に乗ったオテロ達を見ると、鍬を置いてこちらにやって来た。


 六十過ぎぐらいだろうか、日に焼けた黒い顔が痩せた身体に似合わなくて、農家の老人はこんな感じだったろうかと、モットは思った。


 オテロ達の顔が分かる所まで来ると、老人は声を上げて駆け寄って来た。


「オテロ様!!」

 

 馬の前に膝を付いて、頭を下げて来た。

 モットは、老人の姿を見ていられなくて、下馬してオテロの馬のくつわも取った。

 近くの木に馬を繋いで、――さて――とオテロの方を見ると老人と話し込んでいた。

「モット、馬から鞄を下ろしてくれないか」

 

 頷いて馬の背に括りつけられた鞄のベルトを外し、持って行った。


 二人はそのまま家に歩いて行くので、モットも後を付いて行った。

 案内された家の中は、整頓されてこじんまりとしていて、清潔な感じがした。


 かまどでは鍋が湯気を上げて何かが煮えており、いい匂いがしていた。

 老人の妻であろう女性が、編み物をしていたが入ってきた夫とオテロを見て、毛糸を落として立ち上がった。


「オテロ様!!」


 妻も、オテロの訪問に驚いて名前を呼んだ。


 オテロは構わなくてもよいと言ったのだが、女は何かをせずにはいられなかったのだろう、慌てて茶の用意をした。


「二人共元気そうだな」

「はい、お蔭様でなんとか食べるのには困っていません。オテロ様も、お変わりなく?」


 オテロは頷いて、妻が茶を出してくれたので、器を取って喉を潤した。

 モットも隣で同じく茶を飲んだ。

 

 夫婦は向かいに並んで、オテロが話をするのを待っていた。

 それがどんな内容なのか、薄々気が付いていたとしても、自分の口から言うのははばかられるのだった。


 オテロは持って来た鞄から、紙に巻かれた細長い包みを出した。

 夫婦は何かと覗き込んだが、オテロがゆっくり包みを開くと中から薄い茶色の長い髪の束が出て来た。

 赤いリボンでまとめられていた。


 ――う、う、っ――


 妻はエプロンで口を押えて、泣き出した。


「ひと月ほど前に、国の処刑場でジャジャ・ムーランは処刑された。これが遺髪だ。娘の希望で生きているうちに切って欲しいと言われたので、私が切り取った」


 妻は顔を覆って泣き、夫は黙ってそれを見ていた。


「あいつが、私達に持っていって欲しいと願ったのですか?」

「……そうだ、もう残す物もないので、せめて髪の毛をと言っていた」


 老人はその髪を掴んで、竈に入れようとしたがオテロに止められた。


「まず、話を聞いてからにしてくれ。……この地を訪れてから少しして、王都でリリアージュお嬢様が見つかったのだ」


 夫婦は驚きの声を上げ、老人は娘が処刑されたと言われても泣かなかったのに、リリアスが見つかったと聞いた途端、大声を上げて泣き出した。


「お、お嬢様が……み、見つかったのですか……」

 

 泣きながら聞き返す老人の声は、安堵に溢れていた。



「ああ、本当に偶然にもお嬢様がご自分の素性を調べ、ブリニャク侯爵の娘だと知られたのだ。赤毛で緑の瞳の、とても美しい女性に成長成されておられた」

 夫婦は頷いて、昔リリアスがこの地に住んでいた時に、ニ、三度見た事がある息女の姿を思い出していた。


「娘は自分の行いに後悔し、反省し、罪人として囚われている間ブリニャク侯爵邸で、洗濯女中の仕事を暫くしていたのだ。良く働き使用人からも評判は良かったぞ」


 夫婦は黙ってオテロの話を聞いている。


「私もお嬢様も、娘がずっと苦しい生活を強いられてきたのを聞いて知っていたし、後悔してまともな人間になっていると思っていたのだが、やはりな、貴族の子供を攫った罪はそれだけでは、償えないのだ」


 老人は頭を振った。


「そ、そんなのは、当たり前です! 世話になった家の家財一式盗み出し、お嬢様まで連れ去ったのです、それがどうして許されるでしょうか……」


「それに、一緒に逃げたカンタンだが、王都で疫病を蔓延させた罪もあって、王都の広場で火あぶりの刑に処せられたぞ」


 老人の顔が上がって、一瞬嬉しそうな表情が顔に浮かんだ。


「あいつも、捕まっていたのですか?」

「ああ、それも偶然にも王都でお嬢様が看病していた病人がカンタンで、我々が捕まえたのだ。攫った子供に命を救われるとは、皮肉な事だったぞ」


「そうですか……あいつも、捕まって処刑されたんですね……」


 老人の肩が下がり小刻みに震えている。夫婦にすればカンタンさえいなければ、娘も大罪を起こさなかったのにと、思っていたのかもしれない。


 オテロは懐から革袋を取り出し、机に置いた。


「旦那様から、洗濯女中として働いていた間の給金をと頂いた金だ。娘が働いて稼いだ金だ、遠慮せず受け取るがいい」


 じっと、膨らんだ袋を見るだけで、手にしない夫婦にオテロはそう言って、立ち上がった。


「処刑される前の日に、お嬢様が特別に娘の知り合いを呼んで、夕食を共にして下さったのだ。美味い物を食べて、処刑されるとは知らない友人と楽しそうに話をして、娘は満足そうだったぞ。いつかお嬢様がこの地に参られた時には、その時の話をして下さるかもしれんぞ。それまで息災に過ごせよ?」


 夫婦は泣いていて、返事をする事が出来なかった。

 モットと外に出て、新鮮な空気を吸った。

 家の中は暑く暗い空気が、二人の気持ちを下げていた。


 馬に乗り今度は駆け足で走らせて、王都へと目指した。


「オテロ様、俺はあの食事会にたまたま居合わせたけど、真相を知った時は心臓が止まるかと思う程驚きましたよ。寿命が二、三年縮んだかもしれない。だからこの旅の旅費は、その代償とするって事で良いですよね?」


「はあ? 何言っているんだ?」

「まあ、そういう事で……」


 モットは馬を先行させて、砂ぼこりをオテロにかけながら、走り去った。


「お前、初めからそのつもりで……」


 嫌で気の進まない用件も、モットが居てくれたおかげで、気を張って終わらせる事が出来た。只隣に座っていてくれるだけで、あの愁嘆場を乗り越えられた。


 ――そう思えば、旅費ぐらいは安い物かな――

 オテロは、笑いながら先を行くモットを追いかけた。



   


    ****



 

 朝の仕事場はもう火が無いと、寒くて指が動かない。

 

 下女が早くに暖炉に火を入れ、部屋を暖かくしてくれている。


 リリアスはずっと自分の席だった場所に腰かけ、ぐるっと工房の中を見渡した。


 蝋燭の煤で汚れた天井や、皆の手が触って滑らかになっている工具棚の引き出しや、刺繍糸が色別に入っている男の人の背より高い棚も、大人が二人並んで寝そべる事の出来る作業机も、懐かしいと思えるほど慣れ親しんだ物だった。


 教会での式の前にどうしてもと、無理を言ってジラーの工房に連れて来てもらった。

 今着ている花嫁衣裳は、ここで工房の女性全員で作った何にも代えがたい物だった。

 式に出られない工房の女性に見て貰いたくて、総ての支度をした状態でやって来た。

 もうすぐ皆がやって来て、この部屋に居るリリアスを見て、驚き大きな声を上げそして明るく笑うだろう。

 

 その顔を見たくて、ここに居る。


 今日からリリアスは、ラウーシュ・ルベルティエ・オリオール・ジュオーの妻になる。


 婚約してから一年経ち、晩秋に嫁いで行くのだ。


 ラウーシュと共に、冬を越し暖かい春を待とうと思っている。


 着ている花嫁衣裳には、白と銀と透明なビーズが刺繍と交じり合い、歩くのも大変な重さになっている。

 デフレイタス侯爵家の威信にかけてもと、ビーズの産地に人をやり膨大な数のビーズを作り、気に入った物だけでこの衣装は作られているのだ。


 ラウーシュがビーズの産地で聞いたところ、ビーズが作られた初めの頃は透明な玉が司祭達のクロスに付けられ祈りの儀式に用いられ、――祈る――という語源からビーズという名前になったらしい。


 刺繍も刺している姿はまるで、神に祈っているような姿勢で、常に刺繍をしてきたリリアスは、ビーズの言葉の成り立ちと刺繍をしている時の自分達との姿の関連が、面白いと感じていた。


 花嫁衣裳を作っている時は、無心になり自分の全てを捧げて誠心誠意心を込めていた。

 刺繍もビーズの飾りも、言祝ことほぎになればよいと思っている。


 リリアスは作業机の上で指を組み、これからのラウーシュとの結婚生活が互いの幸福に繋がっていくようにと願った。


 すべてはこの作業場から始まり、自分の運命が切り開かれていった。


 そして、今日ここからまた新たな人生が始まるのだ。


 廊下が人の声で賑やかになってきた。

 

 リリアスは、開いた扉の向こうに驚き笑う友人達の顔を見るために、静かに立ち上がった。



            終わり

 

やっと最終回を迎えました。

読んで下さった方、評価を下さった方本当にありがとうございます。


特に感想を書いて下さった。

 いずはら深海さん

 ねこぱぱさん

 無銘さん

 yosukeさん

 寺路さとりさん! 

 感想を書いて下さって本当にありがとうございます! 頑張る力になりました!


 これから活動報告に今までの気持ちなどを書き込みますので、後で

 お時間が有りましたらご覧になって下さい。


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